Word.51 旧世代ノ神々 〈3〉
翌日。言ノ葉高校隣校、放課後。
「ふっはぁ、今日の授業もダルかったぁ」
「なぁ?この後、カラオケっちゃわね?」
「お!いいねぇ!」
一日の授業を終え、すっかり自由空間となった放課後の教室で、小さな机を囲みながら、楽しげに話をしている赤や青、思い思いの派手な髪型をしている男子生徒の集団。毎朝、守と一緒にアヒルを待ち構えている、子分たちであった。そこには、ブラシやパンチの姿もある。
「よっしゃあ、じゃあ早速…!」
「おい」
『ん?』
窓の外から声が聞こえ、同時に振り向く子分たち。教室の窓から顔を出したのは、アヒルであった。
『ぎゃあああ!出たぁぁ!朝比奈ぁぁ!』
「だから、俺は化け物かっての…」
悲鳴のような叫び声をあげる子分の面々に、アヒルが思わず呆れた表情を見せる。
「何だぁ!?討ち入りかぁ!?」
「道場破りかぁ!?」
「違げぇよ。そもそも、ここは道場じゃねぇだろうが」
慌てふためく子分連中に、深々と肩を落としたアヒルが、力なく突っ込みを入れる。
「お前」
「へ?」
アヒルが振り向き、子分の中の一人、青いパンチパーマの青年、パンチの方を見る。
「その後、母ちゃんは大丈夫だったか?」
「あ、ああ」
母親の様子を気にかけるアヒルに、パンチは少し驚きながらも頷く。パンチの母親は昨日、パンチの思わずの言葉により、忌に取り憑かれてしまったのである。
「てか、てめぇ!急に衝撃波撃っちゃう病なんて無いって、医者が言ってたぞ!?」
「んなの、当たり前だろうが」
「ああ!騙しやがったな!?」
「文句あんのか?」
「いいえ、ありません」
アヒルに睨みつけられ、パンチがすぐさま首を横に振る。
「おい、ブラシ」
「んあ?」
アヒルが今度は、もうすっかり顔馴染みのモヒカン頭、ブラシの方を見る。
「安二木は?」
「へ?アニキ?」
集まっている子分たちを見回し、守の姿を探しながら問いかけるアヒルに、ブラシが目を丸くする。
「お前、アニキに何する気だぁ!?惨殺する気かぁ!?」
「やっぱ討ち入りじゃねぇかぁ!」
「だから違げぇっつってんだろうが!」
次々に非難の声をあげる子分たちに、アヒルがついに堪え切れなくなったのか、勢いよく怒鳴り返す。
「アニキなら、もう帰ったぜ」
「へ?もう?」
他の子分の面々とは違い、落ち着いた様子で答えるブラシに、アヒルが少し顔をしかめる。
「まじ?さっき授業終わったとこだろ?俺、すっげぇ急いで来たんだぜ」
「最近アニキ、帰るの早いよなぁ」
「ああ、付き合い悪りぃ」
「仕方ねぇよ。パッツンのこと、心配してんだ」
「パッツン?」
子分たちの会話に出て来る名に、アヒルが首を傾げる。
「パッツンて?」
「俺らの仲間だよ。お前も見たことあんだろ?坊主頭に前髪だけ生やしてる、蝶ネクタイの」
「ああ、あいつか」
ブラシに説明され、思い出した様子で頷くアヒル。守の子分は皆、目を引く派手な頭の連中ばかりであるが、あの坊主前髪の男も、鮮烈な記憶として、アヒルの中に刻まれていた。
「最近、パッツンの様子が変でよぉ」
「変?」
「おいおい、ブラシ。いいのかぁ?よりにもよって朝比奈に、んなペラペラと」
「別にいいって。ついこの間、知り合ったばっかの仲でもねぇし」
仲間からの指摘が入ったが、ブラシは軽い笑顔で、その言葉をかわし、再びアヒルの方を見る。
「パッツンて、前はうるせぇほど、よくしゃべる奴だったのに、すっかりしゃべんなくなっちまってさぁ」
「え…?」
ブラシの言葉に、アヒルが首を傾げる。
「何つーか、こう、あいつの意志のある言葉を、全部封じられたみたいな、んな感じ?」
あまり的確とはいえない表現をするブラシであったが、アヒルはその言葉を聞いた途端、すぐにその表情を険しいものへと変えた。それは、檻也が追っていた謎の言葉変化と、同じ現象であった。
「んでアニキは、そんなパッツンを心配して、最近は学校終わってからもずーっと、パッツンと行動してんだよ」
ブラシが話を終えると、アヒルは少し考え込むように俯く。
「ホント、お人好しだよなぁ。うちのアニキは」
「そこがアニキのいいとこじゃん」
「けど、大丈夫かなぁ?パッツンの奴」
パッツンという者を気にかける、子分の一人の言葉に、面々が皆、一斉にその表情を曇らせる。仲間を心配しているのは守だけではなく、この場に居る皆もまた、同じ気持ちなのだろう。
「ま、パッツンのことは、アニキに任せよって!」
「ブラシ」
暗くなった皆へと、励ますように声をかけるブラシを、アヒルがもう一度、呼ぶ。
「そのパッツンて奴の家、教えてくれねぇか?」
言ノ葉町の静かな住宅街を歩く、昼間の道が似合わぬ外見の二人の青年。一人はリーゼント頭にサングラス、もう一人は派手な赤学ランに蝶ネクタイという、何とも目を引く格好をしている。時折、周囲を歩く主婦などに疑うような視線を向けられながらも、二人は気にすることなく、足並みを揃えて道を歩いた。
「今日の数学、まじ意味わかんなかったなぁ!」
「…………」
リーゼントの青年、守が、横を歩くもう一人の青年、パッツンに向かって、明るく声を掛ける。声が届かないはずのない距離だというのに、パッツンから、言葉の返信はなかった。
「まぁ歴史も物理も意味わかんなかったけどなぁ!」
パッツンが黙り込んだままの状態のため、守の大きな声が、さらに大きく響き渡る。
「明日は国語、あったっけかなぁ!?」
「四限にある」
やっと返って来た言葉に、守がそっと眉をひそめる。それはパッツンの言葉ではなく、ただ単に事実を伝えるだけの言葉であった。
「家、着いた」
パッツンがまるで抑揚のない言葉を落とし、大きな道沿いにある、きれいな一軒家の前でその足を止める。急に足を止めたパッツンに、先へと行きそうになった守はすぐに足を止め、二、三歩足を戻し、パッツンのすぐ横へと立つ。
「さようなら」
「あ…!パッツン…!」
他人行儀な挨拶を呟き、すぐに守に背を向けて、家の中へと入っていってしまうパッツン。守は思わず手を伸ばし、パッツンを引き止めようとしたが、守の声にパッツンが振り返ることはなく、そのまま勢いよく家の扉は閉まった。
「パッツン…」
閉まった扉を見つめたまま、守がサングラスの奥の瞳を、どこか不安げに揺れ動かす。
「ぶっはぁ」
守が深々と溜息を吐きながら、パッツンの家へと背を向け、再び大通りの方を振り向く。
「んあ?」
前方に立っている人影を視界に入れ、眉をひそめる守。
「何しに来たんだよ?」
少し顔をしかめた守が、不機嫌そうに問いかける。
「お前を、コッテンパンのパンナコッタにしに」
守の見つめる先に立っていたのは、涼しげな表情を見せたアヒルであった。ブラシにパッツンの家の場所を聞き、急いで守の後を追って来たのである。
「ケ!返り討ちーのチンパンジーにしてやるっての!」
そんなアヒルへ、守がいつものように悪態づく。
「だいたい今は、てめぇとケンカする気分じゃねぇんだよっ」
吐き捨てるように言いながら、アヒルの方へと向けていた体の向きを変え、守はパッツンの家の前を通り過ぎて、そのまま道の先へと歩き出していく。
「俺が何百回、ケンカする気分じゃねぇ時に、お前の相手してやったと思ってんだよ?」
「うるっしゃい!」
前へと歩いていく守の後を、少し距離を取って続きながら、アヒルが言葉を掛ける。背中に届く声に、守は口を尖らせ、声を張り上げた。
「昨日の溜息の原因は、あいつか?」
「……っ」
アヒルの問いかけに、守が足を止めぬまま、そっと俯く。
「てめぇには関係ねぇだろうが」
「ああ。まぁ、ただのてめぇのケンカ相手なら、関係はねぇな」
小さな距離をあけたまま、二人の会話が続いていく。
「けど、“安の神”である俺には、関係のある話だ」
真剣な表情を見せるアヒルに、まるで背後のアヒルの表情が見えているかのように、目を細める守。
「安二木、俺は」
「あいつよぉ」
不意に足を止めた守が、アヒルの声を遮って、言葉を発する。
「あいつよぉ、死ぬほど歌が下手くそなんだよ」
言葉を放ちながら、ゆっくりと顔を横へ向ける守。守が振り向いたその先、大通りの向こう側、土手の下には、広がる大きな言ノ葉川が、太陽の光を浴びて輝いていた。
「こっちの耳がイカれそうなほど、まじで下手くそで、そのくせに歌手になりたいとか言って、いっつも俺らをカラオケに誘うんだ」
輝く川を見つめながら、守はどこか懐かしむように、言葉を続ける。
「毎日毎日、難聴になるんじゃねぇかってくらい、下っ手くそな歌、聞かされ続けてよぉ、まじで迷惑だったけど…」
守の口元が、そっと緩む。
「今のあいつを、あんな言葉しかないあいつを見てるくらいなら、難聴にでもなった方が、ずっとマシだった」
「安二木…」
急にその表情を険しくする守に、見つめるアヒルがそっと目を細める。
「安二木、たぶん、あいつは…」
「わかってる」
真剣な表情で話を始めたアヒルの言葉を、守がすぐさま遮る。
「あいつの自由ある言葉が消えちまったのは、明らかに人為的なものだ」
川を見つめ、守がその瞳を鋭くする。
「あの現象が起こってんのは、あいつだけじゃねぇ。この町に、言葉の変化が起こってる」
「ああ」
仲間の変化に悩みながらも、冷静に今の状況を分析している守。その辺りは、やはり守も五十音士なのであろう。そんな守に、アヒルは大きく頷きかけた。
「俺が、戦わなきゃならねぇ相手の仕業だ」
険しい表情を見せるアヒルの方を、守がゆっくりと振り向く。
「五十音士か?」
「名前は阿修羅。元“安の神”だった男だ」
「元、神…堕神か」
アヒルの言葉を聞き、眉をひそめた守が、何やら考え込むように俯く。
「俺は、絶対にあいつを倒さなきゃならねぇ」
阿修羅の顔を、向けられた言葉の一つひとつを思い出し、アヒルが溢れる怒りを確かめるように、強く右手を握り締める。
「そのためには、言玉が必要なんだ」
握り締めていた手を開き、アヒルがゆっくりと顔を上げる。
「だから、頼む。安二木」
アヒルが真剣な眼差しを、まっすぐに守へと向ける。
「俺に力を貸して欲しい」
偽りも迷いもない、強く輝く瞳を向けてくるアヒルを真正面から捉え、守がそっと目を細める。そして、考えを巡らせるように、視線を少し泳がせた後、守は再びアヒルの方を見た。
「俺は、神が嫌いだ」
「ああ」
「てめぇのことも、嫌いだ」
「ああ」
守の言葉を受け止めるように、アヒルが大きく頷きかける。
「けど、何をやったって俺は、あいつの言葉をもとに戻してやりてぇ」
自由ある言葉を失ったパッツンの姿を思い出し、守が強く、眉間に皺を寄せる。
「お前、俺に誓えるか?」
今度は守が、まっすぐにアヒルを見つめる。
「その堕神を倒して、あいつの言葉を取り戻すって」
「ああ、誓う」
守の言葉に、アヒルは一瞬も迷うことなく、すぐさま大きく頷いた。
「俺が絶対に阿修羅を倒して、お前の仲間の言葉を、自由な言葉を、取り戻してやる」
力ある言葉で、アヒルがはっきりと言い放つ。
「すべての人の言葉を守ることが、神である俺の役目だ」
「……っ」
自信さえ感じるその言葉には、アヒルの神としての誇りが込められているようであった。神嫌いの守とはいえ、その誇りを否定することは許されないような、そんな力強さを感じた。
「……わかった」
少しの間を置いて、守がゆっくりと頷く。
「てめぇに力を貸す。俺がてめぇの言玉を、直してやるよ」
「本当かぁ!?」
念願であった守の答えを聞き、すぐさま大きな笑みを零すアヒル。
「って、てめぇごときが、本当に言玉直せんのかぁ?」
「うるっしゃい!協力すんの、やめたろか!こらぁ!」
途端に疑いの目を向けて来るアヒルに、守が勢いよく怒鳴りあげる。
「てめぇはとにかく、俺に任せとけばいいんだよぉ」
何とか怒りを鎮めた守が、偉そうな態度を取りながら、自信を持った様子で胸を張る。
「末守である、この俺になぁ!」
固く腕を組んだ守は、大きな笑顔を見せた。




