Word.51 旧世代ノ神々 〈4〉
言ノ葉町の静かな住宅街を抜けたその先に、言ノ葉山と呼ばれる、小さな山があった。地元の人間の間では有名な山で、遠足やピクニックで一度は訪れたことのある場所である。そんな、町人たちがよく行くハイキングコースとは別の道を行くと、木々に囲まれただけの、何もない静かな場所へと辿り着いた。景色の見渡せる場所もなく、木々に囲まれた広場の中央には、大の大人が三人ほど寝ころべそうなほど、大きな岩があった。
「何だって、んな場所に来たんだよ?」
「ここが言ノ葉町で一番、言葉の力の集まりやすい場所だからだ」
「言葉の力の集まりやすい場所?」
「ああ」
言玉の破片を大切そうに両手で抱えたアヒルが、案内として先を行く守の言葉に、不思議そうな顔を見せる。
「言ノ葉町は昔から、言葉の力が集約しやすい土地とされてるんだ。だから、多くの五十音士が、この町に身を置いている」
「へぇ」
周囲を見回しながら、アヒルが感心したような声を漏らす。
「…………」
風で木が揺れる音しか聞こえないその場を、アヒルがゆっくりと見つめる。静かに佇む木の一本一本から、包みこまれるような、何やら不思議な力を感じた。確かにここは、特別な場所であるらしい。
「だから、この場所が一番、砕かれたアヒるんの言玉をもとに戻しやすいというわけね…」
「そうなんだよぉ!真田さぁ~ん!」
アヒルの後ろを歩く囁の言葉に、勢いよく振り返った守が、締まりのない笑みを浮かべ、体をくねくねと捻らせる。
「というか、あなたごときが本当に、神の言玉を直せるのか?」
「うん。ちょっと疑わしいっていうか…」
「正直、そんなこと出来るようには、見えないですよねぇ~」
囁と同じようにアヒルの後をついてきている篭也、七架、保の三人が、口々に言葉を放つ。
「はぁ!見るからにダメ人間の俺が、人を外見で判断しちゃってすみませぇ~ん!」
「ええぇーい、うるしゃい!直すの、やめたろか!」
頭を抱えて謝り散らす保に、守が勢いよく怒鳴りあげる。
「神が神なら、神附きも神附きだなぁ!本当、失礼な奴等だ!」
「まぁまぁ…ろくな人間に見えないのは事実なんだし、ここは諦めて、落ち着きましょう…」
「はい、真田さん!」
「今、一番失礼なこと言われたぞ?お前…」
囁の宥めなのか、ただの悪口なのか、よくわからない言葉に、満面の笑顔で頷く守を見て、アヒルが思わず呆れきった表情となる。
「しゃあねぇ。んじゃ、とっとと始めるか」
守が広場の中央にある大きな岩の前で足を止め、態勢を整えるように、ぐるぐると肩を回す。止まった守に合わせ、アヒルたちも岩の前へと並んだ。
「言玉の欠片持って、その岩の上に上がれ。朝比奈」
「へ?お、おう」
守からの指示に戸惑いながらも頷いて、一度、言玉の欠片たちを囁へと預け、両手をついて、その大きな岩の上へとよじ登るアヒル。岩へと座ると、見下ろす形となった囁から、再び言玉の欠片を受け取る。
「これでいいのか?」
「ああ」
少し不安げに問いかけるアヒルに、守が短く頷く。
「てめぇはそのまま、そこでじっとしてろ」
アヒルにそう指示を送って、守が今度は岩へと背を向け、後方に並んでいる篭也たちの方を振り向く。
「てめぇ等も協力してくれるか?」
「我が神の為だ。当然だろう」
「そうか」
迷いなく答える篭也に、少し口元を緩める守。
「じゃあ、岩の四方にそれぞれ立って、言玉を解放してくれ」
「言玉を?」
「ああ。俺たち全員の言葉の力を集約させて、朝比奈の言玉を修復する」
「わかった」
守の言葉に、四人を代表するように篭也が頷くと、四人はそれぞれ、アヒルの座る岩の前後左右に散っていき、制服のポケットから、同じ真っ赤な言玉を取り出した。
「第六音、“か”」
「第十一音、“さ”…」
「第十六音、“た”!」
「第二十一音、“な”」
言玉を構えた四人が、それぞれの文字を口にする。
『解放…!』
四人の声が揃い、高らかと響き渡ると、四人の言玉から、強い赤色の光が一気に放出された。
「眩し!」
周囲四方から目の中に飛び込んで来る強い光に、アヒルが思わず声を漏らし、目を細める。四人の言玉から発せられる光は、いつも以上に強かった。
「ここがいくら、力の集約しやすい場所とはいえ…これほどとはな」
言玉から姿を変えたそれぞれの武器を構え、勇ましい表情を見せている四人を見回し、守がどこか感心したような声を漏らす。
「そのまま力の集中を続けてくれ」
守の言葉に従うように、皆、解放されたばかりの武器を掲げ、力を高めるため集中し、深くその瞳を閉じる。その集中により、四人の武器から放たれる光はさらに大きくなり、周囲の木の身長すらも追い越して、高々と空に舞い上がる。青い空に、真っ赤な光がよく映えた。
「よし」
空へと突き上げる四つの光を見上げ、守が一つ頷いて、学ランのポケットからこちらも同じ、真っ赤な言玉を取り出す。
「五十音、第三十一音…」
守の握った言玉が、淡い光を放ち始める。
「“ま”、解放…!」
さらにもう一つ、強い赤色の光が放たれると、守の手の中で、言玉が二つの円月輪へと姿を変える。守は素早く手を動かし、両手に一個ずつ、その円月輪を構えた。
「ま…」
守がゆっくりと、口を開く。
「“交われ”…!」
自らの言葉を放って、守が空へ向け高々と、構えた円月輪を投げ放った。空へと放たれた円月輪は、突き上げられた四人の光を、まるで導くように動き、岩の四方から上がった光が、それぞれ前後と左右を直線で結ばれ、岩の上に座るアヒルの丁度真上で交わる。
「すげぇ…」
頭上で交わり、さらに強まった光を、茫然とした表情で見上げるアヒル。
「言玉の欠片を、上に掲げろ。朝比奈」
「あ、おう」
空を見上げていたアヒルが、守の声に顔を下ろし、その指示に大きく頷く。アヒルは両手で欠片を抱えたまま、そのたった一欠片も落とさないよう丁寧に、両手を空へと突き上げた。アヒルが手をあげたことを確認すると、守が手元に戻って来た円月輪を再び構える。
「“祀れ”!」
「あ…!」
守が次の言葉を放つと、アヒルの両手の上に乗っていた言玉の欠片たちが、自然と宙に浮き上がり、四人の力の交差している地点まで、浮上していく。勝手に浮き上がっていく欠片に驚き、アヒルは大きく目を見開いた。
「お、おい!」
「俺に任せろと言ったはずだ!」
「……っ」
再び顔を下ろし、焦った様子で守へと声を掛けたアヒルであったが、上空を見つめたまま、真剣な表情で言い放つ守に、思わず息を呑む。今は守を信じ、見守るしかないと決め、アヒルはその表情に落ち着きを取り戻すと、ゆっくりと空に上がった言玉の欠片を見上げた。
「これで、最後だ」
そう言った守が、強い光に包みこまれた円月輪を、再び空へと投げ放つ。
「“纏え”…!!」
放たれた円月輪が、上昇した欠片のもとへと達したその瞬間、辺りに存在していたすべての光がそこへと集約され、一層の強い光を放ち始める。
「ク…!」
直視すれば、目が潰れてしまうのではないかと思えるほどの強い光に、思わず身を屈め、目を細める守。
「…………」
だがアヒルは、その光に目を眩ませる様子は一切なく、大きく見開いた瞳のままで、集約するその光を、見つめ続けていた。
「居る…」
「あ?」
俯いていた守が、岩の上から聞こえてくるアヒルの声に、目に光が入らない程度に、顔を上げる。
「呼んでる…俺を…」
「……っ」
まっすぐに上空を見つめるアヒルの姿に、守はそっと目を細めた。
「ああ」
頷いた守が、穏やかな笑みを浮かべる。
「応えてやれ、朝比奈!」
守の言葉を受け、岩の上で素早く立ち上がるアヒル。立ち上がったアヒルが、光の集まる空へ向け、強く右手を突き上げた。
「五十音、第一音」
アヒルの声が、高らかと響き渡る。
「“あ”、解放!」
―――パァァァン!
「クっ…」
アヒルの言葉が放たれたその瞬間、空に集約していた光が、まるで爆発するように、大きな音を立てて一気に弾け飛んだ。光の弾けた勢いで、周囲には強い風が吹き荒れる。その風に、思わず身を伏せる守。だがやがて風は止み、守はゆっくりとその顔を上げた。
「あ…」
顔を上げた守が、目の前に広がる光景に、大きく目を見開く。
「…………」
岩の上に堂々と立つ、勇ましい表情のアヒル。その突き上げられた右手にはしっかりと、真っ赤な銃が握られていた。そして、四方を囲んでいた四人の神附きは、中央に立った神を敬うように、片膝をつき、深々と頭を下げていた。
「すっげぇ…」
その光景を見つめ、守が思わず、圧倒されるような声を漏らす。
「んな神々しい光景見せられたら…さすがの俺も信じそうになるなっ…」
柔らかな笑みを浮かべた守が、誰にも届かぬように、小さな声を落とした。
「よっしゃあ!大復活!」
久々に味わう銃の感触を確かめながら、アヒルが満面の笑みを零す。
「サンキューなぁ!安二木!」
「ぐほおおう!」
勢いよく岩の上から飛び降りたアヒルが、下に立っていた守を、容赦なく踏み倒す。地面へと体を叩きつけられた守は、潰れたような低い声を漏らした。
「てめぇ、朝比奈!やっぱ許さねぇ!」
アヒルが横へと退くと、怒りの形相を見せた守が、すぐさま体を起き上がらせる。
「今日という今日は!コテンパンのパンクロッカーにしてやるぅ!」
「ハハハハ!」
怒鳴りあげる守に対し、一切の危機感も持たずに、楽しげな表情で笑いあげるアヒル。自分の手の中に力が戻って来たことが、余程嬉しかったのであろう。アヒルのそんな笑顔を見るのは、阿修羅が現れて以降、久々のことであった。
「やれやれ、ね…」
「まったくだ」
「でも、良かった。朝比奈くんが元気になって」
「はい!」
役目を終え、武器を言玉の姿へと戻して、一箇所に集まった篭也たちは、大きな笑顔を見せるアヒルの姿に、呆れたりもしつつ、安心した表情を見せた。
「どうやら無事、言玉は直せたようだなぁ」
「へ?」
山へと登って来る道の方から聞こえてくるその声に、喜び倒していたアヒルが、やっとその笑みを止めて振り向く。アヒルと同じように、篭也たちや守も、そちらを振り向いた。
「上出来じゃねぇか」
「恵先生!」
その場へと姿を現したのは、鋭い笑みを見せた恵であった。
「誰だ?」
ただ一人、恵を知らぬ守が、戸惑うように眉をひそめる。
「恵先生、んなとこで何してんだよ?」
「お前の言玉がもとに戻るのを、待ってたんだよ」
「待ってた?」
「ハァ~イ、ダッグ!」
「へ?」
日本語には聞こえないその声と共に、恵の横から姿を現す、金髪青目の背の高い男。高い鼻の、いかにも洋風な顔立ちのその外国人は、アヒルへ向けて、大きく手を振っている。
「オ久シブリーフ!ガールズ、ボーイズ、アンドダッグ!」
「ラ、ライアンさん!?」
アヒルと、後方に立つ篭也たちへ向け、陽気な笑顔を見せるその外国人を見て、七架が驚きの声をあげる。篭也と囁も同じように、驚きの表情を見せた。
「ライアン…」
「確かにそうだわ…フフフ…」
「どなたでしたっけぇ?はぁ!記憶力悪過ぎな俺で、すみませぇ~ん!」
覚えている三人とは対照的に、一人、大きく首を傾げては、謝り散らす保。
「えっと、誰だっけ?」
「オウ!オ忘レデスカァ!?ダッグ!」
「うお!」
身を乗り出して来たライアンに勢いよく見下ろされ、アヒルが少し驚いた様子で身を引く。
「ワタシ、ライアンデス!“良守”ノライアァ~ン!」
「良守?」
「ああ、あん時の外国人五十音士か!」
「イエス!」
良守の単語に、守が眉をひそめる中、アヒルがやっと思い出した様子で、ライアンへと人差し指を向ける。アヒルに思い出してもらい、ライアンはとても嬉しそうに笑みを零した。
「けど、何だってライアンがここに…」
「私が連れて来た」
戸惑うアヒルに、恵が短く答える。
「恵先生が?なんで、また」
「お前の修行相手に、と思ってな」
「あぁ、修行相手かぁ。って、へ?」
一度は頷いたアヒルであったが、一瞬動きを止め、困惑した様子で目を丸くする。
「修行?」
「三日だ」
首を傾げたアヒルへ、恵は三本の指を突き立てた右手を向ける。
「三日でお前を、阿修羅よりも強くする」
「……っ」
恵のその言葉に、アヒルは瞳を鋭くした。
その頃、韻本部。和音自室。
「そうですか。安の神の言玉の反応が復活を」
言玉の反応を管理している、韻本部の従者から連絡を受け、自室の椅子に腰を掛けた和音が、満足した様子で頷く。
「それは朗報ですわ。ありがとうございました」
「は」
和音に深々と頭を下げると、従者は足早に和音の部屋を後にした。
「良かったですねぇ、安の神が無事に復活して」
部屋の左側にあるソファーの上に、ゆったりと座り込んだ桃雪が和音へと、どこか皮肉ったような笑みを浮かべる。
「すべての神を揃えたいという、あなたにとって、安の神の存在は必要不可欠…」
「ええ」
和音がやろうとしていることを見透かすように言う桃雪に、和音は特に動じる様子もなく、素直に頷いた。
「でぇ?この後はどうなさるんですぅ?」
「どうも致しませんよ」
「え?」
すぐさま答える和音に、桃雪が眉をひそめる。
「どうもしないんですかぁ?」
「ええ。後は待つだけですから」
桃雪の問いかけに答え、遠くを見るような瞳を見せた和音が、そっと笑みを浮かべる。
「旧世代に失われてしまった、彼の神が現れるのを…」
同時刻、何でも屋『いどばた』。
「そうですか。恵さんが朝比奈君に修行を」
「うん。三日程空けるから、その間、何かあったら頼むってさぁ」
昨日、結局終わらなかった店の模様替えを、今日も引き続き行いながら、為介と雅が言葉を交わす。アヒルが守の説得に成功し、言玉を修復するために出掛けていったことは、為介たちにも連絡が入っていた。恵の修行が始まるということは、アヒルの言玉は無事、復活したのであろう。
「朝比奈君は、あの堕神よりも強くなることが出来るのでしょうか?」
「さぁねぇ」
少し不安げに問いかける雅に、為介は相変わらずの軽い口調で答える。
「恵さんの指導と、彼の努力次第じゃなぁ~い?」
両手にゴミ袋を持った為介が、雅へと言葉を向けながら、ゴミを捨てるべく、店の外へと出る。
「どんな気持ちで、この戦いを見守っているんでしょうねぇ…」
ゴミ袋を店を出てすぐの所に置き、為介がゆっくりと空を見上げる。
「あなたは」
「ウズラさぁ~ん!」
鳥の名であるその名を、大きく呼ぶ一人の主婦。
「ウズラさん!」
「へ?」
もう一度呼ばれるその名に顔を上げたのは、白い鉢巻を巻いたヒゲ親父。八百屋『あさひな』の店主であり、アヒルたちの親である、朝比奈家の父であった。
「もう、ウズラさんてば、何回も呼んでるのに」
「ああ、俺のことでしたか」
やって来る主婦の方を振り向き、父が頭を掻きながら、少し苦い笑みを浮かべる。
「すみません。最近、クソ親父とかバカ親父とかアホ親父とかしか呼ばれてないもんで、つい」
「自分の名前に反応出来ないなんて、困った人ねぇ」
「ハハ!すみません!」
呆れたように言い放つ主婦に、父が笑みを浮かべたまま、謝罪の言葉を口にする。
「今日はお手伝いしてないのねぇ、アーくん」
「そうなんですよぉ!」
「うぇっ」
息子の話題になった途端に泣きそうな表情となって、身を乗り出して来る父に、主婦が思わず顔をしかめる。
「この間までは結構、手伝ってくれてたんですけど、三日もするとサッパリでぇ~!」
「ま、まぁ…三日坊主っていうものね…」
呆れた表情を作りながら、嘆く父へと、何とか励ましの言葉を送る主婦。
「やっぱり、父子のコミュニケーション不足なんですかねぇ!?どう思いますぅ!?奥さ…!」
「さ、さぁ!今日は何をいただこうかしらぁ?」
父に相談を持ちかけられようとしたその時、主婦が勢いよく父の言葉を遮って、店頭に並ぶ野菜たちへと目を移した。
「へい、今日は何にしましょう?」
主婦の言葉にやっと嘆くことを止め、店主らしくなる父。
「ん~そうねぇ。大根ときゅうり、もらおうかしら」
「へい、毎度!」
店頭に並ぶ大根ときゅうりを手に取り、ウズラは大きな笑顔を見せた。




