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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
175/347

Word.45 波紋 〈1〉

――――孤独でいることが嫌で、存在することが嫌で、人のように儚く消えて無くなれるのかと、左胸を突き刺してみた。

 でも、消えて無くなれなかった。

―――痛い…痛い…―――

 いつもの声が頭の中に響けば、すぐに貫いたはずの胸の大穴は埋まった。

 喉を引き裂いても、腹を抉っても、“痛い”の声に、俺の体は逆に癒えていく。

 消えてしまいたいのに、無くなってしまいたいのに、死ねない。

 どんなに足掻いても、死ねない。

 痛い。存在し続けることが、痛い。

「うっ…うううぅ…!」

 ただ、声を枯らせて、泣いた……――――



「ああ…そうか…」

 激しくぶつかり合う二つの力により、周囲に巻き起こる嵐のような強い風。その風に吹かれながら、過去を思い出した伍黄は、懐かしむようにそっと目を細めた。

「俺の、俺の望みは…“痛み”の消滅でも、言葉の消滅でもなかった…」

 やがて伍黄の放った黒い光の塊が、アヒルの放った赤と金の強烈な光に呑み込まれ、消えていく。

「俺の望みは…俺自身の、消滅っ…」

 伍黄の光を破ったアヒルの光が、伍黄へと迫る。

「……っ」

 目の前の光を確かめると、伍黄はそっと、その瞳を伏せた。


――――………………!


 強い強い、どこまでも響きそうなほどに強い音が一瞬だけ聞こえ、すぐに止む。

 アヒルと伍黄、二人が互いに残っているすべての力を集約し、ぶつけ合った二つの巨大な光も、あれだけの光を放っていたというのに、今はどちらも一片の欠片の残っていない。巻き起こされた強風も、すっかり収まり、崩れかけのその空間には、静けさが漂っていた。長い長い戦いの、終わりを告げるような、そんな静けさである。

「はぁ…はぁ…」

 右手に構えていた銃を下ろし、アヒルが上空からゆっくりと地面へと降りる。

「う、うぅ…」

 地面に足を着けると、アヒルはすぐに左肩を抱え込むようにして、身を屈めた。激しく負った傷からは、まだ赤い血が流れ落ちている。

「あ…あぁ…」

「……?」

 前方から聞こえてくる、声にならない声に気付き、アヒルが少し顔を上げる。

「あぁ…ぁ…」

 取り込んでいた忌の力がすべて消え失せたのか、背中の刃も、爪も牙も無くなり、黒い肌ではなくもとの人の肌色に戻った伍黄が、力なく地面に倒れ込んだ。

「忌の気配が…消えてる…」

 倒れ込んだその者から、忌の気配は感じられない。恐らく、もうその男は伍黄ではなく、伍黄の支配から逃れ、也守やもりやいばに戻ったのであろう。

「あいつっ…あいつは…?」

 刃の体から抜け出ているはずの伍黄の姿を探し、アヒルが周囲を見回す。

<グゥ…ウゥっ…>

「あっ…」

 漏れるように聞こえてくる禍々しい声に、振り向いたアヒルが眉をひそめる。

<ウウゥ…ウ…>

 刃から少し離れた地面に、這いつくばるように伏せている、黒い影の塊。それは、刃の体から出た伍黄の、本来の姿なのだろう。その体は少し溶けるように崩れており、見るも無残な姿であった。

<ア…アァ…ウゥ…ウ…>

「伍黄…」

 最早、言葉にもならないのであろう、細かく途切れた声を発する伍黄のその姿を見て、アヒルがそっと目を細める。

「……っ」

 どこか意を決したような表情を見せ、アヒルが右手の銃の銃口を、もう動くことも出来ないであろう伍黄へと向けた。

「“当た…」

「……っ」

「えっ…?」

 アヒルが言葉を発しようとしたその時、アヒルの銃の上に、銃を下ろすように、一本の手が乗って来た。

「灰示っ…」

「…………」

 その手は、真剣な表情を見せた灰示のものであった。

「お前、なんっ…あっ」

 アヒルが問いかける間もなく、灰示はアヒルの銃から手を離し、傷だらけの両足をゆっくりと動かして、伍黄のもとへと歩いていく。灰示のその様子を見つめ、アヒルは一瞬、どこか悲しげに目を細めた後、銃を持つ右手を下ろした。

「イツキ…」

<ウ…ウゥ…>

 倒れている伍黄のすぐ横に座り込み、伍黄へと呼びかける灰示。灰示のその声に反応し、伍黄が顔と思われる部分を、かすかに上げる。中央に輝く二つの赤い瞳は、今は弱々しく瞬いていた。

<ハイ、ジ…>

 力ない声が、懐かしそうに灰示の名を呼ぶ。

<俺が…この俺が、負けるとは…思っても、みなかったよ…>

 赤い瞳が少し細まり、ただの黒い影の伍黄が、どこか微笑んでいるように見える。

<“痛み”を…生むばかりだと、思っていたが…>

 伍黄が視線を落とし、徐々に消え始めている自分の体を見つめる。

<“痛み”を…消し去る言葉も、あるんだな…>

 禍々しかったその声は、今はとても、穏やかに響いていた。

<初めて…知った…>

「うん…」

 ゆっくりと零れ落ちる言葉を、受け止めるように、灰示が頷く。

「僕も、知らなかったよ…」


―――君も…“痛い”の…?―――

 今までの痛みを拾いあげるように、掛けられた言葉。


「つい、この前までは…」

<そう、か…>

 今までのように、灰示の言葉を批判することはなく、伍黄は納得した様子で頷く。

<ハイ、ジ…ハイジ…>

 伍黄が弱り切った声で、必死に灰示へと呼びかける。

「何だい?イツキ…」

 その呼びかけに、灰示は優しく応じた。

<声が…あの声が、聞こえないんだ…>

 少し戸惑うように発せられる、伍黄の声。

<一瞬も止まることなく、聞こえていたのに…あんなに強く、頭の中に…響いていたのに…>

 伍黄の心の中の戸惑いを表すように、赤い瞳が左右に揺れる。

<今はもう…こんなに、静かだ…>

「うん」

 頷きながら、灰示がそっと目を細める。

「うん…」

 もう一度頷きながら、灰示が地面に力なく放り出されている、伍黄の手を取る。その手は溶けるように消え始めており、灰示はすくい上げるように持ち上げ、自分の手でそっと包み込んだ。

「静かに、眠るといい…」

 灰示が伍黄の手を握る手とは別の手に、一本の赤い針を構える。

「おやすみ、イツキ…」

 穏やかな笑みを浮かべると、灰示は包み込んだ伍黄の手に、構えたその針の先を、優しく、決して痛くないように優しく、突き刺した。

「“てろ”」

 灰示が静かに、言葉を落とす。

<……っ>

 針から放たれる赤い光を見つめながら、灰示の言葉を聞き届け、伍黄はゆっくりとその瞳を閉じた。


―――パァァァン!


 針から発せられた赤い光に包まれると、伍黄の黒い影の体は、高い音を響かせた弾け飛んだ。宙を舞う水粒のような黒い欠片が、引き寄せられるように空へと舞い上がり、そして、消えていく。

「…………」

 その場に立ち上がり、その欠片を見送る灰示。

「灰示…」

 アヒルが灰示の後方へと歩み寄り、上方を見上げる灰示へと呼びかける。

「ただの、“痛み”の塊だから…かな…」

「えっ?」

 背中の向こうから聞こえてくる灰示の声に、アヒルが少し首を傾げる。

「こういう時…どうしたらいいのか、よくわからないんだ…」

「……っ」

 聞こえてくるその言葉に、アヒルがそっと目を細める。

「祈ってやれよ」

「えっ…?」

 返って来る答えに、灰示が少しだけ後ろを向く。

「あいつが…今度こそゆっくり、眠れるように…祈ってやれよ」

「……そうか…」

 アヒルからの言葉を受け、灰示が再び、上を見上げる。

「…………」

 そのまま目を伏せ、しばらくの間、立ち尽くす灰示。数秒の時が経つと、灰示はまた、その赤い瞳を開いた。もう、黒い欠片は一粒もなく、すべて消えてしまっている。

「神に…」

 上を見上げたまま、灰示がゆっくりと口を開く。

「神に祈るのなんて、生まれて初めてだ…」

「そうか…」

 そう言った灰示の背を見つめながら、アヒルは小さく笑みを零す。

「安の神様…」

「ん?」

 背を向けたままの灰示に呼ばれ、少し首を傾げるアヒル。

「一応、礼は言っておくよ」

 素っ気ない声が、アヒルへと届く。

「ありがとう…」

「……っ」

 灰示から届けられるその言葉に、アヒルはより一層深く、笑みを浮かべた。

「ああ…」

 小さな礼を受け止めるように、アヒルはしっかりと頷いた。

「んあっ?」

 何やら重く響く音が聞こえ、アヒルが不思議そうに顔を上げる。崩れ始めていた天井や壁のあらゆるところから、大きなヒビが入り始め、アヒルたちの居る空間は、本格的に崩れ始めていた。

「やっべ!マジ崩れが来てんぞ!」

 どんどんと崩れ落ちて来る天井を見上げ、焦ったように声をあげるアヒル。

「やべぇぞ!灰示!急いでここをっ…!」

「んん~、こんな年中、寝惚けっぱなしの俺が眠っちゃって、すみませぇ~んっ」

「ええ!?もう交代してるぅ!?」

 灰示が先程まで立っていた場所に横たわり、気持ち良さそうに眠っている保の姿に、アヒルが勢いよく驚く。

「ええぇっと…あぁ!あいつも居るし…!」

 少し離れたところで倒れている刃の方を振り向き、焦ったように頭を掻くアヒル。

「とにかく、ガァスケで…!ううぅ…!」

 銃をガァスケの姿へと変えようとしたその時、アヒルの全身に激しい痛みが走り、アヒルが思わずその場に膝をついてしまう。

「やべっ…もう力が…」

 アヒルが力なく声を発すると、右手の銃が赤い言玉へと戻ってしまう。

「ク、っソ…」

「情けない声を出すな」

「……っ」

 すぐ目の前から聞こえてくる、聞き覚えのあるその声に、アヒルがパッと目を見開く。

「諦めないことが、あなたの唯一の取柄だろう?」

「か…篭也!」

 アヒルのすぐ前に立ち、手を差し伸べる篭也の姿に、アヒルが思わず嬉しそうな笑みを零す。

「悪りぃ、マジ助かった」

「あのバカだけに、神を任せてはおけないからな」

 篭也が肩を貸し、アヒルがその場で立ち上がる。

「刃…!」

「弓?」

 倒れている刃のもとへと駆け込んでいく弓に気付き、アヒルが振り向く。

「戻ったのかっ」

「手当ても会話も、全部後回しにして!」

 アヒルがホッとしたように笑みを浮かべていると、唸り始めた崩壊音の隙間から、高らかと声が響いた。

「ザべス!」

「エリザよ!とにかく、この場から脱出するわよ!」

 眠りこけている保を背負い、勇ましく声をあげたエリザが、緑色に輝く右足を勢いよく振り上げる。

「“えがけ”…!!」

 エリザの振り切った足から放たれた強い光が、崩れゆく真っ黒な壁に、大穴をあけた。




「あっ」

 まだ日の昇っていない暗い朝空の下、広がる森の向こうを見つめ、紺平が何か気付いたような表情を見せる。果てしなく広がる森の光景の一部に、大きなヒビが入り、そこから無数のヒビが空へ、地面へと走っていくと、割れた景色の向こうに、黒い影の塊のようなものが見えた。

「あれは…」

「アジトに張り巡らされていた結界が、壊れたのね…」

「結界がっ?」

 冷静に言い放つ囁の言葉に、紺平が素早く振り向く。

「もうすぐ、アジトも崩れ落ちるわよ…」

「えっ!?じゃあ、ガァたちは!?」

「フフフ…生き埋めかしら…?」

「ええぇっ!?」

 囁が不気味に微笑むと、紺平が焦ったように声をあげる。

「ど、どうしよう!?早く、助けに行かないとっ…!」

「落ち着け」

 慌てふためく紺平に、檻也が短く声を掛ける。

「落ち着いてられるわけないよ!だってガァたちが…!」

「あれを見ろ」

「へっ?」

 前方を指差す檻也に、紺平が言葉を止め、檻也の指の先へと視線を移す。

「あっ…!」

 その瞬間、大きく目を見開く紺平。

「ったく、アヒルと戦うといっつも最後、こんな感じねぇっ」

「全部、俺のせいみたいに言うなよ、ザべス」

「エリザよ!」

 あれこれと言い合いながら、紺平たちの居る方へと歩いてくるのは、アヒルとエリザ。アヒルに肩を貸している篭也や、エリザに背負われた保、そして刃を背負った弓の姿もある。

「ガァ!」

「アヒるん…」

 紺平と囁が思わずその場を飛び出し、歩いてくるアヒルの方へと駆け出していく。

「大丈夫?ガァ」

「おお、紺平。お前も来てたのか」

 紺平が篭也とは逆側に肩を貸し、アヒルを支えると、アヒルは紺平へと笑顔を向けた。

「フフフ…地獄の底からこんばんは…アヒるん…」

「おお、お前も無事みたいだな…囁…」

 不気味な笑みを向けてくる囁に、アヒルはすぐに表情を引きつる。

「はぁ!」

 背負っていた保を地面へと下ろし、その場にしゃがみ込んで、一息つくエリザ。

「ったく、足止めして散々疲れてる私を、よくもまぁ、更に疲れさせてくれたものよねぇっ」

「足止めしかしていないから、体力は有り余ってるんじゃなかったのか…?の神…」

 自由気ままな物言いを見せるエリザに、呆れたように言葉を投げかけながら、檻也も皆のもとへと歩み寄って来る。

「奈々瀬、あのバカの治療を頼む」

「あ…うん…」

「……?」

 篭也に言われ、ゆっくりとした足取りで皆のもとへとやって来て、地面で眠る保へと両手を差し伸べる七架の様子を見て、アヒルが少し首を傾げる。アヒルたちが無事に帰って来たというのに、七架は笑顔一つ見せず、淡々と保の治療を始めている。

「奈々、瀬…?」

 そんな七架の様子を見つめ、首を傾げるアヒル。

「刃…!刃っ…!」

「……っ」

 後方から聞こえてくる声により、七架へと向けられていたアヒルの注意は、すぐに動かされる。

「刃…!!」

 アヒルたちの少し後方では、地面に座り込んだ弓が、両手に抱えるようにして横たわらせた刃に向かい、必死の呼びかけを行っていた。

「神…」

「大丈夫だ」

 不安げに振り向く篭也に、アヒルはすぐさま笑顔を見せる。

「刃っ…!」

「ん…」

「刃!?」

 薄く開かれた刃の口から、わずかに漏れる小さな声。その声を逃さず耳に入れた弓は、さらに声の音量をあげ、刃の名を呼んだ。

「ゆ…み…?」

 刃がゆっくりとその瞳を開き、すぐに視界に入った弓の名を、そっと呟く。開かれたその瞳は、忌の真っ赤ではなく、透き通った青色をしていた。

「刃…!刃っ…!」

「弓…?」

 両目から涙を溢れさせた弓が、倒れたままの刃の首元へと、強く両腕を回し、抱き締める。

「俺は…一体…」

 泣きじゃくる弓を見つめながら、刃は戸惑うような表情を見せた。

「ふぅ」

「何とかなったわね…フフ…」

 刃と弓の様子を眺め、篭也と囁が、どこかホッとしたように胸を撫で下ろす。

「……っ」

 始忌から解放された刃と弓、二人の姿を確認し、安心した笑顔を見せるアヒルであったが、刃のその姿に、伍黄がもうここには居ないことを思い知らされるようで、そっとその瞳を細めた。

「あ、そういやもう一人のよろいとかって奴は?助けられたのか?」

与守よもりは、ここには居なかった」

「へっ?居ない?」

「また戻ったら、説明する…」

 アヒルへ答えながら、篭也は厳しい表情を見せた。

「見ろ」

『……っ』

 檻也の声に、皆が一斉に後方を振り返る。

「始忌のアジトが、完全に崩れ落ちるぞ」

 まるで、その檻也の言葉を合図にするかのように、割れた景色の向こうから見えた、黒い忌たちの塊であるアジトは、大きな音を立てて爆発した。爆発が次の爆発を呼び、吹き荒れる風の中に、アジトの姿は完全に消えてなくなっていった。

「終わったな」

「いや…」

「えっ…?」

 すぐさま否定するように声を発する篭也に、檻也が眉をひそめる。

「終わりじゃない」

「そうね…」

 篭也の言葉に頷くように、エリザが続く。

「例え彼等が消えても、この世界に“痛み”がある限り、忌はまた生まれる…生まれ続ける…」

 アジトが消え去り、ヒビも無くなった景色を眺めながら、エリザがどこか遠くを見るような瞳を見せる。

「私たち五十音士が、本当に戦わなきゃいけないのは…忌ではなく、言葉に潜む、“痛み”の方なのかも知れないわね…」

「ああ…」

 エリザの言葉に、アヒルが深く頷く。

「そうだな…」

 アヒルの声が風に乗り、空へと舞い上がった。消えていった始忌たちのその後を、追いかけるように。


 こうして、アヒルたち五十音士と、始忌との戦いが終わった。

 たくさんの、大きな波紋を残して……。



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