Word.54 幕開ケ 〈4〉
言ノ葉町、中央部。言ノ葉高校付近。
「グアアアアア!」
激しく咆哮をあげて、その巨大な爪先を、近くの民家へ向けて振り下ろす金獣。
「うわわわ!やめろやめろ!」
すぐ近くに立っている守が、金獣のその動きを見て、焦ったように声をあげる。
「“瞬け”!」
言葉を放った途端、守の姿がその場から消える。すると次の瞬間、振り上げられた金獣の爪と、民家との間に、守が姿を現した。
「“守れ”!」
間に割って入った守が、両手に構えた円月輪を、下りて来る金獣の爪へと突き出す。その突き出された円月輪へ向けて、金獣は何の躊躇いもなく、爪を振り下ろした。
「うお!」
円月輪が金獣の爪と接触した瞬間、守に押し潰されそうな程の強烈な圧がかかる。
「重…!何つー力っ…て、え!?」
守がかかる圧に表情を歪めていたその時、両手に構えられた円月輪の爪との接触部分が、勢いよく欠けた。欠ける円月輪に、守が大きく目を見開く。
「マジ…?」
「グアアアアア!」
「へ?うおおおお!」
砕かれた円月輪に守が茫然としていると、金獣が今度は物凄い勢いで爪を振り上げ、その勢いに呑まれ、守が遥か上空へと吹き飛ばされる。
「いやあああ!死ぬぅぅぅ!」
上空を舞いながら、情けない声を発する守。
「“導け”」
「ありゃ?」
遥か遠くへと吹き飛ばされていこうとした守の体が、突然、薄い水の膜に包まれると、その膜により勢いは殺され、守は水に包まれたまま、ゆっくりと下降して、無事、地面へと辿り着いた。守の足が地面へとつくと、守の包んでいた水が、自動的に消える。
「無事ですか?末守さん」
「美守!」
地面へと降り立った守のすぐ傍へと歩み寄って来たのは、相変わらず、眼鏡を押し上げる動作をしている雅であった。
「助かったぜぇ~!サンキ…!」
「無暗に飛び込むの、やめてもらえます?助けるのにも一応、体力使うので」
「ああん!?」
例を言おうとした守であったが。あまりに冷たい雅の言葉に、勢いよくその表情をしかめた。
「何っだぁ!?その言い方は!仮にも同じマ行で、同じような境遇の、五十音士仲間に向かってだなぁ…!」
「ヤンキーって、嫌いなんです。僕っ」
「爽やか笑顔で、俺を全否定するんじゃねぇ!」
満面の笑みで、清々しいばかりに答える雅のその態度に、守が思わず怒鳴りあげる。
「ああぁ~、ダメだダメだ!んなことしてるだけ、体力の無駄だぜ」
自分の心を落ち着かせるように、守が軽く肩を回す。
「今はとにかく、あいつを…!」
「グアアアアア!」
「……っ」
勇んで振り向いた守であったが、荒々しく咆哮をあげている、巨大な獣のあまりにも恐ろしいその姿に、すぐに表情を歪ませた。
「ったく、この上なく可愛げのねぇペット、飼いやがって…」
「ララララァ~」
「んあ?」
こんな状況の中だというのに、陽気に聞こえて来る歌声に気付き、守が振り向く。
「ラララァ~リルレロ、ララァ~」
羅針盤を片手に、針をくるくると回しながら、陽気な歌声を奏でているのは、異国の五十音士“良守”のライアンであった。
「おい、外人」
「ンン?」
守に呼ばれ、ライアンが歌声を止めて、顔を上げる。
「何デスカァ~?リーゼントマン」
「誰がリーゼントマンだ。っつか、てめぇもちったぁ戦えよ。ただでさえ人手不足なん…」
「ノンノン!」
「あ?」
突き立てた人差し指を揺らし、大きく首を横に振るライアンに、守が戸惑うように首を傾げる。
「ワタシノ力、敵ノ言葉ヲ跳ネ返スモノデェ~ス。デモ、今回ノ敵ハ、言葉ヲ持タナイ獣。ワタシノ力、使エマセェ~ン!」
「誰だよ!?こいつ、呼んだの!」
自分が無力であることを、何故か得意げに話すライアン。守は湧き上がる怒りをどこへぶつけていいかもわからず、とりあえず誰も居ない方角を向いて、怒鳴りあげる。
「ったく、おい。メガネ」
「…………」
「あの、美守さん」
「何です?」
メガネでは無反応だった雅だが、守が言い直した途端、とても素直に応じる。
「俺たちだけじゃ、荷が重めぇぜ?本当に旧世代の連中、応援に来るんだろうなぁ?」
「さぁ?僕が言えることと言えば…」
軽く首を傾げた後、雅が真剣な表情を作る。
「あの人が四回に三回は、約束を破るということだけです」
「ダメじゃん!」
真面目な顔で言い放つ雅に、守がすぐさま突っ込みを入れる。
「ああぁ~!もう俺の人生、終わったぁ!」
「諦メテハダメデス!最後マデ戦イ抜キマショウ!リーゼントマン!」
「戦えねぇ奴が、偉そうな口、きいてんじゃねぇよ!」
必死に守を慰めるライアンであったが、それは、守の怒りを増させるだけであった。
「グアアアアア!」
『……!』
再びあがる咆哮に、あれこれとモメていた守たちが、一斉に顔を上げる。空へ向けて吼えた金獣が、その背に持った金色の巨大な翼を、左右へと大きく広げようとしている。
「マズイ!あいつ、翼で空へ…!」
翼を広げ、空へと飛び立とうとしている金獣に気付き、守が焦りの表情を見せた。
「“築け”」
「え…?」
どこからか響く言葉に、守が眉をひそめる。
『あ…!』
言葉が落ちたその瞬間、金獣の周囲から、逆流する滝のように地面から水が噴き出し、分厚い壁となって、あっという間に金獣の周りを取り囲んだ。すぐ目の前から噴き出て来た水に、雅たちが目を見張る。
「おっしゃあ!」
上空に浮かび、水に囲まれた金獣を見下ろして、ガッツポーズを作るのは金八。
「あれは…」
「誰だぁ?」
眉をひそめる雅の横で、守が大きく首を傾ける。
「いいぜぇ、シャコ!チラシ!」
金八が下を向き、地上で待ち構えているシャコとチラシの二人へと呼びかける。すると、チラシが先に、青い言玉を持った右手を突き上げた。
「“千切れろ”」
「ギャアアアア!」
チラシが言葉を放つと、取り囲んでいた水の一部が、金獣へと襲いかかり、その巨体を一斉に斬り刻む。人と同じ赤い血を流し、金獣が苦しげな声をあげる。
「し…」
続いてシャコが、言玉を構えた。
「“沈め”」
シャコが静かに言葉を落とすと、今度は金獣の立っていた地面そのものが水に呑まれる。斬り刻まれて隙を見せていた金獣は、簡単に足を取られ、大きくバランスを崩す。
「いいよぉ~ニギリちゃん!」
「はいはいはぁ~い!」
チラシの呼びかけに答えて、上空から降下してくるのは、楽しげな笑顔を見せたニギリ。ニギリは下降しながら、スーツのポケットから言玉を取り出す。
「“変格”」
ニギリの握り締めた言玉が、強い輝きを放ち始める。
「“仁王”!」
輝く言玉は、空中でニギリの手を離れ、落下しながらその姿を、二体の巨大な水像、仁王へと変えていく。
「“躙れ”!」
「阿!」
「吽!」
「ガアアア!」
空中から勢いよく落下してきた仁王に、全体重をかけて左右、それぞれの翼を踏みつけられ、下方の水へと押しつけられた金獣が、苦しげな叫び声をあげる。
「かんかん完璧ぃ~!」
「さっすがだよぉ!ニギリちゃん!」
満足げに降りて来たニギリへと、チラシが素早く駆け寄っていき、早速ポーズを決める。
「これで、しばらくは食い止められそうだな」
「金八…油断禁物、優柔不断、夢占い…」
「厳しいと泣くよぉ!?俺、泣いちゃうよぉ!?シャコ!ってか、夢占いって何ぃ!?」
こちらも上空から降りて来た金八が、シャコと、相変わらずの緊張感のまるでない会話を繰り広げる。
「すっげ…」
「ハイ、トテモスーパーデス…」
だが、緊張感のない金八たちに呆れる様子もなく、守とライアンは、巨大な金獣を押さえこんだ金八たちの力に圧倒され、唖然としていた。
「あれは、以団の…」
金八たち四人を見つめ、雅がそっと眉をひそめる。
「以附の彼等がまだ、ここに居るということは、彼も…?」
何やら考えるような表情を見せ、雅は突き上げた光の一本を、振り返った。
言ノ葉町、南西端。
「ハァ…ハァ…!」
少し息を乱しながら、皆と別れた七架は、前方に見える、空へと突き上げた青い光の柱を目指して、ひたすら言ノ葉町の道を駆け抜けていた。もう十分程走っているというのに、道にはまったく人の姿がなく、誰とも擦れ違わない。
「これも、言葉が奪われた影響、なのかな…?」
静か過ぎる町中を見渡し、七架が少し不安げな表情を見せる。
「お父さん、お母さん、想子ちゃん…」
町には七架の父と母、それに親友の想子や、他にもたくさんの友達、クラスメイト、知り合いが住んでいる。そんな大切な者たちの言葉が、今、奪われている状態なのだ。
「早く行って、何とかしなきゃ…!」
前方に見える光を見据え、七架が改めて鋭い表情を作る。
「へぇ?行くって、どこに?」
「……!」
すぐ後ろから聞こえて来る声に、駆けていた七架が足を止め、素早く振り返った。
「あ…!」
振り返った七架へと迫る、激しく波打つ大波。
「五十音、第二十一音…“な”、解放!」
七架が制服の胸ポケットから言玉を取り出し、間髪いれずにそれを解放させる。言玉から姿を変えた真っ赤な薙刀を右手に構え、七架はその刃先を勢いよく振り上げた。
「“凪げ”!」
七架が薙刀を振り切ると同時に言葉を発すると、赤い光に包まれた大波は、急速に収まり、七架の目の前で掻き消える。
「ふぅ」
何とか波を防いだ七架が、一息つくように肩を落とす。
「へぇ、“凪げ”かぁ。なかなかいい言葉、持ってんなぁ」
波のやって来た方角から聞こえて来る声に、七架はすぐに眉をひそめ、身構えて顔を上げた。
「俺とは相性いいんじゃねぇの?」
ゆっくりと歩を進めながら、七架の前へと現れたのは、錨であった。錨を見つめ、七架がさらに警戒の態勢を取る。
「あなたは?」
「堕ちし“以の神”、一条錨」
「以の、神…」
目の前に居るこの男が、堕神であることを知った七架が、錨に隙を見せぬ程の一瞬で、後方を振り返る。七架の後ろには、先程まで七架が目指していた、あの青い光が、未だに空へと突き上がっていた。
「どうして、光が突き上がっているのに、堕神であるあなたがここに…」
「ああ」
戸惑いの表情を見せる七架に、錨が納得するように頷く。
「お前等なら、知ってんだろ?この町が、言葉の力の集約しやすい土地柄だってことはよぉ」
錨の言葉に、七架がそっと眉をひそめる。守がアヒルの言玉を元に戻す際、そういう話をしていた覚えがあった。
「光の突き上げてる五ヶ所はそれぞれ、言葉の力の集約しやすい場所。そこに阿修羅が前もって、“集まれ”の言葉を掛けていたんだ」
「集まれ…」
アヒルと同じ『あ』の文字の言葉に、七架が少し表情を曇らせる。
「だから力の源である俺等が動いても、あの場所が勝手に俺等の力を集めて、お空の上まで届けてくれるってわけ」
上空に集約している力を指差し、錨がどこか楽しげに笑う。
「勝手にってことは、あの人をこの場所から離しても、意味はないのね…」
七架が小さな声を発し、冷静に分析をする。自分たちで集約させているのであれば、この町から遠ざけるだけで防げるが、そういうわけではないのであれば、もう目の前の堕神を倒す以外に道はない。
「だったら…!」
素早く薙刀を振り上げ、七架が臨戦態勢を取る。
「おお、やる気満々ってかぁ?」
構えた七架を見つめ、焦るというよりも、楽しげに口元を歪める錨。
「いいぜぇ!神直々に遊んでや…!……っ」
「え?」
弾むような声を放ち、七架と戦うべく、右手の言玉を振り上げようとしていた錨であったが、不意にその動作を止め、言葉も途切れさせる。急に変わった錨の様子に、七架は構えを維持しながらも、戸惑うように目を丸くした。黙り込んだ錨の視線が、七架より後方に向けられていることに気付く。
「何、が…あ!」
錨の視線につられるようにして、後方を振り返った七架が、その瞳を大きく見開いた。七架の見つめる先から、ゆっくりと足音を響かせて、一人の人間がこちらへと歩み寄って来ている。
「あ、あなたはっ…」
「以の神、伊賀栗イクラ」
七架よりも先に、その者の名を口にする錨。
「…………」
その場へと現れたのは、イクラであった。
「ど、どうして、あなたがここに…」
雅が助けられた一件を知らない七架は、すぐ横までやって来るイクラを見つめ、戸惑った表情を見せる。七架にとってのイクラは、七架が初めて五十音士として戦いに参加した神試験の際の、恐ろしい敵という認識しかなかった。
「奈守」
イクラに呼びかけられ、七架が少し身構えるように、両肩を上げる。
「貴様は、安の神のところへでも行っていろ」
「え?」
イクラのその言葉に、眉をひそめる七架。
「け、けど…!」
「俺の戦いに巻き込まれて、死にたいか?」
「……っ」
冷たい視線を投げかけるイクラに、七架は続けようとしていた言葉を呑み込み、すぐさま黙り込んだ。
「わ、わかりました」
それ以上、イクラに逆らうことも出来ず、素直にイクラの指示に頷くと、七架は体の向きを変え、別の光の柱を目指して、その場を駆け出していった。七架が去り、その場にイクラと錨だけが残る。
「追わないのか…?」
「冗談!神の俺に、たかだか奈守の相手をさせる気かよぉ?」
イクラからの問いかけを、錨が鼻で笑い飛ばす。
「それに俺は、てめぇと戦いたかったんだぁ。てめぇがまだ、この町に残っててくれて良かったぜ」
楽しげにそう言いながら、錨が肩を回し、戦う準備を整える。
「さぁ!今日こそ決めようぜぇ?」
誘うように、両手を広げる錨。
「どっちが本当の“以の神”なのかをなぁ!」
高らかと声を響き渡らせる錨を見つめ、イクラがそっと目を細める。
「本当の神など、決めるまでもない」
低く声を放ち、イクラは懐から、青い言玉を取り出した。
言ノ葉町、東端。小高い丘の上。
「錨が五十音士と戦闘を開始しました。神」
「ああ、見えてる」
後方に立った棗の報告に頷きながら、丘の上から、眼下に広がる言ノ葉町の町並みを見つめる阿修羅。不気味な程に静まりかえった町の所々から、力がぶつかり合うような衝撃音が聞こえてきていた。
「礼獣も、複数名の五十音士により、抑え込まれているようですが…」
「問題ない。計画は順調だよ、棗」
少し不安げに報告する棗に対し、阿修羅は一切、焦った様子はなく、余裕すら見える笑みを浮かべていた。
「もうすぐだ。もうすぐ…」
阿修羅が赤い光の突き上げる空へ向け、ゆっくりと手を伸ばす。
「もうすぐ、この世界から、秩序なき言葉は消える…」
空を見つめる阿修羅は、ひどく遠くを見つめるような、そんな瞳を見せていた。
「待っててね…」
優しく、温かで、どこか悲しげな笑みを浮かべる阿修羅。
「アスカ…」
愛おしそうにその名を呼ぶ阿修羅の背を見つめ、棗はそっと、目を細めた。




