Word.41 ヤサシイ傷痕 〈3〉
「“啼け”!」
「またかよ…!」
向かってくる十字の光に、碧鎖が少し顔をしかめながら、両手を突き出す。
「“破”!」
碧鎖が衝撃波を放ち、向かってくる光と相殺させる。
「“嘆け”!」
「何っ…!?」
二つの力が相殺し、開けた視界のその先から、新たな言葉を放つ七架。すると先程よりも巨大な赤色の光が、碧鎖目がけて駆け抜けてくる。
「クッソ…!“砕”!」
鎖を振り上げ、言葉を向ける碧鎖。
「なっ…!?」
だが碧鎖の向けた鎖は、七架のその強い光に、あっさりと弾き飛ばされてしまった。飛んでいく鎖に、碧鎖が驚きの表情を見せる。
「砕けねぇだと…?うっ…!」
戸惑っていた碧鎖へと、光が直前へ迫る。
「クッソ!ううぅ…!」
そこから必死に横へと飛び退き、避けようとした碧鎖であったが、光がかすかに左腕をかすめ、碧鎖は大きく表情を歪めた。碧鎖をかすめた光はそのまま後方へと突き進み、真っ暗な空間の先へと消えていく。
「チっ…」
赤い血の流れ落ちる左腕を抱え、碧鎖が少し舌を鳴らす。
「だっから俺にっ…」
血の流れる左腕をそのままに、鎖の絡まった右手を振り上げる碧鎖。
「“痛み”くれてんじゃねぇって言ってんだよぉ!“壊”!」
碧鎖が怒鳴るように言い放ち、黒い光に包まれた鎖を、勢いよく七架へと向ける。
「…………」
向けられた鎖にも慌てずに、七架は落ち着き払った表情のまま、両手で十字を持ちあげた。
「“薙ぎ払え”…!」
七架がその細い腕で巨大な十字を振り切り、碧鎖が向けていた鎖を弾く。
「ならっ…“破”!」
鎖が弾かれたことには動じず、碧鎖がすぐさま、今度は衝撃波を七架へと向ける。
「な…」
そっと目を細めながら、口を開く七架。
「“無くせ”…!」
「うっ…!」
七架の言葉により十字が輝き、その中心部から強い赤色の光線が放たれると、碧鎖の放った衝撃波へと突き刺さり、衝撃波は一瞬にして消え去った。
「き、消えた…?」
忽然と無くなってしまった衝撃波に、碧鎖が少し唖然とした表情を見せる。
「“無くせ”って…んな言葉、ありかよっ…」
「“啼け”」
「なっ…!」
碧鎖がその汗を流す間すら与えず、七架は次の言葉を放った。
「うあああああ…!」
向けられた光を、今度は避けることすら出来ずに、碧鎖がもろに食らう。勢いよく後方へと吹き飛ばされた碧鎖は、壁があるのか、暗い空間の途中で背中を打ちつけ、その場に倒れこんだ。
「痛ってぇっ…」
血の流れ落ちる両手で床を押しながら、その言葉を、碧鎖が重々しく口にする。
「クソ強ぇじゃねぇかよっ…あの変格っての…」
―――碧鎖、其方は所詮、格下二番目のヘ級。強い五十音士では相手にならん。気を付けよ―――
―――キャハハ!弱いんだから、ちゃんと引っこんどきなさいよぉ~?碧鎖!―――
「……うっせぇよっ…」
ここへ来る前に掛けられた、緑呂と虹乃の言葉を思い出し、碧鎖が思わず言い返すように口を開く。
「んなところで、引けっかよっ…」
床につく手に力を込め、傷ついた体をどうにか起こす碧鎖。
「五十音士を前に、引けっかよぉっ…!」
激しく声をあげ、碧鎖がその場で立ち上がる。
「ハァっ…ハァっ…ハァっ…」
「…………」
立ち上がったものの、息を乱し、大きく肩を揺らしている碧鎖を見つめ、七架が少し目を細める。
「どうしたよ?さっきみたいに、勢いよく攻撃して来ねぇのか?」
碧鎖の挑戦的な問いかけにも答えず、七架は碧鎖を見つめたままでいる。
「それとも優しい五十音士さんは、また同情して、俺に攻撃すんのを止めてくれんのか?」
「……ううん、止めない」
「……っ」
すぐさま答える七架に、碧鎖の表情が曇る。
「随分とあっさりだな。慈悲深き女神様は、どこ行ったんだぁ?」
「だって、あなたは…」
軽い口調で問う碧鎖に、七架はすぐさま口を開く。
「この世界から、私たち人間から、すべての言葉を奪いたいんでしょう…?」
「ああ、そうだぜぇ」
七架の問いかけに、碧鎖が素直に認めるように頷く。
「私が何を言っても、その考えを、変えてくれる気はないんでしょう…?」
「……ああ」
次の問いかけにも、素直に頷く碧鎖。
「当たり前だ」
「だったら、止めれないよ」
強く主張する碧鎖に、七架が少し眉をひそめながらも答える。
「私は別にあなたに恨みもないし、あなたを消したいってわけじゃないから、本当は、こんなことしたくないけど…」
少し迷うように瞳を彷徨わせた後、七架がそっと顔を上げる。
「私はどうしたって、言葉を守りたいから」
まっすぐな瞳を、碧鎖へと向ける七架。
「あなたに、あなたたちにこの言葉を消させるわけにはいかないから、だからっ…」
少し視線を落とした七架が再び顔を上げ、きつく拳を握り締める。
「だから私は、あなたを消す」
「……っ」
はっきりと言い放つ七架に、そっと曇る碧鎖の表情。
「消す、か…」
少し俯いた碧鎖が、ゆっくりと七架の言葉を繰り返す。
「ええ」
繰り返した碧鎖に、七架がもう一度、頷きかける。
「それが私たち、人間の為なの」
「……っ」
言い切る七架に、曇っていた碧鎖の表情が、ぴたりと止まる。
「さすがは五十音士だぜ…勝手な言い分だ」
俯いたまま、小さな声を漏らす碧鎖。
「俺たちが生み出された時だって、お前らは言ったぜ。“俺たち、人間の為だ”ってな…」
込み上げてくる怒りからか、徐々に震えていく、碧鎖の声。
「人間の為だけに勝手に生み出して…人間の為に勝手に消すってか…」
俯いていた碧鎖が、一気に顔を上げる。
「フザけたことばっかり、抜かしてんじゃねぇっ…!!」
「……っ!」
勢いよく怒鳴りあげた碧鎖の体から、周囲へと一気に広がる黒い光に、七架が思わず目を見開く。
「こ、これはっ…」
≪グガアア…アアアっ…≫
「なっ…」
広がっていく黒い光を見回し、戸惑うような表情を見せていた七架が、広がった黒い光の中から、這い出るようにして次々と生まれ出てくる黒い影の存在に気づき、眉をひそめる。
「あれは…忌っ…」
次々と這い出てくるその禍々しい姿に、七架の表情が一気に曇る。
「ううん…」
七架が自分の言葉を否定するように、そっと首を横に振る。
「あれは…“痛み”…」
溢れ出る無数の忌を見つめ、七架が目を細める。
「あの人の“痛み”…」
「ううぅ…うっ…」
忌の溢れ出る黒い光の中央で、どこか苦しげな声を漏らしている碧鎖。
「私が言葉で傷つけた…あの人の“痛み”…」
碧鎖を傷つけた言葉を確かめるように、七架が強く、自分の胸を握り締める。
「うううぅ…うう…」
黒い光の中で、碧鎖はもがくように、苦しげな声を漏らし続ける。
―――また次が生まれたのか。これで何匹目だ?―――
―――誕生、おめでとう。生まれたところ悪いが、お前に生まれた意味はないよ―――
―――精々、こんな何の意味もない存在に生まれたことを、残念がるんだな―――
「何の意味もない存在になんか…ならねぇっ…」
次々と思い出されていく言葉に逆らうように、碧鎖は苦しげな呼吸の中、必死に声を発する。
「ただ、生まれてしまっただけの…ただ、消えていくだけの存在になんか…ならねぇっ…」
碧鎖が歯を食いしばり、必死に言葉を繋げる。
「好きには…させねぇ…」
その声が、一際重く響く。
「俺の存在を、俺が存在する意味をっ、お前ら五十音士の好きにはさせねぇっ…!!」
≪グアアアアアアっ…!!≫
碧鎖の心からの叫びに、まるで共鳴するように、周囲に溢れ出した忌たちも一斉に声をあげると、中心にいる碧鎖の方へと、一気に飛び出していく。
「うがああああああっ…!!」
「ううぅっ…!」
碧鎖の激しい叫び声とともに放たれる、強く眩い黒色の光に、正面に居た七架は、思わず身を屈め、目を伏せた。
「ん…?」
目を閉じてもわかるほどに強かった光が、止んだことを確認し、七架がゆっくりと目を開く。
「なっ…!?」
開いた途端、その瞳をさらに大きく見開く七架。
「そ、そんなっ…」
<グウウっ…ウウゥ…>
七架の目の前に存在しているのは、碧鎖という人間の形をした忌ではなく、ただの巨大な黒い影の塊であった。無数の忌が凝縮し、巨大な一匹の忌になったのだろう。大きな体の先にある真っ赤な瞳を、遥か先に見上げ、七架が戸惑いの表情を見せる。
「こ、こんなことって…」
<許さねぇ…絶対に許さねぇっ…>
その巨大な忌から落とされるのは、忌の言葉なき叫びではなく、碧鎖のものらしき言葉であった。鈍く響いていて聞き取りづらいが、その声は確かに碧鎖のものである。
<許さねぇっ…!五十音士ぃぃぃ…!!>
「うっ…」
悲痛なほどに届く碧鎖の叫びに、七架が辛そうに表情を歪め、思わず顔を下ろし、目を逸らそうとする。
「ダメ」
背けようとしたその顔を、自ら強く止める七架。
「ここで目を逸らしたら、リンちゃんの時と何も変わらない」
七架が言葉を発しながら、再び姿を変えた碧鎖へと視線を向ける。
「私の言葉があの人を傷つけて、あの人の“痛み”があの姿になった」
その禍々しい姿を、はっきりと視界の中に入れる。
「私はこれを受け止めて、これを打ち砕かなきゃいけないっ」
七架が十字を握る手に、力を込める。
「言葉を、守る為にっ…!」
迷いを払った表情で、再び十字を構える七架。
「“嘆け”…!」
七架が両手で十字を突き出し、言葉を放つと、十字から十字型の真っ赤な光が飛び出し、碧鎖の巨大になった体へと、まっすぐに向かっていく。
<五十音士っ…!!>
「えっ…?」
だが七架の向けた光は、叫んだだけの碧鎖の声に、あっさりと弾き飛ばされてしまう。
「なっ…」
<五十音士ぃぃぃっ…!!>
「……っ!」
弾き飛ばされた自らの光を目で追っていた七架であったが、さらに碧鎖が叫び声をあげると、その巨大な声が塊となって、衝撃波のように七架へと向かってくる。
「な、“無くせ”…!」
向かってくる衝撃波へと、七架が少し焦りながら言葉を発する。だが、衝撃波は七架の言葉通りに無くなることはなく、そのまま七架へと突き進む。
「け、消せないっ…!?」
消えぬ衝撃波に、さらに焦った表情となる七架。
「そんなっ…きゃあああああっ!」
消せなかった衝撃波をもろに食らい、七架が後方へと勢いよく吹き飛ばされる。
「ううぅ…!うっ…」
壁に背中をぶつけ、七架がその場へと倒れ込む。全身に傷を負った七架の血が、倒れこんだ床に広がっていく。
「はぁっ…!はぁっ…!」
七架が激しく息を乱しながらも、すぐさま体を起こし、右手に持った十字を掲げる。
「“薙げ”…!」
勢いよく放たれた言葉とともに、碧鎖の巨体へと突き進む、赤色の一閃。
<グガアアアアア!>
「あっ…!」
だが七架の一閃は、振り上げられた碧鎖の手と思われる部分によって、簡単に弾かれる。弾き返って来た一閃は、まっすぐに七架へと戻って来た。
「ああっ…!」
一閃を喰らい、左肩を斬り裂かれた七架が、再びその場に倒れ込む。
「“無くせ”も“薙げ”も…言葉が…効かないなんてっ…」
七架が床へと手をつき、重い体を起こそうとしながら、弱々しく声を落とす。
「私の言葉より、あの人の言葉に乗った気持ちの方が…強いんだ…」
言葉の効かなかった理由を、七架は傷つきながらも、冷静に分析する。
「ちゃんと、心の底からちゃんとっ…あの人を消そうって思わなきゃ…」
自分でそう言った途端に、七架の表情が曇る。
「迷ってたら…倒せない…」
曇らせた表情のまま、七架が血だらけの自分の手を見つめる。
「ちゃんと…」
<グガアアアアア!>
「うっ…!」
七架が決意をする間すら与えずに、その影で出来た体を前のめりに広げ、七架のすぐ上空まで迫る碧鎖。




