Word.53 いガいナ救援 〈4〉
それから、一日半の時が流れた。
「よし、そこまでだ」
「へ?」
恵の掛け声に、守、ライアンと交戦を続けていたアヒルが、戸惑いつつも、その動きを止める。
「ぶっはぁ~、疲れたぁ」
「モウ、一歩モ動ケナイデス」
戦いを止められたと同時に、その場で深々と座り込む守とライアン。戦い続けて来たからこそ、気力が続いたが、一度動きを止めると、一気に全身に疲れが出た。食事や、夜、眠ることもほぼせずに戦い続け、体もすっかりボロボロなので、無理はない。
「んだよ?もう終わりか?」
「化け物か、お前はっ」
どこか物足りなそうに恵に訴えかけるアヒルを見て、守が思わず口を尖らせる。アヒルも同じようにボロボロではあるが、息は乱れておらず、守たちほど疲れている様子もなかった。
「まだ時間あんだろ?恵先生」
「いや、ない」
問いかけるアヒルに、恵が腕時計を確認しながら、はっきりと答える。
「へ?けど、期限は三日だろ?後半日くらい、残ってるはずじゃあ…」
「お前は今から、神月たちの所へ移動しろ。トンビ」
「篭也たちんとこ?」
恵の言葉に、アヒルが大きく首を傾げる。
「なんで?つーか、そもそもあいつ等が、どこに居んのか、俺知らねぇし」
「場所は私が知ってる」
少しまくっていた袖をもとに戻し、腕時計をその下に隠した恵が、ズボンのポケットから言玉を取り出して、移動の準備を始める。
「お前たちは、ここで適当に休んでろ」
『ハァ~イ』
守とライアンは、疲れているからか、抵抗はまったく見せず、恵の指示に大人しく頷く。
「お前は一緒に来い。久々に姉貴にも会いたいだろう」
「うん!」
為介からの伝言を届け、そのままこの場に残っていた六騎が、恵の言葉に、嬉しそうな笑みを零す。姉に会えることが嬉しいのだろう。
「なぁ、なんで篭也たちんとこ、行くんだ?」
改めて、恵へ、理由を問いかけるアヒル。
「合流なんて、すぐ出来るし、ギリギリまで修行してた方が良くねぇか?」
「お前があいつに勝つために必要なのは、力だけか?」
「へ?」
急な恵の問いかけに、アヒルが困惑し、眉をひそめる。
「取りに行くぞ。もう一つの、必要なものを」
「もう一つ…?」
恵の言葉の意味が理解出来ず、アヒルはただ戸惑うように、首を傾げた。
アヒルが恵に連れられ、やって来たのは、言ノ葉町の北はずれにある、純和風の大きな木造の一軒家であった。家自体は於崎家ほどの広さはないが、学校のグランドよりも広い、大きな庭がある。家を訪れたアヒルたちは、使用人に案内され、花畑が広がっているわけでもない、一面の草原の続くその広い庭へと、通された。
「神」
「篭也!皆も」
庭へとやって来たアヒルを出迎えたのは、篭也たち、安附の面々であった。
「元気そうで何よりよ、アヒるん…フフフ…」
「ええ!って、こんな重症の馬鹿の俺が、アヒルさんの心配とかしちゃって、すみませぇ~ん!」
「お前らも元気そうで、良かったよ…」
不気味に微笑む囁と、謝り散らす保を見て、アヒルが少し呆れるように肩を落とす。
「お姉ちゃん!」
「六騎!」
アヒルと共にやって来た六騎は、篭也たちと共にアヒルを出迎えた七架へと駆け寄り、嬉しそうな笑顔を見せた。七架も六騎の頭を撫で、優しく笑みを零す。
「お前等、何だってこんな所に居るんだぁ?つーか、ここ、誰ん家?」
「ああ、それは…」
「お客様…?」
『……っ』
篭也がアヒルの問いに答えようとしたその時、庭の奥から、凛と響く声が聞こえて来て、アヒルと篭也が同時に振り向いた。皆も二人に合わせるように、一斉に振り向く。
「あ…」
アヒルたちが振り向いた先には、車椅子に腰かけた、一人の美しい女性の姿があった。二十代前半くらいであろうか。茶色く長い髪をまっすぐに伸ばしており、どこか知的な空気を纏っている。その美しく整った顔立ちが、アヒルには、どこか見覚えがあった。
「えっと…」
「あなたが、朝比奈アヒルさん…?」
「え…?」
戸惑っていたアヒルが、名を呼ばれ、余計に戸惑った表情となる。
「なんで、俺のこと…」
「やっぱり」
アヒルが言葉を発すると、女性はどこか嬉しそうに、キレイな笑みを零した。
「よく似ているわ。カモメと」
「……っ」
女性が口にしたその名に、アヒルが思わず目を見開く。
「兄、を…?」
「ええ、とてもよく」
満面の笑みで頷く女性に、アヒルがさらに戸惑った顔となる。顔立ちに見覚えはあるが、直接会ったことがあるようには思えない。カモメの友人に、こんなに綺麗な女性がいれば、父やスズメたちが話題にあげそうなものである。
「えっと、その…」
「カモメと一緒で、いかにも国語が苦手そうな顔してる」
「え!?んなもん、顔に出てんの!?」
女性の言葉を真に受け、アヒルが焦ったように、両手で自分の頬へと触れる。
「ええ。辞書を読むと、一行で眠くなる顔だわ」
「すっげぇ。よくわかんなぁ」
「はぁ…」
微笑む女性に、感心の瞳を向けるアヒルに、どこか呆れるように、篭也が深々と息をつく。
「神。こちらは、相良櫻さん」
感心するアヒルと女性の間に割って入り、篭也が女性を紹介する。
「彼女の希望あって、恵先生に頼み、あなたをここへ連れてきてもらった」
「この人の、希望で?」
篭也の言葉に、目を丸くするアヒル。
「カー兄の知り合いで、俺に用って、あんた一体…」
「彼女は、囁の前の左守、先代左守だった人だ」
「え…!?」
篭也の説明に、アヒルが衝撃を走らせる。
「先代、左守…?」
「ええ」
聞き返しながら、再び視線を櫻へと向けたアヒルに、櫻は微笑みながら、大きく頷いた。
「カモメとは、共に安附として戦った仲間だったわ」
「安附…」
その言葉に、アヒルが眉をひそめる。
―――カモメは俺の神附きであり、俺はカモメの神だった―――
思い出される、阿修羅の言葉。
「ってことは…」
「ええ」
アヒルが言おうとしていることがわかっているかのように、アヒルが言葉を言い終えないうちに、櫻は大きく頷いた。
「阿修羅は、私の神だった」
「……っ」
櫻から伝えられる言葉に、アヒルが表情を曇らせる。まだ、どこか信じられずにいた、阿修羅とカモメの関係が、もう疑う余地もない真実であることを思い知る。
「懐かしい話よ。安附として、カモメと私と私の妹と三人…」
「三人?」
「当時の太守は空席だったんだ。阿修羅が安の神に就いたのは、高市の父親が亡くなった後だからな」
「あ、そっか」
解説するように口を挟む恵に、アヒルが、すぐ傍にいる保を気遣うように、遠慮がちに頷く。
「我が神と共に、私たちは忌と戦い、人々の言葉を守っていた…」
車椅子から空を見上げた櫻が、懐かしむように目を細める。
「とても楽しかったわ。皆、とても仲が良くて、皆、とても言葉を大切にしていて…」
かつての楽しさを思い返してか、櫻の口元からは、自然と笑みが零れる。
「けど…」
だが、空を見上げる櫻の表情は、すぐさま曇った。
―――アキラァァァ…!!―――
「……っ」
今も耳に残る悲痛な叫び声に、櫻がそっと目を伏せる。
「壊れてしまった。私たちの安団は…」
ゆっくりと目を開き、遠くを見つめる瞳を見せながら、悲しそうに呟く櫻を見つめ、アヒルが眉をひそめる。
「戦うんでしょう…?」
櫻が空を見上げていた顔を下ろし、再びアヒルを見る。
「阿修羅と」
「……ああ」
その問いかけに、アヒルは迷うことなく答えた。
「俺は、カー兄の仇を討つ」
はっきりと言い放つアヒルを見つめ、櫻は表情を曇らせた。
「俺を止めるのか?」
「いいえ、止めはしないわ」
アヒルが問いかけると、櫻はすぐさま、首を横に振る。
「じゃあ、なんで俺を、ここへ?」
「ただ、知っておいてほしいと思ったの」
俯いたまま、櫻がそっと笑みを零す。
「あなたに、今の安団であるあなたたちに…」
アヒルと、横に並ぶ篭也たち安附を見回す櫻に、五人がそれぞれに、真剣な表情を見せる。
「私たち、かつての安団と」
櫻が再び空を見上げ、遠く、空の向こうまで見据えるような瞳となる。
「私たちの神であった、安積晶という人について…」
――――あの頃、私には、この世界のすべてが、輝いて見えた。
「“詰れ”!」
<ギャアアアア!>
言葉を放って、襲いかかって来た黒い影の塊を掻き消す。激しい叫び声と共に、その影は薄れ、あっという間に見えなくなってしまった。
「ふぅっ」
無事に影を消し去ることが出来て、私は安心するように、大きく肩を落とした。
「そろそろ、忌退治も慣れてきたかしら?」
「お姉ちゃん!」
そこへ姿を見せた、よく見知った姉の姿に、私は思わず笑みを零す。
「全然慣れて来ないよぉ。いつまで経っても、忌は怖いし」
「そう?結構、五十音士が板についてきたと思うわよ?」
「そうだといいけど」
微笑む姉に、困ったように頭を掻きながらも、どこか照れくさく、笑みを浮かべる。姉の言葉に、実力を認められたようで、喜びを感じていた。
「神様たちは?」
「あっち」
「あっち?」
姉の指差した方向を、ゆっくりと振り向く。
「だっから、いつも言ってるだろ?晶は神なんだから、戦いは俺たちに任せて、下がってればいいんだって」
「お前たちの神だからこそ、一番先頭に立って戦うのが当然だろう?」
「だっから、それは違うって」
「何が違うんだ?」
私たちの振り向いた先には、互いの主張をぶつけ合い、一歩も譲ることなく睨み合いをきかせている二人の姿。それは、私たちのもう一人の仲間と、他ならない、私たちの神様だった。
「目立ちたがり神」
「頑固附き人」
「しゃしゃり出神」
「小うるさ附き人」
「ハイハイ、晶にカモメも。忌も倒したんだし、早く帰って、お茶でも飲みましょう」
『はい!賛成!』
小学生レベルの言い合いをしていた二人へ、姉が声をかけると、二人はすぐに大きな笑顔を作って、まるで子供のように、思いきり手をあげ、大きな返事をする。その姿がとても無邪気で、面白くて、私は思わず笑い声を吹き出してしまった。
「ウフフっ」
「あ、ほらぁ。晶が変な意地張るから、なっちゃんに笑われただろぉ」
「それは、こっちの台詞だ。バカモメ」
二人がまた、言い合いを始める。けれど、今度はどちらも軽く笑みを零したままで、本気でぶつかっている雰囲気ではなかった。
「帰るぞぉ」
『はい、我が神!』
楽しかった。楽しかった。楽しい日々が、永遠に続くと思っていた……――――
「んっ…」
大きな茶色の瞳が、虚ろに輝きながら、ゆっくりと開いていく。
「起きたか?」
目覚めたばかりの意識の中へ、届く声。
「棗」
「神…」
大きな瞳を開いた棗が、少し気だるそうにしながら、上半身を起き上がらせる。そこは、棗の自室の、寝台の上であった。寝台の横にある椅子の上には、阿修羅が腰を掛けている。
「申し訳ありません。私、眠ってしまって…」
「構わないさ。最近、色々と頼みごとばかりしていたから、疲れが溜まっていたんだろう」
少し顔を俯ける棗に対し、阿修羅は穏やかな笑みを浮かべ、棗の肩に流れ落ちる髪に、そっと指を絡ませた。
「何か、夢でも見ていたのか?」
「え…?」
阿修羅の問いかけに、棗が戸惑うように、顔を上げる。
「悲しい顔をしていた」
「……っ」
微笑む阿修羅を見つめ、棗がそっと目を細める。
「いえ、何も…」
「そうか」
明らかに何か思うところのある表情を見せながら、ゆっくりと俯き答える棗に、阿修羅は特に追求をすることもなく、素直に頷き、腰かけていた椅子から立ち上がる。
「そろそろ三日だ。現のところへ行く」
立ち上がった阿修羅が、穏やかな笑みを、鋭いものへと変える。
「附いて来い、棗」
「はい」
部屋の出口へと去っていく背中に、すぐさま返事をする棗。
「我が神」
あの日と変わらぬその言葉が、部屋に静かに落ちた。




