Word.5 乱レル弾丸 〈2〉
その頃、朝比奈家。
「ふえぇ~っくしょん!くしょん!」
居間で豪快なくしゃみをするスズメ。
「ズビっ…ううっ…どこぞのイイ女が俺の噂してやがるぜっ」
「くしゃみ二回は嫌な噂だぞぉー」
鼻をすすりながら、どこか得意げに微笑むスズメに、横に座ったアヒルが、冷たく言い放つ。
「うぅ~んっ」
スズメに突っ込みを入れた後、すぐに浮かない表情となったアヒルが、居間の掛け時計を確認し、さらに眉をひそめる。
「なぁ、ツー兄遅くね?今日、食事当番なのにさぁ」
「そうね…いい加減、帰ってきてもらわないと、お腹が空いたわ…」
「ああ、腹が減った」
「お前ら、ちったぁ遠慮しろ!」
相変わらず自然に朝比奈家の居間で寛ぎ、何の迷いもなく食事が出されるのを待っている篭也と囁に、アヒルが強く怒鳴りあげる。
「どっかで買い物でもしてんじゃねぇのかぁ?」
「この辺は九時過ぎたら、コンビニとパチンコ以外、閉まっだろっ」
「んなに気になんなら、お前探して来いよ」
「ええっ!?」
適当に言い放つスズメに、アヒルが勢いよく顔をしかめる。
「スー兄が行ってくれればいいだろ!?」
「俺は“恋盲腸~降り止まぬ恋雨前線の巻~”を読むので忙しいから、ダァ~メっ」
「…………」
デロ甘そうな表紙の本を持ち上げ、笑顔を見せるスズメに、怒鳴る力も湧かず、ただ呆れきった視線を向けるアヒル。
「んっと」
『んっ?』
アヒルが振り向き、篭也と囁の方を見ると、二人は同時に顔を上げた。
「私も“恋盲腸~ライバル登場・三角関係タイフーンの巻~”を読んでるから駄目よ…フフっ…」
「僕はだな、えぇっと…」
「もういい」
一度、本を閉じ、タイトルを確認しようとする篭也に、アヒルが冷たく言い放つ。
「アーくぅ~ん!お父さんが一緒に行ってあげっ…!」
「結構です」
「ううっ…」
店の片付けから居間へと戻ってきた父が、アヒルにあっさりと断られ、その場に膝をついてショックを受ける。
「アカネェ…お前が出て行って早十一年…息子たちがついに父と距離を置き始めっ…」
「俺、ちょっと行ってくるわっ」
「んん~」
「四ツ目スカンクに襲われないようにね…フフフっ…」
「余計なこと言うんじゃねぇ!」
出て行った妻へと嘆いている父を完全に無視し、言葉を交わすアヒルとスズメ。脅すように呟く囁に怒鳴り返すと、サンダルを履き、アヒルは店の通用口から、家の外へと出て行った。
「さてと…」
「あら…?」
恋盲腸の本を居間のテーブルへと置き、立ち上がる篭也を、囁が物珍しそうに見上げる。
「結局行くの…?」
「僕は安附だ。仕方ないだろう」
「そうね…そういうことにしておいてあげるわ…フフっ…」
少し楽しげな笑みを浮かべると、囁も本を置き、立ち上がった。
『ハァっ…!ハァっ…!ハァっ…!』
強く手を握り合ったツバメと想子は、人通りのない薄暗い道を、ひたすら必死に駆け抜けていた。全速力で走り続けた疲れと、不安や焦りから、徐々に呼吸が乱れ始める。
「ツバメさん…!あいつらって一体っ…!」
「わからない…わからないけど…」
想子を引っ張るようにして前を走るツバメが、真剣な表情を見せる。
「凄まじい怨念を感じるよ…」
「きゃ!私たちまるで、ホラー映画のヒーローとヒロインみたいですね!」
どちらかというと、こちらから怨念を感じそうな程に不気味な表情で呟くツバメに、何故か黄色い声をあげる想子。追われているわりには、緊張感が足りていないようである。
「いつまでも逃げていても仕方ないし…」
「えっ…?」
走りながら、何やら鞄の中をあさり始めるツバメに、想子が首を傾げる。
「この必殺の降霊シートで、魔神ヘンタラコンタラを召喚しようか…」
「きゃあー!何だかめちゃくちゃ素敵ですね!」
「そう…?」
怪しげな紋様の描かれたシートを取り出すツバメに、期待一色の瞳を向ける想子。そんな想子に、ツバメが少し嬉しそうに笑みを零す。
『グオオォォォっ…!』
「……っ!」
「前からっ…!?」
二人の走っていた道の前方で、角から曲がってきた先程の男たちが数名姿を現し、ツバメと想子は、必死に動かしていた足を止めた。
『グオオォォォ!!』
「後ろからもっ…!」
追いかけるようにしてやって来る男たちに、少し振り返り、焦りの表情を見せる想子。
「挟まれた…」
「うっ…」
険しい表情で呟くツバメの横で、怯むように肩をすぼめた想子が、ツバメの手をさらに強く握り締める。
「うぅ~ん…こうなったらやっぱり…僕の降霊シートで…」
「こうなったら、私の剣道で面してやるわっ!」
「あれ…?」
ツバメがシートを広げるより先に、想子が部活の鞄から竹刀を取り出し、ツバメより前へと出て、力強くそれを構えた。シートを広げるタイミングを失ったツバメは、少し丸くした瞳で、想子を見つめる。
「あのっ…想子ちゃん…?」
「ツバメさんは退がってて下さい!ここは私が何とかしますから!」
「いや…けどっ…」
「ツバメさんに傷一つ、つけさせるわけにはいきません!」
何とかシートを広げようとするツバメであるが、想子の強い意志に押され、どうにも広げることが出来ない。
「いや…でも…魔神ヘンタラコンタラが…」
「私が面しますって!」
「グゥゥっ…」
二人がシートと竹刀を構えて、それぞれ前へ出ようとモメていたその隙に、二人の前方に立ちはだかる男の一人が、唸り声をあげながら、勢いよく右手を振り上げた。
「“破”っ!」
『えっ…?』
その禍々しい声に、ツバメと想子が同時に振り向く。
「うっ…!」
「なっ…!」
男の振り下ろした右手から、大きな衝撃波が放たれ、まっすぐに二人へと向かって来る。背後には他の男たちがおり、逃げ場もない二人は、大きく顔を歪ませた。
「きゃあああ!」
「クっ…!」
―――バァァァァン!
激しい衝撃波が二人を直撃し、二人は大きく空へと突き上げられると、力なく地面へと落ちた。
「ううっ…」
手や足、口からも血を流したツバメが、苦しげに表情を引きつり、地面にひれ伏した状態で、ゆっくりと顔だけを上げる。
「想子…ちゃん…?」
「…………」
ツバメのすぐ前で、仰向けになって倒れ込んでいる想子は、頭から血を流しており、深くその瞳を閉じ、ツバメの呼びかけにも、ピクリとも体を動かさなかった。
「想子ちゃんっ…」
そんな想子の状態を目の当たりにし、ツバメが険しい表情を見せる。
『グゥゥゥっ…』
近づいてくる唸り声の重奏に気付き、ツバメがさらに顔を上げる。前後に立った男たちがそれぞれ、ゆっくりと間合いを詰めるように、ツバメたちの方へと歩み寄ってきていた。
「クっ…」
厳しい表情を見せたツバメが、もう一度、倒れている想子を見る。
―――みんな必死に…ガァを守ってる…―――
―――私…ガァが少し、羨ましい…―――
「……っ」
思い出される想子の言葉に、ツバメがそっと目を細める。
「この子だけは…守らないと…」
意を決するように、呟くツバメ。
『グオオォォォォっ…!』
「うっ…!」
一気に駆け込んでくる男たちに、ツバメが焦りの表情を見せる。
「こうなったらっ…!」
強く瞳を輝かせたツバメが起き上がり、道の真ん中に広げたのは、先程の降霊シート。
「出でよ…!魔神ヘンタラコンタラ…!」
合わせた両手を天へと掲げ、ツバメが瞳を閉じ、叫びあげる。
「ギャアアアアア!」
「おっ…?」
近くから聞こえてくる、咆哮と同じ声の悲鳴に、意外そうな声を漏らしたツバメが、恐る恐る目を開いていく。
「まさか…本当にヘンタラコンタラが…」
「言っとくけどっ」
「……っ」
目を開いたツバメが、目の前に立つその人物の姿を目に入れ、さらに大きく目を見開く。
「俺は神になった覚えはあっても、ヘンタラ何たらになった覚えはねぇーからなっ!」
「ギャアアアアア!」
ツバメの前に、ツバメを庇うようにして立ち、ツバメに向かって来ていた男の一人を勢いよく殴り飛ばしたのは、ジャージ姿のアヒルであった。
「アヒル…君…?」
目の前に現れたアヒルを、ツバメは唖然とした様子で見つめる。
「まさかアヒル君が…ヘンタラコンタラだったなんて…」
「だっから違うっつってんだろ!」
驚きの表情を見せるツバメに、アヒルが勢いよく怒鳴りあげた。
『グゥゥゥゥっ…』
二人があれこれと会話をしている間に、アヒルに吹き飛ばされた仲間を見て、同じようにツバメへと駆け込んできていた男たちは皆、戸惑うように足を止め、ゆっくりとその足を後ろへと下げた。
「あらら…凄い数の忌ね…フフフっ…」
「感心している場合か」
引き下がる忌の間から、アヒルたちのもとへとやって来る篭也と囁。
「篭也君に…囁ちゃんまで…」
さらに現れた二人を、ツバメが驚いたように見つめる。
「みんな…実は人間じゃなかったんだね…」
「だっから違うっての!」
まだ皆を自分が召喚した魔神だと思っているツバメに、怒鳴るアヒルの顔がどんどんと引きつられていく。
「それより大丈夫かよぉ?ツー兄っ」
体の所々から血を流すツバメを、アヒルが少し心配そうに見る。
「僕は大丈夫っ…僕より想子ちゃんがっ…」
「想子…?あっ…!」
ツバメの視線を追ったアヒルが、すぐ近くで倒れ込んでいる想子を見つける。
「想子っ…!」
慌てて、想子のもとへと駆け寄るアヒル。
「怪我をっ…」
深く瞳を閉じた想子の頭部から流れる赤い血を見て、アヒルがその表情を曇らせる。頭の怪我となれば、不用意に動かすことも出来ない。
「とっとと病院にっ…」
「どいてろ、神」
「ああ!?」
背後から聞こえてくる偉そうな声に、アヒルが顔をしかめて振り返る。アヒルが振り返った先に立っていたのは勿論、篭也で、神であるアヒルより偉そうな態度を取った篭也は、アヒルを横にどかせて、想子のすぐ傍へとしゃがみ込んだ。
「どうすんだよ?」
「見ていればわかる」
アヒルの問いかけに適当に答え、篭也が取り出した言玉を持った右手を、血の流れる想子の頭部へと近づけた。
「“回復しろ”」
篭也の“か”の言葉に反応し、言玉が強い光を放ち始める。
「あっ…」
光の先を見つめ、驚いたように大きく目を見開くアヒル。言玉の放つ光に包まれると、想子の頭の傷は目に見るも明らかな速度で、あっという間に塞がっていき、流れていた血もすぐに止まった。
「傷はそう深くない。もう大丈夫だ」
「すっげぇ。お前、こんなことも出来んだなぁっ」
「…………」
立ち上がった篭也が、感心しきった表情を見せているアヒルを見て、少し目を細める。
「辞書は読んでいるのか?」
「うっせぇなぁ!まだ三ページ目だってのっ」
嫌味のように問いかけてくる篭也に、アヒルがしかめた表情を見せた。
「さすがは僕の魔神…攻守ともに完璧なバランスだ…」
「ツー兄も頭、怪我してんじゃねぇーの…?」
篭也の能力を見て、特に驚いた様子もなく、何やら満足げに何度も頷いているツバメを見て、アヒルが冷たい視線を送る。
『グオオオォォォっ!』
「敵さんはやる気満々みたいよ…アヒるん…」
「ああっ」
囁の声に、アヒルが真剣な表情となって振り向く。
「僕と囁で蹴散らしっ…」
「ツー兄、あいつらに見覚えある?あいつらに何か言った?」
「…………」
戦う気満々で言玉を構えた篭也であったが、いきなり戦う素振りも見せずに、ツバメへと問いかけをするアヒルに、一気に呆れた表情となる。
「またこれか…」
「まぁまぁ…これが、我らが神のやり方なんだから…」
深々と肩を落とす篭也に、囁がどこか説得するように声を掛ける。
「あの人たちは確か隣校の番長一味だったと思うよ…」
「隣校の番長?っつーことは、あのアホアニキたちの上かぁ。そういや見覚えがあるようなっ…」
いつも朝やって来るアニキたちの通う隣校と、アヒルたちの学校は、昔から何故かケンカの強さで争っているようで、両校のあまり品行の良くない生徒同士の間では、よくモメ事が起こっているのである。
「でも、あいつらってよく、スー兄にやられてる連中じゃっ…」
「うん…僕、スズメに間違えられて、仕返しされそうになってるみたい…」
「へっ…?」
他人事のように答えるツバメに、アヒルが少し目を丸くする。
「ってことは、スー兄があいつらに何かを言って…?」
「“ゴキブリ以下だ”って言ってやったって…昼間、自慢してたよ…」
「…………」
ツバメの言葉を聞き、黙り込んだアヒルが、勢いよく表情を引きつった。
「あんのバカ盲腸!今度会ったら、力の限りぶん殴ってやるっ!」
「一応、僕らの身内だよ…?アヒル君…」
スズメへの殺意を燃やすアヒルを、ツバメが少し呆れた表情で見つめる。
「で?どうするんだ?神」
「へっ!?」
横から篭也に問いかけられ、アヒルが焦るように声を裏返す。
「えぇ~っと…急いで戻って、スー兄を連れてきて、謝らせるとかっ…」
「“破”っ…!」
「おぇっ…!?」
話しているアヒルたちへと、男の一人が右手を振り下ろし、衝撃波を放つ。迫り来る衝撃波に、言葉を止めて、慌て始めるアヒル。
「“妨げろ”…」
―――パァァァァン!
「うっ…!」
目の前で弾かれる衝撃波に、アヒルが思わず身を屈めた。
「とてもじゃないけど、そんなこと…させてもらえそうにないわよ…?神…フフフっ…」
「クっ…」
すでに言玉を解放し、横笛を構えた囁がそう言うと、アヒルは険しい表情を作った。これ程の人数の忌に取り憑かれた人間を相手には、逃げる時間も、謝らせる時間も、確かにないだろう。
「とりあえず二人をこちらへ」
「あ、ああ!ツー兄、こっち!」
「えっ…?」
想子を抱きかかえた篭也が、道の端へと想子を運んでいく。篭也の言葉に頷いたアヒルが、ツバメの手を引き、後に続いた。
「“妨げろ”…」
道端に想子を寝かせ、その横にツバメを座らせると、後からやって来た囁が言葉を発し、二人の周囲に、振動で作り上げた膜を張る。
「これで多少の攻撃は大丈夫…」
「ああっ。じゃあこっから出ないようにな?ツー兄っ」
「あ、えっ…あの、アヒルくっ…」
「第一の音、“あ”・解放!」
「……っ!」
ひどく困惑した表情を見せ、アヒルを呼び止めようとしたツバメであったが、アヒルの取り出した言玉が、強い光を放ち、その姿を銃へと変えると、ツバメはその信じ難い光景に目を見張り、それ以上、言葉を続けることが出来なかった。
「アヒル…君っ…」
ツバメが戸惑うように、ただまっすぐ、アヒルの背中を見つめる。




