Word.41 ヤサシイ傷痕 〈4〉
<“破”ぁぁぁ…!>
「なっ…」
再び向けられる衝撃波に、七架が素早く起き上がり、言葉を口にする。
「“流せ”…!」
言葉とともに十字を掲げ、向かってきた衝撃波を横へと逸らさせる七架。すぐ横へと落ちた衝撃波が、辺り一面の床を抉る。
「……っ」
抉られ、崩れていく床から飛び上がり、七架が上空で十字を振るう。
「“薙ぎ倒せ”…!」
十字を振り下ろし、碧鎖へと赤い一閃を向ける七架。
<“壊”ぃぃぃ!>
「うっ…!」
七架の放った一閃は、碧鎖の言葉により、あっさりと砕かれる。
<“砕”ぃぃぃ…!>
「……っ!」
言葉と共に勢いよく向かってくる、黒い影の腕。
「な、“宥めろ”…!」
十字を突き出し、その黒い腕を受け止める七架。だが腕は十字ごと強く七架を押し進み、七架の体が一気に後方へと下がる。
「ううぅ…!うっ…!」
食い止めるどころか、七架はひたすら押され続け、十字を通して強い圧のかかる両手が、一気に痺れ始める。
「あああっ…!」
やがてその圧から弾かれるようにして、横へと吹き飛ばされる七架。その時の衝撃で、十字の先が少し砕かれ、赤銅色の破片が力なく地面へと落ちる。
「ううぅ…うっ…」
十字を支えに床に滑らせ、何とか倒れ込まずに、持ちこたえる七架。
<“破”ぁぁぁっ…!!>
「えっ…?」
そんな七架へと、さらに放たれる衝撃波。
「きゃあああああっ!」
避ける力すらも残っておらず、十字を構えようにも両手の痺れきっていた七架は、もろにその衝撃波を食らった。
「ううぅ…うっ…」
七架が勢いよく吹き飛ばされ、暗い空間の端まで転がっていく。二度目の衝撃波を受けた七架の体はボロボロで、流れる血の量も半端なく、もう立ち上がることが出来るようには見えなかった。
「痛い…痛いよっ…」
感覚をなくしそうな、ぎりぎりのところで、七架はただ考えもなく、浮かんできたその言葉を口にする。
「朝比奈…くん…」
助けを求めるようにその名を呼び、力なく目を細める七架。
「私…もう…」
<グウウゥゥっ…!>
「……っ」
何度も攻撃を受けたのは七架だというのに、前方から聞こえてくる、七架よりも苦しげなその声に、七架は戸惑うように顔を上げた。
<痛いっ…痛い…!痛いぃぃぃっ…!!>
顔を上げた七架の視界に入って来たのは、“痛い”の言葉を繰り返しながら、何とも苦しそうに叫んでいる碧鎖の姿であった。
「あれは…」
初めは姿を変えたことにより、体が痛んでいるのかとも思ったが、黒い影で出来た二本の腕で、まるで耳を塞ぐような動作を見せている碧鎖の姿に、七架がそっと目を細める。
―――俺たちには、お前ら人間の“痛い”っつー声が聞こえてくるんだ―――
―――なのに、なんで、“痛み”は消えねぇーんだ…?―――
「……っ」
思い出される碧鎖の言葉に、七架がどこか考え込むような表情を見せる。
「聞こえ、るんだね…私の“痛み”が…」
<グウウウゥ…!>
苦しむ碧鎖へと語りかけるように、穏やかに言葉を放つ七架。
「聞こえるんだね…皆の“痛み”が…」
穏やかな口調で、七架がさらに言葉を続ける。
「苦しいんだね……」
言葉を続けながら、七架が床に立てた十字を支えにするようにして、その場でゆっくりと立ち上がっていく。
「解放、されたいんだね…」
立ち上がった七架が、上体を起こし、真正面から碧鎖を見つめる。
<グウウウウ…!ウウゥゥっ…!>
「…………」
激しさを、苦しみを増していく碧鎖の声に、七架がそっと目を細める。
「同情も優しさも、あなたへの“救い”にはならない…」
床につけていた十字を、そっと持ち上げる七架。
「今の私が、あなたに出来ることはっ…」
七架の瞳が、鋭く変わる。
「ただ、一つだけ…!」
十字を構えた七架が、大きく声を張り上げる。
「“無くせ”…!!」
強く響いた七架の声とともに、十字から飛び出た十字型の強い赤色の光が、まっすぐに突き進み、苦しむ碧鎖へと直撃する。
<グアアアアア…!!>
光をもろに浴び、さらに苦しげな悲鳴をあげる碧鎖。
≪グアアアアア…!アアアアアっ…!!≫
先程、一つへと固まっていった無数の忌が、今度は逆に分解されるように、碧鎖の巨大な体から次々と溢れ落ちていく。
≪痛いぃ…!痛いぃっ…!痛いぃぃっ…!!≫
出て来た忌は皆、一様にその言葉を繰り返しながら、床へと降り落ちるその前に、黒い影の体を崩し、掻き消えていく。
「…………」
その地獄のような光景を、目を逸らすことなく、まっすぐに見つめる七架。
「ううぅっ…!」
見つめ続けていた七架も、再び傷の痛みに顔を歪めた。七架がその場に力なくしゃがみ込むと、七架が両手で握り締めていた十字が、もとの薙刀の姿へと戻る。傷のせいか、言葉を使い過ぎたのか、七架が変格を保っていることに、限界が来たのであろう。
「はぁっ…はぁっ…」
「うううぅっ…ううぅ…」
「……っ」
息を乱していた七架が、呻くように聞こえてくる声に、そっと顔を上げる。
「ハァっ…ハァっ…」
七架が顔を上げた先には、七架と同じように、大きく息を乱した、もとの碧鎖の姿があった。碧鎖は外傷はないものの、相当に苦しそうに見える。恐らくは、先程、無数の忌を取り込んだことで、多くの力を消耗したのだろう。
「まだ、だっ…」
途切れ途切れの声を繋ぎ、碧鎖が鋭く七架を睨みつける。
「まだっ…終わらせねぇ…」
「……っ」
碧鎖の言葉に、七架がそっと目を細める。
「まだっ…消えねぇ…!!“鎖”!」
必死に叫びあげ、七架へと再び、黒い鎖を向ける碧鎖。
「……っ」
七架もしゃがみ込んだ状態のまま、強く唇を噛み締め、重い右手をあげて、変格から戻ってしまった薙刀を掲げる。
「“薙ぎ…払え”…!」
薙刀を振り切り、向かって来た鎖を横へと払う七架。
「クっ…!」
鎖の払われた衝撃だけで、大きくその体を揺らせる碧鎖。もう、少しの衝撃でも立っていられないほどに、碧鎖の体は弱り切っていた。
「まだ、だ…まだっ…!」
立っているのもやっとの状態も気にせずに、碧鎖がさらに右手を七架へと向ける。
「“破”…!」
碧鎖の右手から放たれる、先程よりは格段に威力の衰えた、小さな衝撃波。
「あっ…きゃああああ!」
だが、今の七架には、その小さな衝撃波を避ける力も、砕く力も残っておらず、もろに直撃し、後方へと勢いよく吹き飛ばされていった。
「ううぅ…うっ…」
「終わりだ、五十音士っ…“鎖”っ…」
床に倒れ込んだまま、苦しげな声を漏らす七架に対し、碧鎖はすでに勝ち誇ったような笑みを浮かべ、再び右手に黒い鎖を巻きつかせる。
「死ねぇっ…!“砕”…!!」
「うっ…!」
勢いよく向かってくる鎖に、もう薙刀を持つ手も動かすことが出来ず、大きく目を見開く七架。まっすぐに向かってくる鎖を真正面に捉え、七架はその瞳を閉じようとした。
「……っ」
だが、瞳を閉じようとしたその時、七架の目の前で、鎖は止まってしまった。
「えっ…?」
止まった鎖を見つめ、七架が戸惑うように声を漏らす。
「もう、少し…」
鎖の向こうから聞こえてくる、弱々しい碧鎖の声。
「もう少し…だったのに、よ…」
そう呟いた碧鎖が、どこか自嘲するような笑みを浮かべる。
「ううぅっ…!」
「あっ…!」
七架の目の前まで迫った鎖が、一瞬にして掻き消えた後、碧鎖は苦しげに声をあげ、前方へとゆっくりと倒れ込んでいった。倒れていく碧鎖の姿に、七架が思わず目を見開く。
「もう、少し…」
倒れた碧鎖が、どこか虚ろな瞳で、自分の右手を見つめる。その右手からは、黒い霧のようなものが、漏れだすように生じていた。碧鎖の忌の体が、この人間の体から、出ようとしているのである。
「もう、少しっ…」
その溢れ出ていく黒い霧を見つめながら、碧鎖がまるで祈るように、その言葉を繰り返す。
「…………」
そんな碧鎖の様子をまっすぐに見つめる七架は、どこか哀しげに目を細めると、傷だらけで重くなっている体をゆっくりと起き上がらせた。
「俺は…俺はっ…」
「……っ」
「んっ…?」
碧鎖の見つめていた右手の前へと差し出される、碧鎖のものとは別の手に、碧鎖はそっと眉をひそめた。
「お前、は…」
もうろくに動かない体で、首だけを動かし、少しだけ顔を上げる碧鎖。
「何の、マネ…だ…?」
「…………」
碧鎖の見上げた先には、碧鎖へと手を差し伸べる、七架の姿があった。
「また慈悲か…?優しい五十音士様よぉ…」
「人間がみんな、違う人だから…」
「はぁ…?」
不意に放たれた七架の言葉に、碧鎖が大きく顔をしかめる。
「いきなり、何言っ…」
「さっきの、あなたの問いかけへの答え…私なりに、考えてみたの…」
「俺の、問いかけ…?」
「人間は優しい生き物なのに、なんで“痛み”が消えないのかって…」
「……っ」
七架の言葉に、確かに自分が問うたことを思い出し、碧鎖はそっと目を細めた。
「この世界には、たくさんの人間がいるけど…たったの一人も、同じ人はいない…」
傷ついた体で少し息を乱しながら、七架がゆっくりと言葉を続ける。
「考え方も、捉え方も、感じ方も…みんながみんな、違うものを持ってる…」
真剣な表情で、碧鎖を見つめる七架。
「だから、“優しさ”も“痛み”も…人によって、全然違う…」
「…………」
続く七架の言葉を、碧鎖は遮ることなく、静かに聞き続けた。
「私が“優しさ”だと思って取った行動は、私の大切な友達を傷つけた…」
―――私、いつも何も言い返さないようにしてたし…―――
―――放った言葉が、誰にも受け止めてもらえなかった時、その言葉はどこに行くんだろうな…―――
かつてのリンを思い出し、七架がさらに言葉を紡ぐ。
「私が“優しさ”だと思って掛けた言葉は…あなたの心を傷つけた…」
―――もっと模索すれば、お互いにとって、もっといい形が見つけられるかも知れない…!―――
―――フザけたことばっかり、抜かしてんじゃねぇっ…!!―――
「……っ」
見つめる七架に、碧鎖がそっと視線を落とす。
「自分が“優しさ”だと思ってても…他人にとって、それは“優しさ”とは限らない…その相違が、“痛み”になる…」
七架がその表情に、力のない笑みを浮かべる。
「人が優しい生き物だから…だから、“痛み”が消えないの…」
「…………」
そのはっきりとした七架の答えを、碧鎖は否定することなく、受け止めた。
「人間がみんな、まったく同じ人だったら…“痛み”なんて、なかったかも知れないのにね…」
「ハっ…簡単だろ。んなもん…」
少し視線を落とした七架に、碧鎖がやっと、言葉を投げかける。
「人間が、“優しさ”を失くせばいい」
「無理だよ、それは」
碧鎖が放った言葉を、七架は間を置くことなく、すぐさま否定した。
「人は…“優しさ”を失ったら、生きてはいけないから…」
「…………」
はっきりと答える七架の、そのまっすぐな視線を浴びながら、碧鎖が徐々に視線を下ろし、自分へと差し出された、その七架の右手を見つめる。その手は、碧鎖のような忌へと差し出されたその手は、人の“優しさ”を表したもののようであった。
「だから…私たち人は、“痛み”とも一緒に、生きていくの…」
「“痛み”とも一緒に…か…」
ゆっくりとした口調で、七架の言葉を繰り返す碧鎖。その表情は今までの怒りに満ちた表情ではなく、どこか落ち着いた、穏やかな表情であった。
「ホント、厄介なもんだな…」
「えっ…?」
碧鎖の声に、七架が少し首を傾げる。
「人ってのは…」
「……っ」
そう呟いた碧鎖は、今までに見せたことのない、穏やかな笑みを浮かべており、七架は思わず目を見張った。
「…………」
碧鎖の手がゆっくりと、七架が差し伸べた手の方へと、伸びていく。
「碧っ…」
七架が碧鎖の名を呼ぼうとした、その時であった。
―――ブシュっ…!
「……っ!」
七架へと伸びた碧鎖の手は、差し伸べられた方の手ではなく、もう一方の、薙刀を持つ七架の手を強く引き、その鋭い刃を、碧鎖の胸の中央へと突き刺した。刃を突き立てた碧鎖の胸からは、赤い血が飛び散り、七架の顔や、服へとその飛沫が舞う。
「あっ…」
あまりにも思いがけないその碧鎖の行動に、七架は大きく目を見開いたまま、言葉を失う。
「一度や、二度…手を差し伸べたくらいで…」
碧鎖が霞み始めたその瞳で、まっすぐに七架を睨みつける。
「お前らのやったことが…許されると思うなよっ…五十音士…」
七架を睨みつけたまま、碧鎖がそっと笑みを浮かべた。すべてを諦めたような笑みでもなく、力のない弱い笑みでもなく、どこか挑戦的な笑みであった。
「お前が本当に“優しい”なら、今、俺に掛ける言葉を間違えんな…」
その笑みを少しだけ柔らかくして、碧鎖が七架へと微笑みかける。
「…………」
「……っ」
碧鎖が七架をまっすぐに見つめる。その赤い瞳が、まるで慈悲を求めるもののようで、七架はそっと、瞳を閉じた。
「な…」
目を閉じたまま、七架がゆっくりと口を開く。
「“亡くせ”…」
大きく目を見開いた七架が、小さい声ではあったが、はっきりとした口調で、その言葉を述べる。七架が言葉を発すると、碧鎖に突き刺さったままの薙刀から、強い赤色の光が放たれ、あっという間に碧鎖の体を包み込んでいく。
「……っ」
赤い光の中で、碧鎖はその真っ赤な瞳をゆっくりと閉じる。すると碧鎖の体がすぐにその場に倒れ込み、その体から溢れ出るように、黒い霧の塊が姿を現した。
<じゃあなぁ…>
空間に響く、碧鎖のものらしき声。
<優しい、優しい…五十音士っ…>
最早、生物とも呼べない黒い霧の塊は、七架に最期にそう伝えると、空中に掻き消えるようにして、その姿を亡くしていった。消える瞬間に吹き抜けた風が、そっと七架の顔を撫でる。
「…………」
静まり返ったその場で、七架は力なくしゃがみ込んだ。
「“治せ”…」
七架が薙刀を引き抜き、倒れ込んだまま、気を失っている青年へと治癒の言葉を投げかける。そこに居る青年は、碧鎖と同じ姿をしているが、もうそこに、碧鎖はいない。
「……っ」
青年へと向けられた七架の手に、透明の滴が落ちる。
「“痛い”…」
落ちた滴は、七架の涙であった。
「勝ったのに…“痛い”よ…」
震える声を発しながら、七架がその場に蹲る。
「“痛い”よっ…!朝比奈くん…!」
七架の涙は、止まることなく、溢れ続けた。




