Word.46 訪ネビト 〈3〉
保も七架も、そして何やら考え事をしている様子の篭也も、家に籠もりきりで、学校へもアヒルの家へも来ない状態のまま、一日、また一日と、時は流れていった。
「今日は紺平も休みかぁ」
「曾守さんと一緒に、“変格”取得の修行旅行に出たらしいわよ…」
「ふぅーん」
賑やかしかった頃から一転、囁と二人だけで並び、通学路を行くアヒル。何やら考え中の篭也や、紺平はともかく、保や七架のことは、どうにかしなければと思いながらも、どうにも出来ない今の現状に、アヒルは少なからず、もどかしい気持ちを抱いていた。
「なぁに?アヒるん…私と二人きりだと、緊張しちゃう…?」
「んなわけあるか!」
「フフフ…」
強く否定するアヒルを見て、囁が楽しげな笑みを浮かべる。囁の方はというと、仲間たちの様子の変化に、それほど、もどかしがっている素振りはない。
「仕方ないわよ…」
「へ?」
急に諭すような声を掛ける囁に、アヒルが目を丸くする。
「仲間と一緒に乗り越えていく問題もあれば、一人で乗り越えて行かなきゃならない問題もある…」
「……っ」
囁の言葉に、何のことを言っているのかを理解し、そっと眉をひそめるアヒル。
「今は静かに待つことが、私たちの役目…」
「うぅん…」
アヒルはまだ納得しきっていない表情を見せながら、とりあえず小さく頷いた。
「というわけで今日、二人で心霊スポット巡りデートに行かない…?」
「誰が行くか!んなもん!」
「あっれぇ~?」
「んん?」
聞き覚えのある声がして、アヒルが下へ向けていた顔を上げる。
「あれあれあっれぇ~?」
「またかよ…」
顔を上げたアヒルが、瞬時にうんざりとした表情を作る。アヒルたちの行く通学路のその先で、辺りをきょろきょろと見回し、何やら探す素振りを見せているのはアニキであった。その周りには、同じように辺りを見回している、いつもの子分たちの姿もある。
「だっから邪魔だっつってんだろ、お前ら」
「うぎゃあ!」
『あ、アニキぃ~!』
アヒルが勢いよくアニキを蹴り倒すと、子分たちが一斉に悲痛な声をあげる。
「お、おのれ!朝比奈ぁ~!」
「今度は何探してんだよ?」
地面に打ち付けたのであろう、赤くなった鼻を押さえ、すぐさま立ち上がったアニキへと、アヒルがうんざりした表情のまま問いかける。
「子分だ!」
「はぁ?子分なら、ちゃんと居んじゃねぇかっ」
「お前の目は節穴かぁ!?朝比奈!」
アニキを周りを囲む、多くの子分たちを見て言うアヒルであったが、アニキはそんなアヒルの言葉を、強く批判した。
「どう見たって、一人足りないだろうが!」
「どう見たって、んなもんわかんねぇーよ」
熱く主張するアニキに対し、真逆の冷めきった反応を返すアヒル。
「そういえば…スキンヘッドに前髪だけ生やした、赤学ランに蝶ネクタイの人が居ないわね…」
「そう!そうなんだよ!さすが真田さん!」
「んな変な奴、居たっけ…?」
アニキの子分たちを見回し、ポツリと呟いた囁に、アニキが嬉しそうに何度も頷く。そんな二人の横で、アヒルは大きく首を傾げる。
「風邪でもひいてんじゃねぇのかぁ?」
「あいつは四十度の高熱があっても、俺との約束は守る熱い男なんだよ!」
「熱いっつーか、馬鹿だろ」
引き続き熱弁するアニキに、思わず突っ込みを入れてしまうアヒル。
「アニキ、俺らもう一回、町全体回って、探してきます!」
「おう、じゃあ俺はあいつの家に行ってみる」
その居ないという子分の一人を心配した様子で、町に散り散りに駆けていく子分たち。
「この通り、俺は忙しいからまた明日、ぶっ倒しにきてやる!またなぁ、朝比奈!」
捨て台詞のようにアヒルにそう言葉を投げかけて、子分たちに遅れながら、その場を駆け去っていくアニキ。その場に茫然と立ち尽くしたアヒルと、囁だけが残る。
「別に誰も、ぶっ倒しに来てとか、頼んでねぇーけど…」
「フフフ…」
ぼやくように言うアヒルの横で、囁がそっと微笑む。
「けれど…」
「んあ?」
何やら不安げに眉をひそめる囁に、アヒルが首を傾げる。
「リーゼントくんに何かあった後って…いつも必ず、不吉なことが起こる気が…」
「考え過ぎだろ」
不気味な雰囲気たっぷりに、不吉なことを言う囁に対し、アヒルは特に気にした様子もなく、むしろ呆れたように肩を落とす。
「どうせ、大したことじゃねぇって」
「……そうだと、いいけれど…」
気を取り直して、通学路を歩きだすアヒルの背を見ながら、囁は少し不安げに呟いた。
言ノ葉町、小さな町のCDショップ。
「おっちゃん、こんちはぁ~」
朝のいい時間、普通の学生であれば学校へ行っているであろう時間だというのに、格好だけ一応学生服のスズメは、明るい笑顔で店の中へと入って来た。
「この、恋盲腸ドラマCD第三弾、“荒れ出す恋模様、愛の波浪警報”の巻、くださぁ~い!」
いかにもデロ甘そうなジャケットの描かれたCDを、ノリノリの様子で店主へと差し出すスズメ。
「三千円」
「へいへぇーい」
笑顔のスズメが、ポケットから財布を取り出し、レジの前のトレーへと千円札を三枚出す。その間に店主はCDを袋へと入れ、スズメへ差し出した。
「毎度」
「あぁ~楽しみだなぁ。二弾もすっげぇ良かったよ!おっちゃんのおススメ通り!」
「…………」
「あり?」
親しげに話しかけるスズメであったが、店主からはまるで反応がなく、スズメが少し首を傾げる。
「おっちゃん?」
「毎度、ありがとうございました」
「……っ」
スズメの言葉に答えず、ただ深々と頭を下げる店主を見て、スズメはそっと眉をひそめた。
時が過ぎ、放課後。言ノ葉高校、オカルト同好会部室。
「じゃあ、次の議題内容を決めたいと思います」
眼鏡を人差指で押し上げた雅が、教師の代わりに教壇に立ち、机に座っている、数名の同好会部員たちを見る。
「何か意見のある人」
『…………』
「ん?」
まったく返って来ない反応に、雅が少し眉をひそめる。
「意見のある人?妖怪でもお化けでも、何でも構いませんよ?」
『…………』
雅がもう一度問いかけるが、やはり部員たちの反応はない。何も意見がないにしても、“特に思いつきません”くらいは言うのが普通である。部員の一人ひとりをよく見てみると、雅の言葉を無視しているというよりも、本当に反応がない。雅の言葉が、聞こえていないかのようであった。
「確かに普段から、わりと無口な方々ですけど、これは…」
その様子を見つめ、雅が表情を曇らせる。
「ツバメ君」
「うん…」
雅が振り向くと、教室の前扉付近に立っていたツバメが、真剣な表情を見せて頷いた。
「言葉が…操作されてるみたいだね…」
「操作…?」
ツバメの言葉に、雅はそっと眉をひそめた。
その頃。同じく言ノ葉高校、国語資料室。
「恵ちゃ~ん!」
「はぁ…」
資料室へと入って来る、あまり頭の良くなさそうな、無駄に明るいその声に、すでに声の主を理解したのか、本を読んでいた恵は、すぐさまその本を閉じ、深々と溜息をついた。
「“先生”と呼べと、何度言ったらわかる?」
本を机の上に置き、恵が睨むような瞳で、入口の方を見る。
「スズメ」
「お、正解っ」
恵に名を呼ばれたスズメは、嬉しそうに笑顔を見せた。
「恵ちゃんて、俺の名前は間違えないよねぇ。兄貴とかアヒルの名前はすーぐ、間違えんのにっ」
「お前なぁ…」
軽い口調を飛ばしながら、恵の方へと歩み寄って来るスズメに、恵が呆れきった視線を向ける。
「資料室にはノックしてから入れ。後、いい加減、朝一からちゃんと学校へ来い。まじで卒業出来なくなるぞ?」
「あっ、もしかして俺に恋しちゃってるから、間違えないとかぁ?」
「聞け!」
恵の言葉は一切聞かず、マイペースに自分の言葉を続けるスズメに、恵が思わず怒鳴りあげる。
「ったく、恵ちゃんにはトキメキってもんが足りてないよぉ。恋盲腸読んだらぁ?」
「読むかっ」
スズメの薦めを、恵がすぐさま拒絶する。
「で?放課後登校してまで、私に何の用だ?」
「んん~?別にぃ~ただぁ恵ちゃんの顔見にっ」
「殺すぞ…?」
「いやん、怖ぁ~い」
本気で怒りを見せ始める恵に、スズメが黄色い声をあげる。
「そう怒んないでよ」
「お前が怒らせてんだろうがっ」
「町の言葉に、変化が起きてる」
「……っ」
急に口調の変わったスズメの言葉に、恵もその表情を変える。
「何…?」
眉をひそめ、もう一度確認するように、スズメへと問いかける恵。
「嫌な予感が、するんだ」
恵へとそう言ったスズメは、真剣な表情を見せていた。
韻本部、言語鑑定室。
「始めて下さい」
「はい」
凛々しく言い放つ和音の言葉に頷いた白衣の女性が、書類片手に部屋の中央へと歩いていき、明るく照らされた部屋の真ん中で、ただ椅子に座り込んでいる一人の男のすぐ横へと立つ。男は歩み寄って来た女性に目をくれることなく、まっすぐに前を向いたままであった。
「あなたの名前は?」
「佐々田治郎」
白衣の女性が問いかけると、佐々田と名乗った男がすぐに答えを返す。
「あなたの年齢は?」
「三十三」
「あなたの誕生日は?」
「十二月二十日」
書類を目にしながら、次々と質問していく白衣の女性。投げかけられる質問に、特に疑問を抱いた様子もなく、佐々田はすらすらと答えていく。
「あなたが今朝、食べたものは?」
「ご飯と味噌汁」
「あなたが今、食べたいものは?」
「…………」
同じように告げられたはずの質問に、何故か、佐々田の答えは止まる。
「あなたが今、やりたいことは?」
その質問にも、佐々田は答えない。
「……っ」
佐々田の様子を見つめていた和音が、そっと表情を曇らせる。
「あなたが昨日、やったことは?」
「仕事」
「昨日の夜、家へ帰る前、あなたは寄り道をした?」
「した」
「何の為に?」
「買いたい物があって、言ノ葉町のホームセンターへ行った」
佐々田が告げた答えに、和音がさらに眉をひそめる。
「そこで、誰かに出会いましたか?」
佐々田の方へと数歩足を踏み出して、白衣の女性に代わるように、佐々田へと質問を投げかける和音。
「ホームセンターの店員」
「では」
答えた佐々田に、和音がさらに口を開く。
「人ではない何かに、出会いましたか?」
「…………」
その問いかけに、佐々田の答えはない。
「……ここまでにしましょう」
「はい」
和音がそう言って振り向くと、白衣の女性が大きく頷く。壁際に待機していた黒い着物の韻の従者たちにより、椅子に座っていた佐々田が立ち上がらされ、奥の部屋へと連れられていく。
「どう、思います?」
少し後ろを振り返り、すぐ後方に立っている“毛守”の桃雪へと問いかける和音。
「彼の言葉からは、力というものが、まったく感じられませんでしたねぇ」
軽く肩を落としながら、桃雪が和音の問いに答える。
「さっきの、一連の質疑応答から、言えることは二つ」
桃雪が右手の指を、二本突き立てる。
「一つは、自由有る答えがないこと。実際に食べたものは答えられるのに、食べたいものという、自分の願望に関しては答えなかった」
先程の佐々田の様子を、桃雪は的確に分析する。
「そして二つ目は、昨夜起こった事柄に関して、回答権がないということ。これはまぁ、彼の言葉をあのように変えた者の仕業でしょう」
「ええ…」
和音が納得するように、深々と頷く。
「そして、彼の言葉を変えたその場所は、言ノ葉町」
「……っ」
付け加えるように言った和音に、桃雪がそっと目を細める。
「色々と事件の絶えない町ですねぇ、あそこもっ」
桃雪が口元を緩め、少し楽しげな笑みを浮かべる。
「土地が呪われているのか、はたまた、住んでる誰かさんが呪われてるのか」
「後者なのかも、知れませんわね…」
「言姫様」
「はい?」
部屋へと入って来た従者に呼ばれ、和音が振り返る。
「於の神が面会を求めていらっしゃいますが」
「檻也が?」
「はい」
聞き返した和音に、従者が大きく頷く。
「わかりました。私の部屋に通して下さい」
「はい」
和音の指示に、従者は深々と頭を下げると、檻也を案内するため、すぐさま部屋を後にした。
「於の神もしつこいですねぇ。これで三日連続じゃないですかぁ?」
「それが、彼のいいところですわ」
呆れたように言う桃雪に、和音がそっと笑みを浮かべる。
「そして、愚かなところ…」
声の音調を落とした和音は、視線を落とした瞳を、冷たく輝かせた。




