Word.48 修羅ノ真実 〈2〉
「ハァ…!ハァ…!ハァ…!」
全身の至るところに傷を負い、地面に自身の赤い血を広げ、力なくうつ伏せに倒れ込んでいる篭也。呼吸は大きく乱れ、肩を揺らして息をしていた。
「う、ううぅ…」
「弱いものだな…その程度か?」
前方から降って来る声に、苦しげな声を漏らしていた篭也が、首だけを何とか動かして、ゆっくりと顔を上げる。
「俺の神附きは、もっと強かったぞ?」
「……っ」
挑発するように言い放つ阿修羅に、篭也がその表情を大きく歪ませる。
「何が、神附きだ…」
苦しい呼吸で、言葉を繋げる篭也。
「堕ちたあなたに、神を名乗る資格などないっ…!」
勢いよく立ち上がった篭也が、まだ血の流れ落ちる体を突き動かし、阿修羅のもとへと駆け込んでいく。
「“変格”!」
駆け抜ける道の途中で篭也が、持っている格子を鎌の姿へと変形させる。
「“刈れ”…!!」
「……っ」
阿修羅のすぐ前で飛び上がり、力いっぱい鎌を振り下ろす篭也を見て、余裕すら見える笑みを浮かべた阿修羅は、そっと左手を差し出した。
「ク…!」
差し出した手で、篭也の振り下ろそうとしていた鎌の持ち手部分を掴み、当たり前のように、鎌の動きを止めてしまう阿修羅。全力で振り下ろしたというのに、あっさりと止められてしまった鎌に、篭也は強く表情をしかめる。
「こんなものか?お前の力は」
「うぅ…!」
「あの忌として戦った時は、もう少し、強いものだと思っていたが…」
阿修羅が左手で篭也の鎌を払い退け、今度は右手を突き出して、思いきり篭也の首を掴みあげた。絞め付けられる首に、篭也の表情が歪む。
「余計な感情が、お前の邪魔をしているのかな?」
「……っ!」
見透かすような阿修羅の発言に、篭也が大きく目を見開く。
「あなたは…」
首を絞められながら、篭也が必死に言葉を発する。
「あなただけは、絶対に許さない…!」
「許さない、か…」
篭也の言葉を繰り返し、阿修羅が少し眉をひそめる。
「ううぅ…!」
「許さないから、どうだと言うんだ…?」
阿修羅が篭也の首を絞める手にさらに力を込め、冷たい微笑みで言い放つ。
「なぁ…?加も…」
「“当たれ”!」
「……っ」
さらに篭也に問いかけようとした阿修羅が、横から入って来る言葉に気付く。阿修羅が振り向くと、大きな赤い光の塊が、阿修羅へと、一直線に向かって来ていた。
「おおっと」
阿修羅が後方へと飛び退いて、向かってきた光を避ける。阿修羅が避けると、その赤い光は、暗く染まった空の向こうへと、消えていった。
「うぅ…」
首を解放され、そのまま力なくその場にしゃがみ込む篭也。
「篭也!」
「……っ」
自分の名を呼ぶ声に、篭也が閉じそうになっていた瞳を開く。
「か、み…?」
「篭也…!」
大きな声で再び篭也の名を呼びながら、篭也のもとへと駆け込んでくるのは、右手に真っ赤な銃を構えた、アヒルであった。アヒルが篭也のすぐ傍までやって来て、様子をうかがうようにしゃがみ込む。
「大丈夫か!?篭也!」
「あれ程、言ったのに…話したのか。小泉っ…」
「はぁ?」
篭也を気遣うアヒルであったが、険しい表情を見せる篭也に、戸惑うように首を傾げる。
「お前、何言って…」
「いいタイミングだ」
「……っ」
困惑の表情を見せていたアヒルが、背中の方から聞こえてくる声に、眉をひそめる。その声は、篭也を傷つけた未知なる敵のもののはずだったが、アヒルには確かに聞き覚えがあった。戸惑いの表情を見せながら、アヒルがゆっくりと振り返る。
「さすがは皆の神、といったところか?」
「あっ…」
振り返ったアヒルの瞳が、大きく見開かれる。
「あんた…」
そこに立っていたのは、赤毛に印象的な金色の瞳の、一度会ったら、見間違うこともないほどに特徴的な男。
―――学生時代の友達なんだ―――
「あんた、は…」
アヒルの家に、カモメの友として現れた、あの男。
「また会ったな」
戸惑いの色を濃くするアヒルに、阿修羅がそっと笑みを向ける。
「トマトはとても美味しかったよ、アヒル」
「……っ」
挑戦的に言い放つ阿修羅に、アヒルの表情が一気に険しくなる。
「なんで…」
まっすぐに阿修羅を見据え、戸惑いの声を漏らすアヒル。
「なんで、あんたがここに…?」
前方に立つその男は確かに、“また来る”と言っていたが、この再会は、アヒルにとってまったく予期せぬものであった。
「なんで、あんたがこんな…こんなことっ…!」
「……っ」
一瞬、傷ついた篭也の方を見て、アヒルが再び阿修羅へと視線を送る。ひどく困惑した表情を見せるアヒルを見つめ、阿修羅はそっと笑みを浮かべた。
「大丈夫ですか?神」
「ああ、問題ない。棗」
「“神”…?」
金色の獣を引き連れ、阿修羅のもとへと寄って来て、阿修羅の身を案ずるように問いかける棗。だが棗の姿や獣の存在よりも、アヒルが気になったのは、棗の口にした“神”という単語であった。
「神って…あっ」
さらに眉をひそめ、阿修羅を見ていたアヒルが、何かに気付いたように声を漏らす。
「あの、腕輪…」
アヒルの目を引いたのは、阿修羅の左腕に、黒い服の上からしっかりとはめられている、銀製の腕輪であった。年代ものであるのか、かなりくすんではいるが、黒ずみの間に、きらりと輝く銀色の部分が見える。そして腕輪の外側部分には大きく、『安』という文字が刻まれていた。
「あれって…」
急に思い立ったように、アヒルが制服であるシャツの袖を捲くりあげる。白いワイシャツの下から姿を現したのは、銀製のきれいな腕輪であった。こちらも外側に『安』という文字が刻まれている。
―――安の神の証だよぉ~―――
その腕輪は、神試験を合格し、無事五神の一人となったアヒルに、認証式の際、為介が与えたものであった。
「同じ…?」
新しさはまるで違うが、まったく同じデザインである二つの腕輪に、アヒルが益々、戸惑った表情となる。
「ああ、同じものだ」
「えっ?」
返って来る答えに、自分の腕輪を見つめていたアヒルが顔を上げる。
「これは、“安の神”の証…」
そう言って阿修羅が、そっと自分の腕輪を撫でる。
「どういう、ことだよ?」
「俺の名は阿修羅」
問いかけるアヒルへ、阿修羅がまっすぐに視線を向ける。
「アシュラ…?」
「お前が神になる前、“安の神”と呼ばれていた者だ」
「なっ…!?」
「……っ」
阿修羅の言葉に、衝撃を走らせるアヒル。アヒルのすぐ横で篭也は、特に驚いた様子は見せず、唇を噛み締め、辛そうに俯く。
「神…?俺の前の、安の神…?」
「ああ、そうだ」
戸惑って聞き返すアヒルに、阿修羅が大きく頷く。
「俺は、お前の先代の“安の神”だ」
「んなことっ…」
アヒルが突き出されるように、声を発する。
「んな言葉、誰が信じるかよ!」
大きな声を張り上げ、アヒルが阿修羅の発言を一蹴する。
「安の神の腕輪は、前の神が壊しちまったって聞いた!それに、五十音士は一文字に一人のはずだろ!?」
アヒルが強い口調で、言葉を続ける。
「それとも、あんたも扇子野郎みたいに、旧世代の神だとでも言うのか!?」
「いいや、“あ”に旧字体は存在しない」
「じゃあ何だってんだよ!」
「まぁ、色々とあるんだが…」
「ああ!?」
説明することを面倒臭がるように、軽く頭を掻く阿修羅に、アヒルが苛立つように声を大きくする。
「腕輪だけで足りないのなら、これではどうだ?」
阿修羅が懐へと右手を入れ、そしてまたすぐに手を出す。出てきた右手に握られているのは、宝石のように輝く、一つの真っ赤な玉であった。
「言、玉っ…?」
「五十音、第一音…」
「えっ…?」
聞き慣れた言葉を放つ阿修羅に、アヒルが困惑する。
「“あ”、解放…」
「なっ…!」
言葉と同時に強い光を放ち始める言玉に、思わず大きく目を見開くアヒル。赤い光を放った言玉は徐々にその姿を変え、やがて一丁の銃の形となって、阿修羅の右手に収まる。太身の銃身に、子供の手のひら程もある大きな銃口、右手に余るほどに大きな持ち手。大きさも違えば、形も異なっているが、赤銅色に、銃身に描かれた『安』という文字は、アヒルの銃とまったく一緒であった。
「銃…?」
「あ…」
「……っ!」
銃口をアヒルへと向け、ゆっくりと口を開く阿修羅に、アヒルが焦りの表情となる。
「“当たれ”」
阿修羅が言葉を放つと、銃口から勢いよく、赤い光の巨大な弾丸が放たれた。
「“あ”の言葉…?クっ!」
阿修羅が口にした言葉が発動したことに焦りながらも、アヒルが向かってくる弾丸へ向け、右手に持っていた銃を構える。
「“当たれ”!」
アヒルも阿修羅と同じ言葉を口にし、同じように、銃口から赤い弾丸を放つ。同じ言葉で、同じ銃から放たれた二つの赤い光は、二人の中間地点で、強く交錯した。
「うっ…!」
だが当たったその瞬間から、アヒルの光の方が押され、アヒルの銃に一気に重圧がかかる。
「俺の力の方が、弱い…?うわああああ!」
「神…!」
かかる重圧にアヒルが戸惑いの表情を見せていると、そう時間も置かぬうちに、阿修羅の弾丸がアヒルの弾丸を打ち破り、向かってきたその光にアヒルが勢いよく吹き飛ばされた。遥か後方で倒れ込むアヒルに、篭也がしゃがみ込んだまま、必死に身を乗り出す。
「うぅ…」
吹き飛ばされ、仰向けに倒れ込んだアヒルが、額の端から流れ落ちる血を拭いながら、すぐに起き上がる。怪我はしているが、そう大きな傷は負っていないようである。
「クソ痛てぇ」
「どうだ?これで信じたか?」
聞こえてくる問いかけに、アヒルが顔を上げる。
「俺が、お前と同じ“安の神”だと」
「……っ」
どこか自信に満ちた表情で笑う阿修羅を見つめ、眉をひそめたアヒルが、地面に手をつきながら、その場で立ち上がる。
「どういうことだよ…?」
アヒルが先程もした問いかけを、阿修羅へと投げかける。
「お前が安の神だってんなら、なんで俺は神になったんだよ?“あ”の文字が一つなら、神はお前だけでいいはずだろ!?」
「そうだな、その通りだ」
アヒルの言葉を認めるように、阿修羅がしっかりと頷く。
「だが残念なことに、俺は五年前、神の座を堕ち、五十音の世界から追放されてしまっているんだよ」
「追放…?」
「ああ」
聞き返したアヒルに頷き、阿修羅が冷たく微笑む。
「神の座を堕ちって…」
「神として、決して許されないことをしたんだ」
「許されないこと…?」
「ああ」
益々、戸惑いの表情となるアヒルに、阿修羅がそっと頷きかける。
「人を殺したんだ。この“あ”の言葉で」
「……っ!」
阿修羅の言葉に、アヒルが大きく目を見開く。
「それも一人じゃない。百、二百…山程な」
「なっ…」
まるで感情のない鬼のような、冷え切った微笑みを浮かべる阿修羅に、アヒルは思わず言葉を失くす。その微笑みが、阿修羅の言葉が偽りではないことを、物語っているようである。
「なんで、んなことっ…」
「……っ」
問いかけたアヒルに、阿修羅はまったく読むことの出来ない笑みを、浮かべるだけであった。
「堕神となってから五年…やっと俺は、戻って来た」
阿修羅の浮かべるその笑みが、どこか楽しげに変わる。
「すべてを、終わらせる為に…」
「……っ!」
重々しく落とされる阿修羅の言葉に、アヒルが何か悪寒のようなものを感じ、強く全身を震わせる。
「あ、“当たれ”…!」
撃とうと思っていたわけではなかったが、敵から身を守る野生の動物のように、本能で身の危険を感じたのか、アヒルが素早く引き金を引き、阿修羅へと弾丸を放った。
「“当たれ”」
阿修羅が先程と同じように、アヒルとまったく同じ言葉で、同じように弾丸を放つ。二つの弾丸はぶつかり合うが、またしても阿修羅の弾丸がアヒルの弾丸を弾き飛ばし、そのまま勢いよくアヒルへと迫る。
「ク…!“上がれ”!」
自らに弾丸を放ち、その場を飛び上がるアヒル。
「この…!」
上空で止まったアヒルが、地面に立つ阿修羅へと銃口を向ける。
「“浴びせ…!」
「“上がれ”」
「あっ…!」
アヒルが言葉を放つよりも先に、弾丸で自らの撃ち抜いた阿修羅が、上空へと飛び上がり、アヒルのすぐ目の前へとやって来る。
「俺はお前と同じ言葉を使えるということを、忘れるな」
「クっ…」
余裕の笑みを浮かべる阿修羅に、アヒルが悔しげに唇を噛む。
「これなら、どうだ!」
目の前に浮かぶ阿修羅へと、銃口を向けるアヒル。
「“荒れろ”」
「……っ」
アヒルの放つ言葉に、阿修羅がかすかに眉をひそめる。
「“嵐”…!」
「うっ…!」
銃口から放たれた、逆巻く風の塊が、至近距離から一気に阿修羅へと襲いかかる。
「やったか…?あっ…!」
嵐に覆われた阿修羅を見て、少し笑みを零したアヒルであったが、阿修羅の体が徐々に霞みがかり、消えていくことに気づき、大きく目を見開く。
「これは…!」
「そう、“欺け”だ」
「う…!」
アヒルへと言葉を教えながら、アヒルのすぐ上空へと姿を見せる阿修羅。向けられた銃口に、アヒルが焦りの表情を見せる。
「“荒れ狂え”…」
「えっ…?」
阿修羅が発するその言葉に、アヒルが驚きの表情を見せる。
「まさか、名詞も…!?」
「“嵐”…!」
「う…!うああああああ!」
今後はアヒルが、阿修羅の銃口から放たれた嵐に呑まれ、強い風に斬り裂かれながら、真っ逆さまに地面へと落ちていく。
「神…!うぅ…」
そんなアヒルの姿に、思わず身を乗り出す篭也であったが、全身の傷が痛み、その表情を歪めた。
「強い…」
篭也が細めた瞳を鋭くしながら、上空に浮かぶ阿修羅を見上げる。
「神より、確実に…」
そっと呟いた篭也の額から、汗が流れ落ちた。
「痛つつつっ…」
地面に落ちたアヒルが、斬り傷を負い、血の流れる全身に顔を歪ませながら、特に傷の深い左手を押さえるようにして、ゆっくりと起き上がる。強烈な嵐は、アヒルが放つそれよりも数段、威力が上に思えた。
「クソ…」
「そう、悔しがることはない」
アヒルが軽く舌を鳴らしていると、そこへ上空から、阿修羅が降りてくる。
「お前よりも先に、俺の方が神になり、お前よりも長く、俺の方が神をやっているんだ」
阿修羅がアヒルへと、挑発的な笑みを向ける。
「お前よりも俺の方が強いのは、当然のことだろう?」
「励ましの言葉っ…」
微笑む阿修羅へと、アヒルが素早く銃口を向ける。
「ありがとうよ!“当たれ”!」
アヒルが礼と同時に引き金を引き、阿修羅へ再び弾丸を向ける。
「懲りないな…“当たれ”」
すぐに引き金を引き、自らの弾丸でアヒルの弾丸を砕く阿修羅。阿修羅の弾丸がそのまま突き進み、アヒルへと直撃する。
「ん…?」
阿修羅の弾丸に撃ち抜かれたはずのアヒルの姿が霞み、阿修羅が少し眉をひそめる。
「“欺け”返しか…」
そう呟いた阿修羅が、迷うことなく上空を見上げる。
「“集まれ”…!」
上空に浮かんだアヒルは、高々と銃を振り上げ、言葉を使って、その銃口の先に、赤色の光を集約させ始めていた。光が見る見るうちに大きくなり、勢力を増していく。
「これでっ…!」
「“溢れろ”」
アヒルが光を集約させた銃口を振り下ろそうとしたその時、阿修羅が引き金を引き、アヒルの集めた光へと、弾丸を撃ち抜いた。
「あっ…!」
阿修羅の弾丸に貫かれた途端、集めたアヒルの光が、その集合の中から溢れ出るように零れ始め、せっかくの大きな塊が、徐々に小さくなっていく。勢力を失っていく光に、焦りの表情を見せるアヒル。
「しまった…!」
「“浴びせろ”」
「うっ…!」
焦るアヒルへと、降り注ぐ赤い光の雨。
「うわああああ!」
無数の雨を一粒残らず浴びて、アヒルが勢いよく地面へと叩きつけられる。
「ううぅ…!うっ…」
胸を打ちつけ、苦しげに声を漏らした後、力なく地面に倒れ込むアヒル。光の雨に撃ち抜かれた全身の傷から、また新たに血が流れ、地面へと広がっていく。
「俺と同じ神の名を継いでいながら、随分と脆いものだ」
「クっ…」
「“圧縮”…」
「あ…!」
先程のアヒル同様、言葉を使い、銃口の先に光を集約させていく阿修羅に、アヒルの表情が険しくなる。強い光の集まったその銃の引き金を、阿修羅が強く引く。
「“当たれ”」
「グっ…!」
避ける力も、避ける時間もないアヒルは、覚悟を決めたように、強く唇を噛み締めた。




