Word.57 生ノ根源 〈3〉
「え…」
その時、囁の後方から響く声。
「“英華発外”」
今度ははっきりと、初めて聞く言葉が響き渡る。そして言葉が響くと同時に、囁の前に何とも巨大な一本の薔薇が囁を守るように咲き誇り、迫り来ていたエカテリーナの力を受け止めた。
「え…?」
「んなぁ…!?」
現れた巨大な花の姿に、囁とエカテリーナがそれぞれ、驚きの表情を見せる。
「何っ…何でございますの、あの花は!?いえ、そんなことより…」
あからさまに動揺したエカテリーナが、強く拳を握り締める。
「何故、枯れないんでございますの…!?」
囁の花を枯らせてしまったエカテリーナの力を、真正面から受け止めているというのに、その巨大な薔薇は、まったく枯れる様子を見せず、それどころか、益々力強く咲き誇っていた。
「“英華発外”は、内面の美しさ、強さを、外面で表すもの」
「……っ」
入ってくる聞き慣れない声に、エカテリーナが素早く振り向く。
「何の関係もない人々を巻き込もうとした君に、内面の美しさで負けるほど、私の心は腐ってないわ」
「あなたは…!」
囁の後方から現れたその人物に、エカテリーナが大きく目を見開く。
「現“衣の神”!衣沢・アレクサンドラ・メアリー・エリザベス…!」
「あら、初対面の人に、間違いなく名前を呼ばれたのは初めてよ」
エカテリーナの呼びかけに、意外そうな表情で答えたのは、エリザであった。囁の後方から歩み寄って来たエリザが、囁の横に並び、目の前に咲き誇っている薔薇へと、右手を向ける。
「というわけでコレ、お返しするわ」
エリザの指先が薔薇へと触れると、薔薇が強く輝き、受け止めていた光の塊を勢いよく押し返す。
「あ、あああああ…!」
返って来た力を避けることも出来ず、自らの光を喰らって、吹き飛ばされていくエカテリーナ。
「ふぅ~」
「あなたは…」
一息つくエリザの方を、囁がゆっくりと振り向く。
「ザべス…」
「エリザよ!」
アヒルと同じあだ名を呼びかける囁に、エリザが力強く訂正を入れる。
「悪かったわね。駆けつけるのが、遅くなっちゃって」
「別に誰も来てくれとは言ってないし…助けてくれとも言ってなかったわ…」
「でも助かったでしょう!?礼くらい、言いなさいよ!」
エリザに最大のピンチから救ってもらったにも関わらず、あまり嬉しそうではない、どちらかというと、むしろ不満げな様子の囁。そんな囁に、エリザが勢いよく怒鳴りあげる。
「仕方ないわね…ありがとう…」
「そこまで渋々言われると、何の有難みもないわね」
いかにも嫌そうに礼を言う囁に、思わず顔をしかめるエリザ。
「う、うぅ…」
前方から聞こえてくる声に、囁とエリザが同時に振り向く。エリザにより返された自らの光を浴び、全身に傷を負ったエカテリーナが、苦しげな声を漏らしながら、体を起こそうとしている。
「おのれ…衣の神っ…」
エカテリーナは怒りに整った表情を大きく歪め、拳を強く握り締めている。
「ほら、茶々入れちゃったお詫びに、後は君の好きなようにさせてあげるわよ」
「あら…?」
エカテリーナの方を指し示し、そう言うエリザに、囁が意外そうな顔を見せる。
「いいのかしら…?わざわざ駆けつけていただいたのに、見せ場奪っちゃって…」
「構わないわ。元々、人の喧嘩に手出す趣味ないもの」
「そう…じゃあ遠慮なく…」
興味のない様子で、顔の前で数度、手を振るエリザに、囁がそっと楽しげに微笑み、答える。そして、右手の横笛の感触を確かめながら、ゆっくりと歩を進め、エカテリーナの方へと歩み寄っていく。
「ん…?」
やっとのことで立ち上がったエカテリーナが、前方からこちらへと歩いてくる囁の姿に気付き、眉をひそめる。
「あなたでございますか…」
「残念そうに言わないでもらえる…?傷ついてしまうわ…」
「今すぐにでも、あの神を叩き潰したいところでございますが、まぁあなたからでも構わないでございます」
心臓に吸収させていたはずのエカテリーナの言玉は、エリザの攻撃を受けた際にでも零れ落ちたのか、エカテリーナの右手に握られていた。
「神を裏切った愚かなあなたは、神に裁かれることこそ運命…」
「……っ」
エカテリーナのその言葉に、囁がそっと目を細める。
「愚かな冒涜者よ。私が今から、裁いてあげるでございます」
裁きを下す構えであるのか、エカテリーナが囁へと、言玉を持った右手を突き出す。
「フフフ…」
エカテリーナと適度な距離を取った場所で、足を止めた囁が、不意に笑みを零す。その笑い声を耳に入れ、エカテリーナは眉をひそめた。
「何がおかしいのでございます?」
「別におかしいわけじゃないわ…」
ゆっくりと顔を上げた囁が、まっすぐにエカテリーナを見つめる。
「確かに私は冒涜者…それについては、否定しない…」
自身へと刻みつけるように、囁が小さいながらも、はっきりとした口調で言葉を落とす。
「我が神の弾丸に貫かれて死ねるなら、私は喜んで、裁きを受けるわ…でも」
付け加えられた最後の言葉が、力強く放たれる。
「それ以外の神の裁きは、一切、お断りよ」
曇りのない、晴れやかな笑みを浮かべ、何の迷いもなく、堂々と言い放つ囁。
「断れるかどうか…試してみるでございますよ!」
エカテリーナが高々と声をあげ、右手に握り締めていた言玉を、右足へと吸収させる。光輝く右足を軸に、勢いよく囁へと駆け込んでいくエカテリーナ。
「“鋭鋒”!」
右足を刃のように鋭く突き出し、囁へと向ける。
「“避けろ”」
素早く横笛を奏で、言葉を落として、振り下ろされたエカテリーナの右足を避ける囁。
「さ…」
「“裂けろ”と言う気でございましょう!?読めているでございますよ!」
囁が次の言葉を放つ前に、エカテリーナが素早く右足を引き、吸収させていた言玉を、瞬時に右手へと取り込み直す。
「神が裁くでございます!」
緑色に輝く右手を、力いっぱい突き出すエカテリーナ。
「“炎炎”!」
「……っ」
向けられるエカテリーナの熱を持った右手を見つめ、囁はそっと口を開いた。
「“裁け”…!」
「な…!?」
放たれるその言葉に、エカテリーナが驚き、思わず大きく目を見開く。囁の奏でる音色に乗り、地面へと散っていた無数の花弁が一気に舞い上がると、十字のような形を作って集合し、真正面からエカテリーナへと迫っていく。
「うぅ…!」
迫る花弁にか、囁の向けた言葉にか、険しい表情を見せるエカテリーナ。
「う、ああああああ!!」
舞い上がった花弁に全身を斬り裂かれ、エカテリーナが激しい悲鳴をあげながら、勢いよく吹き飛ばされていく。
「そ、そんなっ…」
空中を舞いながら、信じられないといった表情を見せるエカテリーナ。
「裁かれるのは、私…だ、なんて…」
その言葉を最後に、エカテリーナは深く瞳を閉じ、囁から遠く離れた地面の上へと、倒れ込んだ。倒れたエカテリーナが、それ以上は動かなくなったことを確認すると、囁がゆっくりと、構えていた横笛を下ろす。
「私は神じゃないから…導くことは出来ない…」
倒れたままのエカテリーナへ、その耳に届くことはないのだが、囁が言葉を向ける。
「裁くことしか出来なくて…ごめんなさいね。神様」
囁の小さな謝罪が、ところどころで花の舞う、その風へと乗った。
言ノ葉町、南端。海岸付近。
「“加変”、ね…」
篭也の放った言葉を、特に興味はなさそうに繰り返す沖也。至って落ち着いた表情で見つめる先には、さらに武器の姿を変えた、篭也の姿があった。
「パッと見…大して変わってない感じだけど…?」
沖也の正面に立った篭也は、先程までと同じような、刃以外の部分が赤銅色一色に染まった、鎌を構えていた。異なるところといえば、刃部分が一回り大きくなっており、また取っ手の逆側にも、向きだけ逆の、同じような刃が付いているところだろうか。
「パっと見はな」
沖也の言葉に答えながら、両側に刃の付いたその鎌の、取っ手の中央部を握り締め、篭也が感触を確かめるように、数度回す。
「ふぅーん…まぁ、どうでもいいけど…」
篭也が武器の姿を変えたことにも動じず、相変わらずやる気なく呟きを落とす沖也。
「で…?かかってこないの…?」
少し首を傾げ、沖也が篭也へと問いかける。
「折角、刃増やしたんだし…斬れ味くらい、試したら…?」
「ああ。言われなくとも、そうするつもりだ」
篭也が素早く鎌を構え、その目付きを鋭くする。
「“駆けろ”」
短く言葉を落とし、目にも留らぬ速さで、その場から駆け出していく篭也。駆け込んでくる篭也を見つめたまま、沖也は特に構えようともせず、立ち尽くしている。
「真っ向勝負…?随分と芸がないんだね…」
「“火炎”」
「ん…?」
すぐ傍までやって来た篭也の声を耳に入れ、沖也が眉をひそめる。
「また、形状変化…?さっき言ったでしょう?武器を手放すのは、あまりいい攻撃じゃないって…」
「“刈れ”!」
「え…?」
振り降りてくる、赤々とした炎を纏った刃に、忠告するように言葉を発していた沖也が、思わず目を見開き、言葉を止める。
「お、“抑えろ”!」
沖也が言葉を放って、前方に白い光を張り巡らし、篭也が振り下ろした刃を止める。
「炎を、纏う…?」
「“鎌鼬”」
沖也に考える暇も与えずに、引き続き聞こえてくる言葉。炎を纏った刃を抑えられた篭也が、逆側の刃に、今度は風を纏わせて、握り締めている部分を中心に、大きく回転させて、その風を纏った刃を下方から沖也へと突き出す。
「“駈けろ”!」
「う…!」
下から振り上げられてくる刃に、沖也が表情をしかめながら、必死に後方へと身を反らす。何とか刃を避けた沖也であったが、刃が纏っていた風までは避けられず、鎌鼬が沖也の頬を掠め、傷口から赤い血が流れた。
「どうだ?斬れ味は」
挑発するように問いかける篭也に、沖也の表情がさらに歪む。
「二つの形状に二つの言葉…確かに、姿以上に中身は変わってるみたいだね…」
頬から流れ落ちる血を手で拭い、沖也がそっと笑みを浮かべる。
「まぁ、どうでもいいけど」
今までよりも冷たくその言葉を落とすと、沖也が言玉を持つ右手を振り上げた。
「“慄け”…!」
振り下ろされた沖也の右手から、激しく波打つ、白い光の波が放たれる。
「“鎌鼬”」
向かってくる波に少し距離を取るように、後ろへと飛び、もう一度、風を纏った方の刃を振り上げる篭也。
「“庇え”!」
鎌の片側の刃から放たれた風の塊が、篭也の前で竜巻のように激しく逆巻き、向かって来ていた光波を呑み込んで、その波を掻き消していく。
「正面攻撃には強いようだね…なら」
鋭く目を細めた沖也が、言玉を握る手に力を込める。
「“覆え”!」
全身から強い白光を発し、篭也の居る場所の上空から地面まで、一気に光で包み込んでいく沖也。
「八方からの攻撃なら、どう…?“及べ”!」
篭也の周囲、すべてを包み込んだ光が、沖也の言葉を受け、一斉に篭也へと向かっていく。
「“陽炎”…」
八方から迫り来る光を冷静に見回しながら、篭也が今度は炎を纏った刃を前へと出し、そっと言葉を落とす。すると、刃の纏っている炎が、赤々とした激しい炎から、透明で蠢くような炎へと変わった。
「“隠せ”」
「何…?」
篭也が鎌を振り上げると、透明な炎の中に揺らめくようにして、忽然と、その場から姿を消す。八方から及んだ光は、一切、篭也を捉えることなく、砂浜を直撃した。
「どこへ…?」
眉をひそめながら、沖也が周囲を見回す。だが左右にも後方にも、篭也の姿は見当たらない。
「また上か…!」
篭也の姿が地上には見えないことを確認し、沖也がすぐさま、上空を見上げる。すると案の定、高い空へと浮かぶ篭也の姿があった。
「“雷”」
先程、風を纏わせていた方の刃へと、甲高い音を立てた金色の閃光を纏わせる篭也。
「“輝け”!」
力強く言葉を放ち、篭也が閃光を纏った刃を振り下ろす。
「ク…!」
篭也の下ろした刃から、まるで天から降り注ぐ稲妻のように、勢いよく迫り来る雷撃に、地上の沖也が険しい表情を見せる。
「お、“遅れろ”!」
避ける時間を稼ぐため、やって来る雷撃を遅らせようとする沖也。だが言葉を浴びても、雷撃の速度は速いままであった。
「速い…!」
さらに険しい表情を見せた沖也の瞳いっぱいに、金色の閃光が映る。
「うあああああ!」
激しい雷撃を浴び、沖也が海岸全体に響く、大きな叫び声をあげる。雷撃が止むと沖也は、焦げた体を力なく砂浜へと下ろした。




