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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.45 波紋 〈4〉

――――その頃、この部屋は、今より少しだけ、本の数が少なくて、今より少しだけ、埃っぽくなかった。


「恵先生!」

 言ノ葉高校の国語資料室に、元気な声が入って来る。勢いよく扉を開き、その部屋へとやって来たのは、制服姿の、爽やかな笑顔のよく似合う青年であった。少し茶色がかった髪に、透き通るようなまっすぐな瞳をしている。

「あれ?恵先生?」

「何だよ」

 名を呼ばれた本人は、国語資料室の横にある小部屋で、山のように本を積んだ机の横に座り、いかにも不機嫌そうな顔をその青年へと向けた。

「カラス」

「だっから、俺の名前はカラスじゃなくってカモメだって、いつも言ってるでしょう?」

 青年は少し口を尖らせ、名を訂正しながら、恵のいる部屋の方へとやって来る。

「どっちでもいいだろ。鳥類なんて皆、同じようなもんなんだから」

「同じにされたら困りますよ。あ、これ。日誌」

「ああ」

 少し眉をひそめながら、青年が片手に持っていた日誌を、恵へと手渡す。

「そしたらウチみんな、同じってことになっちゃいますし」

「はぁ?お前ん家、家族みんな鳥なのか?」

「はい!弟がいるんです!スズメとツバメとアヒル!」

「三羽もいんのかよ…」

「三人です、三人」

 鳥の数え方をする恵に、青年がしっかりと訂正を入れる。

「だいたい、スズメとツバメはともかく、アヒルって…だっせぇ」

「本人に言ったら、怒りますよぉ?それ」

「いいんだよ。どうせ会うこともねぇーんだし」

「あ、じゃあ今度、連れて来ましょうか?」

「やめろ」

 何の考えもなく、無邪気に提案する青年に、恵は素早く制止の言葉を投げかける。

「ほら、下校時間だ。とっとと帰れよっ」

「はいはい」

 時計を指し示して言う恵に、青年が軽い口調で返事をする。

「じゃあ先生、また明日!」

 青年は明るい笑みを残し、その部屋を去っていった……――――



「んっ…」

 相変わらず本の山盛り積まれた机の上から、恵がゆっくりと顔を上げる。本に埋もれて埃っぽい国語資料室を、恵が少し薄めた瞳で、まだ少し寝惚けた様子で見回した。

「寝ちまったか…一睡もしてなかったからな…」

 始忌との戦いの間、ずっと言ノ葉町に居たとはいえ、恵も眠れてはいなかった。素早く前髪をかき上げ、恵が改めて机と向き合う。

「えぇーと、日誌日誌っ…」


―――あ、これ。日誌―――


「……っ」

 日誌を見ようと広げた恵が、思い出される日誌を差し出した青年の姿に、ペンの動きを止める。

「なんでまだ、夢なんか見るかな…」

 自分自身に呆れるように、素っ気なく言葉を発する恵。

「“明日”なんて…もう永遠に来ないのに…」

 悲しげに声を響かせ、恵がそっと頭を抱える。

「失礼するわよ」

「……っ」

 急に入って来る声に、恵がパッと目を見開き、少し身構えるように振り向く。

「ん?どうかした?の神」

「エリザべス…」

 国語資料室へと姿を現したのは、この学校にはあまり似つかわしくない、派手な金髪の少女、エリザであった。妙に構えた様子の恵に、扉を閉めたエリザが少し首を傾げる。

「いや…つーか、古い名で呼ぶな。今のの神はお前だろうが」

 すぐに首を横に振った恵は、話題を変えるように、エリザへと注意の言葉を投げかける。

「私が“え”の旧字体“ゑ”の言葉で神やってたのは、もう二十何年も昔の話なんだ」

「それは、そうなんだけど…ついねっ」

 厳しく言い放つ恵に、エリザが少し困ったような笑みを浮かべる。

「で?何だ?」

「ああ、そうそう。言姫見張らせてるけいから、報告が来たの」

 恵に聞かれ、エリザがすぐに真剣な表情を作る。

「やっぱり韻は、前々から始忌のこと、感付いてたみたい。毛守ももりにわざと始忌の一人を取り憑かせて、一部始終観察してたみたいよ」

「なのに、自分たちで手は下さず、か…相変わらず、悪趣味な奴らだ」

 エリザの話を聞き、恵が呆れたように深く肩を落とす。

「韻が何か企んでるのは、間違いないわね」

「ああ、調べてみる」

「こっちもこのまま引き続き、慧に言姫を見張らせるわ」

 はっきりと言い放つエリザに、恵が少し眉をひそめる。

「あまり無茶はさせるなよ」

「えっ?」

 忠告するように厳しい表情を見せる恵に、エリザが少し首を傾げる。

「和音は穏やかそうに見えるが、自分の目的を達成するためには、手段を選ばない奴な気がする」

 恵が鋭く、目を細める。

「あまり踏み込ませると、お前の神附きが…」

「大丈夫よ。慧はうざいとこあるけど、強いもの。なんせ私の一番の神附きだし」

 不安げに言う恵に対し、エリザは自信に満ちた笑みを見せる。

「それに、まだそんなに派手に動く気もないから、安心してっ」

「……そうか」

 エリザの言葉に、まだあまり納得はしていない様子であったが、恵はとりあえず頷いた。

「じゃあ、私はこれで。また何かわかったら、連絡するわ」

「ああ、頼む」

 軽く手を振り上げ、エリザが恵へと背中を向けると、再び資料室の扉の方へと歩いて行く。

「あ、そうだっ」

 扉を開いたところで、何か思い出したように声を出し、エリザが恵の方を振り返る。

「与守の代わりに、始忌の緑呂ロクロに成りすましてたって奴のことなんだけど」

 エリザが忘れていた話を、恵へと伝える。

「韻の手先じゃなかったみたい。あっちは別口っ」

「別口?」

「ええ。目的はまだ不明だけど、韻はその人間の見当つけてるみたいよ。名前は確かぁ…」

 思い出そうと、大きく首を傾けるエリザ。

「“阿修羅あしゅら”」

「……っ!」

 告げられるその名に、大きく目を見開く恵。

「私は聞いたことないんだけど、恵、なんか知ってる?」

「…………」

 問いかけるエリザに答えぬまま、震える唇を隠すように、恵が手で口元を覆う。

「恵?」

「いやっ…」

 エリザがもう一度、名を呼ぶと、恵はすぐさま否定の言葉を発した。

「初めて…聞く名だ」

「そう」

 恵の答えに、エリザが少しがっかりしたように肩を落とす。

「じゃあ、私はこれで」

「ああ」

 改めてそう言うと、エリザは今度こそ振り返ることなく資料室を出て行った。扉が固く閉まり、恵だけとなった資料室は、一気に静まり返る。

「……っ」

 ゆっくりと、天井を見上げる恵。

「阿修羅…」

 その名を呼んだ恵は、ひどく冷たい表情を見せていた。




 その頃、朝比奈家隣。二階、篭也の部屋。

「…………」

 囁と違い、学校へ行かなかった篭也は、自室の寝台に横たわったまま、右手に持った言玉を天井へと掲げ、それをまっすぐに見つめていた。


―――“かせ”…―――

 脳裏を過ぎって離れないのは、取り憑いた緑呂の意識さえ食らった、冷たい目の男。


「“あ”の、言葉…」

 男が使った言葉を思い出し、篭也がそっと目を細める。

「やはり、あの男が…阿修羅…」




 赤い短髪に、鋭い金色の瞳をしたその男は、耳にしたピアスを揺らしながら、深い森の中を歩いていた。やがて森を抜け、だだっ広い平原へと辿り着く。

「阿修羅」

「ん?」

 自分の名を呼ばれたのか、男はふと足を止め、声の聞こえてきた足元を見下ろした。

「やぁ、うつつ

「“やぁ”では、ありゃせんわ」

 男の足元に立っていたのは、背の高い男の腰ほどまでした身長のない、小柄で痩せ細った、白髪の老人であった。右手に持っている杖の先端についている黄色い宝玉は、言玉のように見える。笑顔を向けた男に、老人は呆れた顔を向けた。

「一人で勝手な行動ばかりしおってからに」

「置き手紙、していかなかったか?」

「手紙置いてけば、いいってもんじゃないわい!」

 シレっと答える男に、老人が勢いよく怒鳴りあげる。

「お前さんが勝手に動き回ったお陰で、韻に気付かれてしまったじゃろうが!」

「別にいいじゃないか。今更、隠れる必要もないだろう?」

 怒鳴り続ける老人に、少しも堪えた様子は見せず、笑顔を見せた男がそのまま平原を進んでいく。すると、進む道のその先に、白一色の服を纏った、茶色いセミロングの、美しい顔立ちの女が立っている。

「やぁ、なつめ

「おかえりなさいませ」

 男が声を掛けると、棗と呼ばれた女は、深々と頭を下げた。

「だいたい、何故に始忌共の…」

 女のもとへと歩み寄ろうとしていた男の後方から、まだ不機嫌そうな顔の老人が、さらに言葉を発する。

「言葉の成れの果てごときのところへ、潜入に?」

「予感がしたんだ」

「予感?」

「そう」

 老人の方を振り返り、男がそっと笑みを浮かべる。

「予感の通り、面白いものを見つけたよ」

 男がより一層、冷たい笑みを浮かべ、再び横に立つ女の方を見る。

「附き合ってくれるか?棗」

「仰せのままに」

 男の言葉に、女が深々と頭を下げる。

「我が神」

「……っ」

 呼ばれるその名に、男は満足げに微笑んだ。



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