Word.45 波紋 〈2〉
完全に夜が明けきる前に、忌に取り憑かれ、町を徘徊していた言ノ葉町の人々を自宅へと戻し、壊れた町の建物などを修繕するため、エリザたち衣団と檻也たち於団は、合流した韻の部隊とともに、そのまま休むことなく、事後処理の任務を行うこととなった。
戦いで疲れ果てていたアヒルたち安団には、休息が許可され、アヒルたちは言ノ葉町へ戻ったが、自宅へ戻る前に一旦、為介の家へと向かうことにした。
言ノ葉町。町の小さな何でも屋『いどばた』。
「えっ…?」
長い戦いを終え、アヒルたちと共に『いどばた』へと戻った七架は、待ち構えていた衝撃的な現実に、思わず耳を疑った。
「六騎を…武守に…?」
「うん~」
聞き間違えではないかと、確認するように聞き返す七架に、為介が扇子を振りながら、軽い口調で返事をする。
「もともと忌に取り憑かれなかった時点で、五十音士なんじゃないかなぁ~とは思ってたんだけどさぁっ」
為介がその軽い口調のまま、話を続ける。
「ほらぁ?大量の忌さんに襲われて、こっちも色々たいへんだったじゃなぁい?だから、ちょ~っと彼を無理やり五十音士にして、助けてもらっちゃったってわけぇ」
「無理やりって…」
その言葉に、アヒルが一気に険しい表情となる。
「あんなガキ相手に、あんた一体、何考えてっ…!」
「為介を責めんのは、お門違いだ」
為介へと怒鳴りあげようとしたアヒルを、横から口を挟み、止める恵。
「恵先生っ」
「あいつを五十音士にしたのは、私だ」
「えっ?」
「……っ」
はっきりと言い放つ恵に、アヒルと七架が驚きの表情を見せる。恵は鋭い表情を見せ、そのまま七架のすぐ目の前まで歩み寄っていく。
「私が“目醒めろ”の言葉を使って、あいつを無理やり、五十音士にした」
「……っ!」
まるで現実を突き付けるように、七架の目の前で強く言い放つ恵。恵のその言葉に、七架が衝撃を走らせ、大きく目を見開く。
「言葉使ったって、恵先生っ…!」
「第二十一音“な”、解放…」
「えっ…?」
アヒルが恵へと怒鳴りあげようとする中、深く俯いたまま、右手の言玉を解放させる七架に、見守っていた篭也が焦ったように声を発する。
「ま、待て…!奈々…!」
「……っ!」
篭也が止める間もなく、七架は解放された真っ赤な薙刀を、恵へ向けて振り下ろした。
『あっ…』
仲間たちが大きく目を見開き、声すら出せないままに、目の前の光景を見つめる。
「…………」
鋭い表情を見せたまま、一瞬も目を逸らさず、七架を見つめている恵。その恵のすぐ横の壁に、七架の振り下ろした薙刀の刃が、深々と突き刺さっていた。
「あぁ~あ、また家に穴っ」
壁を抉った薙刀の刃を見て、為介ががっくりと肩を落とす。
「先生の…」
薙刀を振り下ろした七架が、下を向いたまま、決して恵の方は見ようとせず、言葉を発する。
「先生のやったことは…間違ってないんだと、思います…」
その声はかすかに震え、薙刀を握っている七架の手も、小刻みに震えている。
「先生が言葉を使ったから…六騎も、みんなも無事だったんだろうけど…けどっ…」
七架の声が、強く震える。
「私は、先生のこと…許せそうにありません…!」
「…………」
震えながら、搾り出されたその声を聞き、恵がそっと目を細める。
「許さなくて、いい…」
恵が落ち着いた声を、俯いたままの七架へと向ける。
「好きなだけ恨め」
「……っ」
恵の言葉に、七架は強く唇を噛み締めると、壁に突き刺していた薙刀を引き戻し、すぐに体の向きを変えて、恵へと背を向けた。
「六騎は…?」
「こっちの部屋、壊れまくっちゃったから、店の方で寝かせてあるよぉ~」
「連れて、帰ります…」
「どうぞぉ。ご自由にっ」
扇子を振りながら、場違いなほど暢気な表情で答える為介。為介の答えを聞くとすぐに、七架は皆に背を向け、足早に部屋を後にした。
『…………』
七架が出ていくと、部屋に未だかつてないほどの静けさが訪れた。
「恵、先生…」
「……っ」
ゆっくりと振り向いたアヒルにも答えず、恵はただ、深く俯いてしまう。そんな恵の様子を見て、アヒルはそっと表情を曇らせた。
「アヒるん…」
「えっ?あっ」
囁に呼びかけられ、初めは首を傾げていたアヒルが、ハッとした表情となる。
「奈々瀬…!」
七架の後を追うように、部屋を飛び出していくアヒル。
「大丈夫かしら…?」
出て行ったアヒルを、囁が少し不安げに見送る。
「報告はもういいだろう。僕たちも、檻也たちの手伝いに行くぞ、囁」
「え…?ええ…」
急にそう言う篭也に、囁が詰まらせながらも返事をする。部屋を出て行こうと、部屋の出口まで歩を進めた篭也が、すぐ手前で足を止め、素早く恵の方を振り返った。
「あなたのやったことは、五十音士としては正しい。だが…」
言葉を付け加えた篭也が、刺すような瞳で恵を見る。
「人としては、最低だ」
「…………」
はっきりと言い放つ篭也の言葉を受けても、恵はその凍りついたような表情を、少しとして動かそうとはしなかった。
「行くぞ、囁」
「ええ…」
細めた瞳で恵を見つめながら、囁も篭也に続くようにして、部屋を出て行く。安団の皆の居なくなったその部屋に、恵と為介だけが残された。
「あ~らら、言いたい放題ですねぇ。彼らっ」
皆を見送り、どこか呆れた様子で肩を落とす為介。
「恵サン?」
「……後は、お前に任せる」
首を傾げて呼びかける為介に、搾り出すようにそれだけ伝えた後、恵は部屋の壁にあいた大穴から外へと出て、静かにその場を去っていった。
「あららぁ~、珍しく傷心、かなぁ?」
「為介さん」
「ん?あ、雅クンっ」
去っていく恵の姿を見送り、少し困ったような笑みを浮かべた為介が、呼ばれる名に再び部屋の中を振り向くと、別の部屋から雅がやって来た。
「どうだったぁ?高市クンの様子はぁ」
「傷は奈々瀬さんの治療により、ほぼ完治していますが、余程の力を使ったのでしょう。深く眠っています。しばらくは目覚めないかと」
「ま、仕方ないねぇ~」
雅は、アヒルたちが運んで来た保を、別の部屋へと寝かせ、戻って来たのである。雅の報告を受け、為介は納得するように頷いた。
「皆さんは?」
誰も居ない部屋を見回し、雅が不思議そうに首を傾げる。
「あぁ~何か修羅場っぽくなっちゃってさぁ~、皆、出て行っちゃった」
問いかける雅に、為介が相変わらずの軽い口調で答える。
「修羅場?」
「ほらぁ、奈々瀬さんの弟の武守クンのことでぇ。無理やり目醒めさせたの、皆すっごく怒っちゃってさぁ」
「……っ」
話の内容とは裏腹に、明るく話す為介。だが為介の言葉を聞いた途端、雅は表情を曇らせた。
「何か、考えがあってのことなのですか?」
「へっ?」
「今回、無理に武守を目醒めさせたこと…」
「べっつにぃ~」
真剣に問いかける雅に、為介はすぐさま首を横に振る。
「しいて言うならぁ、我が身可愛さって感じ?ボクらが戦わなくていいようにぃ、彼を目醒めさせたのっ」
「…………」
答える為介の笑みを見つめながら、雅が険しい表情を作る。
「あなたのことは、常日頃から軽蔑していますが…」
「ひっどいなぁ」
「今回のことは、今までで最も、軽蔑します」
「……っ」
はっきりと言い放つ雅に、為介がそっと目を細める。
「だろうね…」
為介は諦めたように呟き、どこか困ったような笑みを浮かべた。
「奈々瀬!奈々瀬…!」
「……っ」
店の方で眠っているという六騎を連れていくため、長い廊下を足早に突き進んでいた七架は、後ろから必死に呼ぶアヒルの声に、やっとその足を止めた。
「奈々瀬っ…」
足を止めた七架と少し距離を取ったところで、アヒルも足を止める。
「あ、あの…」
引き止めたはいいが言葉が出ず、アヒルが少し考えるように俯く。
「その…!め、恵先生のことなんだけどっ…」
困惑しながらも、何とか言葉を繋げるアヒル。
「先生のやったことは、確かに良くないことだ。俺だって、そう思う。だけど恵先生だって、きっと好きで、あのガキを五十音士にしたわけじゃっ…!」
「わかってる」
「へっ?」
はっきりと答える七架に、アヒルの言葉が遮られる。
「私も先生の生徒だから…悪戯に他人を巻き込んで、それを良しとする人じゃないってことくらいは、わかってる…」
アヒルに背を向けたまま、七架が言葉を続ける。
「六騎を五十音士にしたこと、先生もきっと、苦しい決断だったと思う…」
「奈々瀬…」
まるで恵を気遣うように言う七架に、アヒルはそっと目を細めた。
「でも…でもね、六騎のことだけじゃないの…」
「えっ…?」
言葉を付け加える七架に、首を傾げるアヒル。
「今回のこと、あの始忌って人たちのこと…私、どうしても、あの人たちが“悪者だ”とは、思えなかった…」
「……っ」
七架の言葉に、消えていった伍黄の姿を思い出し、アヒルが少し視線を落とす。
「私…私が戦った、あの人のこと…」
―――お前が本当に優しいなら、今、俺に掛ける言葉を間違えんな…―――
七架の脳裏に、死に際の碧鎖の笑顔が、思い出される。
「倒したく、なかった…」
重く言葉を落とし、七架が強く、両拳を握り締める。
「消したくなんか、なかった…!」
「奈々瀬…」
七架の肩が、声が震えていた。だが、どうしてやることも出来ず、アヒルはただ、その場に立ち尽くす。
「私、五十音士になった時は…朝比奈くんの力になれるって、皆と一緒に戦えるって、ただ嬉しかったの」
懐かしむように、七架がそっと目を細める。
「でも、今はわからない」
戸惑うように、投げられる言葉。
「何が正しいのか、何が間違ってるのか…わからない…」
言葉と共に、七架の声が周囲を彷徨う。
「五十音士として、この言葉で戦おうって…今は、思えない」
「……っ」
迷った末、答えの言葉が静かに落とされると、アヒルはそっと俯いた。アヒルにその言葉を否定することなど、出来はしなかった。
「ごめん…ごめんね、朝比奈くん…」
アヒルに二度、謝罪の言葉を発すると、七架は再び足を進め、廊下の突き当たりへと姿を消していく。
「あっ…」
七架を呼びとめようと、右手を前へ出したアヒルであったが、その手はすぐに下ろされる。
「…………」
七架を追うことも出来ぬまま、アヒルは遣り切れない表情で俯いた。




