Word.5 乱レル弾丸 〈1〉
奈々瀬とリンを忌が襲ってから数日。あの日以来、四日連続現れていた忌も姿を見せなくなり、アヒルたちは平穏な日々を過ごしていた。そんな平穏な朝比奈家に、またも賑やかな朝が来る。
「んん~っ…二十八世紀ナシぃ~っ…」
枕をきつく抱き締め、ベッドの上で気持ち良さそうに眠っているのは、朝比奈家の末っ子・アヒル。
「いいかい?篭也君。よく聞くんだよ?」
「はい」
外の廊下から、少しだけ開かれた扉を覗き込み、眠っているアヒルの様子をうかがっているのは、朝比奈家の父。その横で父の言葉に頷くのは、すでに制服姿で、朝の支度も完璧な様子の篭也であった。
「出来るだけ顔面を狙って、コレを投げ込むんだ」
そう言って父が取り出したのは、大量のジャガイモ。
「投げる時に、“イモイモジャーガアタック”というのを忘れないようにっ」
「はい」
父の教えに、篭也はしっかりと頷く。
「じゃあ行くよぉ?イモイモジャーガァ、アタァーっ…!」
「クゥゥっ!!」
「ぐほぉぉうっ!」
父が部屋の扉を開け放ち、今まさにアヒルへ向けてジャガイモを投げつけようとしたその時、素早く起き上がったアヒルにより、下顎を勢いよく蹴り上げられた。鼻血を出した父が、その場に力なく倒れ込む。
「うぅっ…さすがはアーくん…今日もいい蹴りっぷりっ…」
「なぁ~に、朝っぱらから作戦立ててまで、息子にイモ投げつけようとしてんだよ!」
鼻血を押さえながら言い放つ父に、アヒルが呆れきった表情を向ける。
「だって、アーくんがイモを呼ぶから…」
「呼んでねぇ!俺が呼んだのは、二十一世紀ナシだ!」
「アーくん、二十八世紀って言ってたよ?」
「あ?そうか?」
「隙ありっ」
父と話しながら、首を傾げているアヒルへ向け、篭也がジャガイモを振りかぶる。
「イモイモジャーガアタック!」
「ぐあああっ!」
物凄いスピードで放たれたジャガイモは、見事にアヒルの額へと命中した。ジャガイモのスピードをそのまま受け、アヒルがベッドへと倒れ込んでいく。
「やりましたよ、お父上」
「おお!素晴らしいよぉ~!篭也君!さすがは我が愛弟子!」
「てっ…めぇらっ…」
得意げに微笑む篭也と、そんな篭也に大きく手を振り、何とも嬉しそうな顔を見せる父。二人の様子に怒りを沸き上がらせたアヒルが、引きつった表情でベッドから起き上がる。
「ぶっ殺ぉぉぉーすっ!」
「望むところだ」
「いっやぁ~!朝から盛り上がって来たねぇ~!」
「まぁ~たやってるよ、あいつらっ」
居間で、軋む天井を見上げながら、新聞を読んでいるのは、アヒルの上の兄・スズメであった。天井の揺れから、アヒルたちの朝の攻防の激しさを察知し、呆れた表情を見せるスズメ。
「篭也君が加わって…より一層、激しさを増したよね…」
同じく軋む天井を気にしながら、本日、食事当番のため、朝食の支度をしているのは、アヒルの下の兄・ツバメであった。
「懲りねぇよなぁ、オヤジも」
スズメが新聞をめくりながら、そっと肩を落とす。
「あんなことしなくっても、アヒルはもう大丈夫だと思うけどっ…」
「……っ」
呟かれたスズメの言葉に、ツバメが朝食を作る手を止め、その表情を曇らせる。
「そうだね…」
「……?」
小さく頷くツバメを見て、居間で先に朝食を食べていた囁は、戸惑うように首を傾げた。
時は流れて昼休み。言ノ葉高校一年D組。
「あっ!弁当忘れた!」
「またぁ?」
鞄の中を見て叫ぶアヒルに、紺平が呆れた表情を向ける。
「ガァって三日に一回はお弁当忘れるよねぇ」
「おい!篭也!囁!」
呆れきった紺平の言葉を聞き流して、アヒルが席から立ち上がり、教室の後ろの席に並んで座っている篭也と囁の方を見る。
「お前ら、俺の弁当持ってねぇ?」
「自分の分しか持っていない」
「横にアヒるんのお弁当が置いてあったけど…敢えて無視してきたわ…フフっ…」
「ああ、敢えて無視した」
「おいっ!」
持ってきたという自分の弁当を広げ、困っているアヒルのことなど完全に無視して、弁当を食べ始める篭也と囁。食を提供されているので、その弁当も勿論、今日、食事当番であるツバメのお手製であった。
「クッソ!神相手に何て薄情な奴らだっ…」
「神?」
「へっ!?い、いや!何でもねぇよっ!」
二人への文句を口にしたアヒルであったが、思わず言ってしまった“神”という単語を紺平に聞かれ、必死に笑みを作って誤魔化す。
「あぁ~でも金もねぇーし、どうすっかなぁ。昼飯っ」
「ある日の夜…小さな男の子が、細く暗い道を…たった一人で歩いていました…」
「へっ?」
悩むように首を捻っていたアヒルが、どこからか聞こえてくる不気味な声に、目を丸くする。
「すると後ろから…シュトラトロ…シュトラトロ…と、男の子を追ってくる足音がっ…」
「な、何っ…」
「“一体、何の音だろう…?”恐る恐る、男の子が振り返ってみると…そこにはっ…」
「そこにはっ…?」
最初は戸惑っていたものの、徐々にその話に集中し、続きを気にするように、その声の最後の言葉を繰り返すアヒル。
「四ツ目スカンクがっ…」
「スカァァーンク!」
「ぎゃあああああっ!」
どこからか聞こえてくる“スカンク”という大きな声に、アヒルが驚き、思わず激しい悲鳴をあげた。スカンクよりも大きなアヒルの声に、教室中の皆からの視線が集まる。
「ゼハァっ…!ゼハァっ…!」
「いいリアクションだね…アヒル君…」
「ツー兄!」
アヒルが振り返ると、そこには、窓の外の中庭からアヒルの教室を覗いている、ツバメの姿があった。どうやら先程の不気味な怪談話は、ツバメが話していたようである。
「驚かすなよなぁ~ツー兄は、ただでさえ存在が不気味なんだからさぁっ」
「ごめんごめん…つい日課でね…」
非難するように言い放つアヒルに、ツバメがやはり不気味な笑みを向ける。
「っつーか、どさくさに紛れて、“スカンク”って叫んだ奴、誰だぁ?」
「篭也…」
「何の話だ?」
振り向くアヒルに対し、そっと篭也の名を呼ぶ囁。そんな囁に、何も知らないように言い放ちながら、篭也はマイペースに弁当を食べ進める。
「あ、はい…これ、お弁当…」
「おっ!サンキュー!」
ツバメから自分の弁当を受け取り、アヒルが嬉しそうな笑顔を見せる。
「丁度、今、昼飯どうしようって困ってたとっ…」
「ツバメさぁーん!」
「ぐはっ!」
弁当を受け取ったアヒルを横へと弾き飛ばして、窓の外に立つツバメの前へと出たのは、想子であった。
「そ、想子っ…てめぇ…」
「あれ…?想子ちゃん…久し振りだね…」
「ホント、お久し振りですねぇ!せっかく同じ高校に入ったのに、一年と三年じゃ全然、会わないんですものぉー!」
恨みがましく名を呼ぶアヒルを完全に無視し、いつもより相当にキラキラと瞳を輝かせ、乙女のように胸の前で両手を組んだ想子が、ツバメに熱い視線を送る。
「まったく会いたくもない弟の方とは、毎日会っちゃってるんですけどねぇー!」
「おい、コラっ」
満面の笑顔を見せる想子に、さらに強い睨みをきかせるアヒル。
「今度、またウチに遊びにおいでよ…昔みたいにさ…あ、でも部活とか忙しいかな…?」
「いーえ!分身してでも行きます!」
「来なくていいよ。って、痛っ!」
こっそりと呟いたアヒルの膝に、ツバメからは見えないように、想子の蹴りが入る。
「じゃあ僕…そろそろ行くから…」
「はぁーい!」
去っていくツバメを、きらびやかな笑顔で、いつまでも手を振り、見送る想子。蹴られた膝を抱え込んでいたアヒルが、ツバメがいなくなった頃に、やっと立ち上がる。
「あぁ~あっ、ツバメさん、行っちゃったぁ…」
「想ちゃんて、昔っからホント、ツバメさんのこと好きだよねぇ」
「弟の俺が言うのもなんだけど、お前、ツー兄のどこがいいわけ?」
蹴られた膝を軽く気にしながら、アヒルが想子へ問いかける。
「全てよ!」
「変態だろ?お前」
はっきりと答える想子に、呆れきった冷たい視線を送るアヒル。
「私はきっと、ツバメさんが理想としている、口裂け女のような女性になってみせるわぁ!」
「そん時は俺が退治してやるよ」
「何ですってぇ!?」
「やんのか!?ああ!?」
「まぁまぁっ」
いつも通り、睨み合うアヒルと想子を、間に入って必死に止める紺平であった。
「ふぅ…」
「おぉ~い!ツバメ!」
「んっ…?」
アヒルに弁当を渡し、三年の教室がある三階へと戻って来たツバメが、よく聞き覚えのあるその声に振り向く。
「スズメ…」
「無事、アヒルに弁当渡せたかぁ~?」
廊下の向こうからやって来るのは、ツバメと瓜二つの姿の持ち主、双子の片割れのスズメであった。スズメは明るい表情で手を振りながら、ツバメのもとへと歩み寄って来る。
「うん…スズメもどこか行ってたの…?」
「おう!ちょ~っと隣校の番長に呼び出されてなっ」
「またケンカ…?」
得意げな笑顔を見せるスズメに、ツバメが少し呆れた表情を向ける。
「すんげぇ弱くってさぁっ、“お前ら、ゴキブリ以下だ”って、吐き捨ててきてやったぜっ」
「はぁ…」
スズメがさらに言葉を続けると、ツバメは深々と肩を落とした。
「あんまり酷い言葉向けてると…その内、痛い目に遭うよ…?」
「痛い目くらい上等だっての。いつでも来いって感じ?」
「じゃあ今すぐ、僕の呪術で…」
「ちょいちょいちょい!それは待てっ!」
制服の内ポケットから藁人形を取り出すツバメを、必死に止めるスズメであった。
さらに時間は流れ、放課後。完全下校時間が間近に迫った言ノ葉高校では、生徒たちが続々と正門を通り、家へと帰って行こうとしていた。
「じゃあ想子、またねぇ~」
「うん、また明日!」
正門の前で他の女子生徒たちと別れ、想子だけが左へと曲がり、帰り道を進んでいく。
「想子ちゃん」
「えっ?」
名を呼ばれ、想子が足を止めて振り返る。
「ツバメさん!」
想子に遅れるようにして学校の正門から出てきて、想子のいる方へと歩み寄って来るのはツバメであった。ツバメを見て、想子が思わず大きな笑顔を零す。
「今、帰り…?」
「はい!剣道部で!ツバメさんは?」
「僕も部活が長引いちゃってね…」
ツバメが想子の隣まで並ぶと、想子が再び前を向き、二人は並んで道を歩き始める。
「えっ?ツバメさん、何の部活に入ってるんですか?」
「オカルト同好会…」
「まぁ!素敵過ぎですね!」
「そう…?」
ツバメの答えに、目を輝かせる想子。同好会が部活でないことも、オカルトが素敵過ぎではないことも、この二人には大した問題ではないようである。
「こんなに遅くまで、何をやってたんですか?」
「吸血鬼とニンニクの関係について…」
「まぁ!実に興味深い研究テーマですね!」
「そう…?」
同じような調子で、進む会話。ツバメの言うことに対してならば、想子は何でも誉めちぎるであろう。
「最近…アヒル君、クラスでどう…?」
「えっ…?」
いきなりのツバメの問いかけに、想子が少し戸惑った声を漏らす。
「別に普通ですよぉ?あっ、でも神月君と真田さんが来てからは、さらに騒がしくなったかなぁ?」
首を捻らせながら、答える想子。
「そう…」
「……っ」
これ以上ないくらいの優しい笑顔で、そっと頷くツバメの横顔を見て、想子がふと、表情を止める。
「んっ…?想子ちゃん…?」
急に足を止めた想子に気づき、ツバメが戸惑うように振り返った。
「どうし…」
「ツバメさんて…いつもそうですよね…」
「えっ…?」
俯いた想子が小さく零した声に、首を傾げるツバメ。
「ううんっ…ツバメさんだけじゃない。ガァの家族はみんな、そうっ…」
顔を上げた想子は、どこか寂しげな表情を見せていた。
「みんな必死にっ…ガァを守ってるっ…」
「……っ」
想子のその言葉に、ツバメはまるで、痛い所でも突かれたかのように、そっと目を細めた。
「私…ガァが少し、羨ましいっ…」
「想子ちゃん…」
少し哀しげに微笑む想子を、まっすぐに見つめるツバメ。
「想っ…」
「あ、ああぁ~!さっ!とっとと帰りましょう!ガァ達、みんな待ってますよ!きっと!」
「……っ」
急に明るい笑顔を作り、必死に言葉を繋げた想子は、ツバメの言葉をそれ以上は許さずに、少し足早に家への道を再び歩き始めた。前を行く想子の背中を見て、ツバメが少し眉をひそめる。
「あれっ?」
「ん…?」
前方から戸惑うような想子の声が聞こえてきて、ツバメが顔を上げた。
「想子ちゃん、どうし…あっ…」
『グゥゥゥっ…』
想子に問いかける前に、ツバメの視界へと入ってきたのは、二人の前方に、二人を待ち伏せするようにして、道に広がり並んでいる複数の男たちであった。皆、イカつい顔をしており、体格も大きい。派手な毛色やピアスなどが目立ち、いかにも不良といった連中であった。
「あれって確か…隣校の番長じゃ…」
「ちょっとー!何ですかぁ!?」
ツバメが表情を曇らせる中、想子は恐ろしい外見の連中に怯えることもなく、正面から堂々と問いかける。
「善良な市民に乱暴なことしようってんならぁ、まず間違いなく警察にっ…」
『グゥゥゥっ…!』
「うっ…」
さらに大きな唸り声をあげ、想子の言葉も聞かずに臨戦態勢を取る男たちに、想子が思わず言葉を止め、やっと少し怯んだ表情を見せる。
「な、何かすんごくやる気満々って感じじゃっ…」
「まさか…」
「朝比奈スズメ…」
「朝比奈スズメ…」
何か思いついたようにツバメが呟いたその時、男たちが口にしたのは、ツバメの片割れの名であった。
『殺すっ…!』
「やっぱり…」
「やっぱりって、ツバメさん!?」
本気の殺意を感じさせる男たちに焦りながら、想子が戸惑うようにツバメの方を振り向く。
「あの人たち…今日の昼間にスズメがケンカして、やっつけちゃった人たちだよ…」
冷静に話を続けるツバメ。
「僕とスズメを間違えて…仕返ししに来たみたい…」
「ええぇ!?」
ツバメの言葉に、想子が大きく顔をしかめる。
「あんの馬鹿男!今度会ったら、肋骨砕き割ってやるっ!」
「一応、僕の身内なんだけど…?想子ちゃん…」
スズメへの殺意を燃え上がらせる想子に、ツバメが呆れた表情で、こっそりと呟く。
「まぁスズメには悪いけど…説明して、ちゃんとスズメに仕返しに行ってもらうようにしっ…」
『グオオオォォっ…!』
「……っ」
事情を説明しようと、想子よりも一歩前に出たツバメであったが、男たちが発した、普通の人間のものとは思えない、低く重く響き渡る声に、思わず目を見開き、立ち止まった。
「ツ、ツバメさんっ…何かあの人たち…ただのイカつい不良ってわけでもなさそうな気がっ…」
「グオオォォ!“壊”!」
「……っ!」
男の一人が大きく叫ぶと、何か悪寒のようなものを感じ、背筋を震え上がらせたツバメが、一気に険しい表情を作った。
「想子ちゃんっ…!こっちっ…!」
「えっ…!?」
想子の腕を掴み、強く引っ張るようにして、脇道へと走り出すツバメに、体を大きく捻りながら、想子が戸惑った顔を見せる。
―――バァァァァン!
「えっ!?」
二人が脇道に逸れた途端、先程まで二人の立っていた道の両端の壁やら電柱やらが、一気に崩れ落ち、想子は大きく目を見開いた。
「な、何!?」
『グオオオォォォっ!』
「何なのっ…!?」
激しい咆哮をあげながら、逃げるツバメと想子を追ってくる男たちに、さらに困惑の表情を見せる想子。
「せっかくのツバメさんとの帰り道だったのにっ…もう!馬鹿スズメぇー!」




