Word.51 旧世代ノ神々 〈2〉
言ノ葉町。町の小さな何でも屋『いどばた』。
「扇子野郎…!」
店の戸を乱暴に両開きし、まるで押し入るように店内へと駆け込んで来たのは、アヒルであった。少し息を乱し、額には流れる汗も見えるところから、全力疾走でここまで来たのであろう。
「扇子野郎!おい、扇子野郎!」
「そんなに大声出さなくても、聞こえてるよぉ」
店の奥から返って来る声に、アヒルが思わず眉をひそめる。
「よいしょっと」
ジャンルの定まらない、何冊もの本を抱えていた為介が、すぐ近くの棚の上に、とりあえずとばかりにその本を置き、軽く肩を回すと、漸くアヒルの方を振り返る。
「いらっしゃい、朝比奈クン」
「扇子野郎…」
どこか不敵な笑みを向ける為介に、アヒルが表情を曇らせる。
「どうだったぁ?目的の末守クンとやらは、見つかったのかなぁ?」
「ああ…」
軽い口調で問いかけてくる為介に、アヒルは険しい表情を見せたまま、少しもその表情を崩すことなく頷く。
「扇子野郎、あんたに聞きたいことが…」
「じゃあ、聞いたかなぁ?ボクら、“旧世代の神”が五十音士のすべての言葉を消そうとして、五十音界を追放されたってこと」
まだ何も聞いていないというのに、アヒルが問いかけようとしていたことの答えを、ペラペラと話す為介に、アヒルが思わず驚きの表情を見せる。
「その顔、図星だぁ」
大きく目を見開いているアヒルを見て、為介がどこか楽しげに笑う。
「本当、なのか…?」
改まるようにして問いかけるアヒルに、笑みを止め、そっと目を細める為介。
「本当だよ」
為介の答えに、アヒルは動揺を隠しきれず、瞳を大きく揺れ動かす。
「なんで…」
アヒルが戸惑いの表情を、為介へと向ける。
「なんで…んなこと…」
「詳しく、お話を聞かせていただきたいわね…」
「ああ」
アヒルに続くようにして、店内へと入って来る、厳しい表情を見せた篭也と囁。その後ろに立つ保と七架も、緊迫した表情を見せており、『いどばた』の店内は、かつてない緊張感に包まれた。
「話の内容によっては、あなたを拘束し、韻へと連行することになるかも知れないがな」
「おぉ、怖っ」
鋭い言葉を浴びせる篭也に、為介はどこかふざけた口調を飛ばし、身震いしているかのように、自分の両手で自分を抱き、肩を摩る。
「でも、いっくら怖くっても、まだ全部は話せないんだよねぇ」
為介が不意に顔を横へと向け、アヒルたちから視線を逸らす。
「ボクはどうでもいいんだけどぉ、“宇の神”サンが、まだ話す時じゃないって、そう言ってるんだぁ」
「何…?」
「宇の神?」
その為介の言葉に、アヒルと篭也が同時に眉をひそめる。
「どういうことだ?宇の神とは一体、何者だ?」
「だから言ってるでしょぉ?まだ話す時じゃないってぇ」
「ふざけるな!」
軽い口調ばかりを続ける為介に、篭也がついには声を荒げる。
「そんな言葉が通用するとでも、思っているのか!?知っていることを、すべて話せ!でなければ、今すぐ韻へ…!」
「篭也」
アヒルの呼びかけに、為介を責め立てる篭也の言葉が止まる。
「神」
「もういいって。何をどう言ったって、この人は話さない。そう決めてるみてぇだし」
「だが…」
アヒルの説得には応じるものの、まだどこか不満げな表情を見せている篭也。
「あんたと恵先生には感謝してる。何度も助けられたし、強くもしてもらった」
表情を柔らかくし、真正面から向き合うアヒルに、横を見ていた為介もゆっくりと振り向く。
「だから、俺はあんたたちを信じる」
「いいのぉ?ボクがすっごい悪者で、実は君たちを利用して、ひっどいことしようとしてるかもよぉ?」
「そん時はそん時かな。けど、信じ切らずに後悔するよりは、ずっとマシだと思う」
試すように問いかける為介に、アヒルは迷うことなく笑顔を見せた。アヒルの晴れやかな笑みを見て、為介は少し困ったように眉をひそめる。
「そういうとこ、そっくりだよねぇ」
「へ?」
小さく落とされた為介の言葉が、かすかに耳に届き、アヒルが首を傾げる。
「まぁ精々頑張って、末守クンを説得することだねぇ」
軽く手を振ると、為介はそのままアヒルたちに背を向け、再び家の奥へと姿を消していってしまった。
「良かったの…?アヒるん…」
為介の去っていった家の奥を見つめていたアヒルに、囁が横から声を掛ける。
「絞めあげてでも、全てを話させた方が良かったのではないのか?」
「無理やり知ったって、そんなの意味ねぇさ」
「あれ?」
まだどこか納得のいっていない表情を見せながら、問いかける篭也へと、笑みを向けるアヒル。そこへ家の中から声が聞こえてくると、すぐに雅が姿を現した。雅は右手にハタキを持ち、頭には白いタオルを巻いていて、すっかり掃除スタイルだ。何だかんだで、為介の模様替えを手伝っていたようである。
「戻っていらしたんですか」
「雅さん」
「どうでした?無事、末守は見つかりましたか?」
雅の問いかけに、アヒルたちが皆、一斉に表情を曇らせる。
「やはり、断られましたか」
「へ?やはりって?」
「僕も、彼とは同じような境遇ですからね」
聞き返したアヒルに対し、雅はまるで、アヒルたちと守との間に、どんなやり取りがあったのかを見透かすように言い、どこか悲しげな笑みを浮かべた。
「さぁ、入って下さい。詳しく、お話しましょう」
その後、雅はアヒルたち五人を客間へと通し、皆へと茶を配ると、自分もアヒルの正面に来るように、テーブルのすぐ横に腰を下ろし、一息ついてから、ゆっくりと口を開いた。
「さてと…末守の彼からは、どんな話を?」
雅が皆を見回し、そっと問いかける。
「旧世代の神々が、すべての言葉を消し去るために、韻に対して反乱を起こしたと」
「戦いに負けて、皆、追放されて、五十音界には神様が居なくなっちゃったんだよね」
「その責任を取らされて、マ行の五十音士は神附きを首になったっていうんでしょう…?」
篭也、七架、囁の三人が、順序立てて答えていく。
「そんな感じです!」
「黙っていろ、高市」
「ん!」
何故か自信満々に親指を突き立てた保であったが、篭也に鋭く言われ、あっさりと両手で口を塞ぐ。
「君達の言葉の通りです。旧世代の神々の反乱により、五十音界から、すべての神が姿を消しました」
雅が湯呑みを手にしながら、ゆっくりとした口調で話を始める。
「その後、“ゐ”“ゑ”“を”には新しい文字、“い”“え”“お”が創られ、新しい神が就きました」
「…………」
“お”の文字を持つ一族に生まれている篭也は、自分と関係のなくもないその話に、眉間に皺を寄せる。
「“う”の文字には引き継ぐ文字もなく、今も五十音の世界に、宇の神は存在しないままです」
「じゃあ」
続く雅の説明に、アヒルが思わず口を挟む。
「“あ”は?」
素朴な問いかけをするアヒルに、そっと目を細める雅。
「当時の安の神は、その戦いで命を落としたため、“あ”の文字はそのままに、新しい神が就くことが出来たのです」
「命を、落とした…?」
戦いの悲惨さを思い、アヒルがそっと眉をひそめる。
「その戦いで命を落としたのは、安の神だけではありません」
「え…?」
雅の言葉に、アヒルの表情がさらに曇る。
「当時の末守、武守に女守も…多くの五十音士が、その戦いで命を落としました」
「末守に武守って…」
「マ行の五十音士、つまりは当時の神附きたちか…」
「ええ…」
確かめるように言う篭也に、雅が静かに頷く。
「彼等は、反乱を起こした自身の神に、最期の最期まで附き従い、そして死んでいきました」
悲しげな表情を見せる雅に、皆の表情も曇る。
「当時の末守は、今の末守である末宮守の祖父、末宮 正一であったそうです」
「え?」
その言葉に、アヒルが目を丸くする。
「安二木のじいさんが、末守?」
「血によって能力の受け継がれる文字であれば、そういったケースは珍しくない」
首を傾げるアヒルに、篭也が横から解説を挟む。
「高市や僕…いや、於崎の家も、血により、その文字を受け継ぐ」
「そっか」
篭也の説明に、納得するように頷くアヒル。確かに、篭也の家は代々、於の神を受け継いでいるし、保も、父と母が共に五十音士であったからこそ、二つの文字の力を有しているのである。
「ですが、その戦いで彼の祖父は亡くなりました。旧世代の神々が起こした反乱の中で、ただ神を守るために」
「それなのに、裏切り者の神に附いたと、残された一族たちは、蔑まれたというわけね…」
「そんな…」
囁の言葉を聞き、横に座っている七架が、どこか悲しげに俯く。
「彼が、“神”の存在を許せないのも、当然でしょう」
「へ?」
まるで、アヒルたちと守の会話を聞いていたかのように、守の発したその言葉を繰り返す雅に、アヒルが思わず戸惑った声を漏らす。アヒルたちは一切、守の様子は話していないというのに、雅には、守の言った言葉がすべて、わかってしまっているようであった。
「雅さん…」
「不思議ですか?何故僕が、彼の言ったことがわかるのか」
戸惑いの瞳を向けるアヒルに、雅がそっと笑みを向ける。
「答えは簡単。僕が、彼と同じだからです」
「同じ?」
「どういう意味だ?」
首を傾げるアヒルの横から、篭也が鋭く問いかける。
「僕も末宮や於崎と同じように、血で文字を受け継ぐ家系の生まれでしてね…」
雅が持ち上げていた湯呑みを、そっとテーブルの上に置く。
「父は、旧世代当時の美守でした」
「な…」
俯いた雅の言葉に、アヒルたちが驚きの表情を見せる。
「じゃあ、雅さんのオヤジさんも、その戦いで…?」
「いえ、父は生き残りました。でなければ、僕も生まれていませんしね」
「あ、そっか」
微笑んで答える雅に、大きく頷くアヒル。
「ですが、生き残ったからこそ、父への蔑みには、他の者たち以上のものがあったそうです」
雅の笑みが消え、その表情が徐々に曇り出す。
「父はもう十年以上も前に病気で亡くなりましたが、最期の最期まで、自身の“神”を恨み続けました」
天井を見上げた雅が、どこか遠くを見るような瞳を見せる。
「最期の最期まで僕に、“神を許すな”と、そう言い続けました…」
雅がその瞳を、そっと細める。
「だから僕には、神を許せないという、彼の気持ちもよくわかる…」
「…………」
雅の言葉を聞きながら、アヒルが何やら考え込むように、眉をひそめて、そっと俯く。
「美守の神というと…」
「為の神。井戸端為介です」
篭也が問いかけを口にする前に、雅は答えを言う。
「為介さんとは、僕が美守を受け継いで、忌退治をしている時に、本当に偶然に出会いましてね」
話を続けながら、雅が懐かしむように口元を緩める。
「初めは、何の因果かと思いましたが…」
「なんで、扇子野郎と一緒に?」
苦笑いを浮かべる雅に、アヒルが真剣な表情で、問いかけを向ける。
「その、オヤジさんがそんなに恨んでた“神”、なのに…」
自身も神であるからか、雅にどこか負い目を感じるように、アヒルが少し遠慮がちに言葉を向ける。
「何で、でしょうね…」
自分でも戸惑うような言葉を発する雅に、アヒルは不思議そうに首を傾げた。
「最初は父の言葉の通り、恨もうと、許さずにおこうと、そう思っていたんですけど…」
―――雅クゥ~ン!このクマトカゲ人形、お店に置いたらどうかなぁ~?―――
「あの人を見ていると、何だか、そんな気も失せてしまって」
為介の暢気な様子を思い出し、雅が柔らかな笑みを零す。
「何だかんだで、気付いたら、共に在りました」
微笑む雅を見て、アヒルがそっと目を細める。
「あなたは、何故、旧世代の神たちが言葉を消そうとしたのか、その理由を知っているのか?」
「いいえ、まったく」
あっさりと首を横に振る雅に、篭也が少し眉をひそめる。
「それでも、共に在れるのか?」
続く篭也の問いかけに、雅は笑みを浮かべたまま、そっと視線だけを落とす。
「今、共に在ることが、答えだと思っています」
迷いなく答える雅に、それ以上問いかけようとはせず、黙り込む篭也。そんな篭也の横で、アヒルも何やら考え込むように目を細める。
「だから朝比奈君も、諦めてしまわないで下さい」
「え?」
雅に笑みを向けられ、アヒルが戸惑うように声を漏らす。
「向き合ってあげて下さい。末守である彼とも、彼の一族が背負ってきたものとも…」
まっすぐな雅の視線が、真正面からアヒルを捉える。
「神が、背負わねばならぬものとも」
雅のその言葉に、少し俯き、そしてゆっくりと顔を上げたアヒルは、どこか決意したような、そんな表情を見せていた。




