Word.57 生ノ根源 〈1〉
言ノ葉町、中央部。
「これが“奈変”…」
視界を支配する、どこまでも広がる強い赤光をまっすぐに見つめ、棗が茫然と呟く。
「これが、言玉の第三の姿…」
棗の見つめる先、正面に立つ七架のすぐ上空には、先程まで七架が抱えていたものよりも一回り小さな、赤銅色の十字架が計七つ、きれいに横並びに浮かんでいた。並ぶ十字の中心に立って、七架は鋭い瞳を棗へと向けている。
「これが、私たちの辿り着けなかったものなのですね…お姉ちゃん…」
そっと目を細めた棗が、どこか寂しげな表情を見せる。
「な…」
七架がゆっくりと口を開き、空になった右手を、棗へと向ける。
「“七光”」
そう七架が言葉を落とすと、空中に並ぶ七つの十字がそれぞれ、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色に輝き始める。強い輝きを見せる十字たちから、その七色の光が一斉に放たれ、まるで虹のような光線が、棗へとまっすぐに打たれた。
「う…!な、“萎えろ”!」
向かってくる光に焦りの表情を見せ、棗が後方へと飛び下がりながら、言葉を放ち、鉄爪を振るう。棗の爪先から、赤色の一閃が放たれたが、その光は、向かってくる七色の光に、一瞬にして掻き消されてしまった。力なく消される光に、棗が驚きの表情を見せる。
「私の力が、きかない…!?“靡け”!」
険しい表情を見せながらも、迎え撃つことを諦めた棗が、違う言葉を口にし、その場から素早く動いて、七架の放った七色の光を避ける。
「ク…!」
だがあまりにも巨大な光に、完全にかわし切ることの出来なかった棗が、その右腕に掠り傷を負った。棗の白い腕から、対照的な赤い血が滴り落ちる。
「“詰れ”…!」
傷を負いながらも、棗が地面に着くまでの間に右手の鉄爪を振るい、七架へと鋭い赤光の刃を数本、弾き飛ばす。
「“薙ぎ払え”」
七架が短めに言葉を落とすと、七架のすぐ真上に浮かんでいる十字が、素早く七架の前へと降りて来て、その横端を鋭く伸ばして、七架へと迫っていた刃をすべて、叩き落とした。叩き落とすと、十字は役目を終えたように、七架の上空へと自動的に戻っていく。
「“治せ”…」
その十字の動きに眉をひそめながら、棗が傷口に素早く左手を当て、怪我の治療をする。
「何という力…」
そっと眉をひそめ、再び顔を上げる棗。
「あれが、“奈変”…」
棗が細めた瞳で、正面に立つ七架を見つめる。七架の上空に浮かぶ十字たちは、攻撃を終え、先程まで発していた七色の光を収束させていた。だが七架は、攻撃の前と変わらぬ厳しい表情で、まっすぐに棗を見つめている。
「私はあなたに、何の恨みもない」
「……っ」
突然、投げかけられる七架の言葉に、棗がそっと眉をひそめる。
「あなたを倒したいわけじゃない。この力で、捩じ伏せたいわけじゃない。けど」
付け加えられたその言葉が、一番、力を持つ。
「この戦いが、あなたと私の神、どちらが正しいのかを示すものなら…」
少し俯けていた顔を、七架がゆっくりと上げる。
「私は、あなたに負けるわけにはいかない」
堂々と言い放つ七架の姿は誇らしげで、棗はその様子に、まるで眩しいものでも見るかのように、目を細める。
「神…」
棗が答えを求めるように、そっと神の名を呼ぶ。
―――やめて…!やめて!アキラ!―――
―――カモメぇぇぇ…!!―――
「……っ」
思い出される血に染まった過去に、棗が険しい表情となり、深々と目を閉じる。目を閉じたところで、消せるわけではない。目を覆ったところで、忘れられるはずもない過去。
「そんなことは、あの日からもう、わかりきっていたこと…」
「え…?」
棗の口から零れる小さな声を、しっかりとは聞き取れず、七架が少し首を傾げる。
「それでも私は…」
―――棗…―――
今も変わらず名を呼ぶ、優しい声。何が変わろうとも、それだけは変わらない。
「あの人の手を取った…」
言葉を続ける棗に、何かを察したように、七架は首を傾げることをやめ、そっと細めた瞳で、ただ棗を見つめる。
「私とて、あなたと同じ…」
俯いていた棗が、ゆっくりと顔を上げていく。
「この戦いに勝った方の神こそが、正しいというのなら…私も負けるわけにはいきません」
強く言い切り、棗が力強く鉄爪を構える。
「私はただ、我が神が正しいことを示す為に、ここに居るのですから…!」
「…………」
鉄爪を振り上げ、大きな声で主張する棗に、七架は少し悲しげに、目を細めた。
言ノ葉町、東端。小高い丘の上。
「…………」
丘の上に深々と座り込んだ阿修羅は一人、言ノ葉町全体の様子を見渡していた。何本もの光が大きく天へと突き上げ、激しい衝撃音も響き渡っている。言ノ葉町で起こっているいくつもの戦いを、すべて視界に入れ、阿修羅はどこか満足げな表情を見せていた。
「やぁ」
阿修羅が言ノ葉町を見つめたまま、挨拶するように言葉を発する。
「また会ったな」
座ったままの体を動かし、ゆっくりと後方を振り返る阿修羅。
「アヒル」
阿修羅の振りかえったその先には、仲間たちを別れ駆けつけた、アヒルの姿があった。アヒルは鋭い瞳を、まっすぐに阿修羅へと向けている。
「阿修羅…!」
「そろそろ見物は終わりか」
名を呼ぶアヒルから再び視線を逸らし、名残惜しそうに一度、言ノ葉町を見渡すと、阿修羅がゆっくりとその場で立ち上がり、アヒルの方へと向き直る。
「棗が通した方がいいと判断したなら、俺はそれに倣うべきなのかな…」
「え?」
「いいや、こちらの話だ」
アヒルの耳には届かない、小さな呟きを落とす阿修羅に、アヒルが戸惑うように首を傾げるが、阿修羅はすぐに手を数度、振った。
「さぁ、じゃあ始めるとするか。アヒル」
顔を上げた阿修羅が、涼しげな笑みで、アヒルを見つめる。
「言葉に、正しき秩序をもたらす為に…」
「……っ」
阿修羅のその言葉に、アヒルは険しい表情を作った。
言ノ葉町、中央部。礼獣付近。
「グアアアア!」
「阿ぁぁ!」
「吽…!」
礼獣が激しく雄たけびをあげると、背中の翼を力強く上へと押し上げ、乗り上げていた仁王の水像を、思いきり吹き飛ばす。
「う…!」
「ニギリちゃん!」
吹き飛ばされる仁王に、苦しげに表情をしかめるニギリ。そんなニギリを心配するように、チラシが隣から身を乗り出す。吹き飛ばされた仁王は、叩きつけられるように地面へと落ち、大量の水飛沫となって崩れ落ちる。
「ガアアア!」
仁王から解放された礼獣が、殊更声をあげ、大きく右前足を振り上げる。
「“迎えろ”!」
振り下ろされていく前足へと、自身の乗っていた金馬を向かわせ、七架の弟、六騎が言葉を発する。金馬は六騎の言葉に従い、振り下ろされた前足を真正面から受け止めた。
「ヒヒィン…!」
「あ…!」
だが金馬は、礼獣の大爪を前にあっさりと吹き飛ばされ、勢いをつけて、六騎のもとへと返ってくる。礼獣よりはかなり小さいとはいえ、とても子供の六騎が受け止められる大きさではない金馬が迫り来て、六騎が焦りの表情を見せる。
「“守れ”!」
六騎の前に立ち塞がり、守が両手の円月輪で、六騎の代わりに力強く、金馬を受け止める。
「あ…」
「大丈夫かぁ?クソガキっ」
茫然と声を漏らす六騎へと、振り返り、笑みを向ける守。
「あ、ありがとう。オジサン」
「誰がオジサンじゃい!」
礼を言う六騎の言葉が引っ掛かり、守が思いきり怒鳴りあげる。
「“変格”…」
その間にも、六騎の金馬と入れ替わるようにして前へと出たシャコが、右手の中で、強く言玉を輝かせる。
「“四海”」
「グウゥ…!」
シャコが礼獣の四方を取り囲む海を形成し、再び礼獣の動きを封じる。
「己守…」
「う、うん!」
シャコに呼ばれ、紺平が、妙に意気込んだ様子で前へと出て来る。
「へ、“変格”…!」
まだ言い慣れない様子でその言葉を口にし、右手に持った白い言玉を、高々と掲げる紺平。
「“紺碧”!」
「グアアアア…!」
紺平の放った言葉により、礼獣の下の地面に真っ白な海が形成され、その光の海の中に、礼獣の巨体が沈み込む。足を取られ、バランスを崩し、礼獣はまた大きく叫び声をあげた。
「ふはぁ~、何とか上手くいったぁ」
「まぁまぁ、ぼちぼち、てふてふ…」
ホッと一息ついている紺平の横で、紺平の力を確認し、よくわからない感想を述べるシャコ。
「皆サン、頑張ッテ下サァ~イ!」
「うるさい、うざい、うさぎ跳び…」
ただ、横から応援しているだけのライアンに、シャコが思わず顔をしかめる。
「今のうちに、ニギリの回復を…」
「了解!」
振り向いたシャコの言葉に頷き、チラシが仁王を破壊され、連動するように傷を負ったニギリの治療に当たる。
「俺はまだピチピチの十六歳だ!」
「え、そうなの?」
「そんなくだらないことを言っている場合ですか?」
シャコや紺平が戦闘を続ける中、何故か自信満々に胸を張り、年齢を主張する守に、大きな驚きを見せる六騎。余程、守が十六に見えなかったのだろう。そんな二人に、呆れたように声を掛けながら、雅が歩み寄ってくる。
「君に前線は危険です。後方で皆の援護を」
「う、うん…」
雅の指示に六騎は大人しく頷くが、どこか悔しそうな、申し訳なさそうな表情を見せていた。金馬を引き連れ、六騎が雅の言葉通り、後方へと下がっていく。
「あなたはもう少し、役に立ってくれてもいいですよ?末守さん」
「うるっしゃい!コテンパンのパンクパンサーにしてやろうか、この野郎!」
六騎が去った後、嫌味たっぷりに言い放つ雅に、守が大きく顔をしかめて、怒鳴りあげる。その時、守の左手から、円月輪が力なく零れ落ちた。
「おっとっと」
「……っ」
慌てて円月輪を拾いあげる守を見て、雅がそっと眉をひそめる。
「感覚が…?」
「ああ。さっき、あのバカでっけぇ前足受け止めた時に、いっちまった」
雅の問いに答えながら、守が感覚を失った左手へと、無理やり捩じ込むように円月輪を持たせる。その様子を見て、雅はさらに表情を曇らせた。
「ったく、大事な体だってのによぉ」
「まぁ、君の体がどうなろうと、僕には一切、害はないですけどね」
「もうちっと他人を労われよ!」
冷たく言い放つ雅に、守が思いきり怒鳴りあげる。
「少し休んで…」
「る暇なんて、ねぇだろ?」
気遣うように放とうとした雅の言葉を、守があっさりと遮る。
「何チンタラやってんだかなぁ、朝比奈の野郎は。明日、コッテンパンのパンの耳にしてやんねぇと」
ぼやくように言葉を落としながら、軽く肩を回す動作を行って、守が再び、シャコたちの居る礼獣付近へと向かっていく。守の背中を見つめ、困ったように肩を落とす雅。
「……っ」
雅が目で訴えるように、少し離れた場所に立っている為介の方を見つめる。
「もう皆さん、そろそろ限界みたいですよぉ?恵サァ~ン」
雅の訴えを汲み取り、為介が横に立つ恵へと、相変わらず緊迫した様子なく、言葉を投げかける。
「だろうな」
驚いた素振りも見せず、素直に頷く恵。
「あんな化け物相手に、限界ギリギリの力で戦ってんだ。精神も体力も、そう長い時間、もつはずがない」
固く腕組みをした恵が、冷静に言葉を発する。だがその額には汗が滲んでおり、恵の心中が穏やかではないことを表していた。恵が礼獣から視線を逸らし、天へと突き上げている、いくつかの光を確認する。
「いくら神月クンたちが、更なる変格活用を行っても、相手は堕神…そう簡単に勝負はつかないでしょう」
「ああ」
為介の言葉に、恵が反論することなく、素直に頷く。
「ねぇ、恵サン」
いつになく真剣な表情を作り、為介が恵へと問いかける。
「もしもの場合、ボクらは動くんですか…?」
「…………」
為介の問いかけに恵は答えようとはせず、ただ、黙ったままであった。答えようとしない恵を見て、為介が軽く肩を落とす。
「ボクらにも、神を名乗る資格はありませんね…」
そう呟いた為介は、どこか自嘲するような笑みを浮かべていた。




