Word.48 修羅ノ真実 〈3〉
「ん?」
「へっ?」
だが阿修羅の放った弾丸は、アヒルの上、すれすれのところを通り、アヒルに傷一つつけることなく、そのまま素通りして、空の遥か向こうへと突き進んでいった。当たらなかった弾丸に、アヒルと阿修羅がそれぞれ、戸惑った表情を見せる。
「これは…」
自身の構えた銃を見つめ、阿修羅がそっと眉をひそめて、振り向く。
「はぁ…はぁ…」
阿修羅が振り向いた先には、激しく息を乱した篭也の姿があった。篭也は先程まで下ろしていたはずの鎌を、阿修羅へ向け突き出しており、言葉を使ったのか、その鎌はまだ淡く、赤色に輝いている。
「“傾け”…」
「……っ」
篭也の口から零れ落ちた言葉を聞き、阿修羅が楽しげに微笑む。
「篭也…」
アヒルも阿修羅の視線を追うようにして、篭也の方を見る。
「言葉で弾道を変えたか」
誉めるように言いながら、篭也の方を見る阿修羅。
「そんな状態でも直、神を守る。お前は本当に、良く出来た神附きだ、加守」
「…………」
誉める言葉であったとしても、阿修羅からのものでは喜ぶことが出来ないのか、篭也は険しい表情を見せたまま、その表情を動かさない。
「忌としてお前と戦った時から、感心していたよ」
「忌として…?」
阿修羅の言葉に、眉をひそめるアヒル。
「じゃあお前が、始忌に成りすましてたっていう…?」
「まぁ、そういうことだ」
再びアヒルの方を振り返った阿修羅が、笑みを見せて頷く。
「フ、ザけやがって…!」
アヒルが声を荒げ、表情をしかめる。
「何がカー兄の友達だ!何がカー兄とはよく衝突しただよ!」
倒れ込んでいた上半身を起こし、阿修羅と交わした言葉を思い出し、アヒルがその一つひとつを、怒りとして放出する。
「俺と戦う気なら、正面から俺に向かって来れば、よかっただろうが!」
さらに大きく、声を荒げるアヒル。
「よりによってカー兄使って、くだらねぇウソつきやがって…!」
「嘘じゃない」
「えっ?」
強く言葉を遮られ、アヒルは思わず言葉を呑み込み、目を丸くする。
「俺がお前に告げた言葉の中には、嘘など、たったの一つもない」
「何、だと…?」
はっきりと言い放つ阿修羅に、戸惑うアヒル。
「確かに俺は、朝比奈カモメの友だった」
先ほどまで浮かべていた、余裕に満ちた笑みを消し去り、真剣な表情を見せた阿修羅が、まっすぐにアヒルを見つめる。
「お前の兄、朝比奈カモメは…」
阿修羅が視線を、アヒルから篭也へと動かす。
「そこに居る加守を加守へと導いた、先代の“加守”。“安の神”であった俺の、神附きだったんだからな」
「えっ…?」
衝撃的な阿修羅の言葉に、声を失うアヒル。
「……っ」
しゃがみ込んだままの篭也は、力なく目を伏せ、深く俯いてしまう。
「カー兄が、加守…?」
彷徨うアヒルの瞳が、阿修羅や篭也と見つめ、色々なところを見回していく。
「カー兄が、五十音士…?」
それは、アヒルが考えてもみなかった真実であった。
「ああ、そうだ」
戸惑うアヒルへもう一度、告げるように、阿修羅が大きく頷きかける。
「カモメは俺の神附き、そして俺はカモメの神だった…」
阿修羅が過去を思い出しているのか、暗い空を見上げ、遠くを見るような瞳を見せる。
「他の安団の仲間と共に忌退治に励み、人々の言葉を守っていた」
「そんな…」
「信じられないなら、聞いてみるか?」
空から視線を下ろした阿修羅が、再び試すような、不敵な笑みを浮かべる。
「お前の神附きも、知っているはずだぞ?何せ、カモメから加守を引き継いだんだからな」
阿修羅の冷たい視線が、しゃがみ込んだまま、深く俯いている篭也を捉える。
「篭也…」
「…………」
どこか救いを求めるように、篭也の名を呼ぶアヒルであったが、篭也はそのアヒルの呼びかけに答えようとはせず、深く俯いたまま、まったく動かない。その篭也の態度が、何よりも答えを表していた。
「本当に…」
何も言わぬ篭也に、カモメが加守であったことが事実であると、察するアヒル。
「お前は本当に、カモメのことについては、何も知らされていなかったようだな…」
阿修羅がどこか呆れたように言いながら、深々と肩を落とす。
「カー兄が…」
アヒルが少し声を震わせながら、強く左手を地面に突いて、さらに体を起こす。
「カー兄が五十音士だったとしても、言葉で人を殺したてめぇなんかに、附くはずがねぇっ…!」
「ああ、そうだな」
「えっ…?」
あっさりと認めるように頷く阿修羅に、アヒルが眉をひそめる。
「言っただろう?あいつは誰よりも優しく、誰よりも頑固な男だったと」
阿修羅の表情から、笑みが消える。
「自身の神とはいえ、あいつは俺を許しはしなかったよ。言葉で人の命を奪った、この俺を…」
低く重く響いてくる声に、アヒルが思わず息を呑む。
「だから俺は…」
「あ…!」
言葉を続ける阿修羅に、ハッとした表情を見せ、篭也が勢いよく顔を上げる。
「やめろ…!やめろ!」
「篭也?」
「……っ」
必死に叫ぶ篭也に、アヒルが戸惑うように首を傾げ、阿修羅が嘲笑うように口元を歪める。
「やめろぉぉ…!!」
喉が潰れてしまうのではないかと思うほどに、大きな声で叫ぶ篭也。だが阿修羅は止めることなく、アヒルへと口を開いた。
「俺は、カモメを殺した」
「……っ!」
告げられるその真実に、アヒルが大きく目を見開く。
「えっ…」
アヒルは口を開いたが、それははっきりとした言葉にはならず、ただ声として落とされた。
―――おかえり、アーくん―――
―――アーくん、一緒に野菜スープ作ろうか?―――
浮かぶ、優しい兄の笑顔。
「カー兄を…」
―――兄ちゃんなんか、居なくなればいいんだ…!―――
―――違うんだ…違うんだよ!カー兄!―――
―――ああああああっ…!!―――
自分の言葉により失ったはずの、大好きな兄の命。
「カー兄を、殺した…?」
阿修羅の発したその言葉を繰り返しながら、アヒルはひどく困惑した様子で、右手をあげ、頭を抱えるように耳の横に添わせる。
「ああ、そうだ…」
ゆっくりとした口調で、アヒルへと頷きかける阿修羅。
「俺がカモメを殺した」
強調するように、阿修羅がもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「この銃で、お前と同じ“当たれ”の言葉を使って、あいつの心臓を思いきり撃ち抜いた」
阿修羅がどこか楽しげに、言葉を続ける。
「そしたら、死んだよ。あっさりとな」
「……っ」
冷たく微笑んで言う阿修羅に、アヒルの表情が止まる。
「あっ…」
アヒルが震えた唇で、声を発する。
「あああああああっ…!!」
怒り狂った大声をあげたアヒルが、勢いよく右手を振り上げ、強く引き金を引く。すると銃口から、赤と金の混ざり合った、巨大な光の弾丸が放たれた。
「凄い力だ…」
「神!」
地面を抉り返し、目にも留らぬ速さで阿修羅へと向かっていくその弾丸に、篭也が目を見張り、棗が思わず焦ったように、阿修羅へと身を乗り出す。
「“抗え”」
向かってくる光へと、素早く弾丸を撃ち込む阿修羅。阿修羅の弾丸は、アヒルの弾丸とぶつかり合い、反抗を示したが、アヒルの方が威力に勝り、阿修羅の弾丸は呑み込まれてしまう。
「俺の言葉で止められない、か…」
「神…!」
「問題ない、棗」
破られた力に眉をひそめた阿修羅であったが、不安げに呼びかける棗には、一転して余裕の笑みを向ける。
「止められないなら、砕けばいい」
そう言って阿修羅が、再び引き金を引く。
「“暴け”」
阿修羅の銃から新たな弾丸が放たれ、アヒルの弾丸を貫くと、次の瞬間、アヒルの弾丸は内部から砕け散るように、粉々になって散っていった。周囲を舞う光の粒に、阿修羅が満足げな笑みを浮かべる。
「ん…?」
だが、先程まで前方に居たはずのアヒルの姿がそこになく、阿修羅が少し眉をひそめる。
「後ろです…!神!」
棗の声に、阿修羅が素早く後方を振り返る。阿修羅のすぐ後ろには、すでに銃口を阿修羅へと向けているアヒルの姿があった。
「“当たれ”…!」
「……っ」
放たれる弾丸に、阿修羅がそっと目を細める。
「……成程」
弾丸が放たれた音を最後に、訪れた静寂を破ったのは、感心するような阿修羅の声であった。薄く笑みを浮かべた阿修羅の左頬に小さな傷が走り、そこから赤い血が流れる。
「俺が傷を負うとは…さすがは、カモメの弟だ」
「ク…!」
阿修羅が、アヒルの右手を掴み上げ、そのまま捩じるように持ち上げる。アヒルの両足が、地面からかすかに浮いており、腕を捩じられているからか、その表情を大きく歪めている。アヒルが弾丸を放つ瞬間に、アヒルの腕を持ち上げ、その弾道を逸らしたようである。
「神っ…!」
阿修羅に捕まったアヒルに、険しい表情を見せる篭也。
「言葉に難はあるが、その力は天性のものだな…やはり、血筋か?」
「……えせ、よ…」
「ん…?」
楽しげにアヒルへと問いかけを向けていた阿修羅が、俯いたままのアヒルから聞こえてくる、掠れたような小さな声に、戸惑うように顔を上げる。
「返…せ、よ…」
ゆっくりと顔を上げ、射るような瞳で、阿修羅を見るアヒル。
「カー兄を、返せよ…」
アヒルが強い瞳で、阿修羅を睨みつける。
「俺に…俺たちにっ…カー兄を返せよぉぉ…!!」
まるで何かに取り憑かれているように、大きく目を見開いたアヒルが、心からの叫びを放つ。
「神…」
初めて見るアヒルの様子に、思わず息を呑む篭也。
「返せよ!返せよぉ…!」
「……っ」
必死の叫びを続けるアヒルを見つめ、阿修羅は笑みを消すと、そっと目を細めた。
「いくら俺が神とはいえ…」
ひどく冷え切った表情を見せた阿修羅が、アヒルの腹部へと銃口を突き付ける。
「聞けない願いだな、それは」
はっきりと言い放ち、何の躊躇いもなく引き金を引くアヒル。
「“当たれ”」
「う…!うああああああっ!」
目の前から直接、腹へと弾丸を撃ち込まれ、アヒルが激しく叫び声をあげながら、後方へと吹き飛ばされる。
「う、うぅ…」
地面にうつ伏せに倒れ込んだまま、もがくように、苦しげな声を漏らすアヒル。貫通はしていないが、大きく抉れた腹の傷からは、どくどくと血が流れ出し、制服の白いシャツが真っ赤に染まっていた。体を動かせば傷に響くのだろうが、痛みを堪えられないのか、アヒルがわずかに体を動かしている。銃はアヒルの右手から零れ落ち、もとの言玉の姿となって、地面に転がっていた。
「神…!ク、うぅ…!」
篭也が重い体を必死に動かし、何とかアヒルのもとへと行こうとする。
「脆いものだな…」
阿修羅が構えていた銃を下ろし、どこか残念そうに、深々と肩を落とす。
「これが、俺の後に神となった者の実力か…」
「お前、だけは…」
途切れ途切れで、かすかに聞こえてくるアヒルの声に、阿修羅が顔を上げる。
「お前、だけは…絶対、許さねぇ…」
「……っ」
傷だらけで倒れながらも、阿修羅に挑戦的な瞳を向け、強く言い放つアヒルの姿を見て、阿修羅がどこか満足げに笑う。
「許さない、か。さっき加守にも言われたな」
アヒルから少し視線を逸らし、横を向いて笑みを零す阿修羅。
「いいぞ、許さなくて」
再びアヒルの方を見た阿修羅が、笑みを浮かべたまま、倒れているアヒルの方へと歩いていく。
「ま、待てっ…うぅ…」
動くことなど出来ないであろう、アヒルのもとへと歩いていく阿修羅を何とか止めようと、必死に体を起こそうとする篭也であったが、体中に痛みが走り、ろくに動かすことが出来ない。そんな篭也を横目に、口元を歪めると、阿修羅はさらに歩を進めた。
「一生、俺のことなど、許さなくていい…」
うつ伏せに倒れているアヒルのすぐ目の前でしゃがみ込み、阿修羅がアヒルの顔を見下ろす。
「殺したければ、殺せばいい…」
「ク…」
目の前で微笑む阿修羅を、必死に顔を上げたアヒルが、強く睨みつける。
「“当たれ”」
睨みつけるアヒルの視線から、目を逸らすことなく、阿修羅はゆっくりと右手をあげ、狙いも定めずにその引き金を引いた。
―――パァァァン!
「うぁっ…!」
狙いも定めずに放たれた、阿修羅の弾丸が撃ち抜いたのは、地面に転がっていたアヒルの言玉であった。粉々に砕け散り、細かい破片となって地面に散らばる言玉に、アヒルが大きく目を見開く。
「俺の…言、玉がっ…」
散らばった赤色の破片を見つめ、目を見開いたまま、茫然とした表情を見せるアヒル。
「さぁ、殺してみろ…」
求めるように語りかけながら、阿修羅が今度は、アヒルの額へと、銃口を押し当てる。
「なぁ…?アヒル…」
「うっ…!」
ゆっくりと引かれる人差し指に、アヒルの表情が歪んだ。




