Word.50 五人目ノ神附キ 〈2〉
その日、放課後。言ノ葉高校、三年A組。
「雅くん」
後方から名を呼ばれ、鞄の教科書などを詰め、帰る支度を整えていた雅が、すぐさま振り返る。雅が振り返るとそこには、すでに帰り支度を整えた様子のツバメが立っていた。
「部室行こう…」
「あ、すみません、ツバメ君。今日、僕ちょっと…」
「雅さん!」
部活の誘いにやって来たツバメに、雅が返事をしようとしたその時、雅の席のすぐ横の窓が勢いよく開き、廊下からアヒルが顔を出した。自分の教室から、急いでここまでやって来たようである。
「今朝の話…!うぇっ」
雅へと話しかけようとしたアヒルであったが、雅のすぐ横に立つツバメの姿を視界に入れ、あからさまにその表情を困ったものへと変えた。
「え、えっと…」
「今日は部長はお休みだって、伝えておくよ…」
「あ、すみません」
言葉に詰まっているアヒルを特に気にする様子もなく、ツバメは空気を読んだ様子で、雅に自然に声を掛けると、すぐに雅に背を向け、教室を後にした。恐らく、部室に向かったのであろう。去っていくツバメを見送った後、雅がどこか呆れたように、アヒルの方を振り向く。
「あなたたち兄弟にしては、珍しい光景ですね」
「悪りぃ…」
「別に、僕に謝る必要はありませんよ」
申し訳なさそうに頭を下げるアヒルに、雅が柔らかく笑みを向ける。
「昨夜のあれ以来、特に話はしていない感じですか?」
「ああ。ってか、あれ以来、ろくに顔も合わせてなかったから、今会って、ちょっと焦った」
少し顔を上げたアヒルが、困ったように頭を掻く。阿修羅に言玉を砕かれ、兄、カモメの真相を知ったアヒルは、何とか立ち直り、篭也とは和解したのだが、まだスズメ、ツバメ両兄とは、気まずい状態のままであった。
「まぁ、あなたたち兄弟の間での問題ですので、僕は口出ししませんよ」
そう言いながら、雅が荷物を詰め、チャックを閉じた鞄を、肩へと掛ける。
「今朝の件、“末守”のことで、来られたのでしょう?」
「あ、そう、そうだった」
雅に問いかけられ、アヒルが思い出した様子で、何度も頷く。
「データは揃えてあります。神月君たちのところへ、行きましょう」
「おう!」
雅の言葉に、アヒルは気合いの入った返事をした。
言ノ葉高校、国語資料室。
「なんだって、ここに集まってくんだよ」
紙コップにポットで茶を注ぎながら、恵があからさまに嫌そうな顔を見せる。
「丁度いい、空き教室がなかったんですよ。屋上で話すには、風も強いですし」
「為介ん家、行けばいいだろうが」
「今日は為介さんの気分的に、模様替えの日なんです。行ったら、間違いなく手伝わされます」
「あっそう」
雅の言葉に、少し乱暴な返事をして、恵が茶の入った紙コップを、適当に机へと置いていく。山ほどの本を隅っこに追いやり、何とか空けた、机の小さなスペースを囲むようにして、雅と、アヒルたち安団の面々が顔を揃えていた。七架が、恵が適当に置いた紙コップを、一人ずつへ丁寧に配っていく。一方、自分のものであろう湯呑みを手にした恵は、不機嫌そうな顔のまま、少し離れたところに置いてあるパイプ椅子へと腰掛けた。
「はぁ~!こんな明らかに牛乳飲みすぎの俺に、お茶淹れてもらっちゃって、すみませぇ~ん!」
「話が終わるまで、黙っておけ。高市」
「ん!」
茶を受け取り、いつものように謝り散らした保であったが、篭也に突き刺すように言葉を掛けられ、両手で強く口を塞ぐ。
「発言権もないのに、集まる必要あったのかな…?高市くん…」
「さぁ…?フフフ…」
呆れた様子で呟く七架の横で、囁がそっと笑みを零す。
「では、“末守”の件に関して、お話したいと思います」
「ああ、頼む」
鞄から何やら白い紙を取り出す雅を見つめ、アヒルたちが真剣な表情を見せる。
「韻で作成されている、五十音士のデータベースを閲覧してきました。それによると現在、“末守”を務めている者の名は…」
雅が白い紙へと、視線を落とす。
「末宮守。年齢は十六歳。性別は男」
「十六?俺たちと同じだな」
「守、守…どこかで聞いたような…」
感心するように言うアヒルの横で、囁が何かを思い出そうとするように、首を捻る。
「残念ながら、顔写真は記載されていませんでした」
雅が少し眉をひそめながら、今まで見ていたその白い紙を、皆に見えるように、机の上へと置く。確かに、名や生年月日の記載されている欄の横に、顔写真を載せるものなのであろう箇所があるが、そこは空欄になっている。
「顔写真がないのって、厳しくない…?」
「そうだよね。十六歳の男の子なんて、山程いるだろうし」
「いや…」
表情を曇らせた囁や七架の横で、少し俯いていた篭也が、短く言葉を挟む。
「名前が分かっていれば、学校などに問い合わせて、調べることも出来る。奈々瀬を探していた時よりは、相当に楽なはずだ」
「まぁ、それは言えてるわね…フフフ…」
篭也の意見に納得し、囁が不気味に笑みを零す。
「ええ。それに、使える情報がもう一つ」
人差し指を立てる雅に、皆が視線を集める。
「代々“末守”を務めている末宮家の本家は、この言ノ葉町にあったそうです。一族が減り、数年前に言ノ葉の土地を売り払ったらしいのですが…」
「長年住み慣れた、この町に居る可能性は高いというわけね…」
「はい」
先読みするように言う囁に、雅が大きく頷く。
「ですので一先ず、この近辺の高等学校に通う生徒の中に、末宮守という名の生徒が居ないかを、調べてみてはどうかと」
「賛成だな」
「そうそうある名でもないし…意外と早く見つかるかも知れないわね…フフフ…」
雅の提案に篭也と囁が同意し、意見のまとまっていく空気となる。
「よっしゃあ!じゃあ早速、近くの高校を片っ端から…!」
「回るのは僕らでやるから、神は自宅待機だ」
「へ?」
気合いを入れて立ち上がったアヒルであったが、遮って聞こえてきた篭也の言葉に、目を丸くする。
「なんで?」
「そうだよね。言玉のない朝比奈くんが出歩いて、敵の人に襲われちゃったら大変だし」
「末守さんが見つかるまでは、安全な場所でじっとしていてもらわないとね…」
「そういうことだ」
「ええぇ~」
アヒルががっくりと肩を落とし、力なく椅子へと座り込む。
「俺、待機とか苦手なんだけどぉ」
「得手不得手の問題ではない」
机の上に片頬をつけ、拗ねたように口を尖らせるアヒルに、篭也がきっぱりと答える。
「これが言ノ葉町周辺の高等学校一覧と、地図です」
「あまり数はないな…適当に割り振る。手分けして回ろう」
「ええ…」
指示を出しながら、雅に渡された一覧表に素早く書き込みを入れていく篭也。
「奈々瀬は高市と一緒に回ってくれ」
「え?なんで?」
篭也からの指示に、七架が素直に首を傾ける。
「一人で調査して回れるほどに、人として成り立っていないからだ」
「あ、そっか」
「んんんん~!」
ひどい言いようをする篭也であったが、七架はしっかりと納得して頷く。そんな二人に、口を塞いだまま、何やら声をあげている保。恐らく、人として成り立っていないことを、謝り散らしているのであろう。
「割り振った。各自、これで回ってくれ」
書き込みを入れた紙を、篭也が囁と七架へ、それぞれ渡す。
「僕は為介さんの家に居ますので、何かあれば連絡下さい。皆さんへ、連絡を回しますので」
「ああ、わかった。宜しく頼む」
「いえ」
しっかりとした口調で頼む篭也に、雅は快い笑みを向けた。それぞれ一覧と地図の記載された紙を持った篭也たちが、出発するべく椅子から立ち上がる。保も引き続き口を塞いだまま、皆と同じように立ち上がった。
「わかっていると思うが、敵はすでに動き出している」
篭也が皆を見回し、真剣な表情を見せる。
「あまり時間はない。奴等が派手な動きを見せる前に、何としても末守を探すんだ」
「ええ…」
「うん」
「んん!」
篭也の言葉に、囁、七架、保がそれぞれ、しっかりと頷く。
「では神、我々は今から、末守調査に出る」
「ああ、頼む」
振り向いた篭也に、椅子に座ったままのアヒルが、大きく頷きかける。
「あなたは速やかに帰宅し、大人しく待機しているように」
「寄り道とかしちゃダメよ…?アヒるん…」
「き、きき気を付けてね、朝比奈君」
「んん!んんんん~!」
最後の保が何を言ったのかは不明であるが、安団の皆は口々にアヒルへと声を掛けると、篭也を先頭として、連なるように国語資料室を後にしていった。
「では、失礼します」
「ああ」
安団の四人に遅れるようにして立ち上がった雅が、丁寧に恵に一礼し、最後尾で資料室を出ると、ゆっくりと扉が閉まった。扉の閉まる音が響き、アヒルと恵だけとなった資料室に、静寂が訪れる。
「はぁ、苦手だけど、仕方ねぇから自宅待機すっかなぁ」
気だるそうに少し伸びをしながら、アヒルがしかめた表情のまま、紙コップに残っている茶を飲み干し、立ち上がる。
「あ、そういや今朝聞いたんだけど、恵先生って、“恵の神”なんだってな」
「ああ?」
急に思い出したように言いながら振り向くアヒルに、恵が眉をひそめる。
「何だ、今更」
「今更って、俺、初耳だったんだけど…」
「いちいち言う程のことでもないだろ。今じゃ旧世代の神なんて、名ばかりの神なんだ」
「そういうもんなのかぁ?」
素っ気なく答える恵に、まだあまり、旧世代の神のこと自体を理解していないアヒルは、戸惑うように首を傾げる。
「まぁいっか。先生は先生だもんな」
明るい笑みを見せるアヒルを見て、恵がそっと目を細める。
「思ったより、元気なんだな」
「へ?」
恵の言葉に、アヒルが首を傾げる。
「もっと、凹むのかと思った」
「……っ」
その言葉の意味を理解したのか、アヒルが少し表情を曇らせる。恐らく恵は、昨夜のことを言っているのであろう。カモメが五十音士であったことを知り、カモメの死の真相を知り、そしてカモメの仇である阿修羅にまったく歯が立たなかったことで、アヒルがもっと落ち込むと思っていたのであろう。
「別に、凹んでねぇわけじゃねぇぜ?言玉だって、木端微塵に砕かれちまったし」
アヒルが少し頭を掻きながら、恵へと言葉を向ける。
「けど、俺には…」
―――大丈夫、大丈夫だよ…―――
―――あなたには、僕たちが附いている―――
「支えてくれる、家族がいる。力になってくれる、仲間がいる」
父の、篭也の言葉を思い出し、そっと口元を緩めたアヒルが、何かを掴むように右拳を握り締める。
「だから、倒れずにいられる。それだけだ」
「……そうか」
迷いのない、晴れやかな笑みを浮かべるアヒルに、恵が頷きながら、どこか安心したように微笑む。
「カモメも一安心だろうな」
「そうだといいけど…って、あれ?」
アヒルが急に目を丸くし、逸らしていた視線を戻して、再び恵の方を振り向く。
「なんで恵先生が、カー兄のこと、知ってんだ?」
「え…」
不思議そうに首を傾げるアヒルに、恵は思わず言葉に詰まる。
「あ、いや…」
「ああ、もしかして、カー兄もここの生徒だったから?」
何とか言葉を発しようとした恵にかぶさり、アヒルが言葉を投げかける。
「って、んなわけないか。恵先生、二十四とかだっけ?五年前じゃ、まだ先生じゃねぇもんな」
「……っ」
自身の問いに自身で答え、納得した様子で笑顔を見せるアヒルに対し、恵は何やら神妙な面持ちを見せ、そっと俯いてしまう。
「忌退治の時に偶然、知り合ってな…」
「そっかぁ、そうだよなぁ。カー兄も先生も五十音士なんだしなぁ」
俯いたまま恵が発したその答えに、アヒルは特に疑問を持つこともなく、大きく頷いた。
「ほら、くだらないことばっか言ってないで、とっとと帰れよ。神月たちにどやされるぞ」
「それもそうだ」
恵の意見に激しく賛同し、アヒルが机の上に乗せていた鞄を、素早く背負う。
「んじゃ、また明日な!先生!」
「……っ!」
軽く右手をあげ、笑顔を浮かべて去っていくアヒルに、大きく目を見開く恵。アヒルが去り、扉が閉まると、恵は少し胸を押さえるようにしながら、ゆっくりと俯いていく。
―――また明日!―――
重なる、笑顔。それはもう、“永遠”に来ない明日。
「私も…あいつくらい強かったら、良かったのにな…」
俯いたままの恵が、そっと頭を抱え、どこか弱々しい声を落とした。
学校を出てすぐ、末守を探すためにそれぞれ散っていった篭也たちと別れた雅は、為介の家、何でも屋『いどばた』へとやって来た。
「帰りました」
「あぁ、雅くぅ~ん」
雅が声を掛けながら店の戸を開くと、中から陽気な声が聞こえてくる。
「今日ねぇ、何となく模様替えしたい気分だからぁ、ちょっと手伝っ…」
「嫌です」
「うわぁ、言い終わる前に断られちゃったぁ」
きっぱりと答える雅に、ショックを受けることすら出来なかった為介が、思わず両手を左右へ開く。
「神月君たちが末守の捜索をしていて、僕は今から連絡係を務めますので」
「捜索ぅ~?」
店の奥へと入っていきながら、状況を説明する雅に、為介が大きく首を傾ける。
「捜索ってぇ?」
「末守の名前と年齢は、韻のデータベースに記載されていましたので、それを元に、この町の近辺の学校を片っ端から…」
「まぁた、そういう無駄なことしてぇ」
「え?」
呆れたように言い放つ為介に、雅が後方を振り返り、戸惑うように声を漏らす。
「無駄とは言いますが、現状、末守を探す以外に、朝比奈君の言玉を直す方法が…」
「そっちじゃないよぉ。無駄なのは捜索の方っ」
「え…?」
為介の答えに、雅が益々、戸惑いの表情となる。
「奈々瀬さん、探す時にも言ったでしょ~?」
雅をまっすぐに見つめ、為介がどこか意味深な笑みを浮かべる。
「神附きは自然と、神のもとに集まるものだって」




