Word.41 ヤサシイ傷痕 〈2〉
同刻、篭也 vs 緑呂。
「……っ」
アジトのとある空間で、篭也と向き合っていた緑呂は、何かに気付いたように、その仮面で覆われた顔をそっと上げた。
「何だ?」
「……いや」
眉をひそめ問いかける篭也に、緑呂がすぐさま首を横に振る。
「萌芽…」
緑呂が仮面の奥から、篭也には届かない程の小さな声で、気配の消えてしまった仲間の名を呼ぶ。
「やはりお前は、そういう答えを出したか…」
まるでわかっていたかのように、緑呂がゆっくりと肩を落とす。
「灰示…」
緑呂の口から、かつての仲間の名が零れ落ちる。
「迷いがあるのであれば、とっとと振り払え」
「ん…?」
篭也のはっきりとした言葉に、俯いていた緑呂が、戸惑うように顔を上げた。
「でないと、僕とあなたの戦いは、一瞬にして終わる」
「……っ」
その言葉が現す意味に気付き、緑呂は少し顎を下げる。
「終わらせたりなどせん…」
低く響く声を放って、緑呂が右手の白い言玉を、強く握り締める。
「其方も見たはずだ。我はこの与守の言葉を取得しておる」
「だから、何だ?」
「……っ」
強気に聞き返す篭也に、緑呂が仮面の下の表情が、かすかに動いたような気がした。
「その強気な言葉、我がすべて、奪い尽くしてやる…」
言玉を握った右手を構え、緑呂が強気に言い放つ。
「そう、我らが終わらせるのは…」
仮面の奥から、溢れ出る殺気。
「お前たち人の、その言葉のみっ…!」
「……っ」
駆け込んでくる緑呂に、篭也も素早く、格子を身構えた。
同刻、囁 vs 虹乃。
「んん~っ?」
囁と向き合っていた虹乃が、緑呂と同じように萌芽の気配がなくなったことに気付き、もう一度、確かめるようにゆっくりと首を回した。
「キャハハハっ」
「……?」
不意に笑い始める虹乃に、囁が少し首を傾げる。
「何か…面白いことでもあったのかしら…?」
「ええぇ~」
囁の問いかけに、大きく頷く虹乃。
「仲間が一人、消されたみたいっ。あんたの仲間がやったのかしらぁ~?」
「えっ…?」
虹乃の言葉に、囁が少し戸惑った表情を見せる。
「篭也か七架が…?それにしては早過ぎるわね…」
二人が敵と相対したのは、囁とそう変わらない時間のはずである。まだ数分と経っていない間に、始忌の一人を倒すとは、少し考えにくい。
「アヒるんか…それとも…」
「間っ抜けよねぇ~あっさりと消されちゃうなんてっ」
「……っ」
考えを巡らせていた囁が、冷たい言葉を吐き捨てる虹乃に、その考えを止め、どこか不快そうに眉をひそめる。
「随分な言い方ね…仲間が死んだっていうのに…」
「死んだ?」
囁の言葉を繰り返し、虹乃が顔をしかめる。
「ううん、萌芽は“死んだ”んじゃない。“消えた”のっ」
「えっ…?」
どこか強調するように言う虹乃の、その言葉の意味が理解出来ず、囁は表情を曇らせた。
「消えた…?」
「うん、そぉ」
聞き返す囁に、大きく頷く虹乃。
「私たちは、あんたたちの言葉によって、勝手に“生じた”だけの存在。別に望まれて、“生まれた”わけじゃない」
主張する虹乃の赤い瞳が、鋭く光る。
「だから私たちは、“命”じゃない。だから死なない、消えるの」
「…………」
自らの存在を否定するような、その虹乃の言い分は、囁にはどこか哀しく届いた。命であることを諦めてしまった虹乃の姿に、囁はそっと目を細めた。
「でも私は消えないっ」
声を強くした虹乃が、その表情に再び笑みを浮かべる。
「やっと手にしたこの実体で、私はこの世界に存在し続けるのっ!」
虹乃が勢いよく両手を広げ、高らかと声をあげる。
「あんたたち五十音士を、殺してねぇっ…!」
「あれはっ…」
虹乃の右手の中で光る、金色の言玉に、囁が目を見張る。
「五十音、第三十八の音…」
「まさかっ…」
光り輝く金色に、曇る囁の表情。
「“ゆ”、解放…!」
言葉とともに放り投げられた金色の言玉が、より一層の強い光を放って、空中でその姿を変えていく。金色の光は徐々に大きくなり、やがて、真っ暗な空間すべてを照らし出すほどに、巨大な存在となった。
「パオオォォーン!」
雄たけびのように響く、その鳴き声。それは、光り輝く金色の巨体の、象であった。
「あの象は…」
―――行くよ!弓象!―――
「弓の…」
その象は、確かに弓の言玉の能力であった。
「弓から…言葉まで、乗っ取ったというの…?」
「そうよぉ。驚いた?キャハハハハっ」
険しい表情で問いかける囁に対し、虹乃はただ、楽しげな表情で笑いかける。
「私がこの言葉で、あんたたち五十音士を、みぃ~んな消し去ってあげるわっ!」
「そんなこと…」
自信を持って言い放つ虹乃に対し、囁は横笛を握る手に力を込める。
「私が、させないわ…」
横笛を構えた囁は、弓へと鋭い瞳を向けた。
同刻、七架 vs 碧鎖。
「……萌芽…」
一方、七架と向き合っている碧鎖も、緑呂や虹乃と同じように、萌芽の気配が消えたことを、察知していた。
―――俺たちは“痛み”により強さを増す生物。これでお前も、少しは強くなるかも知れん―――
―――狩りたければ、勝手に狩れ―――
「……っ」
行動を共にしていた時の、萌芽の言葉を思い出し、碧鎖は強く、唇を噛み締めた。
「まただ…またっ…」
碧鎖が小さく言葉を落としながら、きつく拳を握り締める。
「勝手に生んで…勝手に消しやがってっ…」
「……?」
小さな言葉ばかりを落とす碧鎖の正面に立つ七架は、その碧鎖の落としている声を聞き取ることが出来ず、明らかに変わった碧鎖の様子には気付きながらも、戸惑うように首を傾げるだけであった。
「フザけんじゃねぇよっ…!五十音士がぁ…!」
「えっ…?」
怒りを前面に押し出して、勢いよく顔を上げる碧鎖に、七架がさらに戸惑った様子を見せる。
「“鎖”!」
碧鎖が言葉を放つと、碧鎖の褐色の腕に巻きつくように、黒い鎖が現れた。碧鎖が手を振り上げると、巻きついていた鎖が解放され、空中へと広がっていく。
「“縛”!」
「うっ…!」
まるで手足のように、碧鎖の意志通り、自由に動き回った鎖が、簡単に七架の右手を捕らえる。武器を持った方の手を封じられた七架は、思わずその表情を険しくした。
「な、“薙ぎ…!」
「遅せぇよっ!」
「あっ…!きゃあああ!」
七架が言葉を放ち、鎖から逃れようとする前に、碧鎖が勢いよく鎖を振り回し、七架の細い体を鎖ごと高々と放り投げて、地面へと強く叩きつける。
「ううぅ…!」
床へと全身を打ちつけ、七架が表情を歪ませる。
「鎖…?」
床から少し顔を上げた七架が、戸惑いながら声を発する。
「忌が…武器を形成出来るなんて…神月くんたちは言ってなかった…」
先程の鎖を思い出し、七架が眉間に皺を寄せる。
「もしかしてあれは…あの人が乗っ取った五十音士の能力…」
「痛てぇかぁ?五十音士っ」
「……っ」
鎖を手元に戻し、笑顔で問いかける碧鎖に、七架は歪めていた表情を戻し、気丈に顔を上げる。
「んな顔したって無駄だぜぇ?俺には聞こえてくる」
まっすぐに見つめる七架を、強く見返す碧鎖。
「お前の、“痛い”っつー声がな」
「痛い…?」
碧鎖の言葉を、少し戸惑うように七架が聞き返した。
「ああ。俺たちには、聞こえてくるんだ。お前ら人間の“痛い”っつー声が、うるさいほどにな」
「声…」
その話を聞き、七架が考え込むように眉をひそめる。
「あなたたちが…」
「ああん?」
体を起こしながら、そっと口を開いた七架に、碧鎖が首を傾げる。
「あなたたちが…人間からすべての言葉を奪おうとしているのは、その声から解放されるため…?」
「……っ」
起き上がったばかりの七架の問いに、そっと目を細める碧鎖。
「ああ」
「言葉を奪うことで、あなたたちは消えてしまうのに…?」
「……ああ」
二つ目の問いには少し間を置いて、碧鎖はゆっくりと頷いた。
「そんなっ…」
「…………」
深々と俯く七架を見つめ、碧鎖はどこか考えるような表情を作る。
「哀しそうな顔だな」
「えっ…?」
碧鎖の言葉に、七架が顔を上げる。
「俺たちを哀れんでいるのか?」
そう言って、碧鎖が皮肉った笑みを浮かべる。
「慈悲深いことだな」
「そ、そんなつもりじゃっ…!」
碧鎖の言葉に、七架が思わず声を張る。
「ただ私は…!言葉も、あなたたちも、互いに消えずに、苦しまずに歩んでいけたらって、そう…!」
「敵である俺たちも、救いたいってか?」
「そっ…そうだよ…」
鋭く問いかける碧鎖に、七架が詰まらせながらも頷く。
「もっと模索すれば、お互いにとって、もっといい形が見つけられるかも知れない…!」
「……優しいんだな」
「えっ…?」
碧鎖の思いがけない言葉に、七架は戸惑うように声を漏らした。
「お前は優しい人間だな、五十音士」
穏やかな笑みを浮かべ、碧鎖はまっすぐに七架を見つめた。
「お前だけじゃない。人間ってのは、本来、優しい生き物だ」
語り始めた碧鎖が、そっと天井を見上げる。
「他人を敬って、他人を思って、生きていく…」
続く碧鎖の言葉を、七架はまだ少し困惑したような表情で、見つめていた。
「なのに、なんで…」
ゆっくりと降りてくる、碧鎖の視線。
「“痛み”が消えねぇーんだ…?」
「……っ!」
碧鎖のシンプルな問いかけに、思わず目を見開く七架。
「なんで、この声は止まねぇーんだ…?」
耳を澄ませる動作を見せ、碧鎖が続けて問いかける。
「なぁ…?なんでだ?五十音士」
「そ、それは…」
もう一度、問いかける碧鎖に、七架が言葉を詰まらせる。
「優しいお前には、わかんねぇーかぁ!?ああっ!?“破”!」
「うっ…!」
起き上がった状態のままの七架へと、声を張り上げた碧鎖が、容赦なく衝撃波を放つ。
「ああああっ…!」
武器すらも構える時間のなかった七架は、そのまま衝撃波を直撃し、勢いよく後方へと吹き飛ばされた。床に倒れこんだ七架の体から、赤い血が滴り落ちる。
「う…うぅ…」
「俺たちは、同情も優しさもいらねぇよ、五十音士」
苦しむ七架へと、碧鎖が語りかける。
「ただ、お前たちの言葉が消えてくれれば、それでいいんだよぉ!“破”!」
「……っ」
さらに飛んでくる衝撃波に、七架は強く唇を噛み締めた。
「“変格”…!」
「何っ…?」
放たれる強い赤色の光に、碧鎖の向けた衝撃波があっさりと吹き飛ばされ、碧鎖が少し眉をひそめる。
「“啼け”…!」
「うっ…!」
眉をひそめていた碧鎖へと、不意に十字型の赤い光が、高速で飛んでくる。
「クっ…!“砕”!」
言葉を放ちながら右手の鎖を振るい、向かってきたその光を砕く碧鎖。
「ふぃ~、危ねっ」
「……っ」
「んっ?」
一息ついていた碧鎖が、人の立ち上がる気配を感じ、正面を見やる。
「へぇっ」
碧鎖の見つめる先に立っていたのは、変格形の武器である、巨大な赤銅色の十字架を構えた七架であった。鋭い瞳を向けている七架の姿に、碧鎖が口角を吊り上げる。
「神へ祈りを捧げる十字架か…慈悲深いお前にはお似合いだぜぇ」
「…………」
挑発的に微笑む碧鎖に特に答えることもなく、七架は鋭い表情のまま、じっと黙っている。
―――迷うなよ…―――
「そうだよ、迷わない…」
―――俺はこの世界に通う言葉を、たったの一つだって、失わせたくない…―――
「言葉を守る…」
思い出される篭也とアヒルの言葉に、従うように、言い聞かせるように呟く七架。
「私は言葉を…言葉を守るって、そう決めたの…!」
強く言い放った七架が、十字を握る手に力を込める。




