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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
193/347

Word.49 神ニ、集ウ 〈3〉

 言ノ葉町。小さな町の八百屋さん『あさひな』。

「…………」

 二階のアヒルの部屋の向かいにある、“カモメ”という名札の掛かった、今は空き部屋であるその部屋の、少し埃の溜まった机の上に、アヒルは突っ伏していた。机の棚には高校の教科書が並んでおり、その横には、まだアヒルが小学生の頃の、家族の写真が飾られていた。そこに並ぶすべてが、カモメの時が五年前で止まってしまったことを表している。

「カー兄…」

 アヒルが少し顔を上げ、横目でその家族写真を見つめ、小さな声でカモメを呼ぶ。


―――おかえり、アーくん!今日の晩御飯は、アーくんの大好物のカレーだよ!―――

―――またリレーで一番取ったの?凄いなぁ、アーくんは。さすがは兄ちゃんの自慢の弟だ!―――


「……っ」

 記憶の中のカモメの姿を思い出し、アヒルがそっと目を細める。記憶の中のカモメは、いつだって優しい笑顔をアヒルに向けてくれていた。アヒルが笑っていないカモメの姿など見たことがないほどに、カモメはいつも笑顔を浮かべていた。


―――兄ちゃんなんか、いなくなればいいんだっ…!―――

 カモメの笑っていない顔を思い出せるとすれば、あの時だけ。


「…………」

 笑顔でないカモメを思い出し、アヒルが深く目を閉じて、机の上に放り出している右手の拳を、強く強く握り締める。

「カー兄…俺、は…」

「レタスミサイルぅぅ~!」

「ぶふ!」

 ゆっくりと瞳を開き、何かを言いかけたアヒルであったが、後方から勢いよく飛んで来たレタスが、アヒルの後頭部を見事に直撃し、アヒルは思わず、潰れたような低い声を漏らした。

「何を…すんだよ!クソ親父!」

「ぐはぁ!」

 投げてきた者の姿を確認しないまま、頭を直撃したレタスを持ち直し、素早く振り返って、勢いよく投げつけるアヒル。アヒルの投げたレタスは、部屋の入口に立っていた朝比奈家、父の顔面に、大きな音を立てて炸裂し、父はそのまま後方へと倒れ込んだ。

「痛たたたた…ひどいよぉ、アーくぅ~ん」

「先にひどいことしたのは、そっちだろうが!」

 鼻の頭を押さえながら、泣きそうな表情で起き上がる父に、アヒルが強く怒鳴りあげる。

「だいたい、なんでレタス投げられなきゃなんねぇんだよ!俺は何の寝言も言ってねぇぞ!?」

「だって、スーくんもツーくんも帰って来なくて、お父さん寂しかったから、ついっ」

「“つい”で息子、攻撃すんじゃねぇ!」

 可愛らしく言う父に、アヒルの怒りは収まるどころか、増していく。

「だいたい、どうしたのぉ?こんな時間に、電気も点けずに」

 やっと立ち上がった父が、入口のすぐ横にあるスイッチを押し、部屋の明かりを点ける。空き部屋ではあるが、定期的に電球は変えているため、電気はすぐに点いた。ずっと暗闇に居たため、急に入って来る光に、アヒルが思わず目を細める。

「眠るなら、自分の部屋で寝なよぉ?」

「……っ」

 声を掛ける父に答えることなく、アヒルはそっと俯いた。そんなアヒルの姿を見て、父は何か察したように、穏やかな笑顔を作る。

「何か、あった?」

「え…?」

 問いかける父に、アヒルが戸惑うように顔を上げる。

「何かなきゃ、アーくんは早々、カーくんのところに相談になんか、来ないでしょう?」

 少し首を傾げ、父が問いかけを続ける。

「カーくんに心配かけるの、嫌だもんね」

「…………」

 まるで赤子をあやすような、そんな緩みきった笑みを向けてくる父に、目を合わせていることが気まずくなり、アヒルが再び俯く。

「親父は…」

「ん?」

 ゆっくりと口を開いたアヒルに、父がさらに首を傾ける。

「親父は知って…るに、決まってるよな。スー兄たちが知ってたくらいだし…」

 言葉を途中で言い直し、自分自身で納得するように呟くアヒル。

「カー兄が、殺されたって…こと…」

「……っ」

 アヒルの発したその言葉により、笑顔を見せていた父の表情が曇る。だがすぐにその曇りは晴れ、父はまた笑みを浮かべた。

「そうだね。知ってる」

 父が、認めるように、大きく頷く。

「一応は、お父さんだからねぇ」

「……俺…俺だけ、知らなかった…」

「うん。お父さんたちが皆、言わなかったからね」

「なんで…」

 疑問の言葉が、すぐにアヒルの口から零れ落ちる。

「なんで…?」

 アヒルは俯けていた顔を上げ、まっすぐに父を見つめ、兄へ向けた問いを同じ問いを投げかけた。

「……誰かが死ぬ時、その死には、必ず理由がある」

 父がアヒルから視線を逸らし、殺風景なカモメの部屋を見回しながら、話を始める。

「理由なく死んで逝く人なんて、この世界には居ないからね」

 言葉を続けながら、穏やかな笑みを浮かべる父。

「でも、その理由の大半が、死んだ人間の近しい者にとっては、受け入れ難いものなんだ」

 父の笑みが、少しだけ悲しげに曇る。

「寿命でも病気でも、受け容れ易い“死”なんて、この世界にはない」

「…………」

 いつになく真面目に話す父の姿を、アヒルは目を逸らすことなく、まっすぐに見つめていた。

「受け入れられなかったんだよ。スーくんもツーくんも、お父さんも」

 父がそう言って手を伸ばし、すぐ近くにある洋服箪笥へと手を触れる。

「カーくんが、殺されただなんて…カーくんがもう、この世界のどこにも居ないだなんて」

「……っ」

 その言葉を発した父の表情が、本当に悲しそうで、アヒルの胸までひどく痛み、アヒルは思わず、込み上げて来た何かを押さえ込むように、右手で口元を覆った。

「言葉にすれば、それを、現実として受け止めなきゃいけないような気がして…」

 埃の溜まった箪笥の上を、手のひらで撫でながら、父がさらに言葉を続ける。

「だから、言葉に出来なかった」

 手のひらについた埃を見つめ、そっと目を細める父。

「だから、言えなかった…」

 重く落とされた父の言葉には、偽りの色など一切なく、ただ伝わって来る悲しみに、アヒルは責めることなど、まるで出来なかった。

「ごめんね、アーくん」

「……っ」

 心から謝る父に、アヒルが強く唇を噛み締める。

「違う…」

「え…?」

 アヒルが発した小さな声に、父が戸惑うように首を傾げる。

「アーくん?」

「違う、んだ…」

 搾り出すように、言葉を発するアヒル。

「俺にだけ言わなかったのは、スー兄やツー兄が、俺のことを思ってのことだって、ちゃんと、わかってた…」

 所々、言葉を詰まらせながら、アヒルが必死に言葉を繋げる。

「カー兄が殺されたって聞いた時、俺が…俺が、一番初めに思ったことは、なんで俺だけ知らなかったんだって怒りじゃなかった…」

 アヒルの声が、大きく震える。

「カー兄が…カー兄が死んだのは…」


―――兄ちゃんなんか、いなくなればいいんだっ…!―――


「俺の言葉のせいじゃなかったんだって…なかったんだって俺、心のどっかで、ホッとしたんだっ…」

 震える口元に両手を近づけ、アヒルがその場で力なくしゃがみ込んでいく。

「ホッとしたんだ…俺っ…!」

 床に膝を落とし、座り込むアヒル。

「そんなこと、思った…最低なんだ…!俺は…!」

 肩を震わせ、背を丸めこむようにして大きく屈み、床に額をつけたアヒルが、震える叫びを発する。

「最低なんだっ…!」

「…………」

 蹲り、その言葉を繰り返すアヒルを、父がまっすぐに見つめる。

「最低じゃないよ、アーくんは」

 優しく語りかけながら、父がゆっくりと歩を進め、蹲っているアヒルの方へと歩み寄っていく。

「だってアーくんは、五年前のあの日からずっと、あの言葉を背負って来たじゃない」

 父がアヒルのすぐ前で歩を止め、静かにしゃがみ込む。

「あの言葉を背負って、背負って、誰かの言葉を、みんなの言葉を、大切に、大切にして来たじゃない…」

 諭すような声が、蹲ったままのアヒルへと落とされる。

「お父さんは、ちゃんと知ってるよ」

 ゆっくりと伸ばされた父の手が、アヒルの頭の上へと乗る。

「ずっと、見てきたもん」

 頭の上に乗った父の手が、優しくアヒルの頭を撫でた。

「カーくんだって、きっと見てくれてるさ」

「けど…」

 床から額を離し、少しだけ体を起こして、アヒルが小さな声を発する。

「けど…俺はっ…!」

「それに、カーくんがアーくんのことを、“最低”だなんて思うはずないよ」

 アヒルの言葉を遮って、父が優しく言葉を続ける。

「だって、カーくん、言ってたでしょう?」

 首を傾け、アヒルの顔を覗き込む父。

「“アーくんは、自慢の弟だ”って」

「……っ!」

 温かく微笑む父の姿を視界に入れ、顔を上げたアヒルが目を見開き、その表情を大きく崩す。

「うぅ…!」

 ぐっと瞳を細め、再び顔を俯かせていくアヒル。

「大丈夫、大丈夫だよ…」

 俯いたアヒルの頭を撫でながら、父が優しい微笑みを浮かべ、まるで言い聞かせるように、言葉を掛ける。

「大丈夫っ…」

「うううぅ…!うぅ…!」

 その優しい言葉に、堪えるような、堪え切れないような、思いの溢れ出したアヒルの声が、カモメの部屋へと響き渡った。



『…………』

 カモメの部屋の扉の外に立ち、中から聞こえてくるアヒルの声を聞いて、何やら考えるように、そっと目を細めるスズメとツバメ。

「家帰ったら…とりあえず寝るんじゃなかったの…?」

 ツバメが前を向いたまま、中には聞こえぬような小さな声で、スズメへと問いかける。

「うん…」

 ツバメの言葉に、短く頷くスズメ。

「もう、少し…」

 どこか願うように呟いて、スズメはそっと俯いた。


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