Word.54 幕開ケ 〈2〉
言ノ葉町、町の小さな何でも屋『いどばた』。
「あ、来た来た!朝比奈くん!」
「おう!」
他の者たちと店の前に並んだ七架が、こちらへと歩いてくるアヒルの姿をいち早く見つけ、大きく手を振って呼びかける。アヒルもその呼びかけに応え、手を振り上げると、駆け足となって、皆のもとへと寄っていった。
「おはよう、奈々瀬」
「お、おおおはよう、朝比奈くん!今日も絶好のケン玉日和だね!」
「そ、そうか?俺、ケン玉持ってねぇけど」
相変わらず、声を震わせながら、見当違いなことを言う七架に、少し引きつった表情を見せながらも、アヒルがしっかりと答える。
「ってか、来るの遅過ぎ」
「六騎っ」
「んあ?」
不満げな声をあげる六騎に、すぐ横に立つ七架が注意するように名を呼ぶ。だが、悪態づかれた当のアヒルは、不快な表情を見せることもなく、六騎の姿を目に入れ、少し驚いた顔を見せた。
「なんで、クソガキがここに居んだぁ?」
「クソガキじゃない!六騎だ!」
「危険だから、於の神クンたちと一緒に、店の中で留守番してるよう言ったんだけどねぇ」
怒鳴り返す六騎の声に被さるようにして、為介が言葉を放つ。
「どうにも聞いてくれなくってぇ」
「俺だって、五十音士なんだ!こんな大変な時に、留守番なんかしてられるか!」
困ったように肩を落とす為介に、六騎が力強く言い返す。
「もう、一人じゃ何も出来ないガキじゃないんだ。好きなようにさせてやれ」
六騎の肩を持つように、為介へと言い放ったのは、店の扉にもたれかかり、固く腕組みをした恵であった。
「けど、恵サァ~ン」
「お前は納得してんだろ?奈々瀬」
「え?」
急に問われ、七架が目を丸くする。だがすぐに七架は穏やかな笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「はい」
「こいつと奈々瀬が納得してんなら、それ以外の奴がとやかく言う必要はない」
「ハァ~イ」
恵の言葉に、仕方なさそうに頷く為介。六騎を五十音士にしたことで出来ていた、七架と恵の間のわだかまりも、無事になくなったようである。
「それよりアヒるん、篭也は一緒じゃなかったの…?」
「へぇ?」
囁に問われ、アヒルが間の抜けた声を発する。
「何だ?あいつ、まだ来てねぇの?」
「ええ…だからてっきり、アヒるんと一緒かと思ったんだけど…」
「いや、知らねぇぜぇ?」
首を傾げながら、周囲を確認するアヒル。確かにそこに、篭也の姿は見当たらなかった。
「戦いへの恐怖で、足でもすくんでるのかしら…?」
「あいつに限って、そりゃねぇだろ。腹痛とかじゃね?」
「誰が腹痛だ」
「うわ!」
すぐ後ろからする声に、アヒルが慌てて振り返る。するとそこには、アヒルたちの会話を聞いていたからか、しかめた表情を見せた篭也が立っていた。
「おっ前、いきなり現れんなよなぁ」
「気配に気付かない方が悪い」
驚きで跳ね上がった心臓を落ち着かせるように、そっと胸を撫でるアヒル。そんなアヒルに、篭也は冷たく言い放つ。
「今日は遅かったんだね、神月くん」
「どうせ遅刻するであろう神を迎えに行ったら、行き違いになって遅れただけだ」
「俺、今日はちゃんと起きたからな!」
七架の問いに、篭也が本当のことを交えながら、ウズラと話した内容は伏せて答えると、アヒルは早起き出来たことを自慢するように、大きな笑みを浮かべた。
「さぁ、じゃあこれで全員…」
「すみませぇ~ん!」
皆へと声をかけようとした為介の声を遮り、割って入って来る一つの声。
「遅れちゃいましたぁ!はぁ!こんな人類の進化も遅れてる俺が、時間にまで遅れてすみませぇ~ん!」
いつものように謝り散らしながら、駆け足でその場へと現れたのは、保であった。
『あ、居なかったんだ』
「はぁ!存在感、まるで無くってすみませぇ~ん!」
保が居なかったことに今、気付いたとばかりに声を揃える皆に、保がまたしても大声で謝り散らす。
「さぁ、まぁじゃあ、これで本当に、全員揃ったねぇ~」
「ああ」
集まった仲間たちの姿を見回しながら、アヒルが大きく頷く。
「けど、こっからどうすんだ?あいつ等のアジトの場所とか、わかって…」
―――バァァァァン!
『……!』
アヒルが為介たちに問いかけようとしたその時、地面を揺さぶるほどの大きな振動が辺りに走り、皆、一斉に目を見開いて、勢いよく顔を上げた。
「見て!あれ!」
七架の声に、皆が同時に振り向く。七架が指差した先、言ノ葉町の東側から、天まで届くほどの真っ赤な光が突き上げられていた。その光は強く、しっかりと形作られており、まるで巨大な一本の柱のようにも見える。
「あれだけじゃないわ…」
「え?」
囁の声に、アヒルが振り向く。
「あ…!」
他の光を探すように周囲を見渡したアヒルが、さらに驚きの表情となる。天へと突き上げられたのは、赤色の光だけではなく、町の別の方向には、同じように突き上げられた青、黄色、緑、白の光も確認出来た。
「光の柱が、五本…」
「これは…」
表情を曇らせる篭也の横で、恵も強く眉をひそめる。
「ついに、おっ始めやがったな…阿修羅」
言ノ葉町、東端。町を見渡せる小高い丘の上。
「…………」
天まで突き上げる赤い光に包まれた阿修羅は、同じように町中から上がった、異色の光の柱を見つめ、どこか満足げな笑みを浮かべていた。
「阿修羅様」
そこへ、どこからか突然、棗が姿を現す。
「錨、現、エカテリーナ、沖也の四名、予定通りに配置致しました」
「ああ、もう光が見えてる。計画通りだ。ありがとう、棗」
阿修羅のすぐ傍に膝をつき、深く頭を下げ、棗が報告を入れる。突き上げた光により、すでに四人の位置を確認していた阿修羅は、棗に礼の言葉を向けた。
「さて、早速始めるとしようか」
不敵に微笑んだ阿修羅が、空へと伸びる光に合わせるように、そっと右手を掲げる。
「まずは小手調べだ」
口元を歪ませた阿修羅が、ゆっくりと自らの言葉を口にする。
「“与えろ”」
阿修羅が言葉を放つと、突き上げられていた五本の光の柱が、上空の高いところで一つに集約し、丁度、五本の柱の中央付近に、まるで雷のように、勢いよく落ちていく。
「グアアアアアア!」
『な…!?』
上空で集約した光が、雷のように落ちたその場所から、翼の生えた、巨大な金色の獣が姿を現す。近くにある家々の背丈を遥かに超えるその巨体は、空から落ちた光を受け、まだ成長を続けている。巨大化する獣の姿を、嫌でも視界に入れることとなり、アヒルたちは皆、大きく目を見開いた。
「あれは…!」
「あん時、阿修羅たちが連れてた獣か…!?」
「ああ。姿形は微妙に異なっているが、同じ力から出来たものと見て、間違いない」
眉をひそめるアヒルの横で、篭也が冷静に言葉を落とす。篭也は実際、阿修羅と遭遇する前に、金色の獣と戦っている。アヒルたちの中では一番、あの獣についてを把握していた。
「けど、いくら何でもデカすぎじゃね?前はもっと、こう、普通のトラくらいの大きさだったぞ?」
「恐らく…」
言葉を途中で切り、篭也がゆっくりと上空を見上げる。空には先程と変わらず、五本の光の柱が突き上げており、獣の丁度真上付近に、集約するように留まっていた。
「恐らくは五母の力を使ったんだろう」
「五母?」
横から口を挟む恵の言葉に、アヒルが戸惑うように首を傾げる。
「突き上げられた光は恐らく、堕神共の“あいうえお”の文字、“五母”の力。それを一点に集め、あの巨獣に与えたんだ」
「与えたって、なんで、んなマネ…」
「クアアアアア…!」
『……っ』
アヒルが恵へと問いかけようとしたその時、何やら大きな声が聞こえ、アヒルたちが一斉に振り向く。先程よりもさらに巨大化し、言ノ葉高校の校舎をも超える大きさとなった金獣が、空を見上げた格好で、何やら大きく息を吸い込む動作を見せていた。
「マズイ…!」
その金獣の動きを見て、恵がすぐさま険しい表情となる。
「全員、伏せろ!」
『え…?』
恵の大きな指示に、皆が戸惑いの表情を見せた、その時。
「グガアアアアアア…!!」
金獣が耳を裂くような激しい咆哮をあげると共に、その口から、眩いばかりの、強い金色の光を放った。金色の光は空から弾けるように一気に辺りに広がり、あっという間に言ノ葉町全体を包み込んだ。
『ううぅ…!』
地面へと伏せたアヒルたちが、その眩しさに、固く瞳を閉じる。
「ん…」
閉じた瞼の向こうからも感じていた強い光が、やっとなくなった気配を感じ、アヒルがゆっくりと瞳を開いていく。すると、周囲にしゃがみ込んでいた仲間たちも同じように、その瞳を開いているところであった。
「何だったのかな?今の」
「さぁ…?」
自分の体を確認しながら、囁と七架が言葉を交わす。恵があまりにも必死に叫んだため、激しい衝撃波でも飛んでくるのかと覚悟していたが、周囲に特に破壊されたような痕跡はなく、自身の体にも異常は見られなかった。
「恵先生、今のは一体…」
「ク…!」
「あ、恵先生!?」
問いかけようとしたアヒルの言葉が届く前に、恵はその場を飛び出し、『いどばた』のすぐ前の道を横切って、土手の上から、下に見える川原を覗き込んだ。
『…………』
先程まで、穏やかに朝のラジオ体操を行っていたはずの団体が、何の言葉も交わさずに、まったくの無表情で、自主的に解散していっている。
「やっぱりそうか…」
「恵先生!」
表情を曇らせる恵のもとへ、アヒルたちが駆け寄って来る。
「どうしたんだよ?先生」
「言ノ葉町の町人、全員の自由ある言葉が奪われた」
『え…!?』
恵の言葉に、皆が衝撃を走らせる。
「自由ある言葉こそ、人の意志。言ノ葉町に住む全員が、たった今、すべての“意志”を奪われたんだ」
何の言葉もないままに帰っていく、ラジオ体操をしていた者たちの姿を見下ろしながら、恵が厳しい表情を作る。
「そんなっ…」
「先程のあの獣の咆哮が?」
「ああ」
「人々から自由ある言葉を奪っていたのは、阿修羅本人ではなく…あの獣さんだったのね…」
篭也と恵の会話を聞きながら、冷静に分析した囁が、ゆっくりと振り返り、並ぶ家々の向こう側から見える巨大な獣を見上げ、そっと目を細める。
「とにかく、町の皆の様子の確認を…!」
「そんな悠長なこと、してる暇はないだろうねぇ」
背後から近づいてくる声に、アヒルが素早く振り返る。
「扇子野郎」
「見てごらぁ~ん」
人差し指を突き立て、上空を指し示す為介につられ、皆が空を見上げる。
「まだ五母の力の集約は続いてるぅ」
為介の言葉の通り、突き上げられた五つの柱からの光の集約は、まだ続けられていた。金獣の頭上に集まる光が、徐々にその勢力を増しているようにも見える。
「さっきの、数秒集められただけの力でも、あの威力だぁ。このまま順調に集約した力が、あの獣さんに与えられて、一気に放たれれば…」
その言葉の先を読み、アヒルがごくりと息を呑む。
「この町なんてものじゃない。世界中から、一瞬にして、自由ある言葉が消えるよ」
『……っ』
鋭い瞳で言い放つ為介に、皆の表情は凍りつくように固まった。為介が決して、大袈裟に言っているわけではないことは、アヒルたちにも十分に理解出来ていた。
「世界から、自由ある言葉が、意志が…消える…」
「そう。まぁ、当初から予想してた事態ではあるけどねぇ」
どこか唖然とした表情で呟くアヒルに、為介が肩を落としながら言う。
「何もやってねぇうちから、時化た顔見せんな」
「へ?」
恵に声を掛けられ、俯いていたアヒルが顔を上げる。
「何とかするために、この三日間、必死に修行してきたんだろうが。お前は」
「先生…」
恵の言葉に、アヒルがそっと目を細める。
「ああ、そうだな!」
笑顔となったアヒルが、大きく頷く。アヒルが笑顔を見せると、篭也たち、アヒルの仲間からも、自然と笑みが零れ落ちた。
「で、俺たちはこっから、どうすりゃいいんだ?」
「お前たちはそれぞれ散って、堕神と戦って来い。幸い場所は、あの光の柱が教えてくれてる」
恵が、一番近くに突き上げている青色の柱の方を振り返りながら、アヒルたちへと指示を送る。
「堕神を倒せば、あの光の柱が消えて、集約している力もなくなるはずだ。そうなれば、獣に与えられる力は弱まって、さっきみたいなことはもう出来なくなる」
「それぞれ散って戦って来いって…」
その説明を受け、アヒルが少し不安げな表情を見せる。
「皆も、堕神と…?」
不安げな瞳で、すぐ傍に立つ仲間の方を振り返り見るアヒル。安団の皆が、阿修羅か、もしくは阿修羅程の力を持つ者と戦うこととなるのだ。アヒルでも倒せるかもわからないような敵と、保や七架を戦わせることが、アヒルにとっては不安であった。
「大丈夫だ、神」
アヒルの気持ちを察し、一番に口を開いたのは、篭也であった。
「僕らとて、この三日間、だらだらと過ごしていたわけではない」
「アヒるんの神附きとして胸を張れるくらいには、頑張ったつもりよ…?フフフ…」
「任せて下さい、アヒルさん!はぁ!俺が一丁前の口、きいちゃってすみませぇ~ん!」
「うん、私たちなら大丈夫!信じて、朝比奈くん!」
「みんな…」
堕神と相対するというのに、アヒルのように不安げな表情を見せることなど一切なく、大きな笑顔を見せて、次々と言葉を放つ仲間たちの姿を見つめ、アヒルがそっと目を細める。
「そうだな。お前らはなんせ、俺の神附きだもんな!」
「そういうことだ」
笑顔で頷くアヒルに、篭也が誇らしげに答える。
「じゃあ、とっとと散れ。二波目が撃たれる前に、動くんだ」
「先生たちは、どうすんだ?」
「私たちは雅やアホ木、ライアンと合流して、あの獣んとこに向かう」
「え?」
大きく覗く獣の方を指差し言い放つ恵に、アヒルが少し驚いた表情を見せる。
「あのデカブツと戦う気かよっ?」
「別に倒しにかかるわけじゃない。あんなにデカいの相手じゃ、束になってかかっても勝ち目ねぇからな」
「じゃあ、なんで…」
「食い止めとくんだよ。言葉を奪うだけならまだしも、あいつが下手に暴れて、町人に危害が及んだら困るだろ?」
問いかけるアヒルに、恵が眉をひそめながら答える。
「なんせ、相手は獣だからな」
「成程」
アヒルの横から、篭也が納得するように頷く。
「気ぃ、付けてな…」
少し不安げに言葉を投げかけるアヒルに、恵がそっと目を細める。
「デカ獣よりヤバい奴と戦いに行くんだ。人のこと心配してる場合じゃねぇだろ」
「ハハハ、それもそっか」
恵の言葉に、アヒルが苦笑しながら、軽く頭を掻く。
「朝比奈」
「へ?」
改めて名を呼ばれ、アヒルが戸惑うように首を傾げる。
―――また明日!恵先生!―――
その言葉を最期に、永遠に来なかった“明日”。
「……死ぬなよ」
真剣な表情を見せた恵が、アヒルへとまっすぐに言葉を投げかける。
「死ぬな」
「……っ」
その、どこか祈るような言葉に、何やらアヒルの知らない思いが込められているような気がして、アヒルはそっと目を細めた。
「ああ、死なない」
掛けられた恵の言葉を受け止めるように、笑顔を見せたアヒルが大きく頷いた。
「“絶対帰る”って、約束したんだ」
早朝のウズラとの会話を思い出し、アヒルは笑顔を零した。約束した言葉を噛み締め、胸に刻み込むように、左手で胸を押さえる。
「だから俺は、絶対勝って、戻って来る」
「……ああ」
はっきりと言い放つアヒルに、恵も笑みを浮かべ、満足するように頷いた。
「時間勝負だ。とっとと行け」
「おう!」
恵の指示に、アヒルは気合いを入れるように、右拳を左手へと打ちつけた。
「無理しないでね、六騎」
「お姉ちゃんも気をつけて」
七架と六騎が、少し名残惜しそうにしながら、別れの挨拶を済ませる。
「行くぞ!」
『仰せのままに、我が神』
アヒルの言葉に、篭也たち四人が声を揃えて頷くと、安団の五人はその場を駆け出していき、それぞれ、光の柱の突き上げる場所へと散っていった。遠ざかっていくアヒルの背を見つめ、恵が何やら考え込むような表情を見せる。
「あいつを守ってやってくれ。カモメ…」
恵が小さな声で、願うように、その名を落とす。
「恵サン、ボクらもそろそろ」
「ああ、行こう」
声を掛けた為介に、恵は大きく頷いた。




