Word.40 違エシ道 〈4〉
言ノ葉町、北部。
「“剃れ”!」
誠子や徹子同様、町で忌たちとの戦闘を続ける曾守の空音が、言葉で鋭い白光を向け、地面ごと削るようにして、周囲に居た忌を、一気に掻き消す。
「ふぅ~っ…」
振り上げていた手を下ろすと同時に肩も下ろし、深々と息をつく空音。言葉を遣いながらずっと戦っているため、疲労は相当に溜まっていた。
「変格使い過ぎたかなぁ…何かクラクラしてきた…」
頭を抱え、空音が困ったように呟く。
「ったく、他神の連中…一体、何やって…」
「“破”!」
「えっ…?」
聞こえてくる声に、俯いていた空音が顔を上げる。生き残っていたらしき忌が、空音へ向け放った衝撃波が、もう空音の目の前まで迫って来ていた。
「や、やばっ…!」
空音が焦った様子で、表情を引きつる。
「クっ…!」
「“壊せ”!」
「……っ」
横から入って来た言葉により、空音へと向かって来ていた衝撃波が、空音に当たる直前で、自ら砕け散るように弾け飛ぶ。
「なっ…」
「…………」
驚いた様子で目を見開く空音の前に現れ、衝撃波を放った忌へ向け、言玉を持った右手を向ける、鋭い瞳を見せた紺平。
「“凍りつけ”!」
「ギャアアアア!」
紺平が言葉を放つと、紺平の言玉から強い吹雪が吹き荒れ、忌を氷付けにすると、そのまま氷は、忌もろとも砕け散った。
「ふぅっ」
無事に忌を倒したことを確認し、紺平がホッと息をつく。
「大丈夫?空音さっ…」
「新入りのくせに、しゃしゃり出てくんじゃないわよぉ!」
「グヘっ!」
空音の方を振り返り、優しい笑みで声を掛けた紺平であったが、空音に勢いよく襟元を掴まれ、絞まる首に、思わず表情を引きつる。
「ぞ、ぞらねさっ…ぐ、ぐるしっ…」
「誰が助けてって言ったのよ!」
必死に訴える紺平にも構わず、空音が怒鳴りあげる。
「言っとくけどね、私は他人に助けられることが、不眠不休より嫌いなの!」
『グアアアアア…』
「うあっ…!」
空音の後方に迫る、新たな忌の群れに、首を絞められながらも、大きく目を見開く紺平。
「ぞ、ぞらねさっ…!び…!びみ…!」
「私は助けられるくらいならねぇ、ババっとヤラれちゃった方がずっとマシでぇっ…!」
紺平が忌の接近を伝えようとするが、空音は熱が入り、まったく聞くことなく、語り続ける。
「だからぁ、あんたに助けられたって、ちぃ~っともっ…!」
『グアアアアアア…!』
「うああああっ!」
「へっ?」
すぐ背後まで迫った忌が、雄たけびをあげると、空音がやっと気付いた様子で後ろを振り返る。
「んなぁ!?」
後方を取り囲んだ忌を見て、空音が大きく目を見開く。
「なんで、とっとと教えないのよ!?」
「教えてたよ…さっきからずっと…」
責め立てる空音に、やっと首を解放された紺平は、非難するような瞳で空音を見つめる。
『グアアアアアア!』
『うっ…!』
群れを成して襲いかかって来る忌に、モメていた紺平と空音が前方を向き、表情を引きつる。
「“押し潰せ”」
『えっ…?』
降るように落ちてくる、言葉。
『ギャアアアア!』
「……っ」
二人の目の前へと迫っていた忌を押し潰して、檻也が上空から、二人のすぐ前へと降りてくる。
「神っ…」
「檻也くん…!」
現れた檻也を見て、目を見開く空音と、思わず嬉しそうな笑顔を零す紺平。
「お…」
二人の前で立ち上がった檻也が、周囲を囲む忌を見回し、ゆっくりと口を開く。
「“慄け”」
『……っ!』
言葉を放った檻也に鋭く睨みつけられると、忌たちがその霧状の体を、まるで背筋を震え上がらせるように、強張らせた。
『ギャアアアアア!』
檻也に恐怖した次の瞬間、忌たちが悲鳴をあげ、一瞬にして掻き消えていく。
「す、凄い…」
紺平や空音とは、力のレベルがまるで違う檻也の強さに、紺平が思わず感嘆の声を漏らす。
「大丈夫か?紺平、空音」
「うん」
「問題ありません」
振り向き、問いかける檻也に、紺平と空音がそれぞれ答える。
「助けていただいて、ありがとうございました、神。この御恩、一生涯、忘れはいたしません」
「他人に助けられるの、不眠不休より嫌いなんじゃなかったっけ…?」
眩い笑顔で檻也へと礼を言う空音に、紺平が思わず白い目を向ける。
「ごめんね。神を守る立場の神附きなのに、助けてもらっちゃって…」
「気にするな。事態が事態だ」
申し訳なさそうな顔を見せる紺平に、檻也が軽く肩を叩き、声を掛ける。
「不甲斐ないばかりですが、神…私たちの力も、もう限界です」
「ああ、わかっている」
空音が弱々しく訴えると、檻也はそれを責めることなく、素直に頷いた。
「他の連中も限界に近い。このままでは、もう一時間ともたないだろう」
「じゃあ…」
「ああ…」
紺平に頷きながら、檻也がそっと視線を落とす。
「間もなく、忌は言ノ葉の外に広がる…そうなれば、世界は一気に忌に呑まれるだろう」
「そんなっ…」
檻也の言葉に、険しい表情を見せる檻也。
「安の神たちは、間に合わなかったようですね…」
「…………」
空音がそう言うと、檻也は表情を曇らせた。
「……っ」
「ん?」
俯いていた檻也が、どこかへ行こうと足を踏み出す紺平に気付き、戸惑うように顔を上げる。
「どこへ行く?紺平」
「忌を倒しに」
「何っ…?」
すぐさま答える紺平に、檻也が眉をひそめる。
「何をっ…」
「そうよ!バカなこと言ってんじゃなっ…!ハっ!」
思わず紺平に怒鳴りあげようとした空音であったが、すぐ横に檻也が居ることに気付き、焦った様子で口を噤む。
「先程、神が仰られたでしょう…?」
勢いよく口調を変えて、紺平へと語りかける空音。
「この事態では、もう忌を止めることは不可能です。ここは諦めて、一旦、体力の回復を…」
「諦めたくない」
「……っ」
はっきりと返って来る紺平の答えに、空音が少し驚くように目を開く。
「諦めたくないっ」
もう一度、その言葉を繰り返す紺平。
「だって、ガァはまだ絶対、諦めてないから…!」
『……っ』
強く言い放つ紺平の、その真剣な眼差しに、檻也と空音がハッとした表情を見せる。
「ガァも皆も、まだきっと、諦めずに戦ってる。だから俺も、まだ諦めたくない」
訴えるように、まっすぐに檻也を見つめる紺平。
「最後の最後、限界ギリギリまで、絶対に諦めたくない!」
「紺平…」
必死に主張する紺平を見つめ、檻也は眩しいものでも見るかのように、そっと目を細めた。
「紺平…そういう子供染みた考えだけで、突き進むのは、愚かというもので…」
「わかった」
「へっ?」
紺平に冷静に言葉を投げかけようとしていた空音が、横から聞こえてくる檻也の頷きに、どこか間の抜けた表情となる。
「我が兄も相当に、諦めが悪いしな。こんな所で、俺が先に諦めては、後で会わす顔がない」
「檻也くん」
穏やかな笑みを浮かべる檻也を、紺平が少し驚いたように見つめる。
「もがき切ろうじゃないか。最後の最後まで」
「檻也くん!」
微笑む檻也に、紺平も嬉しそうに笑みを零す。
「さすがは我が神…素晴らしいお言葉。私の意志も、神とまったく同じですわ…」
「空音さんは、すんごい勢いで、否定しようとしてた気、するけど…」
満面の笑みを浮かべる空音に、疑いの瞳を向ける紺平。
『グアアアアア!』
「……っ」
聞こえてくる声に、檻也が素早く振り向く。檻也の言葉で、周囲を囲んでいた忌は粗方、消し去ったはずであったが、また新たな忌が生まれ、すぐに三人を取り囲んでいく。
「まったく、見回しただけで溜息が出るな」
どんどんと増えていく忌を見回しながら、檻也がそっと両手を構える。
「行くぞ、於団」
「うん」
「はい」
檻也の言葉に、しっかりと頷く紺平と空音。
「“押し潰っ…!」
『ギャアアアアア!』
「何っ?」
檻也が言葉を放とうとしたその時、突然、三人を取り囲んでいた忌たちが苦しげな悲鳴をあげ、霧状の体が散り散りとなって、掻き消えていく。
『ギャアアアア!アアアアアア!』
「こ、これって…」
「何?どうなってんの…?」
三人を取り囲んでいた忌も、上空に浮かんでいた忌も、遠くの方に見える忌まで、次々と消えていく。その状況に、戸惑いの表情を見せる紺平と空音。
「忌が…」
忌が消滅し、空一面を覆っていた黒い影が消えて、視界が晴れていくと、そこには、忌に取り憑かれていた多くの町人たちが、気を失い倒れ込んでいた。皆、気絶しているが、忌が憑いている者は一人もいない。
「消えた…?」
充満していた忌の気配がまったく感じられなくなり、檻也も戸惑った様子で周囲を見回す。
「これは、一体…」
「タイムオーバーって、やつじゃん?」
「……っ」
横から聞こえてくる声に、勢いよく振り向く檻也。
「お前たちは…!」
振り向いた檻也が、大きく目を見開く。
「ほぉー…よく持ちこたえたものだ…」
「結構やるじゃん?於団っ」
そこに現れたのは、軽い口調の青年と、前髪で目元の見えない、少し不気味な少年。
「ハ行のっ…」
「へへっ」
檻也たちの前へと姿を見せたのは、ハ行の五十音士、部守の兵吾と、保守の蛍であった。
「んなっ…」
始忌アジト内で、壁に映し出された、忌に呑み込まれていく言ノ葉町の様子を見つめ、満足げな笑みを浮かべていた伍黄が、突如、消えていく忌たちの姿に驚き、大きく目を見開く。
「何、だ…」
映像の中には、誰に攻撃されているわけでもないというのに、悲鳴をあげながら、次々と消えていく忌。
「何を…」
伍黄が、その声をかすかに震わせる。
「一体、何をしたっ…」
声を荒げ、伍黄が勢いよく後方を振り返る。
「灰示…!」
「…………」
伍黄が振り返ったその先には、落ち着いた表情を見せた、灰示が立っていた。
『いどばた』周辺も、檻也たちの居る場所同様に、突然、忌が消え去る事態が起こっていた。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」
「これは…」
力尽きた様子でしゃがみ込んだ音音の横で、道端に倒れた町人たちを見回し、雅がどこか茫然と呟く。
「あぁ~りゃりゃ~、急に消えちゃったねぇ~忌さん方っ」
「為介さんっ」
そんな雅のもとへと、『いどばた』の中から為介が姿を現した。
「無事でしたか」
「うん~小さい五十音士クンが、守ってくれたからねぇ~」
「えっ…?」
為介の言葉に、雅が戸惑うように首を傾げる。
「ホント、きれいさっぱり消えてるなぁ~すっごぉ~い」
先程まで忌が覆い尽くしていた空を見上げ、感心するような声を発する為介。
「この状況は…為介さんたちが…?」
「まっさかぁ~僕は何にもやってないよぉ」
雅の問いかけに、為介が扇子と合わせ、首も横に振る。
「では一体、何故、忌が突然…」
「初めから、そういう風に出来ていたんだよ」
『……っ』
横から入って来る声に、雅と為介が同時に振り向く。
「あなたは…」
「久し振りだね。美守さん」
「確か、比守の…」
雅たちの前へと現れたのは、ハ行の五十音士、比守のヒロトであった。かつて雅が、篭也とともに遊園跡地で戦った相手である。
「何故、あなたがここに…」
「それよりも、さっきの言葉の意味はぁ~?」
戸惑う雅の横から、為介がヒロトへと問いかける。
「“初めからそういう風に出来てた”って、どういうことぉ~?」
「言葉の通りさ」
問いかける為介に、ヒロトが涼しげに答える。
「この町の人間に取り憑いていた忌は、すべて不完全な忌。もともと数十時間経てば、消えるようにしていたのさ、あの方は」
「あの方…?」
ヒロトの言葉に、雅が眉をひそめる。
「あの方というのは…波城灰示のことですか…?」
「……っ」
雅の問いかけに、ヒロトがそっと目を細める。
「こんな芸当が出来るのは、この世界で、たった一人しかいない」
はっきりとは答えないヒロトであったが、その言葉が、雅の問いかけが正しいものであることを、告げているようであった。
「何故、僕たちにそれを伝えにぃ~?」
「すべては、あの方の意志だよ」
為介が問いかけると、ヒロトはすぐさま答える。
「この町に忌が撒かれる前、僕たちハ行を集めたあの方は、この事実を告げ、忌が消えた後に君たちにもこの事実を伝えるよう言った」
「忌が…撒かれる前…?」
ヒロトの言葉に、雅が困惑した表情を見せる。
「では、波城灰示は初めからっ…」
「うん~始忌に味方する気はなかったみたいだねぇ~」
振り向いた雅に、為介も少し首を捻りながら答える。
「つまりは、どういうことだ?」
「あ、恵さぁ~んっ」
為介に遅れるようにして店から出てきた恵が、ヒロトへと鋭い瞳を向ける。
「波城灰示は、五十音士側に附いたということか?」
「そんな安っぽい言葉で、あの方を語らないで」
「んっ?」
ヒロトの方を見ていた恵が、違う方向から返って来る声に振り向く。そこには、金色の虎の上に乗った、ふわふわ髪の、愛らしい少女の姿があった。
「不治子」
ヒロトが、少女の名を呼ぶ。その少女も、ハ行の五十音士の一人、不守の不治子であった。
「あの方の考えは、あんたたちの考えなど及ばない、遥か先に向いている…」
空を見上げた不治子が、どこか遠い瞳を見せる。
―――灰示様…不治子は、あなたが人間から言葉を奪うというのなら、それでもっ…―――
―――僕の望みは…たったの一つだけなんだよ。不治子…それはね…―――
「……っ」
灰示と会った時に繰り広げられた会話を思い出し、不治子はそっと目を細めた。
「世界も言葉も…どうでもいい…」
小さな声が、発せられる。
「どうかご無事で…灰示様…」
不治子の祈るような声が、空へと贈られた。
「何を…?」
問いかけた伍黄に対し、聞き返すように、灰示がそっと口を開く。
「くだらない問いかけだね…伍黄…」
「灰示っ…」
いつものように答え返し、静かに微笑む灰示に、伍黄が歪ませていた表情を、さらに引きつる。
「何故、突如、すべての忌が消えた?」
「僕が言ノ葉に撒いたのは、生まれて間もない幼忌でね…」
問いかける伍黄に、今度はしっかりと答える灰示。
「まだ安定していない幼忌は、あまり多い“痛み”を浴びると、逆にその形を保てなくなり、数十時間で消滅してしまうんだよ…」
「幼忌っ…」
灰示の言葉を聞き、少し映像の方を振り返る伍黄。すでに町を覆っていた忌の姿は一匹としてなくなり、解放された町人たちは気を失い倒れ、戦い疲れた五十音士たちが、茫然を立ち尽くしていた。
「初めから、世界を忌で埋め尽くす気はなかったというわけか…」
伍黄が鋭い瞳を見せ、再び灰示の方を振り向く。
「五十音士に…人間どもに、味方をするというのか?灰示…」
「人間に附く気なんて、さらさらないよ」
伍黄の問いかけに、灰示はすぐさま、首を横に振る。
「僕はただ、僕の望みを叶えるために、動いているだけ」
「望み、だと…?」
灰示の言葉を繰り返した伍黄が、眉を吊り上げる。
「何を言っている…?俺とお前の望みは、同じだろう!?灰示…!」
「同じ、じゃないよ。伍黄…」
「何っ…?」
灰示が静かに答えると、伍黄が眉間に皺を寄せる。
「僕と君の望みは、“同じ”じゃない…」
もう一度、主張するように、その言葉を繰り返す灰示。
「僕と君の道は違えたんだよ…伍黄…」
そう言いながら、灰示がゆっくりと上げた右手で、真っ赤な針を構える。
「数百年の、昔にね…」
灰示の鋭い瞳が、まっすぐに伍黄へと向けられた。




