Word.58 宿敵 〈3〉
「“当たれ”!」
アヒルが強く引き金を引き、言玉から姿を変えた赤銅色の銃から、強い赤光の弾丸を放つ。弾丸の向かうその先に立つ阿修羅が、薄く笑みを浮かべ、右手に持った、アヒルと同じ赤銅色の銃を構えた。
「“当たれ”」
アヒルと同じ言葉を口にし、アヒルと同じように強い光の弾丸を放つ阿修羅。二つの弾丸が二人の間でぶつかり合い、きれいに相殺する。
「ほぉ」
相殺した光を見て、阿修羅が感心するように口元を緩める。
「随分と力が上がっているな。前は俺の弾丸に、あっさりと消されていたのに」
「お陰さまでな!“上がれ”!」
阿修羅の言葉に答えながら、アヒルが素早く自分へと弾丸を放って、暗い空へと高々と舞い上がる。
「“浴びせろ”!」
上昇したアヒルが、下方にいる阿修羅へと、再び弾丸を放つ。弾丸は下降する中で、小さな光の粒へと分解していき、まるで赤い雨のようになって、阿修羅へと迫る。
「……っ」
だが雨が阿修羅へと降り落ちる寸前、微笑んだ阿修羅の姿が、靄となって掻き消えた。
「“欺け”か…!」
険しい表情を見せながらも、すぐに銃を構え直し、後方を振り返るアヒル。アヒルが振り返ったその先には、銃口をまっすぐにアヒルへと向けた、阿修羅の姿があった。
「“圧縮”…」
「“集まれ”…!」
別の言葉を、同時に口にするアヒルと阿修羅。二人の言葉に応え、それぞれの銃口の先に、赤色の光が凝縮されていく。
『“当たれ”!』
今後は同じ言葉を、二人が口にする。その瞬間に凝縮されていた二つの光が、同時に放たれ、空中で激しくぶつかり合った。
「ク…!」
二つの力がぶつかり合う衝撃に押され、アヒルが身を屈めながら、地上へと降りていく。アヒルが地面へと足をつけると、数秒も経たぬうちに、阿修羅も地上へと降りてきた。
「本当に目覚ましい成長だな。あの日から、ほんの数日しか経っていないというのに」
地面に降り立った阿修羅が、再び感心するようにアヒルを見る。
「素晴らしいもんだよ」
誉める阿修羅に、素直に喜ぶことは出来ず、アヒルはそっと目を細めた。
「いくらだって、強くなってやるさ」
力強く輝く瞳で、睨みつけるように阿修羅を見つめるアヒル。
「お前を倒すためなら」
はっきりと言い放つアヒルのその言葉を聞いて、阿修羅は一瞬だけ表情を曇らせ、すぐにもとの薄い笑みを浮かべた。
「倒す、か…」
阿修羅が、アヒルの口にした言葉を、ゆっくりと繰り返す。
「なぁ、アヒル」
不意に呼びかける阿修羅に、アヒルは声ではなく、視線で応える。
「“合縁奇縁”、という言葉を知っているか?」
「愛煙?喫煙?ってか、また四字熟語かよ」
急な阿修羅の問いかけに、さっぱりわからないといった様子で、大きく首を傾けるアヒル。そんなアヒルの様子を見て、阿修羅が少し、口元を緩める。
「“人と人との巡り合いはすべて、不思議な縁の働きによる”、という意味の言葉だ」
「へぇ」
阿修羅の説明に、思わず感心するような声を漏らすアヒル。
「“あ”の言葉を持つ音士であれば、知っていてもいい言葉だと思うがな」
「ああ…!?」
馬鹿にするように言う阿修羅に、アヒルが大きく顔をしかめる。
「放っとけ!俺はこう見えてもなぁ、四字熟語ってのは“一石二鳥”と“一日一善”しかわからな…!」
「俺たちのことのようだと思わないか?」
「へ?」
自分の言葉を遮り向けられる再びの問いかけに、アヒルが目を丸くする。
「かつて神であった俺は、神附きであったカモメを殺し、神を堕ちた」
阿修羅のその言葉に、途端に表情を曇らせるアヒル。
「そして今、カモメの弟であるお前が、かつての俺と同じ“安の神”となって、俺の前に立っている」
まるで楽しむような笑みを浮かべ、阿修羅が言葉を続ける。
「この巡り合わせも、不思議な縁の働きによるものだろうか…」
誰へともなく問いかける阿修羅を見つめ、アヒルがそっと目を細める。
「そうかも、知れねぇな…」
少し顔を俯けた状態のまま、小さく頷いたアヒルは、阿修羅には見えないだろうが、どこか遣り切れない表情を見せていた。
「なら俺は、それを受け入れるだけだ」
諦めるように短く言葉を落として、阿修羅が再び銃口をアヒルへと向ける。
「“争え”」
阿修羅が引き金を引くと、銃口から、閃光のように瞬いている、刺々しい光の塊が放たれ、まっすぐにアヒルへと向かっていく。
「“上がれ”!」
自らへと弾丸を放ち、空へと逃げて、阿修羅の弾丸を避けるアヒル。
「あ…」
だが、阿修羅はすぐに、上空のアヒルへと、もう一度、弾丸を放った。
「“足枷”」
「うぇ…!?」
阿修羅の銃口から放たれた細長い光が、舞い上がっている途中であったアヒルの両足へと絡みつく。ずっしりと重い光に引っ張られ、すぐさま下降していくアヒルの体。
「グ…!」
このまま下降していくと、先程、阿修羅の放った弾丸と丁度、衝突する。何とか上昇しようとするが、上がらない体に、アヒルは一瞬顔をしかめ、身を捩って、地上で迫り来る弾丸へと銃口を向けた。
「“溢れろ”!」
弾丸へと、鋭い一発を向けるアヒル。アヒルの小さな弾丸に撃ち抜かれた途端、阿修羅の大きな弾丸が、内から爆発するように、砕け散る。
「うぐ…!」
その砕け散った一部の弾丸の喰らい、足の枷もあって、地面へと転がり落ちるアヒル。
「クッソ…!俺の苦手な熟語を、ポンポン使いやがって…!」
「もう終わりか?アヒル」
上半身を起こし、大きく顔をしかめているアヒルに、阿修羅がどこか挑発的に微笑みかける。すると、さらにアヒルの表情が歪んだ。
「誰が…!」
勢いよく叫び、アヒルがその場で素早く立ち上がる。
「“荒れろ”」
右手を突き出し、阿修羅へ向けて、引き金を引くアヒル。
「“嵐”…!」
アヒルが力強く言葉を発すると、銃口から風の塊が放たれ、それが空中でさらに勢力を増し、激しく逆巻いて、阿修羅へと向かっていった。迫り来る嵐にも、阿修羅は落ち着き払った表情で、銃口を向ける。
「“暴け”」
阿修羅が言葉と共に弾丸を放ち、嵐を貫くと、強い風の塊はどこからともなく、分解されていくように崩れ落ち、弱い風の残骸となって、阿修羅の周囲を吹き抜ける。
「まだまだ…!」
嵐が防がれてしまうことを読んでいたかのように、すかさず阿修羅へと銃を向けるアヒル。
「“当たれ”!」
放たれた真っ赤な弾丸が、まだ風の消えきらない場所を通り抜け、まっすぐに阿修羅へと向かっていく。だが阿修羅もその攻撃を読んでいたように、銃を構えた態勢をそのままに、素早く引き金を引いた。
「“褪せろ”」
阿修羅の弾丸に当たった途端、アヒルの弾丸が色を失い、力なく地面に落ちて、掻き消える。
「あせろ…って、何だ?」
「“当たれ”」
阿修羅の放った言葉の意味すらわからない様子のアヒルへ、阿修羅がもう一度引き金を引き、光の塊を放つ。弾丸は避ける間すら与えず、アヒルへと直撃した。
「ん…?」
だが、弾丸が当たったはずのアヒルの体が掻き消え、阿修羅が眉をひそめる。
「“欺け”か…」
「俺はこっちだぜ!」
背中側から聞こえてくる声に、阿修羅が振り向く。
「喰らいやがれ!」
まだ振り向いたばかりで、銃を構えていない阿修羅へと、絶好のチャンスとばかりに、アヒルは素早く引き金を引いた。
「“当た…」
「“操れ”」
「れ”!」
アヒルの放った言葉の間に、素早く挟まれる阿修羅の言葉。
「へ?」
次の瞬間、阿修羅へと突き出されていたはずのアヒルの右手が、アヒルの意志とは無関係に大きく折れ曲がり、構えていた銃の銃口が、アヒル自身へと向けられる。
「こ、これは…!」
アヒルが焦る中、先程のアヒルの言葉に応え、自身へと向けられているその銃口から、強い赤色の光が放たれた。
「うあああああ…!」
顔のすぐ目の前から自身の弾丸を浴び、アヒルが勢いよく後方へと吹き飛ばされる。
「ううぅ、う…」
頭から流れ出た血を、顔の側面へと滴り落しながら、アヒルがゆっくりとその体を起こす。阿修羅に成長を誉められるほどの弾丸を、至近距離から受けたダメージは、相当に大きかった。
「“操れ”って…一体何個、言葉持ってんだよ。あいつっ…」
顔に流れ落ちる血を手で拭いながら、アヒルが思わず顔をしかめる。アヒルが攻撃を仕掛ける度に、阿修羅は別の言葉で攻撃を返してくる。あれほど言葉があっては、攻撃のパターンも読みにくく、アヒルには防ぐ手立てがないのだ。
「言葉の力は増したようだが、言葉の数は増えなかったみたいだな。アヒル」
前方から語りかけてくるその声に、アヒルがゆっくりと顔を上げる。正面で佇む阿修羅は、相変わらず、余裕たっぷりの笑みを浮かべていた。
「うっせぇなぁ!俺はこう見えても、国語の成績“二”なんだよ!」
「……っ」
大きく顔をしかめ、怒鳴るように言い返してくるアヒルを見つめ、阿修羅がそっと目を細める。
―――俺、こう見えても国語“二”なんだよぉ―――
思い出されるのは、今のアヒルと同じ制服と纏った、穏やかな笑顔の男。
「やはり兄弟だな…」
「へ?」
阿修羅の声に、立ち上がろうと、地面に手をついていたアヒルが、再び顔を上げる。
「カモメもよく、そう言っていた…」
「…………」
どこか遠くを見るような瞳で、懐かしそうに呟く阿修羅を、目を逸らすことなく、まっすぐに見つめるアヒル。阿修羅が浮かべる笑顔はとても穏やかで、本当にただ、カモメとの思い出を懐かしんでいるようにしか見えなかった。
「……っ」
胸の中に湧く感情を掻き消すように、アヒルが一度、深々と目を閉じて、そして再び目を開き、鋭い表情を見せて、素早くその場で立ち上がる。
「あっちのんが言葉は圧倒的に多いんだ。同じ銃で勝負したって、勝ち目がねぇ」
戦況を冷静に分析しながら、アヒルが右手の中の銃を、元の言玉の姿へと戻す。
「言玉を、戻した…?」
そのアヒルの行動に、戸惑いの表情を見せる阿修羅。
「頼むぜ」
右手の言玉に託すようにそう言葉を囁いて、アヒルが勢いよく、言玉を空へと放り投げる。上空を舞う言玉が帯びる光が、徐々に赤から金色へと変わっていく。
「あれは…」
「五十音、第一音」
阿修羅が輝く言玉へと目を見張る中、アヒルが思いきり声を響かせる。
「“あ”、解放…!」
「言玉の再解放だと…?ク…!」
再び文字を解放するアヒルに戸惑う阿修羅であったが、言玉からさらに強い光が放たれ、思わず顔を俯けた。放たれた金色の光が一気に広がり、あっという間に丘全体を包み込んでいく。
「何という光…」
「クワアア…」
「……っ」
耳に届くその、明らかに人のものではない鳴き声に、俯いていた阿修羅が大きく目を見開き、すぐさま顔を上げる。
「クアアアアア!」
顔を上げた阿修羅の視界を埋め尽くしたのは、きらきらと輝く、金色の巨鳥であった。神々しく光る両翼を、丘からはみ出してしまうくらいに大きく開いて、巨鳥は甲高い鳴き声を響かせる。その鳥の姿に、目を見張る阿修羅。だがそれは、圧倒されているわけではない。
「不死、鳥…」
その、見たこともない生物の名を、阿修羅がそっと口にする。
―――五十音、第六音…“か”、解放…!―――
それは、かつて、阿修羅の隣に立っていた男が繰り出していた力と、まったく同じ姿形をしていた。
「カモメ…」
目の前で鳴きあげる巨鳥を見上げ、阿修羅が何やら思いを巡らせるように、そっと目を細める。
「負けるわけには、いかないんだ」
自分自身へと言い聞かせるようにそう言って、アヒルが空いた右手を、大きく振り上げる。
「行くぜ、ガァスケ」
「クアアアア!」
アヒルからの呼びかけに、大きな鳴き声で応えるガァスケ。
「“暴れろ”!」
アヒルが言葉を発すると、ガァスケはさらに両翼を広げ、勢いよく阿修羅へと向かっていった。




