Word.56 更ナル変格 〈2〉
「語彙力じゃ、負けないつもりだったがっ…」
篭也が傷ついた体を何とか起こしながら、険しい表情を見せる。沖也の言葉数は、檻也や、篭也がかつて戦った七声の一人、轟を、大きく上回っていた。
「なかなかの語彙力だと思うよ」
そんな篭也の呟きを耳に入れていたのか、沖也が答えるように言い放つ。
「それは於崎の教育の賜物…?それとも於崎を見返してやろうって、必死に勉強したのかな…」
「あなたのそれは、どちらなんだ?」
「うぅーん、前者の方かなぁ…」
少し首を捻りながら、沖也がゆっくりと答える。
「僕は後者だ」
「そう…まぁどっちでもいいけどね…」
問いかけておきながら、興味のない素振りを見せる沖也。
「仮にも於崎の人間であったなら、君は知っているんだろう…?」
体を起こそうとしている篭也に、攻撃する様子は見せずに、ただのんびりと見つめた状態で、沖也が篭也へと問いかける。
「俺が何故、神の座を堕ちたのか…」
沖也のその言葉に、篭也がそっと眉をひそめる。
「ああ、知っている」
篭也が険しい表情のまま、短く答える。
「あなたは、神になった始めの一日で、多くの罪もない人間を言葉の力で傷つけ、神を堕ちた。最低の神だ」
「また“最低”…酷い言われようだ…」
肩を落としながらも、沖也がそっと笑みを零す。
「俺ね、ずっと息苦しかったんだ…あの堅苦しい家で、神を目指して、ひたすら言葉を叩きこまれて…」
沖也が懐かしむように話しながら、どこか遠くを見るような瞳を見せる。
「君ならわかるんじゃない…?同じような環境で育ったんだろうし…」
「……っ」
同意を求めるように振り向く沖也に、篭也が少し視線を落とす。確かに、篭也にとっての於崎家は、息苦しい以外の何でもなかった。檻也が神となってからは、さらにその息苦しさが増し、結局は於崎家から逃げるような形になってしまったのだ。
「けどそんな時、旧世代の神たちの反乱があって、思わぬ零れ話…」
「旧世代が抜けた代わりに、“於の神”を任された」
「うん、そう」
挟まれた篭也の言葉に、大きく頷く沖也。
「俺が神になるって決まった時、親も親戚一同も、於崎の家の人間たちは、それはもう大喜びだったよ」
遠くの空を見つめていた沖也が、ゆっくりと視線を下ろしていき、その先を篭也へと移す。
「で、実際、神になってみたらさ、色んな息苦しさから解放されて、何かもう、一気にどうでもよくなっちゃったんだ…」
「その結果、何の罪もない人間を、何の理由もなく傷つけたと…?」
「うん、そう」
問いかけた篭也に、沖也が何の悪びれもない笑顔を見せて頷く。そんな沖也の笑顔に、篭也は不快感を得ずにはいられず、思わず顔をしかめた。
「於崎はきっと必死だっただろうね。折角得た神の座を、俺のせいで台無しにされそうになったんだからさ」
笑顔を浮かべたまま、沖也がさらに言葉を続ける。
「あぁー、笑える」
まるで感情のこもっていないその言葉に、目を細める篭也。
「堕神となって、人々の自由ある言葉を奪ったのは、於崎に対する復讐のつもりか?」
「まさか」
篭也の問いかけを、沖也は間を置くことなく、否定した。
「言ったでしょう…?もう、どうでもよくなっちゃったんだって…」
繰り返される沖也の言葉に、篭也はまたさらに表情を曇らせる。確かに沖也は、何にも興味を示していない、すべてどうでもいいと思っている、そんな、口にした言葉通りの様子であった。
「本当にどうでもいいんだ。世界中の人間の言葉が奪われたって、奪われなくたって、俺にはまったく問題ない…」
「何故、どうでもいい人間のあなたが、面倒この上ないというのに、僕の相手をする?」
「うぅーん、そうだな…」
考えを巡らせるように、沖也が少し首を捻る。
「強いて言うなら…」
沖也の視線が、ゆっくりと篭也へと向けられる。
「迷惑かけた於崎家への、せめてもの…餞?」
「餞、ね…」
ゆっくりと繰り返すように言って、篭也が表情を鋭くし、再び鎌を構える。
「“刈れ”!」
勢いよく鎌を振り切り、沖也へと一閃を向ける篭也。
「簡単に餞にはなってくれないか…“慄け”!」
波状の白光を放ち、沖也が篭也の一閃を砕き去り、さらにその白光を篭也へと向ける。
「“涸れろ”」
言葉を発し、向かって来ていた白光を掻き消す篭也。
「僕を倒したところで、於崎家への餞にはならないと思うぞ」
沖也の攻撃を防いだ篭也が、沖也へと鋭い視線を向ける。
「あの家は、僕のことを於崎の者などと、思っていないからな」
「そうだね…俺のこともきっと、於崎の人間だなんて思ってないよ。きっと…」
篭也の言葉に同調するように、沖也がゆっくりと言葉を呟く。
「於崎にとって、俺たち二人の戦いなんて…どうでもいいことなのかもね…」
「……そうかも知れないな」
認めるように頷きながら篭也は、それでもどこか、寂しげな表情を見せた。
「それでも僕は、負けるわけにはいかない」
自分自身に言い聞かせるように、強く言葉を発する篭也。
「“鎌鼬”…!」
篭也が鎌を空へと放り投げると、鎌がその姿を風の塊へと変え、勢いよく沖也へと迫っていく。
「熟語に、形態変化…」
向かって来る風塊を見つめ、沖也がそっと目を細める。
「腐っても於崎の血か…まぁ、どうでもいいけど…」
興味なく呟いた沖也が、言玉を軽く握る。
「“送れ”」
沖也が言玉を持った右手を突き出し、向かって来る鎌鼬を、篭也へと送り返す。
「“返せ”!」
返って来た鎌鼬を、言葉を向けて、またさらに返す篭也。再び向かって来た鎌鼬にも、沖也は表情一つ崩さず、落ち着き払った様子で口を開いた。
「“贈れ”」
先程と同じ言葉を放って、もう一度、鎌鼬を贈り返す沖也。
「また上書きか…!……っ」
再々度返って来る鎌鼬に、篭也が大きく表情をしかめる。少し考えるような表情を見せた後、何かを決めた様子で顔を上げ、鎌を振り上げる篭也。
「まだ言葉を…?」
「お…」
沖也が戸惑うように首を傾げる中、篭也が今までとは異なる文字を口にする。
「“追え”!」
「何…?」
篭也が放ったその言葉に、沖也が今までで一番、驚きの表情となる。篭也の言葉により、再び沖也へと向かっていく鎌鼬。
「“お”の言葉を…?ク…!」
困惑した表情を見せながら、沖也がその場を駆け出し、向かって来る鎌鼬から逃れようとする。だが、鎌鼬は、沖也の逃げた方向と同じ方向へと流れ、どこまでも沖也を追いかけていく。
「チっ…」
逃げても逃げても追ってくる鎌鼬に、思わず舌を鳴らす沖也。
「逃げても無駄だ」
「そのようだね…」
強く言い放つ篭也に答えて、沖也が逃げていた足を止める。
「何を…」
「“朧”…」
「あ…!」
沖也の姿が、闇に紛れるように、徐々に薄れ、消えていく。放った鎌鼬が、先程まで沖也の居た場所を通り過ぎると、篭也は焦ったように身を乗り出した。
「どこへ…!」
「ここ…」
「……!」
沖也の声が響いたのは、篭也のすぐ後ろ。大きく目を見開いた篭也が、すぐさま後方を振り返る。
「武器を手放すのは、あまりいい攻撃じゃなかったね…」
「ク…!」
鎌鼬として放ってしまったため、手元に言玉のない篭也は、沖也の方を振り向きはしたが、どうすることも出来ず、ただ表情を歪めた。
「“圧せ”」
「う、うあああああ!」
突き出された沖也の右手から放たれた、巨大な光の塊に圧され、篭也が勢いよく後方へと吹き飛ばされる。地面へと倒れ込んだ篭也のすぐ傍に、いつの間にか、風から元の姿へと戻った鎌が、力なく落ちる。
「グ、クゥ…」
「まさか、“お”の言葉を使うとは思わなかったよ」
苦しげな声を漏らしながら、必死に上半身を起こす篭也へと、沖也がゆっくりとした口調で話しかける。
「認められてなくても何でも、一応は於崎の血は流れてるみたいだね…」
その沖也の言葉に、篭也が少し目を細め、厳しい表情を見せる。
「けど、じゃあ、なんでその言葉をもっと使わないの…?」
素朴な疑問を投げかけるように、沖也が大きく首を傾げる。
「そんな脆弱な子音の言葉なんて、使わずにさ…」
「……っ」
沖也のその言葉が引っ掛かったのか、篭也の表情が突然、曇る。
「まぁ、どうでもいいけど…そうすれば、もう少しは俺に攻撃を…」
「脆弱などではない」
相変わらずやる気のない沖也の言葉を、篭也の鋭い言葉が勢いよく遮った。地面に落ちた鎌を右手で掴み、それを支えにして、篭也がゆっくりと体を立ち上がらせていく。
「この文字は、あの人が僕にくれた言葉…」
篭也が噛み締めるように、左手で胸元の服を握り締める。
―――君の言葉は、もっと自由だよ、篭也―――
今も目を閉じるだけで浮かんでくる、何よりも優しかった、あの笑顔。
「自分の言葉を見失った僕に、カモメさんがくれた…」
地面を見下ろしていた篭也が、力強く顔を上げる。
「誰かと言葉を交わせるように、と…!」
顔を上げた篭也が、迷いのない瞳で、堂々と言い放つ。完全に足を立ち上がらせ、支えるために地面へと付けていた鎌を振り上げ、篭也がもう一度、構え直す。
「言葉を交わせるように、ね…」
篭也の熱い言葉にも自分の温度は変えず、沖也が冷めた様子でゆっくりと言葉を繰り返す。
「じゃあ、俺と言葉を交わして、死ぬ…?」
「ああ」
あっさりと頷く篭也に、沖也が少し眉をひそめる。
「言葉は交わそう。あなたを倒す為に」
はっきりと言い放った篭也が、右手に持っている鎌を高々と掲げる。
「“倒す”、か…神を相手に恐れ多いね…」
「僕は今までもずっと、神と戦って来た」
「え…?」
篭也の言葉に、沖也が戸惑いの声を漏らす。
「自身が成れなかった神と、自身が憧れ続ける、この胸の中の神と…」
ここに神が居るとでも言うように、左胸に手を当てる篭也。
「だから今更、神を倒すことを恐れはしない…!」
力強く言い放った篭也が、胸に当てていた手を離し、力強く鎌を握る。
「五十音、第六音…“か”、解放…!」
「え…?」
鎌を掲げ、戦いの始めの時と同じ言葉を繰り返す篭也に、戸惑うように首を傾げる沖也。
「何だ…?二度も文字を解放するなんて、聞いたこともない…」
沖也が表情を曇らせ、困惑した様子で篭也を見つめる。沖也にとってみれば、意味のない行動のはずだが、明らかに赤色の強い光が、篭也の掲げた鎌へと集まっていっている。
「何だ…?一体、何をっ…」
「これが、変格を超える変格…」
沖也が戸惑いの色を濃くする中、篭也が鋭く瞳を輝かせる。
「“加変”…!!」
篭也の言葉に、鎌はさらに輝きを増した。




