Word.55 驕レル神 〈2〉
言ノ葉町、南西部。“以の神”、伊賀栗イクラvs堕ちし“以の神”、一条錨。
「“雷”ぃぃ!」
「“稲妻”…」
両者の間で、金色に輝く閃光が、激しくぶつかり合う。二つの閃光が一歩も譲らず、互いの力を砕き切ると、間髪入れずにイクラと錨が、同時に言玉を持つ右手を突き出した。
「“挑め”!」
「“怒れ”」
錨がイクラへと大波を向けると、イクラが地面からマグマのように水を噴き出させて、それを砕く。
「チ…!“茨”!」
舌打ちを落とすと、すぐに新たな言葉を発し、イクラの周囲へと、留まったままの雨のような、水の棘を張り巡らせる錨。
「“埋けろ”!」
錨の言葉を合図に、一斉にイクラへと降り注ぐ無数の水の棘。だが、イクラは焦りの表情一つ見せずに、静かに右手を掲げた。
「“祈れ”」
イクラがそっと言葉を落とすと、イクラの後方から、美しい女性を象った、巨大な水の像が現れる。水像が包み込むように両手を広げると、降り注いできた水の棘はすべて、その両腕に吸収され、一本として、イクラに当たることはなかった。
「チ…!また、あの像かっ」
自らの攻撃を防いだ水像を見つめ、錨が悔しげに表情をしかめる。
「“祈れ”か。顔に似合わない言葉、持ってやがるぜ」
皮肉った笑みを浮かべ、錨が見つめる中、イクラが掲げていた右手をゆっくりと下ろす。すると、イクラの後方の水像はゆっくりと崩れ落ち、跡形もなく消え去った。
「で…?」
問いかけるように声を発するイクラに、錨が少し眉をひそめる。
「俺をいつまで、こんな茶番に付き合わせる気だ…?」
イクラが射抜くような鋭い瞳を、まっすぐに錨へと向ける。
「茶番?ひっどい言いようだなぁ。俺、必死に頑張ってんのに」
「前の戦いで使った言葉ばかりを吐いているのにか?」
困ったように肩を落とす錨へと、イクラがさらに挑戦的に問いかける。
「俺が何の為に、こんな退屈な町に残ったと思っている?」
さらに目を細め、錨を睨みつけるイクラ。
「とっとと見せろ。貴様がこの前の戦いで見せようとしていた、“神格”というやつをな…」
「……っ」
イクラのその言葉に、微笑んでいた錨が、そっと表情を曇らせる。
「イヒヒ、怖いねぇ」
言葉とは裏腹に、嬉しそうな笑みを零す錨。
「さっすが俺の後釜。やっぱ神に隠し事は出来ねぇぜ」
軽く頭を掻きながら、錨が身構えていた全身から力を抜いて、まっすぐにイクラと向き直る。その笑みは、ひどく余裕に満ちていた。
「なぁ?お前、知ってるか?何故、俺たちア行、すなわち五神に、“変格”が与えられていないのか」
話題を不意に切り替え、錨がイクラへと問いかける。
「神はその段の中で、誰よりも強い存在でなければならないというのに、“変格”を与えられているのは、カ行やサ行、神以外の奴等ばかり」
ゆっくりとした口調で、錨がさらに言葉を続ける。
「何故、神は、“変格”を持たないと思う?」
「さぁな。興味がない」
問いかける錨に、明らかに考えていない様子で即答するイクラ。そんな態度を見せるイクラにも、不快な表情一つ見せず、錨はそっと微笑んだ。
「答えは簡単。“変格”なんて、しなくても強いからだ」
はっきりと言い放ち、錨がさらに口角を吊り上げる。
「神が持つ文字は、五つの母音“あいうえお”。母音の力は、他の子音に比べて圧倒的な強さを誇る」
錨が得意げに、胸を張る。
「だから、他のすべての五十音士たちの頂点に立てる。だから、神に“変格”は必要なかった」
最後の言葉が過去形であることに気付き、イクラがそっと眉をひそめる。
「なかった…?」
「ああ、子音の力を持つ五十音士たちを服従させる程度じゃ、神に“変格”は必要なかったんだ」
静かに聞き返すイクラに、錨がすらすらと言葉を連ねる。
「だが、じゃあ、神同士が戦った場合は、どうなる…?」
鋭く問いかける錨に、目を細めるイクラ。
「同じ母音の力を持つ者同士が、ぶつかった場合は?」
問いかけを続け、錨が楽しげに笑う。
「神を堕ちた阿修羅は、後々、自分たちと同じ神と戦うことになるであろうことを予想し、俺たちに一つの力を与えた」
「力…」
「ああ」
繰り返すイクラに、錨が大きく頷く。
「神を超える力…神の“変格”…」
言葉を続けながら、錨が鋭く右手を突き上げる。
「“神格”をなぁ…!!」
錨の突き上げた右手に握り締められた言玉が、眩いばかりに強い青色の光を発し始める。目を伏せてしまいそうになるほどの光だったが、イクラはまっすぐに、その光を見つめ続けた。
「これが俺の…!“神”の力だ!」
さらに光を増す言玉を見つめ、錨が高らかと声をあげる。
「“因果応報”…!」
錨がそう言葉を発した途端、言玉から発せられる光が、まるで花火のように周囲へ弾け飛んでいった。
「神、あれを…」
「ああ」
報告するように言う棗に対し、呼びかけられた阿修羅は、落ち着き払った表情で頷く。二人の見つめる先には、強い青色の光と、噴き上げた大量の水が輝いていた。
「錨が、神格を…」
棗が眉間に皺を寄せ、険しい表情を作る。
「ああ、そのようだな」
「止めますか?」
「構わないさ」
棗の問いかけに、阿修羅はすぐさま首を横に振る。
「ここまで来れば、もう止める理由もない」
「かしこまりました」
阿修羅の決断に、反対する素振りなど一切見せず、深々と頭を下げる棗。
「では神、私もそろそろ守備につきます」
「ああ、頼む」
棗の申し出に、阿修羅が笑顔で頷く。
「では」
「ああ、棗」
その場を離れようとした棗を、そっと呼び止める阿修羅。
「何でしょうか?」
「俺は今からしばらくの間、力の集約に専念する」
聞き返した棗へと、阿修羅がまっすぐに視線を投げかける。
「だから、その間は誰一人、ここへは通さないようにしてくれ」
笑顔で指示を出す阿修羅を見つめた棗は、すぐに頷くことはせずに、一瞬、何か考えるように、伏せ目がちとなる。だがすぐに視線をあげ、また、阿修羅を見つめた。
「誰一人、ですか?」
「誰一人、だ」
確かめるように問いかける棗に、もう一度、強く言う阿修羅。
「仰せのままに、我が神」
阿修羅へと深々と頭を下げると、棗は阿修羅に背を向け、足早にその場を歩き去っていった。少し後方を振り返った阿修羅が、遠ざかっていく棗の背中を見つめ、すぐにまた前を向く。
「さてと…」
再び前を向いた阿修羅が、輝く光を見つめ、そっと口元を緩める。
「勝つのは、神か、堕神か…」
阿修羅が楽しげに、声を落とした。
「何っつー光だ!」
「トテモ眩シイデス!」
「あれは…」
言ノ葉町南西部で突き上げる青色の光のすぐ傍から、もう一つ、巨大な青色の光が出現し、どんどんと周囲を包み込むように広がっていく。その眩い光が、言ノ葉町中央にいる、守やライアンのもとへまで届いていた。同じようにその光を見つめ、雅がそっと眉をひそめる。
「水…?」
青い光に導かれるようにして、空へと噴き上げる大量の水に、戸惑うように首を傾げる雅。五十音士であっても、水の力を使えるのはイ段に属する五十音士のみ。そう考えると、その力を噴き上げた者の正体は、限られている。
「あれあれあれってば、何ぃ?チラシくん」
「さぁ?我が神が派手に暴れてるんじゃないのぉ?」
ポーズを決めようと、両手を繋いだまま、くるくると地面の上を回りながら、チラシとニギリが暢気に会話を交わす。
「金八…あれ…」
「ああ」
背後から呼びかけるシャコの声に、真剣な表情で頷く金八。
「あれは、神の水じゃねぇ」
確信を持って言い切り、金八が険しい表情を作る。
「たぶん、この前、神と戦ってたあの野郎のもんだろ」
「けど、神以外に、あんなド派手な水を使える奴が居るなんて…」
「居るんだよねぇ、これが」
噴き上げた水とは別の方向から聞こえてくる声に、金八とシャコが同時に振り返る。
「てめぇは」
「為の神、井戸端為介…」
二人が振り返った先に立っていたのは、扇子で自身へとゆっくり風を送る為介であった。その横には恵と、金馬に乗った六騎の姿もある。アヒルたちを見送った後、『いどばた』から、ここへとやって来たのだ。
「為介さん」
「遅っせぇぞぉ!お前等!」
やって来た為介たちを見て、雅と守がそれぞれ声をあげる。
「こいつ等、以団が来てなかったら、俺等とっくに、あの化けライオンの血肉になってたかも知れねぇんだからなぁ!」
「アハハぁ~、そうなったら、面白かったのにねぇ」
「どこも面白かねぇわ!」
楽しげに笑みを零す為介に、守が勢いよく怒鳴りあげる。
「やっぱ信用出来ねぇぜ。旧世代」
「まぁ、言い返す言葉もないですけど」
まだ笑っている為介へと、疑いの目を向ける守の横で、雅が呆れきった様子で肩を落とす。
「お前等まで協力してくれるとはな。韻から命令でも下ったか?」
為介の横から数歩前へと出た恵が、金八たちへと声を掛ける。
「まっさか。だいたい俺らが、韻の命令とか大人しく聞くわけねぇじゃん」
「じゃあ何故…」
「あたいらが動く理由は、ただ一つ。我が神の命令だから…」
シャコの言葉に、恵が眉をひそめる。
「伊賀栗イクラが、言ノ葉を守るよう命令を…?」
「まっさかぁ~うちの神は、壊せとは言っても、守れなんて間違っても言わねぇよぉ」
恵の問いかけに、金八が大きく首を横に振って、全力で恵の言葉を否定する。
「我が神の命令はこうっ」
金八が得意げに微笑み、人差し指を突き立てる。
「神の戦いを邪魔する可能性のあるものを、すべて排除すること」
「成程」
その言葉に、恵がすぐさま納得するように頷く。
「あのデカ獣にギャアギャア騒がれたんじゃ、自分の戦いに集中出来ないってわけか」
「イクラくんらしいなぁ~」
恵の横で、為介が感心するように笑う。
「だが、今回の相手は堕神だ」
「堕神って、五神でありながら罪を犯して神を降ろされたってやつだろ?」
サングラスの向こうから真剣な瞳を覗かせた守が、恵へと問いかけを向ける。
「今、以の神と戦ってるっつー、そいつは一体、何をやったってんだ?」
守の問いかけに、恵がさらに険しい表情を作る。
「……何も」
「へ?」
思いがけない恵の答えに、守が目を丸くする。
「何もって、じゃあなんで」
「堕ちし以の神、一条錨は、誰よりも強くなることを望み、何よりも力を欲した」
戸惑う守へ、恵が言葉を続ける。
「力を欲するその欲望は、あまりに異常。近い将来、自分たちに危険が及ぶのではと考えた韻が、一条を神から堕としたんだ」
「韻がそこまで警戒するなんてな」
恵の話を受け、守が険しい表情を見せる。
「ああ。だから、あの伊賀栗イクラであっても、勝てるかどうか…」
「ですが恵先生」
不安げに呟く恵へと、口を挟んだのは雅であった。
「彼は一昨日の戦いで、堕神を圧倒しています。一度、戦った相手ですし、そう心配することでは…」
「圧倒したからこそ、だ」
「え?」
強調するように言う恵に、雅が眉をひそめる。
「阿修羅は周到な男だ。負けるとわかっている者を、戦場へ連れてくるような真似は絶対にしない」
恵が固く手を組み、噴き上げる水を見つめる。
「勝つ自信があんだろう。伊賀栗イクラがどんなに強くても、それでも勝てるって自信がな」
「……っ」
厳しい表情で言い放つ恵に、雅も眉間に皺を寄せた。




