Word.52 堕神、強襲 〈1〉
“末守”、安二木守の力を借り、ついに言玉を復活させることの出来たアヒルの前へと現れた恵は、三日でアヒルを阿修羅よりも強くすると、そう告げたのであった。
「三日で、俺を?」
「ああ」
眉をひそめ、聞き返したアヒルに、恵がはっきりと頷く。
「たったの三日で強くなれるなんて、凄いですねぇ!アヒルさん!」
「そこまで言い切るということは、何か、レベルアップの当てがあるのか?」
感動した様子で、目をきらきらと輝かせる保の横から、篭也が怪訝そうに問いかける。
「別に、んなもんない」
「何?」
あっさりと答える恵に、表情をしかめる篭也。
「ただ、お前たちに与えられた猶予が、三日くらいだろうってだけの話だ」
「ということは…」
「ああ。奴等が動き出すまでの時間、それも一番長く見積もった時間が三日だ」
表情を曇らせた囁の、その不安を言葉にするように、恵が答えた。強調される期間に、皆の表情が険しく変わる。
「その間に出来る限り、お前を強くする。阿修羅を越えられるかどうかは、お前次第だ。トンビ」
「……っ」
恵の言葉に、アヒルが鋭い瞳を見せる。アヒルの表情を見ると、知らされた短い期間に、気圧されている様子はない。
「けど、何故ライアンさんを?」
「お前たちも一度、戦ったから知っているだろうが、こいつは、助動詞“らりるれろ”を操って、相手の言葉を弾き返すことが出来る」
七架の疑問に、素早く答える恵。
「同じ文字を持つ敵と戦うトンビにとっては、打ってつけの修行相手だ」
「成程ね…」
恵の答えを聞き、囁が納得するように頷く。
「ってか、さっきから疑問なんだけどぉ、あの人は誰だ?」
周囲の真剣な空気を少し壊して、守が素朴な疑問をアヒルへとぶつける。恵と初対面の守が、この状況で戸惑うのは当然といえば、当然であろう。
「えっと、この人はその、俺たちの担任でぇ」
「五十音士なんだろ?」
「あ、ああ」
守の問いかけに、言葉を詰まらせるアヒル。
「その、えっと、いわゆる一つの、“女守”っていうか」
「ウダウダしてないで、はっきり言ってやればいい」
煮え切らない言葉ばかりを繋げていたアヒルの声を遮ったのは、他ならぬ恵であった。
「私は、恵の神。お前のよく知る、旧世代の神の一人だ」
「えっ…?」
はっきりと言い放つ恵に、顔色を変える守。いくら、アヒルの説得に応じ、言玉復活の協力をしたとはいえ、あれほどまでに恨んでいた旧世代の神を目の前にしては、守も平静ではいられないであろう。
「あちゃー」
名乗ってしまった恵に、アヒルが思わず頭を抱える。
「旧世代の、神…」
「ああ」
険しい表情を見せる守に、恵がもう一度、頷きかける。
「恨むなり、憎むなり、好きにしろ。だが、私は謝らない」
「お、おい!」
強気に言い切る恵に、アヒルが思わず焦ったように声を掛ける。
「恵先生!んな言い方…!」
「私は、間違ったことをしたとは思っていない。だから、謝らない」
注意するように言葉を掛けようとしたアヒルであったが、はっきりと言い放つ恵の姿に、その先の言葉を呑み込む。まっすぐな瞳で守を見つめる恵には、確かに後悔している様子など、微塵も感じられなかった。
「ケ!もう、朝比奈の言玉も直しちまったんだ。今更、許さないだの、協力しないだの、言う気はねぇよっ」
「安二木」
吐き捨てるように言う守に、アヒルが少し驚いたように、目を見開く。
「関わったからには、最後まで付き合わせてもらう。その修行とやらに、俺も参加させろ」
「……いいだろう」
守の申し出に、恵が笑みを浮かべる。
「安二木…」
「文句は言わせねぇぜ?朝比奈。これが、俺のやり方だ」
何か言いたげに見つめるアヒルに、守は言わなくてもわかっているとばかり、どこか少し格好をつけて言い放つ。
「いや、文句っつーか、お前で俺の相手が務まるかなぁって」
「うるっしゃいわぁ!」
不安げに呟くアヒルに、守は勢いよく怒鳴りあげた。
「時間勝負だ。とっとと移動して、修行を始めよう」
「イエス!ティーチャー!」
「あの、恵先生」
「ん?」
ライアンへと指示を送っていた恵に、七架が横から声を掛ける。
「私たちは、どうしたら…」
「とりあえず、トンビは預かる。その間、お前等は好きにしてろ」
「好きにしてろって言われてもねぇ…」
適当な恵の言葉に、囁が眉をひそめる。
「神と共に在ることが、私たち、神附きの役目なんですけれど…?」
「神はしっかりと守っといてやるから、お前たちは附いてくるな。無駄に人数が多いと、修行の邪魔だ」
その言葉に、反論気味な発言をしていた囁も、そっと俯く。恵や守、ライアンが附いていれば、アヒルの安全は保証されているし、修行に附いていってもアヒルの邪魔になるということは、皆、十分に理解していた。
「わかった」
俯いた囁の代わりに、篭也が答える。
「我が神を頼む」
「ああ」
篭也の言葉に、恵は力のある笑みを浮かべた。
「さてと、じゃあ行くかな」
そう言うと、恵が服のポケットから緑色の言玉を取り出し、右手で軽く握り締める。すると言玉は淡い光を放ち始め、恵はそのまま、言玉を右足へと吸収させた。言玉を吸収した右足が、言玉と同じように、淡い緑色の光を帯びる。
「お前等、しっかり歯ぁ、食いしばっとけよ」
『へ?』
恵の指示に、アヒルたちが目を丸くする。
「神月」
戸惑っているアヒルたちから視線を移し、恵が篭也の方を振り返り見る。恵に名を呼ばれた篭也は、恵を見つめ、その先の言葉を待つように、少し首を傾げた。
「例えお前等が、“神附き”として、どんなに強い力を持っていようとも、今回の相手は“神”だ」
恵が鋭い瞳で、篭也を突き刺すように見る。
「今のままじゃ、足を引っ張るだけだぞ」
「……っ」
放たれたその言葉に、篭也が眉をひそめる。
「じゃあ、行くか」
再び篭也へと背を向けた恵が、右手でアヒルの手を、左手で守のリーゼントの先を、がっしりと掴む。
「“巡れ”!」
『どぎゃああああ!』
「マ、待ッテ下サァ~イ!置イテカナイデ下サァ~イ!」
言葉の力を使い、目にも留らぬ速さで、言玉を吸収した右足を繰り出し、その場から飛び去っていく恵。そんな恵に引っ張られ、叫び声をあげながら、無理やり移動させられていくアヒルと守。出遅れたライアンも、何とか守の学ランの先を掴んで、皆と共に移動していく。言玉の力を使っているからか、四人の姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
「行っちゃった…」
「どういう意味でしょうか?今のままでは、足を引っ張るだけだというのは」
皆の姿が見えなくなってすぐ、保が不思議そうに首を傾げる。
「はぁ!もう人生そのものが“足引っ張り”の俺が、初めて聞いたくらいの感じで問いかけちゃってすみませぇ~ん!」
「言葉の通りじゃない…?」
謝り散らす保を半分ほど無視し、囁が落ち着き払った声を向ける。
「神の授かる文字、第一音から第五音は特別な音…私たちの持つ他音よりも、遥かに強い力を秘めている…」
言葉を続けながら、囁がそっと眉をひそめる。
「いくら神附きとして強くなっていても…神とじゃ、基本的な力のレベル、そのものが違うのよ…」
「そうなんですかぁ。やっぱり神って凄いんですねぇ」
囁の説明に、感心するように頷く保。
「今回の相手は神…確かに、今までのようにはいかないかも知れないわね…」
「けど、私たちはもう“変格”も習得してしまったし、これ以上、どうやって力を上げれば…」
「目指すしかないだろうな」
困惑の表情を見せていた七架の言葉を遮ったのは、篭也であった。
「“変格”の、その上を」
「え?変格の上?」
篭也の言葉に、驚いた様子で目を丸くする七架。囁もその言葉に、表情を曇らせる。
「在り得るの…?そんなものが…」
「わからない。だが一つ、当てがある」
囁の問いに答えた篭也は、鋭い瞳を見せていた。
一方、その頃。堕ちし神々の根城。
「礼獣の調子はどうだ?現」
堕ちし神々の主格、阿修羅は、棗と共に、仲間の一人、現の部屋を訪れていた。部屋というよりは、大きな広間にも見える現の部屋の中央には、謎の巨大な繭が存在していた。天井や床へ、繭から伸びた糸を張り巡らせている。繭は中からほんのりと、金色の光を放っている。
「見ての通り、順調じゃよ」
繭から阿修羅の方を振り返った現が、何やら楽しげな笑みを浮かべる。
「三日もすれば、新たな礼獣が、この世に誕生する」
「三日か」
現の告げた期間を繰り返し、そっと繭へと視線を移す阿修羅。
「人間から、礼ある言葉以外の、すべての言葉を奪う、この礼獣…」
繭を見つめる阿修羅が、少し目を細める。
「この世に、正しい言葉の秩序をもたらすためには、この礼獣が必要不可欠だ」
阿修羅が少し口調を強くして、再び現の方を見る。
「引き続き、宜しく頼むよ。現」
「お前に言われんでも、それくらい、わかっておるわい」
悪態づく現を見て、阿修羅は不快な顔など一切見せずに、余裕すら感じられる笑みを浮かべる。
「では行こうか。棗」
「はい、神」
そう言うと、阿修羅は棗を連れ、現の部屋を後にした。
「フン、若造が偉そうに」
阿修羅が部屋を出て行った途端、現が顔をしかめ、吐き捨てるように言葉を落とす。
「礼獣を創ることを提案したのは、阿修羅。偉そうにされても、仕方ないでございます」
そんな現へと声を掛けたのは、部屋の隅の方に立っている、洋風の女性、エカテリーナであった。その横には同じ堕神である錨、沖也の姿もある。
「阿修羅の呼びかけで、俺たちはこうして、ここに集まっているわけだしね…どうでもいいけど…」
「偉そうにされても、誰も文句言えねぇーよなぁ。イヒヒっ」
「そんなこと、わかっておるわい!」
口々に言う錨たちに、少し怒るように言い返し、現が再び繭を見つめる。
「あの男は気に喰わんが、いいんじゃ。わしは」
現が繭へと手を触れ、何とも嬉しそうな笑みを零す。
「何かを“生み出せれば”、それでよい…」
まるでその繭に恋焦がれるように、うっとりした表情で、現が繭をまじまじと見上げる。
「あなたは本当に、“生み出す”ことが好きでございますね」
「当然だろう」
少し呆れるように言い放ったエカテリーナに、現は間を置くことなく、すぐさま答え、楽しげに歪めたその表情を、エカテリーナたちの方へと向けた。
「“生み出す”ことこそ、我ら神のみに与えられし、神の特権…そして、わしは、その素晴らしき言葉を持っておる…」
酔いしれるように言葉を放ち、現が再び繭を見上げる。
「“生み出す”ことだけが、この命の肥やし…ヒャハハハ」
楽しげに笑い声をあげる現のその姿は、薄気味の悪いものにしか映らず、見つめる三人は、仲間とはいえ、思わずその表情を曇らせた。
「はぁ…イカれてる…」
「まったくでございます」
深々と肩を落とし、沖也とエカテリーナが呆れきった表情を見せる。
「ん?どこへ行くでございます?」
現の方を見ていたエカテリーナが、部屋の出口へと歩を進めていく錨に気付き、声を掛ける。エカテリーナに呼び止められると、錨はゆっくりと振り返った。
「散歩に行ってくんだよ」
「阿修羅からは、待機命令が出ているでございますよ?」
「三日もじっとしてられるほど、器用じゃねぇんだ」
少し眉をひそめ、問いかけるエカテリーナに対し、錨は不敵な笑みを浮かべる。
「あいつにも肥やしがあるように、俺にも俺の肥やしがあるんでな」
現へと視線を移し、さらにその口元を歪める錨。
「まぁ、阿修羅には適当、言っといてくれよ」
エカテリーナたちに軽く手をあげると、錨は再び歩を進め、呼び止める間もなく、現の部屋を後にした。
「やれやれでございますね…」
困ったように言葉を落とすエカテリーナの横で、沖也がそっと目を細める。
「はぁ…どうでもいい…」
沖也の憂鬱な声が、部屋に響いた。




