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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
233/347

Word.59 死ンダ言葉 〈1〉

――――君の居た、あの美しい世界に、かえりたい。


 七年前、韻本部。

「本日、今この時から、あなたを、五十音士の一人、“加守”と認めます」

 長々と文字の書かれた書類を最後まで読み、やっとのことで顔を上げたのは、小花柄の美しい着物を纏った、まだ幼さの残る少女の言姫、和音であった。

「自身の言葉に誇りを持ち、日々、人々の言葉を守ることに励むように。良いですね?」

 そう告げた和音が、柔らかく笑みを浮かべる。

「朝比奈カモメ」

「はい、了解しました!」

 和音の言葉に、大きな声と笑顔で答えたのは、朝比奈カモメ。和音よりは幾つか年上だが、まだ、高校生になったばかりの十六歳であった。

「ほ、本当におわかりですか…?」

「はい!日本語難しくて、言姫さんの説明、九割くらい意味わかんなかったけど、わかりましたぁ!」

「それは、わかったことになるのでしょうか…」

 満面の笑みで、何の悪びれもなく言い放つカモメに、和音は怒ることも出来ずに、力の抜けた様子で深々と肩を落とした。

「まぁいいですわ。では引き続き、顔合わせに参りましょう」

「顔合わせ?」

「今日からあなたが共に戦っていく仲間であり、そして、あなたが守っていくべき方となります」

 戸惑うように首を傾げたカモメに、和音は再び、笑みを向ける。

「さぁ、どうぞ」

 和音の声に反応するように、開く部屋の扉。そこから入って来る人物へと、カモメが視線を投げかける。入って来たのは、カモメとそう年の違わない、真っ赤な髪に、鋭い金色の瞳の、整った顔立ちをした青年であった。

「あ…」

 青年が纏う、どこか静かで近寄りがたい、神秘的なその空気に、カモメが思わず声を漏らす。

「“神”…」

「ええ、そうです。彼こそが、あなたの神」

 カモメが呟いたその言葉に、和音が大きく頷く。

「“安の神”、安積あづみあきらですわ」

「安の、神…」

 和音が発した言葉を、カモメが確かめるようにゆっくりと繰り返す。

「というわけで安の神、彼が今日からあなたの神附きとなる…」

「俺の質問に、五秒以内に答えろ…」

「へ?」

 続いてカモメを紹介しようとした和音の言葉を遮って、素早くカモメへと歩み寄った晶が、そう言い放つ。いきなりの晶の言葉に、カモメはただ、困惑した様子で目を丸めた。

「これ、何と読む?」

 そう言ってカモメへと、一枚の紙を突き出す晶。その紙には縦に大きく二文字、『河豚』と書かれていた。

「ええぇ?うぅ~んと…」

 紙を睨むように見つめ、カモメが大きく首を捻る。

「“かわぶた”?」

「じゃあ」

「お待ち下さい、安の神!」

 首を傾けたままカモメが答えると、晶はそれに何の反応も示さずに、その場を去ろうとする。そんな晶の肩を和音ががっしりと掴み、強く引き止める。

「彼は先代加守が、自信満々で推薦した方ですわよ?彼ほど、音士に相応しい者はいないと」

「老眼でも始まってたんじゃないの?もう結構なお年だったみたいだし」

「左守さんまで…」

 二人の会話に横から口を挟んだのは、晶に引き続いて部屋へと入って来た、こちらもカモメと同い年くらいの、美しい少女であった。長い髪を掻き上げながら、鋭い微笑みを浮かべている。

「確かに言葉に難はありますが、力は相当のものですわよ?それは認定試験の際に、わたくしも確認いたしました」

「最近は五十音士の成り手が少ないから、認定試験も緩めだって聞いたけれど」

 指摘するように言う少女に、和音は思わず口ごもり、少し眉をひそめる。

「もう、彼が加守に決まったんです!諦めて下さい!」

「投げたわね…フフフ…」

 自棄になって叫ぶ和音に、少女が笑い声を漏らす。

「まぁ別に、忌退治でも何でも、適当にやってくれればいい。俺も適当にやるから…」

「あ…!」

 素っ気なく言って、あっさりとその場を去っていく晶に、和音が慌てた様子で、声をあげる。

「ちょ、ちょっと!安の神!」

「もう顔合わせも終わったんだから、いいだろう?俺は帰る…」

 引き止める和音の言葉も聞かずに、晶は振り返ることなく部屋を出て行った。扉が閉まると、和音が困ったような表情で、深々と肩を落とす。

「相変わらず、奔放な方ですわね…」

「フフフ…一応、今度、注意しておくわ」

 呆れたように言う和音に、少女がそっと笑みを浮かべる。

「ごめんなさいね、あんな神様で」

 少女が顔の向きを変え、改めてカモメの方を見る。

「私は“左守”の相良さがらさくら。今のところ、安団は三人だけだから、仲良くしましょう?」

「うぅ~ん」

 右手を差し出した櫻を前に、大きく首を捻るカモメ。そんなカモメの様子に、櫻が少し戸惑う。

「どうかした?」

「さっきの“かわぶた”って、一体、何て読むのぉ?」

「え…?」

 真ん丸とした純粋な瞳を向けてくるカモメに、櫻が思わず、唖然とする。

「だ、大丈夫かしら?うちの団…」

「さぁ…?」

 カモメを見つめながら、櫻は和音と共に、不安げな表情を見せた。




 数日後。言ノ葉町からは少し離れた町、しおり町。栞高校、放課後。

「はぁ」

 ネクタイの締まった首元を少し緩めながら、他の下校する生徒に紛れ、ゆっくりと正門への道を進む晶。一日の授業に疲れたのか、深々と溜息を零している。

「マグネシウムが足りない気がする…水でも買って行こうかな…」

「あ、神様ぁぁ!」

「は…?」

 馬鹿でかく聞こえてくるその単語に、財布の中身を確認していた晶が、眉をひそめ、素早く顔を上げる。

「神様ぁぁぁ!」

「あいつ…」

 正門の前に立ち、晶へと大きく手を振っているのは、いかにも何も考えていなさそうな笑みを浮かべた、カモメであった。カモメの姿を視界に入れ、晶が思わず顔をしかめる。

『神様?』

 周りにいる下校している生徒たちが、カモメの呼んでいる名を不審に思い、疑うような視線で晶の方を見ている。それに軽く舌を鳴らすと、晶は足早にカモメのもとへと歩いて行った。

「何故、お前がここに居る…?そして、お前は誰だ…?」

「ええぇ!?覚えてないのぉ?俺、加守だよぉ、加守!神様の神附きになった」

「ああ、“かわぶた”か」

 首を傾けた晶へと、カモメが必死になって主張すると、晶はやっと思いだしたように頷いた。

「韻で聞いたんだぁ。神様、ここの学校に通ってるって」

「“神様”はやめろ」

「へ?」

 笑顔で答えるカモメに、鋭く注意する晶。だがカモメは、今も集めている視線には気付かずに、わけがわからないといった様子で目を丸くする。

「じゃあ何にする?神ちゃん?」

「名前で呼べ」

 カモメに強い口調で言いながら、正門を抜け、道を曲がる晶。同じ学校の生徒たちの向けられている冷たい視線から、少しでも早く遠ざかりたかったのだ。足早に歩いていく晶を、カモメが後に続くように、追いかけていく。

「わかった!えぇ~っと、あれ?神様、名前なんだっけ?」

「安積晶だ」

「あ、そうそう。じゃあ晶だね」

 冷たくあしらう晶を気にしていないのか、気付いていないだけなのか、相変わらずの笑顔を見せるカモメ。

「自分の神の名前くらい、一度で覚えろ。かわぶた」

「神様だって、俺のこと、誰かわかってなかったじゃん」

「まぁ、それはそうだが…」

「あ、そうそう。あれ、読めたんだぁ」

 晶の素っ気ない言葉にも眉一つ動かさず、まったく気にしていない笑顔で、カモメが自分の鞄の中を漁り始める。

「“フグ”でしょ?フグ!家族に聞いても誰もわかんなかったから、国語の先生に聞いちゃった!」

 カモメが鞄から取り出したのは、以前、韻での顔合わせの際に、晶がカモメへと渡した、大きく『河豚』と書かれた紙であった。

「ねぇ、凄いでしょ?」

「人に聞いている時点で、凄くないだろう」

 笑顔で問いかけるカモメに、晶が冷たく答える。

「だいたい、そんなもの、音士であるなら読めて当然で…」

「食べ物問題ならさぁ、今度は野菜にしない?大根とか牛蒡とか玉葱とか」

 晶の言葉を遮って、カモメが提案するように、人差し指を突き立てる。

「俺ん家、八百屋だから、野菜問題なら得意なんだぁ」

「八百屋…?」

 その言葉に反応し、晶がやっと、カモメの方を振り返る。

「何だ?それは」

「へ?」

 素朴な問いかけを向ける晶に、カモメが目を丸くする。

「野菜ばっかり売ってるお店だよぉ?知らない?」

「見たことない」

「ええぇ?」

 晶の答えに、驚きの表情を見せるカモメ。その間にも晶が前を向き、再び足早に道を歩いていく。

「そっかぁ。栞町って言ノ葉に比べたら、都会だもんねぇ。スーパーばっかりで、八百屋なんてないのかなぁ?」

 どんどんと進んでいく晶の後を追いながら、周囲に立ち並ぶ高層マンションを見回し、カモメが少し残念そうに肩を落とす。

「あ、じゃあ今後、ウチに来ない?トマトとか、すっごい安くして…!」

「行かない」

「あ、そぉ」

 あっさりと答える晶に、カモメはまたしても残念そうに肩を落とした。

「で?お前はいつまで、俺に附いて来る気だ?」

「へ?」

 不意に足を止め、振り返り問いかける晶に、カモメが戸惑うように顔を上げる。晶の前方には、巨大な建物が見えた。ここが、晶の目的地だろうか。

「病院…?」

 十階近い高さの、清潔感のある真っ白な建物の上部には、『栞総合病院』と書かれた看板が掛けられていた。その看板を見上げ、カモメが大きく首を傾げる。

「晶、頭でも悪いのぉ?」

「悪いのはお前だろう。とっととその野菜ばかりの家にでも、帰るんだな」

「あ…!」

 カモメに冷たく言い放つと、晶はそのままカモメに背を向け、病院の中へと姿を消していってしまった。カモメが晶へと伸ばそうとした手を下ろし、ゆっくりと病院を見上げる。

「誰かのお見舞い、かなぁ?」

 考えを巡らせ、カモメが首を捻った。




「失礼しました」

「ああ、またね。安積君」

 白衣を纏った医者らしき男に深々と礼をして、晶が部屋を出る。横幅の広い病院の廊下に出ると、車椅子や松葉杖の患者が、看護婦と共に多く、行き交っていた。晶もその流れに乗り、ゆっくりと廊下を歩き始める。

「…………」

 視線を下へと向け、床ばかりを見つめて歩く晶。やがて一つの病室の前で立ち止まると、その病室の扉を見つめ、何やら考え込むように目を細めた。


―――あまり良いとは言えない状態だよ。何とか症状が好転してくれればいいんだけど、その可能性も低くてね…―――


「はぁ…」

 先程の医者の言葉を思い出し、晶が深々と溜息を吐く。

「知ってるぅ?溜息吐くと、幸せが逃げちゃうんだよぉ?」

「……っ」

 すぐ傍から聞こえてくる声に、晶が勢いよく顔をしかめる。

「幸せを呼び込むためには笑顔、笑顔~!ね?」

 晶の後方から、晶のすぐ横へと回り込み、両人差し指を頬へとつけて、満面の笑みを晶へと向けるのは、カモメであった。そのカモメの笑顔に、晶が益々、眉を引きつる。

「誰だ?」

「うわぁ~、たったの十分とかで、もう忘れちゃったぁ?」

 短く問いかける晶に、困ったような笑みを浮かべるカモメ。

「晶、ここの病室にお見舞いなの?」

「お前には関係な…」

「お邪魔しまぁーす!」

「お、おい!」

 晶の言葉も聞かず、目の前の病室の扉を遠慮もなく開けるカモメに、晶が病院の廊下であるというのに、思わず怒鳴り声をあげる。

「お前!いい加減に…!」

「あ、お兄ちゃん!」

「……っ」

 耳に入る幼い声に、晶がカモメを怒鳴ろうとしていた声を止める。

「おかえり!」

 病室の真ん中に置かれたベッドの上から、入って来た晶へと、何とも嬉しそうな笑顔を見せるのは、まだ十歳くらいの幼い、愛らしい少女であった。ぱっちりとした大きな瞳は、眼光鋭い晶とは似ても似つかないが、ふわふわとした赤毛や整った顔の造りは、よく似ていた。

飛鳥あすか…」

「飛鳥ちゃんていうのぉ?こんにちはぁ~!」

「え?」

 見知らぬ男、カモメに馴れ馴れしく名を呼ばれ、飛鳥が戸惑うように顔を上げる。

「こんにちは。お兄ちゃんのお友達さん?」

「うん!大親友の朝比奈カモメでぇ~す!」

「誰がだ」

 調子よく答えるカモメに、晶が勢いよく顔をしかめる。

「いいからお前はとっとと、出て行っ…」

「私、お兄ちゃんの妹の安積飛鳥。よろしくね、カモメくん」

「うん、よろしくぅ~!」

「…………」

 カモメを追い出そうとした晶であったが、何やら楽しげな笑顔で言葉を交わすカモメと飛鳥に割って入ることが出来ず、仕方なく黙り込む。

「何してたのぉ?」

「折り紙。でも、もう飽きちゃって」

 問いかけるカモメに、飛鳥が少し困ったように答える。確かに、飛鳥のベッドに設置された机の上には、結構な数の折鶴が並んでいた。これだけ折れば、飽きてくるのも無理はない。

「よぉーし、見てて!」

「え?」

 飛鳥のベッドの隣に置いてある椅子へと腰掛けたカモメが、持っていた鞄を床へと置き、空いた両手を準備運動でもするように、小刻みに動かしていく。その様子を、少し戸惑った表情で見つめる飛鳥と晶。

「うぅ~ん」

 低い唸り声を漏らしながら、深く瞳を閉じ、何やら瞑想し始めるカモメ。

「ポン!」

 カモメが大きな声をあげ、右手を突き上げたその瞬間、カモメの右手の中に、真っ赤に熟れたトマトが現れた。

「トマトぉ!」

 突然、カモメの右手の中に現れたトマトを見つめ、飛鳥が感動の声をあげる。

「左手からもぉ~ポン!」

 カモメがまた大きな声をあげ、今度は左手を突き上げると、左手の中には、長細い緑色のきゅうりが現れた。きゅうりを見て、飛鳥がさらに瞳を輝かせる。

「今度はきゅうり!凄い!カモメくんって、手品師なの!?」

「俺はただの野菜屋さんだよぉ」

 ウキウキと弾むような声で問いかける飛鳥に、カモメが穏やかな笑みを向ける。

「野菜屋さん?じゃあカモメくんのお家には、お野菜がいっぱいあるの?」

「うん。キャベツなんて、ダンボール五個分くらいあるよぉ」

「凄い!私、野菜屋さんて、行ったことないんだぁ」

「いつでも遊びに来ていいよぉ。飛鳥ちゃんになら、どの野菜もいっぱい、オマケしちゃうから」

「ホントぉ~!?」

 カモメと言葉を交わしていく度に、飛鳥の笑顔が大きくなり、体の動きが大きくなり、元気になっていくようであった。そんな二人の様子を、壁にもたれかかって、まっすぐに見つめる晶。

「……っ」

 飛鳥の笑顔を見つめ、晶もそっと、笑みを浮かべた。



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