Word.51 旧世代ノ神々 〈1〉
砕かれた言玉をもとに戻すため、五十音士の一人“末守”を探すアヒルたち安団であったが、そんなアヒルの目の前で、“ま”の力を使って見せたのは、毎朝アヒルに、何かと因縁をつけてくる、隣校のアニキこと、安二木守であった。
「ど、どういうことだ?」
アヒルが守へと、戸惑いの表情を向ける。
「“神”の存在が、お前たち、マ行の五十音士の運命を歪めたって…」
「…………」
アヒルの問いかけを受け、守がさらに、厳しい表情を見せる。
「てめぇ等は言ったな。旧世代の神以前の神附きは、マ行の五十音士が務めていたことを聞いたと」
確認するように、言い放つ守。
「ああ、言ったけど…」
「なら何故、神附きは代わった?」
「え…?」
急な守の問いかけに、アヒルが少し戸惑うような声を漏らす。
「神附きは何故、マ行の五十音士から、今のお前たちのように、カ行からナ行の四人に代わった?」
「えっと」
答えを持たぬアヒルが、助けを求めるように、すぐ横に立つ篭也の方を振り向く。
「かつて、旧世代の神が一斉に神の座を降り、一時、すべての神が空席の状態だったことがあったそうだ」
守の問いに答えるというよりは、アヒルに説明するように、篭也が言葉を放つ。
「旧世代の神ってぇと…」
「ああ。あの為の神や、恵先生のことだ」
アヒルが問いかけ終える前に、篭也が素早く答える。
「その後、新世代の神が着任する際、それに伴って神附きも代わったという風に、僕は聞いている」
「へぇ」
篭也の説明に、アヒルが少し驚いたように頷く。
「すべての神が空席状態の時なんつーのが、あったのか」
「まぁ、間違ってるとは言わねぇけどな」
考え込むように呟いていたアヒルが、前方から口を挟む守の声に、再び顔を上げる。
「けど、真実には程遠い」
「何?」
守の言葉に、篭也が眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
アヒルの横から、篭也が厳しく言葉を向ける。
「あなたの言葉を聞いていると、僕の言葉が真実ではないと言っているようだが?」
「ああ、そう言ってんだよ」
鋭く問いかける篭也に、動じる様子もなく、普段とはまったく異なる落ち着いた様子で、守が頷く。
「てめぇ等は、知ってんのか?あいつ等が何故、“旧世代の神”と呼ばれているのかを」
「へ?」
「それは先程も言ったように、すべての神が空席となった、その前後を区別するための呼び名だろう?」
目を丸くするアヒルに代わり、篭也が素早く答える。
「なら何故、あいつ等は一斉に神の座を降りた?」
「それは…」
続けて問いかける守に、篭也が言葉を詰まらせる。
「知っているか?囁」
「いいえ、何故かは知らないわ…ただ、“旧世代の神”という呼び名をよく聞くだけで…」
篭也が振り向くと、囁も少し困った様子で表情を曇らせた。
「やっぱり、聞かされてねぇみたいだな」
守が呆れたように肩を落としながら、言葉を落とす。
「でなきゃ、あいつ等の言葉を、おいそれと信じられるはずがねぇぜ」
「どういう、ことだよ?」
煩わしげな表情を見せる守に、アヒルが眉をひそめ、問いかけを向ける。
「彼等は、旧世代の神々は、一体…?」
「……二十数年前」
真剣な表情を見せた囁の問いかけを受け、より一層険しい表情を見せた守が、アヒルたちから視線を逸らして、ゆっくりとその口を開く。
「五十音士の歴史、始まって以来の、大事件が起きた」
「大事件?」
七架や保も真剣な表情で、守を見つめる。
「神々の反乱だ」
「神々の、反乱?」
守の言葉を繰り返し、アヒルがひどく困惑した表情となる。
「当時の五神、のちに“旧世代の神”と呼ばれる神々が、五十音士のすべての言葉を消し去ろうと、韻に対して、反乱を企てたんだ」
『な…!?』
守の口から伝えられる衝撃の事実に、アヒルたち安団の皆が、驚きに大きく目を見開く。
「すべての言葉を消し去る!?神が…!?」
「ああ」
「韻に反乱を…」
信じられないといった様子で聞き返すアヒルに、静かに頷く守。篭也もまだ、驚きを隠しきれない様子で、考え込むように深く俯く。
「なんで…なんで、んなこと…!」
「知るかよっ。自分等だけで言葉の力独占して、韻を支配しようとしたんじゃねぇかってのが、当時の見解だったがな」
「支配…?」
守の答えを聞き、アヒルがさらに困惑した表情となる。アヒルの知る為介や恵は、そんな私利私欲のために力を使うような人間には、まったく見えなかった。
「奴等、神々は韻と対立したが、激しい戦いの末、結局は敗れ、そのまま五十音の世界を追放された」
「追放…」
困惑の表情を拭い去れぬまま、アヒルが守の言葉に耳を傾ける。
「だから五十音の世界は一時、すべての神を失ったんだ」
「それが…すべての神が空席となった真相…」
「ああ」
ゆっくりと言葉を落とす篭也に、守が静かに頷く。
「“旧世代の神”ってのは、今の五神と、反乱を企てた神々とを区別するために、奴等につけられた呼び名だ」
「旧世代…」
考え込むように呟いたアヒルが、信じられないもどかしさを呑み込むべく、右拳を強く握り締める。
「そして、マ行の五十音士は、神附きでありながら、神の反乱を防げず、五十音界全体に甚大な被害を与えたと責任を取らされ…」
「神附きを首になった、ってわけね…」
守の言葉に続くように、囁が言葉を放つ。
「それだけじゃねぇ…」
「え…?」
その声を低く落とす守に、アヒルが少し眉をひそめる。
「神附きじゃなくなった後も、“裏切り者の神に附いていた”と罵られ、蔑まれ続けた」
空を見上げながら、険しい表情を見せた守が、強く拳を握り締める。
「ただ自身の神を信じただけだってのに、誰よりも裏切られたのはこっちだってのに、自分たちまで裏切り者扱いされたんだ…」
握り締められた拳が、怒りにか、小刻みに震える。
「その一族も、後任の五十音士たちも、皆っ…!」
「安二木…」
声を震わせる守を見つめ、アヒルがそっと目を細める。
「神を信じて、神のために命を賭して戦って…なのにっ…」
言葉を途中で止めた守が、悔しさを呑み込むように、強く唇を握り締める。
「神は俺たちに、何一つ与えてなんてくれなかった…ただ、俺たちの運命を歪めていっただけだっ…」
守の声に強く、感情がこもる。
「だから俺は、神なんて信じない」
「……っ」
素早く顔を下ろした守から鋭い視線を向けられ、アヒルが少し肩を揺らす。
「旧世代だろうが、新世代だろうが関係ねぇ。俺は“神”そのものが許せねぇんだ」
俯いた守が、そこにある感情を確認するように、そっと自分の左胸を撫でる。
「だから、俺はお前の頼みは聞けねぇ」
左胸へと当てていた手を、ゆっくりと下ろす守。
「悪いな…」
「あっ…」
守がアヒルへと背を向け、その場を去るべく歩き出していく。
「安二木…!」
去っていく守の背中へと、大きく呼びかけるアヒル。
「待ってくれ!俺は…!」
「俺は、お前の言葉に止まる気なんてねぇよ。朝比奈」
何かを言おうとしたアヒルの言葉を、守が勢いよく遮る。
「お前は、俺の“神”じゃねぇんだからな」
「……っ」
向けられたその言葉を否定することも出来ず、アヒルはそのまま、何の言葉を口にすることも出来なかった。守はそのまま歩を進め、遠ざかり、やがてその背が見えなくなる。
「安二木…」
背の見えなくなった前方を見つめ、アヒルが力なく守の名を口にする。
「末守を見つければ、それだけで済むものだと思っていたけれど…」
沈黙を破るように、囁がゆっくりと言葉を発する。
「困ったわね…」
「うん。でも、何か…」
囁の言葉に頷きながら、七架がどこか悲しげな表情を見せる。
「安二木君の言葉、わからなくはなかったな…」
七架の言葉に、囁がそっと目を細める。
「これから、どうします?神月くん」
「とりあえず一旦、為の神の家に戻ろう」
不安げに問いかける保に、篭也は間を置くことなく、はっきりと答えた。
「確かめなければ、ならないことがある」
篭也の言葉に、皆、厳しい表情を見せた。




