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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.43 灰示ト保 〈1〉

 同じ姿であったなら、同じ形であったなら、同じ存在であったなら、こんなにも興味を持つことなんて、きっと無かったと思う。

 違う姿をしていたから、違う形を保っていたから、違う存在であったから、きっと惹かれたんだ。

 僕は、人間に。


「おはよう」

 振り合える、手がある。

「元気だった?」

 歩み寄れる、足がある。

「そういえば、昨日ねぇっ…」

 言葉を交わせる、口がある。


 黒い影の塊でしかない僕には、人間を形作るすべてのものが羨ましくて、ただ憧れて、ただ見つめていた。何時間も何時間も、飽きることなく、見つめ続けていた。


「なんで、そういうこと言うの!?」

「うるさいわね!あんたなんか、居なくなればいいのよ!」

 でも人間たちは、他人を傷つける言葉を、よく口にした。


「……どうして、傷つけることばかり、言うんだろう…」

 取り合える手も、駆け寄れる足も、優しい言葉を放つことの出来る口も、すべてを持っているのに、人間たちはどうして、傷つける言葉ばかりを、口にするのか。


―――痛い…痛い…―――

 今日も聞こえてくる、声。

 どうして人は、“痛み”ばかりを抱えて生きているのか。


「人間が…人を傷つける言葉を、言わなくなればいいのに…」


 小さな、けれど叶うことのない、望みを持った……――――――




 始忌アジト、深部。灰示 vs 伍黄イツキ

「…………」

 伍黄と向き合っていた灰示が、かすかにその表情を動かす。

「……緑呂ロクロが死んだよ、伍黄…」

 少し天を見上げた後、再び正面の伍黄を見て、そっと呟く灰示。このアジトの少し離れた場所で、かつて、ずっと共に居た仲間の気配が失われたことを、灰示は察したのである。

「ああ、わかっている」

 伍黄も察したらしく、当然のように答えた。

「五十音士を前に、あっさりと消されたか。緑呂も他の使えない奴等と、大して変わりはなかったな」

「……っ」

 冷たい笑みを浮かべる伍黄に、灰示がそっと眉をひそめる。

「何百年もの時を共に生きてきたっていうのに、随分な言い方だね…」

「時は、平気で人を裏切る」

 伍黄がはっきりとした口調で、言い放つ。

「長い、長すぎるほどの時は、決して、俺とお前の道を、一本にはしてくれなかっただろう?」

 その問いかけに、灰示は黙ったままだった。

「緑呂も消えた。始まりの忌、始忌も、残るは俺とお前の二人だけだな」

「そうだね…」

 今度の言葉には、そっと頷く灰示。

「そして、君も消える…」

 ゆっくりと言葉を発し、灰示が穏やかに笑う。

「今、ここで…」

「俺は消えないさ」

 灰示へと、微笑みを返す伍黄。

「俺が消える時は、人の言葉が消える時だ」

 伍黄の笑みが、自信を持って光る。

「今、ここで消えるのはお前だよ、灰示」

 そう言った伍黄は、鋭い瞳を見せ、右手に持っていた大きな刀を、再び構えた。

「…………」

 刀を構えた伍黄を見つめながら、そっと目を細める灰示。

「同じ種として生まれながら…ささいな相違で殺し合う…」

 灰示の声が、少し寂しげに響く。

「僕らまるで…人間みたいだね。伍黄…」

 楽しむような、哀しむような、どちらとも取れない笑みを浮かべた灰示は、右手から数本の針を伸ばし、刀を構えた伍黄と、真正面から向き合った。

「そうかも、知れないな…」

 認めるようにそっと呟いた後、伍黄は勢いよく刀を振り上げた。

「“け”!」

 振り下ろされた伍黄の刀から、激しく逆巻く、赤い炎の塊が放たれる。

「……っ」

 向かってくる炎へと、数本の針を投げ放つ灰示。

「“はずれろ”」

 灰示の言葉を受けた針が炎に突き刺さったその瞬間、炎は大きく軌道を変え、天井へと伸びていって、やがてはその暗がりの向こうへと消えていく。

「“はなて”」

 少しの間を置くこともなく、すぐに針をもう一本、伍黄へと放つ灰示。

「こんなものっ」

 向かってくる細長い針のたかが一本を見つめ、伍黄がどこか馬鹿にするように笑みを落とした後、素早く刀を振り上げた。

「叩き落してやる」

「“ばいせ”」

「何っ?」

 灰示がさらに言葉を放つと、伍黄へと向かって来ていたその一本の針が、倍へ、また倍へと、どんどんその数を増やし、避ける隙間もない程の無数の針山となって、伍黄へと迫って来る。

「濁音言葉か…チっ…」

 表情をしかめ、舌打ちを鳴らしながらも、振り上げた刀を勢いよく振り下ろす伍黄。

「“け落ちろ”…!」

 伍黄が大きな声を発すると、向かって来ていた無数の針が、一本残らず、突然燃え始め、黒い炭となって、力なく床へと落ちた。

「この程度でっ…」

「“”」

「なっ…!」

 余裕の笑みを浮かべ、刀を上げようとした伍黄へと、さらに向かってくるのは巨大な衝撃波。目の前に迫る力の塊に、伍黄が思わず目を見開く。

「やっ…」

 大きく口を開き、必死に刀を突き出す伍黄。

「“やぶれ”…!」

 伍黄が言葉を発すると、刀の先から真っ赤な強い光が放たれ、灰示の向けた衝撃波を、正面から見事に打ち砕いた。

「ハァっ…ハァっ…」

 刀を突き出した態勢のまま、伍黄が少し息を乱す。

「もう息切れしているのかい…?」

「……っ」

 前方から挑戦的に問いかけてくる灰示に、伍黄が思わず表情をしかめる。

「今の言葉…ただの、俺たち忌の言葉ではないな…」

 伍黄がどこか、探るように言葉を発する。

「忌の言葉を、五十音の“は”の力で強化してある…忌と五十音士、どちらの力も持つお前、独自の言葉だ」

「だったら…?何…?」

「だったら…」

 問いかける灰示に対し、伍黄がゆっくりと口を開く。

「今の、この俺にも出来るということだ…!“”!」

「……っ!」

 振り下ろされた刀から放たれた炎が、空中で巨大な一本の矢を形作って、真正面から灰示へと突っ込んでいく。

「“はばめ”」

 前方に赤い光の膜を形成し、向かって来た矢を受け止める灰示。

「あっ…」

 だが矢はその膜に徐々に侵入し、さらに進んで、貫こうとしている。

「阻みきれない…」

 眉をひそめながら、灰示が矢へと針を放つ。

「“はじけ”…!」

 針を矢の先端へとぶつけ、言葉を発する灰示。すると矢は大きく弾かれ、灰示の右方の壁へと当たって、炎の欠片となりながら崩れ落ちた。

「“け”!」

「うっ…!」

 矢を防いだばかりの灰示へと、前方からさらに炎が差し迫る。

「は、“はらえ”…!」

 急いで針を放ち、向かって来た炎を、何とか払い落す灰示。

「ハァ…ハァ…」

 連続して言葉を使ったからか、灰示が小さく肩を揺らしながら、その息をかすかに乱す。

「もう息切れか?」

「…………」

 先程、灰示が問いかけた挑発と同じ言葉を投げかける伍黄に、灰示の表情が曇る。

「“はなて”」

 だが灰示はすぐに態勢を立て直し、伍黄へと新たな針を向けた。

「あの目…」

 向かってくる針の、その後方に見える灰示を見つめ、伍黄が少し目を細める。

「また、何か企んでいる目だな」

 焦って刀を振るうことはせず、灰示が次に放つ言葉を待つように、静かに刀を構える伍黄。

「は…」

 灰示が次の言葉を発しようと、口を開く。

「“ぜ…!あ…」

「……?」

 言葉を発しようとしたその途中、伍黄のすぐ横へと視線を逸らし、何かに気付いたような表情を見せる灰示に、向き合っていた伍黄が少し眉をひそめる。

「ば、“ばいせ”…!」

「ば…?」

 明らかに言葉を言い直した灰示に、戸惑いの表情を見せる伍黄。伍黄の前で一本の針は、先程と同じようにその数を無数へと増やす。

「同じ言葉などっ…」

 向かってくる無数の針を見やりながら、伍黄が鋭く刀を振り上げる。

「俺に通じるか…!“き落とせ”!」

 伍黄が言葉を発し、刀を振るうと、灰示の向けた無数の針は、焼け焦げた炭となって床へと落ちた。

「何故、言葉を変えたりなど…ん…?」

 針を防いだ伍黄が、先程の灰示の行動を不可解に思い、灰示が一瞬、目を逸らした方向へと視線を持っていく。その先で何か見つけたのか、伍黄が少し眉を動かした。

「成程…」

 小さく、そして冷たい笑みを零す伍黄。

「ふぅっ…」

 焼け落ちた針を見下ろしながら、少し表情を曇らせた後、灰示がまた新しく針を構え直す。

「は…」

「随分と、ささいなものにまで気を回すんだな」

「……っ」

 針を投げる態勢を取り、言葉を放とうとした灰示が、伍黄を見た途端、目を見開く。

「ええっ?灰示」

「うぅ…うっ…」

 灰示へと笑みを向けた伍黄が、刀を持っていない方の手、左手で首の後ろを掴み、一人の人間を高々と空中へと持ちあげている。苦しげな声を漏らすその人間は、先程まで存在していた始忌の一人、萌芽ホウガが取り憑いていた、元五十音士であろう人間の青年であった。気を失っているらしく、深く瞳は閉じている。

「こいつが俺の近くに居たから、巻き添えにしてしまわないよう、言葉を変えたのだろう?」

「…………」

 伍黄の問いかけに答えようとはせず、灰示は険しい表情を作る。

「……別に」

 しばらく間を置いて、やっと言葉を発する灰示。

「何となく気分で変えただけだよ。そんな人間、関係ないな…」

「そうか…」

 微笑んで答える灰示に、伍黄も楽しげな笑みで頷く。

「ならば、この人間がどうなっても構わない、ということだな…?」

「……っ」

 刃先を人間へと向ける伍黄に、灰示が一気に険しい表情となる。

「“き尽く…」

「“はさめ”…!」

 伍黄の言葉を勢いよく遮り、灰示が素早く二本の針を放ち、伍黄へと向ける。

「んっ…」

 二本の針が伍黄の刀を挟み込み、萌芽であった青年へと突き出されようとしていた刃先の動きを止める。動かぬ刀に、表情をしかめる伍黄。

「あくまで、人間の味方をするか…」

 灰示の取ったその行動に、伍黄は低い声を落とす。

「灰示…」

「“はじっ…」

「“”!」

「なっ…!」

 伍黄が青年の背中越しに衝撃波を放ち、灰示へと向ける。気を失っている青年の体を先頭に、迫り来る衝撃波に、灰示が思わず驚いた表情を見せる。

「言葉を砕けば、奴も死ぬ。さぁ、どうする?」

 両手を広げ、どこか楽しげに問いかける伍黄。

「灰示」

「…………」

 灰示は驚いた表情をすぐさま、落ち着きの表情へと戻して、右手に素早く一本の針を構え、その針を、衝撃波の先頭に居る青年へ向けて投げ放った。

「は…」

「砕くことを選んだか…」

 口を開いた灰示を見つめ、伍黄が笑う。

「“はこべ”…!」

 針が青年の体へと突き刺さると、青年の体を赤い光が包み込み、その光が上空へと目にも留らぬ速さで舞い上がり、その場から去っていく。

「…………」

 青年は去ったが、残った衝撃波はまっすぐに灰示へと降り注ぐ。もう針を投げる時間すらない灰示は、静かに衝撃波を待った。

「ううぅう…!」

「何っ…!?」

 衝撃波を喰らう灰示の姿に、驚きの表情を見せる伍黄。衝撃波を直撃した灰示は、後方の壁際まで吹き飛ばされ、壁に強く背中を打ちつける。

「ううぅ…うっ…」

 苦しげな声を漏らし、その場にしゃがみ込む灰示。

「……っ」

 そんな灰示の様子を見つめながら、伍黄はひどく困惑した表情を見せていた。

「自らが衝撃波を喰らってまで…人間を助けた…?」

 戸惑う伍黄が、少し頭を抱える。

「それも、取り憑いているあの人間でも何でもない、関係のない人間を…」

 言葉を口にすればするほど、伍黄の戸惑いは深くなっていく。

「何故だ、灰示」

 問いながら、刀を振り上げる伍黄。

「お前は何故、そこまで人間を…!」

 伍黄の刀が、高々と振り上げられる。

「“つ裂け”…!」

「うっ…」

 振り下ろされた伍黄の刀から放たれる、強く速い赤色の光に、しゃがみ込んだまま、顔だけを上げた灰示は、厳しい表情を見せる。

「クっ…!」

 目の前に迫る光に、灰示が強く唇を噛み締めた。




「立てる…?」

「は、はい…」

 囁の手を借りながら、ゆっくりとその場で立ち上がる弓。始忌、虹乃から解放されはしたが、弓は囁との戦闘により虹乃が負った傷を、そのまま受け継いでおり、相当にボロボロの状態であった。

「ごめんなさいね…」

「囁さんが謝ることじゃないです」

 申し訳なさそうに謝る囁に、弓が穏やかな笑顔を向ける。

「むしろ、お礼を言わなきゃ…」

左守さもり!」

『……っ』

 後方から聞こえてくる、威勢のいい女性の声に、囁と弓が同時に振り返る。

「左守!」

の神…」

 二人のもとへと駆けてくるのは、エリザであった。エリザの姿を見た囁が、少し驚いたように目を開く。

「確か名前は…ザべス…」

「エリザよ!」

 アヒルと同じように名を間違える囁に、エリザが勢いよく怒鳴りあげる。

「無事?って、あ!君!」

「へっ?」

 エリザに強く指を刺され、弓が目を丸くする。

「始忌…!?」

「えっ…!?」

 緑色に輝く右足を振り上げるエリザが、焦ったような声をあげる弓。

「わ、わわわ私はあのっ…!」

「彼女は大丈夫…もう解放されています…」

「なぁ~んだ、そうなのっ」

「はぁ…怖かった…」

 エリザが足を下ろすと、弓はホッとした様子で胸を撫で下ろした。

「ったく、人に雑魚ばっか相手にさせてぇ。獲物の一匹くらい、残しときなさいよねぇ~」

「神とは思えない発言ね…フフフ…」

 文句を垂れるエリザに、囁が不気味に微笑む。

「ひどい怪我じゃない。とりあえず、とっととアジトの外へっ…」

「あ、いえっ…!」

「えっ?」

 外へと連れ出そうとしたエリザの手を、弓が思わず拒む。逃れていった弓の手を見つめ、エリザは戸惑うように振り向いた。

「あ、あの、その…私…」

「行きましょう…」

 弓の言葉を補完するように、囁がそっと言葉を発する。

「大切な仲間を、迎えに行かなくちゃ…」

「は、はいっ…!」

 囁の言葉に、弓は大きな笑顔で頷いた。



「うぅ~、怖いなぁ」

 紺平は一人、どこまでも暗いアジト内の廊下を、不安げな表情で何度も見回しながら、ゆっくりとその足を進めていた。何かから守るように、両手で自分の体を抱いている。

「三手に分かれた方が、探すの早いっていうのはわかるけど…檻也くんもエリザさんも、俺が新人五十音士だって、気付いてないよねぇ」

 ボヤくように、言葉を続ける紺平。

「あぁ~、敵がいっぱい出てきちゃったら、どうしよ。あれ?」

 不安げに言葉を発していた紺平が、ふと前方の暗がりに人影のようなものを見つけ、その足を止める。

「ま、まさか始忌とかいうっ…!?」

「…………」

「あっ」

 焦りの表情を見せ、身構えようとした紺平であったが、思わず取り出した言玉の光により、前方の人間が照らされ、その姿が確認出来ると、すぐに言玉を持つ手を引いた。

「奈々瀬さん!」

 思わず笑顔を作り、前方へと駆けこんでいく紺平。

「良かったぁ~無事だったんだ!大丈夫?怪我とかしてない?」

 紺平が色々と声を掛けながら、前方へと歩を進めていく。

「奈々瀬さっ…奈々瀬、さん…?」

 まったく返って来ない声に、紺平が戸惑うように首を傾げる。

「奈々瀬、さん…」

「…………」

 紺平の前方には、天を仰いだまま茫然と座り込んでいる七架の姿があった。


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