Word.58 宿敵 〈2〉
言ノ葉町、北端。
「“制御”」
「“鉄壁”」
同じデザインの黒と白のドレスを纏った、衣団の双子、誠子と徹子がそれぞれ、自分の言葉を発する。言玉を吸収し、緑色に輝いている二人の両手から放たれた光が、地面に横たわっているエカテリーナの体を包み込んだ。
「うぅん…」
固く腕を組み、難しい表情を見せたエリザが、エカテリーナの体から空へと突き上げている光の柱を、まじまじと見上げる。
『どうでしょうか?エリザ様』
「うん、突き上げる力が、ちょっとは抑えられてるかも。さっきよりは随分、マシだわ」
『それは良かったです』
問いかける双子に、少し笑顔を見せて答えるエリザ。エリザの答えを聞き、誠子と徹子が安心した表情を見せる。
「しかし、いくら吸い上げられる力を軽減したとはいえ…」
「このままではいずれ、この方の力が底をついてしまいますわ。エリザ様」
「わかってる」
不安げに訴える二人に、エリザが表情を曇らせる。囁との戦いを終え、倒れたエカテリーナであったが、その後も、何らかの操作により力を奪われ続けている。このまま、この状態が続けば、エカテリーナの命が危うくなってしまうのだ。
「ともかく、何とか彼女をもたせなきゃ。悪いけど、この状態のまま彼女を、町の中央の恵のところまで、連れていってくれる?誠子、徹子」
『お易い御用ですわ、我が神』
エリザの指示に、快く頷く誠子と徹子。
「他にも、同じ状態の人間が居るかも知れないわ。音音は私と一緒に、その回収に」
「はい、神」
振り向くエリザの前に立った、着物姿の皆よりは少し幼い年代の少女、音音が、小さく頷く。
「それと、後はぁ」
「ザべス…」
「エリザよ!」
後ろから名を呼ばれ、訂正を入れながら、勢いよく振り返るエリザ。
「どっちでもいいじゃない…」
「どっちでも良くないわよ!」
呆れたように言う囁に、エリザが強く怒鳴りあげる。エリザへと呼びかけたのは、エカテリーナとの一戦を終えたところの囁であった。衣附の面々によるものか、一通りの傷に応急処置がしてある。
「悪いんだけれど…堕神さんたちのこと、任せてもいいかしら…?」
「え?」
囁のその言葉に、エリザが戸惑うように目を丸くする。
「君は?どうする気?」
「私は…」
エリザに問いかけられた囁が、そっと空を見上げ、赤々と輝いている東の光へと視線を移す。
「やらなければならないことがあるの…たぶん、今の安団である私たちが、やらなければならないことが…」
真剣な表情で答える囁を見つめ、エリザは目を細める。
「わかったわ」
笑顔を浮かべたエリザが、大きく頷くと、囁が再び、エリザの方を振り向いた。
「この場は私にドーンと任せて、君は好きなとこ行ってきなさい」
胸へと軽く拳を当てて、エリザが堂々と言い放つ。
「まぁ、あなたに任せるとなると、すごく不安なんだけれど…」
「うるさいわね!他団とはいえ、神に失礼な口叩くなら、許さないわよ!?」
「フフフ…冗談よ。もう裁きは懲り懲り…」
むきになって怒るエリザを見て、囁が思わず零すように笑みを浮かべる。微笑む囁を見て、エリザもすぐに怒りを収めた。
「ありがとう…衣の神」
「いいから、早く行きなさい」
「ええ…」
エリザの言葉に頷くと、囁は足早にその場を駆け去っていった。囁の背を見えなくなるまで見送ると、エリザが顔を上げ、先程、囁が見ていた東の赤色の光を見つめる。
「アヒル…」
どこか祈るように、エリザはアヒルの名を呟いた。
言ノ葉町、中央部。礼獣、付近。
「グアアアアア!」
「ううぅ…!」
激しく雄たけびをあげた礼獣が、周囲を取り囲んでいた水の壁を、勢いよく突き破る。その取り囲んでいた水、変格“四海”を形成していたシャコが、破られると同時に、苦しげな表情で膝をつく。
『シャコちゃん!』
膝をついたシャコの身を案じるように、必死に身を乗り出すチラシとニギリ。
「今、治療を…!」
「悪い、詫びる、椀子蕎麦…」
駆け寄るチラシに、シャコが申し訳なさそうに呟く。
「もう、ゆるゆる許さないんだからぁ~!“仁王”!」
「阿!」
「吽!」
シャコとチラシの横を通り抜け、勢いよく礼獣のもとへと駆けて行きながら、ニギリが再び変格の言葉を使い、水の仁王像を作りだす。仁王は大きく声をあげ、礼獣へとその大きな拳を振り下ろした。
「グアアアア!」
だが、一際激しく声をあげた礼獣が、仁王の繰り出した拳を真正面から受け止める。受け止めるだけでなく、すぐさま後方へと押し返していく礼獣。
「ううぅ~!」
何とか堪えながらも、ニギリが苦しい表情を見せる。
「“満ちれ”!」
「“増せ”!」
そこへ、仁王の後方から雅と守がそれぞれ言葉を放つ。雅が大波を向けると、守の言葉により波が規模を増し、仁王を後押しするように、勢いよく振りかかった。大波に押し返され、礼獣が後方へと吹き飛ばされると、仁王がかかっていた重圧から解放される。
「ふあぁ~重たかったぁ」
両手を力なく下ろし、思わず安心の声を漏らすニギリ。
「っつか、あの化け物、さっきからどんどん強くなっていってねぇかぁ?」
「上空で集められている力が、あの獣を強化していっているんでしょう」
眉間に皺を寄せ、問いかける守に、眼鏡を掛け直しながら、冷静に答える雅。
「一度消えた光も戻ってしまいましたし、このままでは…」
「グアアアアア!」
『あ…!』
大波の攻撃からすぐに起き上がり、再び向かってくる礼獣に、雅と守が同時に焦りの表情を見せる。
「“ま…!」
「“祈れ”」
「へ?」
言葉を放とうとした守の声よりも先に、上空から一つの言葉が落ちてくる。その声に気づき、戸惑いながら視線を上へと向ける守。
「ええぇ!?」
美しい女性を象った巨大な水の像が、守たちや礼獣の上空から、勢いよく降り落ちてきていた。迫り来る巨大な像に、守が狂ったように叫び声をあげる。
「何だ!?あれ!」
「“導け”」
「へ?」
守が焦るすぐ横で、素早く言葉を放って、その場から逃げ去る雅。その危険な場所に、守だけが取り残され、その間にも水像がどんどんと近付いてくる。
「どわわわわ!ま、“瞬け”!」
守も何とか言葉を放って、その場から逃げる。礼獣だけが残ったその場所に、水像が勢いよく落ちた。
「ギャアアアア!」
激しい水を大量に浴び、礼獣が苦しげな悲鳴をあげる。
「今のは…」
苦しむ礼獣を見つめながら、チラシに治療されているシャコが、何やら思い当たるように眉をひそめる。
「あんな野獣一匹、まともに相手出来ないのか?貴様等は」
「……!」
背後から聞こえてくる、聞き覚えのあるその声に、シャコが大きく目を見開く。
「無能な奴は、俺の団にはいらないぞ」
『神!』
冷たく言葉を放ちながら、その場へと現れたのは、イクラであった。イクラの姿を視界に入れ、シャコ、チラシ、ニギリの三人が、暗かった表情を一変させ、大きく笑みを浮かべる。
「ってか今、俺らも巻き添えになるとこだったんだけど…」
「そういう人なんですよ、前から」
喜ぶ以団の面々とは裏腹に、引きつった表情を見せる守の横で、雅が諦めたように肩を落とす。
「あれは…」
「イクラくん」
「イクラ?」
傷を負った紺平の治療を行っていた為介が、驚いた様子で現れたイクラを見る。為介が口にしたその名に少し戸惑いながら、紺平もイクラへと目をやる。
「ふぃ~!やぁっと戻って来れたぁ」
「幾守クン」
イクラを見ていた二人のもとへと、ひどく疲れた様子の金八が現れると、二人は金八へと視線を移した。金八は背中に、自分とそう体格の違わない男を背負っている。
「おや?背中の彼はぁ?」
「ウチの神が戦ってた、堕神の一人。神が倒して、気失ってたはずなのに、急に叫び声あげて、苦しみだしてさぁ」
「力を無理やり、奪われてるな…」
金八の後方から近付いた恵が、金八に背負われている錨の体へと手を触れ、眉をひそめる。錨の体からは青い光が放たれ、空へと突き上げていた。
「気絶してんのか?」
「ああ。運ぶ時に、神が“うっせぇ”って殴ったからな」
「相変わらず、容赦のない奴だな」
金八の答えを聞き、恵が呆れたように肩を落とす。
「そこへ寝かせろ」
「恵サァ~ン」
恵の指示に従い、金八が気絶した錨を地面へと寝かせる中、為介が恵へと呼びかける。すると恵はすぐに顔を上げ、真剣な表情を為介へと向けた。
「このままじゃ力を吸われ切って死んじまう。力を与えて何とかもたせるから、援護しろ、為介」
「はいはぁ~い」
その言葉に頷くと、為介が素早く紺平の治療を終わらせ、恵と錨の方へと歩み寄っていく。恵が懐から取り出した緑色の言玉を、右手へと吸収させ、準備を整える。
「早速、始めるぞ」
「はぁ~い」
「こちらも頼む!」
横から割って入って来る声に、処置を行おうとしていた恵と為介が動きを止め、声の入って来た方を振り向いた。
「神月」
「神月くん!」
為介からの治療も終わり、再び礼獣のもとへ向かっていこうとしていた紺平が、恵に続いて、思わず声をあげる。その場へ現れたのは、ぐったりとした様子で、空へと光を突き上げ続けている沖也を背負った、篭也であった。
「そいつはお前の倒した堕神か?」
「ああ。何とか、この光を消そうとしたが、僕の言葉ではどうすることも出来なかった」
恵のもとへと歩み寄った篭也が、錨のすぐ隣へと沖也を寝かせる。
「今の僕では、与える力もない。だから、頼む」
「ああ、わかった」
頷く恵に、納得するように、篭也も頷く。
「お前は?どうする?」
「僕は神のもとへ行く」
恵が問いかけると、数秒の間も置くことなく、篭也がすぐさま答えた。
「そうか。こっちは何とか、もたせとくから、お前は安心して行って来い」
「わかった」
送り出す恵に大きく頷き、篭也が右手に持った鎌を構え直し、再びその場を去ろうと足を踏み出す。
「あ…か、神月くん!」
慌てて呼び止める紺平の声に、篭也はすぐに振り返った。
「何だ?小泉」
「え、えっと…」
篭也に聞き返され、紺平が少し言葉に迷うように、顔を俯ける。だが迷うような顔つきは一瞬で、紺平はすぐに、真剣な表情の顔を上げた。
「ガァのこと、お願い…」
託すように言う紺平に、篭也がそっと目を細める。
「ああ」
紺平の言葉にしっかりと頷くと、篭也は再び背を向け、その場を駆け出して行った。あっという間に、篭也の姿が見えなくなる。
「じゃあやるぞ、為介」
「はいはい」
右手を錨へと向ける恵の指示に頷き、為介ものんびりと扇いでいた扇子を、沖也へと向ける。
「“恵め”!」
「“労われ”ぇぇ~」
言葉を使い、自身の力を錨と沖也へと与えていく恵と為介。
「グアアアアア!」
その頃、イクラの攻撃を受け、地面に倒れ込んでいた礼獣が、再びその巨体を起こし、まだまだ体力が残っていることを示すように、大きな鳴き声をあげる。そんな礼獣を見据え、イクラは静かに戦闘態勢を取った。
「一斉に攻撃を仕掛ける。出遅れたら、以附の資格はないと思え」
『仰せのままに、我が神!』
脅しのようなイクラの指示に、何故か嬉しそうな笑顔で答えるシャコたち、以団の面々。
「あ!俺、ハブんないでよぉ!俺、泣いちゃうよぉ?神ぃ~!」
そんなイクラと仲間たちのもとへと、慌てて駆け出していく金八。
「何かあいつ等、元気になってね…?」
「神の力は偉大ですね」
感心するように、呆れるように言いながら、守と雅も以団と共に、攻撃の態勢を取る。
「俺も行かなきゃ」
まだまだ礼獣に向かっていく姿勢を崩していない、五十音士たちの姿を見つめ、自分を奮起させるように言って、紺平が皆のもとへと歩いて行こうとする。だが、進もうとした足をふと止め、紺平は篭也の駆けていった、東の方角の空を振り返る。
「ガァ…」
紺平の祈るような声が、その場に小さく、零れ落ちた。




