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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.45 波紋 〈3〉

 衣団、於団、そして韻の面々の必死の努力の甲斐あって、日が昇った頃、言ノ葉町には、もとの平穏な時が戻っていた。少しばかり遅くなった朝に、仕事の早い者は焦ったように支度をしながら、それでも不思議がることもなく、いつも通りに一日を始めている。忌に取り憑かれていた時の記憶は、人々には残っていないようである。

 そして、町の小さな八百屋『あさひな』にも、いつも通りの朝が来ていた。

「おっはよぉ~!アーくぅ~ん!カイワレ大根アタァァック!」

「グフ!」

 ベッドで眠りこけていたアヒルの顔面に、突入してきた父の投げた、ふさふさとしたカイワレ大根の束が直撃する。鼻と口をカイワレに覆われ、アヒルは苦しげに声を漏らしながら、大きく顔をしかめて、その瞳を開けた。

「今日はアーくんが珍しく、何の寝言も言ってなかったから、とりあえずカイワレ大根にしてみたぁ~!」

「なんで、とりあえずカイワレなんだよ!」

「ブフっ!」

 アヒルにカイワレを投げ返され、顔面に喰らった父が、苦しげな声をあげる。

「さっすがアーくん!お父さんの息子!なんて、素晴らしいコントロール!」

「へぇへぇ」

 何故か感動した様子で目を輝かせる父を軽くあしらい、アヒルがベッドから体を起き上がらせて、すぐ手元に置いてある時計に目をやる。

「さっき寝たとこだってのに、もう七時かよ…」

「へぇ?」

「いや、何でもねぇ」

 不思議そうに聞き返す父に、すぐさま答えを返すアヒル。夜明け間近まで始忌と戦っており、家へ帰って来たのがほんの一時間前だということを、父に言うわけにもいかなかった。

「はぁっ、しゃあねぇなぁ」

 寝不足であることは仕方ないと諦め、アヒルがベッドから立ち上がり、素早く制服に着替える。

「そういえば、アーくん」

「ああ?」

 父に呼ばれ、アヒルが着替えながら、声だけで答える。

「今日は篭也くんも囁ちゃんも来てないみたいだけどぉ?」

「あ、ああ~、何か昨日、夜遅くまで用事とか言ってたから、寝坊したんじゃねぇ?」

 父の問いかけに少し焦りながらも、適当な答えを返すアヒル。篭也と囁は、衣団や於団と共に最後まで、言ノ葉町の事後処理に当たっていたため、アヒルよりも家へ帰る時間は遅くなっていた。アヒルを起こしに来る余裕が、あるはずもない。

「えぇ~?二人が居ないと、お父さん寂しいぃ~」

「一人で勝手に寂しがってろ」

 ウジウジと両人差指を合わせている父へと冷たい言葉を投げかけ、制服に着替えたアヒルは、机の上の鞄を取り、部屋を出て、階段を降りていく。

「はよぉー」

 階段を降りてすぐの戸を開き、居間へと入るアヒル。

「おはよう、アヒルくん…」

「よぉっ、今日もちゃんと起きれたかぁ?」

「……っ」

 新聞を読んでいた顔を上げ、アヒルへ笑顔を向けるツバメと、台所から顔を出し、菜箸を持った手を軽くあげるスズメ。忌だらけとなった学校では結局、ツバメとスズメに会うことが出来なかったので、いつも通りの二人の様子を見て、アヒルが安心したように胸を撫で下ろす。

「良かった」

「え…?」

 思わず言葉を漏らしたアヒルに、聞き取れなかったのか、ツバメが少し首を傾げる。

「いや、別に何でもねぇ」

「おはようございまぁーすっ」

 そこへ、店の通用口が開く音と共に、明るい挨拶の声が入って来る。

「紺平」

「おはよう、ガァ」

 目元にクマ一つ作らず、今日も爽やかに現れたのは、笑顔の紺平であった。紺平も檻也と共に事後処理にあたっていたため、そう寝てはいないはずだが、まったくそれを感じさせない。

「いつもにも増して、眠そうな顔だね」

「お前はシャキっとし過ぎだろ」

「風紀委員ですからっ」

 呆れたように言うアヒルに、紺平は得意げに微笑んだ。



「んで?お前、何分寝たの?」

「えっ?寝てないけど?」

「えっ!?一秒も寝てねぇーのかよ!?」

「どうやって一秒だけ寝るのさ」

 朝食を終えたアヒルは、迎えに来た紺平と共に、いつもの道を通り、学校へと向かっていた。

「お前、それでよく学校行こうって気になるよなぁ。俺だったら、絶対行かねぇーけど」

「ガァみたいに不真面目じゃないんです」

 呆れたように言うアヒルに対し、紺平も呆れたように言葉を返す。

「誰が不真面目だよっ。今だって、篭也や囁と違って、ちゃんとサボらずに学校行こうとしてんだろぉ?」

「ガァは極力、休まない方がいいよ。あの二人と違って、頭悪いんだから」

「頭悪い言うな」

「お前たちぃ~!」

「んあっ?」

 前方から聞こえてくる大きな声に気付き、アヒルがゆっくりと前を見る。

「よく俺のもとに戻って来てくれたぁ~!お前たちぃ~!」

 アヒルたちの進む道の前方には、何やら感動した様子で泣き叫んでいるグラサン、リーゼント男。隣校のアニキである。その周囲には、いつものように子分たちの姿があった。

「何言ってんスかぁ~?アニキ」

「俺ら別にどっこも行ってないっスよぉ~?」

「お前ら、昨日、ここに居なかったじゃないか!俺、探して、三つ隣の町まで行っちゃったんだぞ!?」

『へぇっ?』

 必死に訴えるアニキに、子分たちが一斉に首を傾げる。

「俺ら、昨日もここに居たよなぁ?」

「ああ、ああ。それで相変わらず、朝比奈に吹っ飛ばされるアニキを見た見た」

「へっ?」

 次々と言い放つ子分たちに、アニキが目を丸くする。

「あっれれれぇ~?俺ってば、あまりにロマンチスト過ぎて、ファンタジーな夢でも見ちゃったかなぁ?」

「邪魔」

「ぎゃああ!」

『ア、アニキぃぃ~!』

 大きく首を傾げていたアニキを、後ろからやって来たアヒルが、容赦なく蹴り倒す。大きな音を立てて地面に倒れ込むアニキに、子分たちが焦ったように声をあげた。

『だ、大丈夫ですか!?アニキ!』

「お、おのれっ、朝比奈ぁ~!」

 心配する子分たちに手を貸されながら、アニキが何とか起き上がる。倒れ込んだ拍子にリーゼントの先端が潰れ、何とも笑えない髪型となっていた。

「今日という今日は!コテンパンのパンパカパァーンにぃっ…!」

「はいはい、今日は眠いから、また明日なぁ」

「あ!朝比奈!逃げるな!こら!」

 勇んで戦いを挑んでくるアニキをあっさりと無視し、軽く手を振ると、アヒルはそのまま何食わぬ顔で、紺平と共に学校へ向かう道を進んだ。

「アニキさん、そんな遠くまで子分さんたち、探しに行ってたんだぁ」

 紺平がアニキたちの方を振り返りながら、どこか感心したように言う。

「だから忌に取り憑かれずに済んだのかなぁ?」

「さぁな。あいつのことなんて、マジで興味ねぇ」

 そう言いながらアヒルは、本当に興味なさそうに顔をしかめた。



 言ノ葉高校、一年D組。

「おはよ!ガァ、紺平っ」

『うわっ』

 教室に入った途端、明るく声を掛けて来た想子に、アヒルと紺平は思わず声を揃え、驚きの表情を作る。

「何よ?二人して、人を化け物みたいにっ」

「ううん、別に…元気そうで良かったよ、想ちゃん…」

「はぁ?」

 少し引きつった笑みを浮かべながら言う紺平に、想子が大きく首を傾げる。先日、忌に取り憑かれた想子に、この教室で襲われた二人は、もとに戻った想子の姿に安心しつつも、少し戸惑ってしまうのであった。

「ってかまぁ元々、化け物みたいなもんだろ」

「何ですってぇ!?バカガァ!」

「ほぉーら、騒いでないでとっとと席着けぇ」

「……っ」

 想子との言い合いを始めそうになったその時、割って入って来たその凛と響く声に、アヒルは思わず目を見開いた。

「もうすぐチャイム鳴るぞぉ」

 教壇に立ち、アヒルたちへと声を掛けるのは、出席簿を片手に持った恵。

「あ…」

 恵の姿に、今朝方の七架の一件を思い出し、アヒルがどこか少し気まずそうな顔を見せる。

「えっと…」

「おはよう」

「……っ」

 戸惑うアヒルへ、恵が当たり前の挨拶を向ける。

「おはよう、ございます…」

 あまり自然ではない感じで挨拶を返すと、アヒルは素早く教壇の前を横切り、一番窓側にある自分の席へと行って、静かに席を着いた。

「とっととホームルームやるぞぉ、席着けぇ」

 いつもと変わらぬ口調で、いつもと同じように生徒たちに声を掛け、授業を進める恵。七架のことで元気をなくしている素振りも見られず、アヒルはそんな恵を、ただじっと見つめた。

「今日の欠席は、神月に真田、高市に奈々瀬、か…」

 よく知った名ばかりが並び、アヒルがゆっくりと教室の後方を振り返る。

「…………」

 想子のすぐ前に空いた、七架の席を見つめ、アヒルはそっと目を細めた。



 そして、放課後。

「ふわぁー、よく寝たぁ」

「授業中寝るなんて最低ね…」

「朝からずっと寝てて、六限から来た奴に言われたくねぇーよ」

「フフフ…」

 一日の授業を、ほぼ睡眠で潰しながらも何とか終えたアヒルは、委員会のある紺平と別れ、遅刻でやって来た囁と共に、他の生徒も多く下校している中、校舎から正門へと道を進んでいた。

「篭也は?」

「さぁ…?まだ寝てるんじゃない…?」

 問いかけるアヒルに、囁はあまり興味なさそうに答える。

「だよなぁ。さすがに俺も、今日は休みたかったぜぇ」

「七架も休みだったものね…」

「……っ」

 囁から七架の名が出ると、アヒルの表情が途端に曇る。そんなアヒルを見つめ、囁もそっと眉をひそめる。

「アヒるん…七架のことだけど…」

「安の神!」

『えっ?』

 囁が真剣な表情でアヒルへと話しかけようとしたその時、学校では聞かれることもないはずのアヒルの呼び名が聞こえてきて、アヒルと囁は同時に目を丸くした。声の聞こえてきた正門の方を、二人が振り向く。

「安の神!」

「弓っ」

 正門の前に立ち、校舎から歩いてくるアヒルたちへと元気に手を振っているのは、朝方に比べ、すっかり顔色も良くなっている弓であった。大きな声でアヒルを呼ぶ弓に、周りの生徒たちの注目が集まっている。

「あんまりここで、神とか言わないでくれねぇか?弓…」

「あ、も、申し訳ありません!安の神!」

 足早に弓のもとへと駆け寄り、少し困ったように言うアヒルに、慌てて謝る弓であったが、結局、大声で神と呼んでしまっている。

「フフフ…よくここがわかったわね…」

「はい!の神のところへ行ったら、こちらにいらっしゃるとのことでしたので!」

 囁の言葉に、弓がはきはきと答える。

「傷はもういいの…?」

「はい!加守殿に治療していただきましたので、もうすっかりです!」

 囁が気遣うように問いかけると、弓は両手を振り上げて、体調の良さをアピールした。

「あ、安の神」

「ん?」

 思い出したように呼びかける弓に、アヒルが少し首を傾げる。

「今更なのですが、紹介させていただいても宜しいでしょうか?」

「紹介?」

「お目通り、失礼いたします、安の神」

「あっ」

 正門の陰から、弓のすぐ横へと姿を現すその人物。

「五十音士“也守”、八城刃と申します」

「お前っ…」

 そこに現れたのは、伍黄に取り憑かれていた也守の刃であった。こちらも朝方と比べ、すっかり傷も癒え、顔色もよくなっている。刃はアヒルへと、伍黄のものではない、穏やかな笑みを向けた。

「そっか。お前と面と向かって会うのは、初めてか」

「はい」

 何度も会っている感覚があるが、刃である彼と会うのは、確かに今が初めてであった。

「弓からすべて聞きました。安の神と安団の皆さんには、大変にお世話になったようで、何とお礼を申し上げてよいか…」

「礼なんていいって」

 かしこまった態度を取る刃に、アヒルが困ったように笑みを浮かべる。

「元々は弓が先に、ザべスの攻撃から俺を助けてくれたんだ。だから、これで貸し借りなし。なっ?」

「安の神…」

 笑いかけるアヒルに、弓も嬉しそうに笑みを零し、目を細める。

「もう一人の与守の彼はどうなったの…?確か、韻に保護されてるって聞いたけど…」

「はい、手当ても終わっているそうなので、今から韻へ迎えに行きます」

「我々も今回の件について、韻の聴取を受けねばなりませんので」

「そう…大変ね…」

 弓に続いて答える刃の言葉に、囁が少し肩を落とす。

「では、あまり時間がありませんので、我々はこれで失礼いたします。安の神」

「ああ」

 深々と一礼する刃に、アヒルが笑みを向ける。

「この御恩、一生忘れません」

「だから、そういうのやめろって。明日には忘れろ、んなもん」

「ならば…」

 困ったように笑みを変えるアヒルに、刃がそっと微笑む。

「安の神が危機に瀕した時は、我らヤ行“三言衆”、必ず応援に馳せ参じましょう」

 並んだ刃と弓が、アヒルへと大きな笑みを向ける。

「それで構いませんか?」

「……ああっ」

 刃たちのその気持ちを受け止めるように、大きく頷くアヒル。

「それでは、失礼いたします」

「おう」

「囁さんも、お元気で…皆さんにも、宜しくお伝え下さい」

「ええ…あなたたちも元気でね…」

 囁と弓が固い握手を交わすと、刃と弓は深々ともう一度、頭を下げて、アヒルたちへ背を向け、下校する生徒たちにまぎれて、道の先へと消えていった。

「行っちゃったわね…」

「ああ…」

 少し名残惜しそうに、アヒルと囁が言葉を交わす。

「困ったものね…」

「へっ?」

 小さく言葉を発する囁に、アヒルが振り向く。

「彼らを助けたくて戦ったのに…元気な彼らの姿にホッとしたのと同時に…始忌が消えたことを思い知らされて、どこか哀しくなる…」

「……っ」

 囁のその言葉に、アヒルが思わず表情を曇らせる。囁の言葉は、アヒルの心情そのものであった。元に戻った刃に安心したと同時に、伍黄がもう居ないと、哀しくなってしまったのである。

「本当、困ったものだわ…」

「俺たちの…」

「えっ…?」

 今度はアヒルの声に、囁が振り向く。

「俺たちのやったことって…本当に、正しかったのかな…」

「……っ」

 戸惑うように発せられる声に、囁がそっと眉をひそめる。

「アヒるん…」

「あっ」

 少し険しい表情となって、名を呼ぶ囁に、アヒルがハッとなる。

「悪りぃ、忘れて」

「あ…」

 そう短く言うと、アヒルは歩を進め、囁が止める間もなく、正門の外へと出て行ってしまう。

「アヒるん…」

 去っていくアヒルの背中を見送り、囁はどこか不安げに声を漏らした。


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