Word.50 五人目ノ神附キ 〈4〉
「よっしゃあ!」
赤い言玉から形を変えた、二個の真っ赤な円形の金属物。周囲が刃となり、真ん中に大きな穴のあいている、その円月輪を、左右にそれぞれ一個ずつ構えるアニキ。大きな穴に人差し指だけを通し、手慣れた様子で円月輪を数度回した後、周辺部で刃ではない取手部分を手に持ち、気合いの入った声をあげる。
「ま…」
アニキが大きく口を開き、両手の円月輪を投げ放つ。
「“守れ”!」
放たれた円月輪が最初は前方に、並ぶようにして向かっていたのだが、衝撃波の直前まで来たところできれいに左右に分かれていくと、その間に真っ赤な光の膜のようなものが張られ、忌の放った衝撃波を真正面から受け止める。
<何っ…!?>
上空の忌が、黒い影に浮かぶ真っ赤な瞳を、大きく見開く。
<ご、五十音士…!?>
「“勝れ”!」
忌が焦りの声をあげる中、アニキがさらに言葉を放つと、受け止めていた膜がさらに強い光を発し、衝撃波を呑み込むようにして、散り散りに砕いた。
「ふぃ~っ」
アニキが円月輪を手元に戻し、再び指で回しながら、ゆっくりと一息つく。戦闘中であるというのに、その表情には一切の焦りもなく、余裕すらうかがえた。
「もうここに、お前の巣食う“痛み”はない。もう二度と、パンチの母親には巣食わせない」
上空に浮かぶ忌へと視線を向けたアニキが、強い口調で言い放つ。
「だからお前は、ここで消えろ、忌」
<グ…!このっ…!>
そんなアニキの言葉に、目を鋭く細めた忌が、勢いよく下降し、真正面から突っ込んでいく。
<五十音士がぁ…!>
「……っ」
降下して来る忌を見つめ、サングラスの奥の瞳を鋭くしたアニキが、回す手を止め、素早く円月輪を構える。
「決まりだ…」
勝負の先行きを見通すように、アヒルがそっと呟く。
「ま…」
アニキがゆっくりと口を開き、指先の向こうから流れていくように滑らかに、円月輪を投げ放つ。
「“舞え”!」
放たれたその言葉に従うように、アニキの手を離れた円月輪は、まるで風に乗り舞うように素早く、美しく動き、一瞬のうちに忌の体を縦横無尽に、何度も往復して斬り裂いた。
<グア…ギャアアアア!>
円月輪に斬り裂かれた忌が、その黒い影の体を散り散りに分けられ、激しい悲鳴とともに、強い白光を放ちながら、掻き消えていく。
「…………」
掻き消えていく黒い影を、アニキが真剣な表情で、まっすぐに見つめる。
「ふぅ」
忌を斬り裂いた円月輪が、アニキの手元へと戻って来る。戻って来た円月輪を指で一周、くるりと回すと、そのままもとの言玉の姿に戻し、アニキはホッとしたように一息ついた。
「…………」
そんなアニキの様子を、ただじっと見つめるアヒル。
「“守れ”、“勝れ”、“舞え”…」
アヒルが、アニキが忌との戦闘中に口にした言葉を、次々と並べていく。
「間違いない。あいつが…」
「神!」
そっと眉をひそめたアヒルが、後方から聞こえてくる、よく聞き覚えのある声と、いくつかの足音に気付き、すぐに振り返る。
「篭也」
アヒルのもとへと駆けてくるのは、篭也と、囁、保、七架の四人であった。皆、不安げな表情を見せていたが、アヒルの姿を確認したからか、少しホッとしたように笑みを零す。
「お前ら、どうして、ここに?」
「忌の気配を感じたからだ」
アヒルのすぐ傍へとやって来て足を止めた篭也が、アヒルの問いかけに短く答える。
「で?神は何故、ここに?」
「そうよね…私たちがあんなに、寄り道せずに帰るよう言ったのに…」
「うっ…」
篭也と囁から睨むように見られ、アヒルが思わず、気まずそうに目を逸らす。
「い、いやぁ、それはそのぉ…まぁ、色々とあってだなぁ」
「見苦しい言い訳は、求めていない」
「まぁまぁ、いいじゃないですかぁ~アヒルさんが無事だったことが、何よりなんですからぁ」
「馴れ馴れしく話しかけるな」
「いっやぁ~!馴れ馴れしくして欲しくないランキングがあったら、絶対一位の俺が話しかけちゃって、すみませぇ~ん!」
アヒルのフォローに入ったはずの保であったが、篭也に冷たく言い捨てられ、激しく謝り散らす。
「それより、大丈夫?朝比奈くん。忌と戦ってたんでしょう?」
「そうよね…忌の気配が消えてるけど…言玉も無いのに、一体どうやって倒したの…?」
「ああ、忌なら…」
問いかけを受け、そっと目を細めたアヒルが、仲間たちから再び、正面へと視線を向ける。
「“末守”が、倒した」
『末守?』
「ん?」
アヒルの視線を追い、一斉に前方を見る篭也たち。丁度その時、後方を振り返ったアニキが、自分の方を見つめる皆と目を合わせる。
「あ、真田さぁ~ん!」
「リ、リーゼントくん…?」
並ぶ連中の中に囁の姿を見つけ、アニキが嬉しそうに、締まりのない笑みを浮かべる。大きく手を振り上げるアニキに、囁はひどく戸惑った表情となった。
「奇遇だねぇ!あ、これってあれかな?やっぱり俺と真田さんの、運命ってやつじゃあ」
「二千パーセント、運命じゃないわ」
「ううぅ…」
囁に全力で否定され、アニキが落ち込むように俯く。
「正気か?神。このような者が、末宮守だとでもいう気じゃ…」
「んあ?呼んだか?」
「…………」
アヒルへと話しかけようとした篭也であったが、呼んだつもりもないのに返事をするアニキに、途中で言葉を止めてしまう。
「末宮、守…?」
「だから、何だよ?二回も呼ばなくたって、聞こえてるっての」
改めて名を呼びかけた篭也に、アニキが少し眉をひそめながら答える。
「本当なのか…」
「カッコイイ名前だから、もっとカッコイイ人、想像しちゃってた」
「何なんだよ!人の名前に勝手に、文句つけてんじゃねぇ!」
呆然と呟く篭也と、どこか残念そうに呟く七架に、アニキが不満げに声をあげる。
「ってか、お前の名字は“安二木”だろ?」
「小三の時に、母親が再婚したんだよ。だから今は、安二木守」
「安二木守…そうか。どこかで聞いたことある名前だと思ったら…」
聞き覚えのあったその名を、どこで聞いたのかを思い出し、囁が納得したように頷く。
「では、あなたが末守、五十音士の一人“末守”であるということか?」
「へ?」
篭也からの問いかけを聞き、アニキが驚いたように、目を丸くする。
「なんで、お前らが五十音士のこと、知ってんだぁ?」
「私たちも五十音士なんです」
「はぁ!こんなカッコイイ肩書きがまるで似合わない俺が、五十音士ですみませぇ~ん!」
「お前らもっ?」
七架と保の言葉を聞き、アニキがさらに驚きの表情を作る。
「ああ。僕が加守、それから左守、太守、奈守だ」
「え!?真田さんも!?」
篭也の説明を聞いたアニキが、目を輝かせて、囁の方を振り向く。
「五十音士同士なんて、なんて素敵!これってやっぱり、俺と真田さんの運め…!」
「三千パーセント、違うわ」
「うぅ…増えた…」
きっぱりと切り捨てる囁に、アニキが深々と肩を落とす。
「本当にお前が、“末守”なんだな!?」
「あ?」
勢いよく問いかけてくるアヒルに、俯いていたアニキが、ゆっくりと顔を上げる。
「だから、そうだっつってんだろ?っつーか、まさか、お前も五十音士なのかぁ?朝比奈」
「あ?あ、ああ」
「へぇ~意っ外だなぁ」
頷いたアヒルを、アニキが感心するように見つめる。
「お前みたいな、見るからに頭悪そうな奴が、五十音士だなんてよぉ」
「てめぇにだけは、言われたくねぇわ!」
小バカにしたように言い放つアニキに、アヒルが思いきり怒鳴り返す。
「今は言い争っている場合ではない。神、早く本題に入れ」
「え?あ、ああ。おう」
「神…?」
篭也が口にしたその単語に、アニキの表情が一気に曇る。
「実はよ、末守のてめぇにちょっとした頼みってのが、あってだなぁ」
「安の神…」
「へ?」
話を切り出そうとしたアヒルが、アニキが小さく落としたその声に、目を丸くする。
「“安の神”…?」
語尾の音を上げ、問いかけるように言葉を口にしたアニキが、どこか険しい表情を、まっすぐにアヒルへと向ける。
「え、えっと…」
「ああ、そうだ」
険しい表情を見せるアニキに戸惑い、答えを詰まらせていたアヒルの代わりに、篭也が大きく頷く。
「我らが安団の神、“安の神”朝比奈アヒルだ」
「……!」
アヒルが神であるというその事実に、ひどく衝撃を走らせた表情を見せるアニキ。今までも神であることを何度も驚かれてきたアヒルであったが、今までとは少し違う様子のアニキに、不思議そうに首を傾げる。
「安二木?」
「アヒるん、早く本題に…」
「え?あ、ああ」
アニキの様子に戸惑っていたアヒルであったが、囁に促され、少し慌ててアニキへと向き合う。
「安二木、末守であるお前に頼みたいことがあるんだ」
改まった様子で、アヒルがアニキへと言葉を投げかける。
「実は、とある敵に、俺の言玉を粉々に砕かれちまった。俺は、その敵ともう一度戦う為にも、何とか言玉をもとに戻したい」
アヒルが真剣な眼差しを、アニキへと向ける。
「今の美守の人から、旧世代の神の頃、マ行の五十音士が神附きやってたってこと聞いて、もしかして、末守なら、俺の言玉を戻せるんじゃないかって…」
「冗談じゃねぇ」
「え?」
アヒルが言い終わらぬ内に、アニキが低い声を落とす。
「誰が、んなマネするかよっ」
「安二木…」
顔を上げたアニキは、煩わしげな表情を見せ、吐き捨てるように言い放った。そんなアニキの様子を見て、アヒルがそっと表情を曇らせる。
「あのだなぁ、これは僕たちだけの問題ではなく、五十音士であるあなたにも関係のある話で…!」
「任せて、篭也」
アニキへと怒鳴りあげようとした篭也を止め、篭也とアニキの間に、割って入る囁。
「ねぇ、リーゼント君…」
「真田さん」
囁がまっすぐにアニキを見つめると、アニキも少し、その表情を柔らかくする。
「あなたがアヒるんを嫌っていることは知っているわ…けどこれは、そんな好き嫌いで済ませられる問題じゃないの…」
透き通るような囁の声が、辺りに響き渡る。
「すべての言葉を守る為なの。だからお願い…アヒるんではなく、私たちの神の為に、五十音士の一人として、力を貸してく…」
「いくら真田さんの頼みでも、こればっかりは聞けねぇよ」
遮るアニキの声に、囁が眉をひそめる。
「あのなぁ…!」
「朝比奈がどうとか、そんなんじゃねぇんだ」
「何?」
もう一度、声をあげようとした篭也であったが、アニキの言葉に戸惑った表情を見せる。
「俺は、“安の神”が、“神”の存在が許せねぇ」
鋭い瞳を見せたアニキが、その瞳でまっすぐにアヒルを見つめる。
「“神”の存在が、俺たちマ行の五十音士の運命を歪めたんだからな…!」
「え…?」
力強く叫ぶアニキに、アヒルは戸惑いの声を漏らした。




