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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.41 ヤサシイ傷痕 〈1〉

―――僕と君の道はたがえたんだよ…数百年の、昔にね…―――


 突如として消えた、言ノ葉を覆っていた無数の忌。困惑する伍黄イツキの前へと姿を現した灰示は、伍黄へと、そう言葉を投げかけた。

「違えた…?」

 伍黄がゆっくりと、灰示が口にした言葉を繰り返す。

「何を言っている…?灰示…」

 目の前に立つ灰示へと、鋭い瞳を向ける伍黄。

「この世に生まれ落ちた時から、俺とお前の望みはただ一つ…!それは、この“痛み”からの解放だろう…!?」

「そうだね…」

 声を荒げる伍黄へと、灰示が静かに頷く。

「僕らは願った…この降り止むことのない、“痛い”という声からの解放を…」

 灰示が少し、耳を澄ませるような動作を見せる。

「人が、“痛み”ある言葉を、口にしなくなることを…」

「ならば…」

 伍黄が強く、眉間に皺を寄せる。

「ならば、何故っ…!」

「そいつは裏切り者だ!」

「……っ?」

 伍黄が灰示を問い詰めようとしたその時、部屋へと新たな声が響き、灰示と伍黄は同時に振り向いた。

萌芽ホウガ…」

「はぁっ…はぁっ…」

 二人の居る部屋へと現れたのは、始忌の一人、萌芽であった。萌芽は肩を揺らして息を乱しており、その全身の所々に、小さな傷を負っている。

「へぇ、僕の“はりつけ”から抜け出して来たのかい?」

 灰示がそっと笑みを浮かべ、萌芽へと向ける。

「結構やるんだね…」

「……っ」

 微笑む灰示を睨みつけながら、萌芽が足早に動き、伍黄のすぐ横へと駆け寄っていく。

「伍黄…!」

 萌芽が伍黄へと、強く呼びかける。

「あいつはっ…あの男は裏切り者だ…!」

 必死に訴え、乱れた呼吸で声を荒げる萌芽。

「さっき、安の神と話しているところを見た!しかも奴は、神を殺しもせずに、その場を去った!」

 萌芽が灰示を指差し、言葉を続ける。

「あの男は裏切り者だ!五十音士側の回し者に違いない…!」

「ハァ…言葉が通じない人だねぇ、君も…」

 そんな萌芽を見て、灰示が呆れたように、がっくりと肩を落とす。

「僕は五十音士たちの味方ではないよ。さっきもそう言っただろう?」

「裏切り者の言葉など、信じられるか!」

「ハァ…」

 すぐさま言い返す萌芽に、灰示はまたしても一つ、大きな溜息を落とす。

「裏切り者、裏切り者と…よくわからないことを言う…」

 灰示がそっと、目を細める。

「僕がいつ、“君たちの仲間になる”と、言ったんだい?」

「こいつっ…!」

「…………」

 表情を険しくする萌芽の横で、伍黄がそっと目を細める。

「伍黄…!もうこんな奴を、野放しにしておくわけにはいかない!俺たちでとっとと、こいつを消そう!」

 萌芽がさらに声を大きくし、隣に立つ伍黄へと言い放つ。

「……五十音、第三十六音…」

 萌芽の言葉に特に頷きもしないまま、伍黄が懐へと右手を入れ、ゆっくりと言葉を発しながら、懐の中から、真っ赤な言玉を取り出した。

「あれは…」

 自分と同じ色の言玉に、灰示がそっと眉をひそめる。

「“や”、解放…」

 真っ赤な言玉から強い光が放たれると、言玉は光を放ったまま変形し、やがて大きな剣へと姿を変えた。分厚い刀身の、その重そうな剣を、伍黄がゆっくりと構える。

「“也守やもり”の力…乗っ取ったのは、体だけじゃないというわけか…」

 剣を構えた伍黄を見つめ、灰示が冷静に呟く。

「フハハハハ!五十音士の言葉を自由に扱えるのは、貴様だけではないということだ!」

 伍黄の前へと身を乗り出して来た萌芽が、自分のことのように得意げに、笑いあげる。

「さぁ、伍黄!こんな人間と馴れ合った奴、とっとと俺たちの手でっ…!」

「五月蝿い」

「えっ…?」

 笑顔で伍黄の方を振り返った萌芽のその腹部に、伍黄が目覚めさせたばかりの剣が、勢いよく突き刺さる。自分の体を貫く音を聞いた萌芽は、痛みに顔を歪ませるよりも先に、戸惑いの表情を見せた。

「なっ…何、故…?」

 鋭く、貫通するまでに突き刺さった太い刀身と、滝のように流れ落ちていく真っ赤な血を見下ろし、萌芽が途切れ途切れの声を発する。

「何、故…何故っ…だ…?伍黄…」

「今は、俺と灰示が話している」

 問いかける萌芽の方を見ようともせず、伍黄が冷たく言い放つ。

「お前の言葉など、誰も求めていない」

「ううぅっ…!」

 そう言って、伍黄が勢いよく、萌芽の体から剣を抜く。その痛みに顔を歪ませ、支えを失った萌芽はゆっくりと前方へと倒れていく。

「痛、い…痛い…」

 倒れた萌芽の体から、徐々に黒い霧のようなものが漏れ出し、弱々しく風に揺れながら、小さな形を作っていく。黒い体に刻まれた、二つの赤色の瞳。それは、忌である萌芽の、本当の姿であった。

<嫌、だっ…俺はまだ、消えたくないんだっ…>

 影となった萌芽が、人間の時とは異なる、禍々しい声を発する。

<消えたく、ないっ…消えたくない…!う、ううぅ…!>

 叫び続けていた萌芽の声が、不意に途絶える。

<うっ…ウガアアアア…!!>

 激しい断末魔を最期に、その黒い霧の塊は、周囲に弾け飛ぶようにして、跡形もなく消えていった。

「感謝しろ…」

 消え去った霧を見つめ、伍黄がそっと声を落とす。

「これでお前は、永遠に“痛み”から解放される」

「…………」

 その冷たい言葉に、灰示の表情がかすかに動く。

「灰示…」

 伍黄が再び灰示の方を向き、話を改めるように、灰示の名を呼ぶ。

「俺を、裏切る気か?」

「また、そのくだらない話かい?」

 問いかける伍黄に、灰示はどこかうんざりとした表情を見せる。

「さっきも言ったはずだよ?僕は、君たちの仲間になると言った覚えは…」

「俺たちは、同じ始忌の仲間だ」

「同じ始忌の仲間…?」

 伍黄の言葉に、灰示が眉尻を吊り上げる。

「随分とおもしろいことを言うんだね。たった今、同じ始忌の仲間を消し去った君が」

「こいつ等は、ただ単に実体が欲しくて、俺に附き従って来たような連中だ」

 伍黄が床に倒れている、今まで萌芽が取り憑いていた人間の方を見下ろし、はっきりと言い切る。

「俺にとっては、駒に過ぎない」

「なら、僕も君にとっては駒だろう…?」

 灰示が伍黄へと、不敵な笑みを向ける。

「忌を撒き散らしてくれる、都合のいい駒」

「ああ、俺の求める力を持っている、とても良き仲間だ。良き仲間だと、そう思っていた」

 伍黄が灰示の言葉に、すぐさま頷きを返す。

「そう、思っていたんだがな…」

 少しずつ声の音調を低くしていく伍黄の、その眉間にさらに皺が寄る。

「何故、俺の言う通りにしない?灰示」

 伍黄が睨むように、灰示を見る。

「俺の言う通りにすれば、俺とお前の望みは叶うんだぞ?」

「僕の望み、か…」

 伍黄の言葉を繰り返しながら、灰示がそっと視線を落とす。

「まるで君が、僕の望みを、しっかり把握出来てるみたいな口振りだね…」

「当たり前だろう。何年の付き合いだ?俺たちは」

「数百年、かな…」

 問いかけに答えながら、灰示が薄い笑みを浮かべる。

「ねぇ伍黄…君の望みは何だい…?」

「何だ、今更。俺の望みなど、決まっているだろう」

 少し顔をしかめた伍黄が、煩わしそうに言う。

「俺の望みは、人間共からすべての言葉を奪い、この世界からすべての“痛み”を無くすことだ」

「…………」

 告げられる伍黄の望みに、灰示がそっと目を細める。

「…そうだね。それが君の望みだ」

 灰示がどこか、納得したように頷く。

「知っていたよ。数百年も昔から…」

「それはそうだろう?俺たちは数百年前から、同じ望みを抱いて…」

「でもそれは、僕の望みじゃない」

「何…?」

 はっきりと言い放つ灰示に、伍黄の表情が曇る。

「何を言っている?先程、お前も言ったじゃないか。望みは、この“痛み”からの解放だと」

 伍黄が灰示へと、鋭い瞳を向ける。

「人間共が、“痛み”ある言葉を口にしなくなることだと」

「確かに、そう言ったよ…」

 灰示も目を逸らすことなく、まっすぐに伍黄を見つめる。

「でも誰も、“人間からすべての言葉を奪うのが望み”とは言っていない」

「何っ…?」

 灰示のその言葉に、伍黄が少し戸惑うような表情を見せる。

「僕は、人が言葉を無くすことなんて、数百年前から、一度も望んでいないよ。伍黄…」

「な…何をっ…」

 伍黄が少し、動揺したような声を発する。

「お前も望んでいたじゃないか!人が悪意ある言葉を口にしなくなることをっ…!」

「悪意ある言葉を口にしなくなることは望んだ。でも、すべての言葉を口にしなくなることを望んだわけじゃない」

「何を、馬鹿なことをっ…」

 少し動揺の見えるその表情で、伍黄が声を震わせる。

「人間共の言葉など、一つ残らず、すべて悪意ある言葉なんだ!悪意ある言葉以外の言葉など、ないんだ!」

 徐々に大きくなっていく、伍黄の声。

「悪意ある言葉を消し去るためには、人間共の言葉を奪い尽くすしかないんだ!灰示…!」

「僕はそうは、思わないよ。伍黄」

 必死に訴える伍黄に、灰示はあっさりと答える。

「人間の言葉すべてが、悪意ある言葉だとは思わない」

「……っ」

 はっきりと答える灰示に、伍黄の表情が大きく歪む。

「じゃあ何か…?」

 伍黄の少し力の抜けた声が、静かに灰示へと向けられる。

「人間共の言葉の中には、悪意なき言葉もあると…?」

 静かな問いかけが、部屋に響いていく。

「人間共が生み出す言葉の中に、“痛み”を生まない言葉もあると…お前はそう言うのか?灰示」

「そうだよ」

「……っ」

 素直に頷く灰示に、驚きを隠せない様子の伍黄。

「何を馬鹿なことを…!とち狂ったか!?灰示…!」

「狂ってもいないし、ふざけてもいない」

 再び声を荒げた伍黄へ、灰示が冷静に答える。

「僕は本気でそう思っているよ、伍黄」

「灰示っ…」

 はっきりと答える灰示に、伍黄が険しい表情を作る。

「何故…何故、そこまで人間共を過信する…?」

 荒げていた声を落ち着かせ、伍黄が静かに問いかける。

「その人間の、お前が取り憑いているその人間の所為か…?」

 灰示の中にいる保を指差すように、灰示へと人差し指を向け、伍黄が問いかけを続ける。

「人間の味方をしてしまうほどに、その人間が大切か…?」

「……違うよ」

 あっさりと否定した灰示は、そっと小さな笑みを零した。

「別に人間の味方をしてる気もないし、彼を贔屓してるつもりもない。でもまぁ、多少の執着はあるかな」

 灰示が軽く、首を傾げる。

「僕と彼は、似た者同士だからね」

「似た者同士…?」

 そう言って笑う灰示に、伍黄は強く眉をひそめる。

「そう、僕らは似た者同士」

 聞き返した伍黄に頷いた灰示が、穏やかな笑みを浮かべる。

「人の言葉に、大き過ぎる理想を追い求めてる…」

 少し上を見た灰示が、遠くを見るような瞳を見せる。

「でもね、彼の神様は許してくれたんだよ」

「神…?」

 その言葉に、またしても伍黄の表情は曇る。


―――だからそれが、“答え”なんじゃないかって俺は思う…―――


 思い出される、アヒルの言葉。

「僕らが、この馬鹿げた理想を持ち続けることを」

「…………」

 微笑んだ灰示のその笑みは、迷いのない晴れやかな笑みで、伍黄はその笑みを、ただまっすぐに見つめていた。

「人間ごときの言葉に、理想を求めるか…」

 伍黄がどこか、くぐもった声を落とす。

「……変わったな、灰示」

「僕は変わっていないよ、伍黄」

 吐き出された伍黄の言葉を、灰示がまたしてもあっさりと否定する。

「だから、こうなる気がしてた…」

 灰示がそう言いながらゆっくりと、真っ赤な針を構えた右手を上げる。

「僕と君はいつか、言葉ではなく、刃を交える日が来るって、そんな気がしてた」

「……そうか」

 小さな声で頷きながら、伍黄もゆっくりと、右手に持っていた剣を構えた。

「残念だよ、灰示…」

 伍黄がどこか憐れむような瞳を、灰示へと向ける。

「お前に、“痛み”の無い世界を見せてやれないなんて」

 灰示を見る伍黄の瞳が、冷たく変わる。

『……っ』

 灰示と伍黄が互いに互いを見合い、機を計るように間合いを取る。

「“け”!」

「“はなて”…!」

二人の言葉が、同時に放たれた。



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