Word.46 訪ネビト 〈4〉
「お待たせいたしました」
「……っ」
部屋へと入って来る凛とした声に、机と本棚しかない、殺風景な部屋の奥に立ち尽くしていた檻也が振り返る。部屋の扉が開き、和音と桃雪が連れ立ってやって来た。
「お久し振り…ではなくて、昨日振りですわね。檻也」
「ああ」
檻也の方へと歩み寄っていきながら、微笑みかける和音に、檻也は決して笑みを浮かべることはなく、少し険しい表情のまま頷く。
「どうしたんですの?最近は毎日いらっしゃって」
「毎日、婚約者の顔を見に来てはいけないのか?」
「いいえ」
挑戦的に問いかける檻也に、和音は落ち着いた笑みを見せる。
「わたくしも毎日、檻也にお会い出来て、嬉しいですわ」
「…………」
好意的な言葉を向ける和音は、あからさまに白々しく、檻也は思わず不快そうに顔をしかめた。
「後ろは?」
「これはこれは、申し遅れましたぁ~於の神っ」
檻也が和音の後方へと視線を動かすと、和音の後ろに立っていた桃雪が、笑顔となって檻也の前へとしゃしゃり出てくる。
「五十音士“毛守”、百井桃雪と申します。以後、お見知りおきをぉ~」
桃雪が笑顔のまま、その右手を檻也の前へと差し出す。
「毛守…」
だが檻也は桃雪の手を取ろうとはせず、まるで睨みつけるように、桃雪を見つめた。
「お前が、わざと始忌に取り憑かれていたという、悪趣味な五十音士か」
「……っ」
皮肉たっぷりに言い放つ檻也に、桃雪の笑みがかすかに曇る。
「まぁ、否定はしませんけどねぇ~」
檻也へと差し出した手を引っ込め、また笑みを浮かべる桃雪。
「けどぉ、口のきき方にはもう少し、気を付けた方がいいと思いますよぉ?あなた一応、神様なんですからっ」
“一応”という語を強調する桃雪に、檻也はさらに表情をしかめる。だがそれ以上の会話をしようとはせず、桃雪は自ら、和音の後ろへと下がった。
「従者たちが慌ただしかった。昨夜、何かあったのか?」
「ええ、まぁ」
「何だ?一体、何が起こった?」
頷いた和音に、檻也が間を置くことなく、問いかけを浴びせる。
「早々、簡単に話せると思いますぅ?韻の最高重要機密ですよぉ~?」
「俺は於の神だ」
「アハハァ~、これは素晴らしいっ」
堂々と言い放つ檻也を見て、桃雪が楽しげに笑う。
「そうですわね。五神の一人であるあなたには、報告しておきましょう」
特に躊躇った様子もなく、和音が言葉を発する。
「今朝、言葉不明瞭の人間が数名発見され、この韻へと運ばれて来ました」
「言葉不明瞭?」
和音の言葉に、檻也が眉をひそめる。
「ええ。調査を行ったところ、彼らの言葉には少しの自由もない。彼らは、自由に言葉を発する力を失ってしまっていたのです」
「自由に、言葉を発する力…?」
話を聞いていくほど、困惑した表情となっていく檻也。
「どういう、ことだ?」
「つまりぃ、夢や希望といった素敵ぃ~な言葉の数々が、すべて失われてしまったってことですよぉ」
「夢や、希望…」
口を挟んだ桃雪の言葉を繰り返し、檻也が少し考え込むように俯く。
「自身に選択権のある言葉を、発することが出来なくなったということか」
「まぁ、そんなところですわね」
やっと事態を理解したらしき檻也に、和音がそっと頷きかける。
「そんなものを突然、何人もの人間が同時に失うはずもない。何者かの仕業ということだな?」
「ええ、恐らくは」
檻也に答えながら、少しその表情を曇らせる和音。
「ですが、彼らから何があったかを聞くことは不可能であり、我々もまだ、何の手がかりも掴んでいません」
「そうか…」
その和音の言葉に、檻也がどこか困ったように肩を落とす。
「引き続き調査は行うつもりでいますが…」
「わかってることなら、一つ、あるじゃありませんかぁ~言姫様」
「えっ…?」
桃雪に声を掛けられ、和音が戸惑うように振り向く。
「自由有る言葉を失った人間が、皆、失う直前に言ノ葉町に居た、ということですよぉ~」
「言ノ葉っ…」
桃雪の言葉に、檻也が驚いた表情を見せると同時に、強く眉間に皺を寄せる。
「またあの町か…」
「ええ」
険しい表情を見せる檻也に、頷きかける和音。
「調査にはやはり、言ノ葉町に詳しい安の神たち安団に、お願いしようかと思っているのですが…」
「なっ…!」
和音の言葉に、檻也がすぐさま表情を一変させる。
「だ、ダメだ!」
右手を横へと振り払い、勢いよく否定する檻也。
「まだ、始忌との戦いが終わって数日だ!安団は、戦いの疲れが取れ切っていない!」
「ですが今、衣の神には別件で動いていただいて居ますし、他に人員が…」
「俺が行く!」
「……っ」
檻也のその言葉を聞き、和音が檻也には気付かれないように一瞬だけ、その口元を緩める。
「ですが檻也…」
「そうですよぉ。あなたの団は欠番ばかりな上に、素人さんも居るでしょ~?」
「ならば、従者を貸してくれ!俺一人で行く!於の神の名に懸けて、俺が…!」
「檻也…」
右手を胸に押し当て、熱く主張する檻也を見つめ、そっと目を細める和音。
「わかりました…」
和音がゆっくりとした口調でそう言い、深く頷く。
「あなたがそこまで仰るのなら、この件はあなたに一任しましょう」
「和音…」
微笑む和音を見て、檻也も嬉しそうな笑顔を見せる。
「頼みましたよ、於の神」
「ああっ」
和音の言葉に、檻也は大きく頷いた。
言ノ葉町、町の小さな八百屋『あさひな』。
「珍しいねぇ~」
何やらとても嬉しそうな満面の笑みの朝比奈家父が、店頭の野菜を並べ直しながら、横を振り向く。
「アーくんが自分から“手伝う”って言ってくれるなんて」
「んん~?」
父の振り向いた先には、今日の制服の上からエプロンを纏い、頭に白タオルを巻きつけているアヒルの姿があった。アヒルは、店の前にバケツで水を撒いている。
「珍しいというか、初めてかなぁ?だぁれも、お父さん手伝ってくれないんだもん」
「育て方、間違えたんじゃねぇの?」
「カーくんはちゃんと、手伝ってくれたもぉ~ん」
「そりゃ、カー兄はな」
空になったバケツを持ち上げ、アヒルが店の中へと戻って来る。
「なんで急に手伝ってくれる気になったのぉ?もしかして、やっと、お父さんのカッコよさに気付いたとかぁ?」
「違う」
「ううぅ…」
あっさりと否定するアヒルに、父が悲しげに肩を落とす。
「最近色々あったから、ちょっと気晴らしと、後…」
―――また来る…―――
思い出されるのは先日、ここへとやって来た、カモメの友人というあの赤毛の男。
「また来た時に、オヤジだけじゃ入って来にくいかも知んねぇし…」
「へっ?」
「いや、何でもねぇ」
小さく呟いたアヒルに首を傾げる父であったが、アヒルはすぐさま首を横に振り、適当に誤魔化した。
「レタス一玉」
「おっ」
店頭へとやって来た客に気付き、アヒルが素早く店先へと出る。
「おばちゃん、いらっしゃい!」
店へとやって来たのは、いつもの主婦の女。この前、アヒルが店番をやっていた時も来て、アヒルにもっと手伝いをするよう注意していった、あの女であった。よく見知った女を相手に、アヒルは親しげな笑みを向ける。
「レタス一玉」
「へ?あ、ああ。百十円ね」
アヒルの挨拶にも特に応じず、店頭のレタスを指差す女に戸惑いながらも、アヒルがすぐにそのレタスを手に取り、袋の中へと入れる。
「どうも」
女からぴったりの小銭を受け取り、代わりにレタスの入った袋を手渡す。
「今日、きゅうりも安いけど!」
「…………」
「あれ?」
明るく話しかけたアヒルの言葉をあっさりと無視し、女はすぐにアヒルへと背を向け、足早にその場を去っていく。
「ま、毎度っ…」
そんな女に少し呆気に取られながらも、一応、言葉を発するアヒル。
「珍しいねぇ~あの人が一言も無駄話、しないで帰ってくなんてぇ」
「……っ」
後ろから声をかける父の言葉を聞き、アヒルがそっと眉をひそめる。店番をしていた時に、あれほど注意して来た女だ。アヒルが店の手伝いをしている様子を見て、一言も発しないのは珍しいを通り越して、妙な違和感を覚えた。
「何だ…?」
込み上げる胸の不安に、アヒルはその表情を曇らせた。
その頃、町の小さな何でも屋『いどばた』。
「為介さん」
「んん?あ、おかえり。雅くぅ~って、あれれ?」
店の戸が開き、いつものように雅が姿を現すと、ハタキ片手に店の掃除をしていた為介が笑顔で振り向いたが、雅に続くようにして入って来た人物を見ると、為介は途端に驚きの表情を作った。
「珍しいお客さんだねぇ~君がここに来るのなんて、いつ振りだろぉ」
ハタキを下ろし、為介がそっと目を細める。
「ツバメクンっ」
「どうも…」
雅に続くようにして、『いどばた』へとやって来たのはツバメであった。名を呼ばれ、ツバメが為介へ向け、軽く頭を下げる。
「早速ですが…呪います」
「いっやぁ~!助けて!雅クン!」
「一度、呪われてみた方がいいんじゃないですか?」
挨拶を交わした途端に藁人形を構えるツバメから、隠れるように雅の後ろへと逃げ込む為介。そんな為介に、雅が冷たく言葉を投げかける。
「というのは、冗談で…」
「あ、なんだ。冗談かぁ」
藁人形を下ろすツバメを見て、為介がホッとした様子で前へと出てくる。
「最近はすっかり…弟がお世話になりっぱなしで…」
「ああぁ~、いえいえっ」
改めて頭を下げるツバメに、為介が構うなとばかりに左手を軽く振る。
「懐かしいもんだよねぇ」
為介が懐かしむように目を細め、そっと店の天井を見上げる。
「弟クンの前で言葉の力を使えない君に代わって、彼を助けに行って、初めて彼と出会ってぇ。あれは、もうどのくらい前だろう?」
「……っ」
為介のその言葉に、ツバメが少し表情をひそめ、視線を落とす。
「まぁ、あの頃と比べると、朝比奈クンもだぁ~いぶ、神様っぽくなっ…」
「為の神」
「んん~?」
ツバメに呼ばれ、為介が言葉を途中で止めて、顔を下げる。
「町の言葉に、変化が起こっています…」
「ああ、うん」
真剣な表情で言い放つツバメに、あっさりとした頷きを返す為介。
「大丈夫、とっくに気付いてるよ」
鋭い瞳を見せ、為介がそっと口元を緩める。
「どうやら、君たち兄弟とも関係の深い、あの神様が動き出してるようだねぇ~」
「あの神…」
為介の言葉を聞いた途端に、険しい表情を見せるツバメ。
「そう、堕ちた神。堕神がね…」
「…………」
意味深に言い放つ為介に対し、ツバメはただただ、厳しい表情を見せていた。
「しかしぃ」
檻也が従者を連れて部屋を後にすると、檻也の出て行った扉を見つめていた桃雪が振り向き、前方の椅子にゆったりと座っている和音の方を見た。
「冷たい婚約者さんですねぇ、あなたも」
桃雪が両手をあげ、軽く首を横に振る。
「堕神を相手に、彼みたいなまだまだ半人前の神様一人で、勝てるはずもないのにぃ」
「彼はわたくしにとって、貴重な駒…」
軽い口調の桃雪とは対照的に、冷静な声を発する和音。
「存分に動いていただきます」
和音が迷いのない、鋭い瞳を見せる。
「わたくしが、すべての神を揃える為に…」
「おお、怖っ」
重々しく言葉を発する和音を見つめ、桃雪はどこか楽しげな笑みを浮かべた。
その日、夜。和音から無事、任務をもらうことの出来た檻也は、韻の従者数名を連れ、言ノ葉町のホームセンターの近くへと来ていた。ホームセンターが閉まってしまい、目立つ大きな街灯は何もなくなって、辺りはすっかり真っ暗である。
「この辺りか…」
和音から預かった報告書をもとに、自由有る言葉を失った者たちが、その前後に来たという場所を、一つずつ回っているのであった。
「すっかり夜になってしまったな…」
書類から目を離し、檻也が真っ暗な空を見上げる。
「視界が悪くなっている。後方の警戒は厳重に…」
「うあああああ!」
「何…!?」
警戒するよう伝えようとしたその瞬間、響き渡る悲鳴に、檻也が思わず焦った様子で、振り向く。
「何だ!?どうし…!」
「ぐわああああ!」
「……っ!」
檻也が振り返った途端、檻也のすぐ目の前で、激しい悲鳴をあげた韻の従者が、血を流しながら前方へと倒れ込んでいく。その光景に、大きく目を見開く檻也。
「なっ…」
さらに視線を動かすと、他の従者たちも力なく地面に倒れ込んでおり、立ち上がっているのは檻也、ただ一人であった。
「こ、これは…」
「グウゥゥゥ…」
「あっ」
倒れた従者たちを見つめ、動揺した表情を見せていた檻也が、前方から聞こえてくる、唸るようなその声に気付き、素早く顔を上げる。
「グウゥゥゥ…」
「動物…?」
檻也が顔を上げた先には、大きな羽根を生やした、ライオンのような金色の生物の姿があった。地面まで届きそうなほどの長い牙を持ち、前足の鋭い爪は地面に喰い込んでいる。
「あの形態…ウ段の言玉か…?」
「グアアアアア…!」
「あっ…!」
分析するように眉をひそめていた檻也が、駆け込んでくるその生き物の姿に、慌てて懐から白色の言玉を取り出す。
「五十音、第五音“お”、解放…!」
檻也が声を発すると、言玉が強く輝き始める。
「“押し上げろ”!」
輝く言玉を下方へと突き出すと、放たれる強い光の反動を得て、檻也が高々と飛び上がり、駆け込んでくる生き物の直線上から避ける。空中に上がり、素早く言玉を生き物へと向ける檻也。
「“圧し潰せ”…!」
圧力のかかった重い白光を、檻也が生き物へ向け、落下させる。その生き物ごと、地面をも圧迫した白光により、辺りの地面に大きくヒビが入り、辺りを激しく砂埃が舞った。
「ふぅ~」
砂埃でよく見えない下方を見下ろしたまま、大きく肩を落とす檻也。
「とりあえず、あいつの動きを封じて、韻へ…」
「グアアアアア!」
「何っ…!?」
今後の段取りを考えていたその時、先程の攻撃を避けていたのか、檻也の後方から、羽根を広げたあの生き物が、勢いよく檻也へと襲いかかって来た。
「まさか…!」
「グアアアア!」
「うっ…!」
焦る檻也へと、迫る鋭い牙。
「うあああああああっ…!!」
檻也の叫び声とともに、真っ赤な血が、暗闇の空に舞った。




