Word.40 違エシ道 〈1〉
始忌アジト、入口付近。
「だああああ!“抉れ”!」
『ギャアアアア!』
エリザが緑色に光輝く右足を振り回し、周囲を取り囲んでいた忌の群れを、一気に掻き消す。雄たけびのようなエリザの声のすぐ後に、忌の叫び声が響き渡った。
「ふぅっ!」
掻き消えた忌を確認し、一息ついて、額の汗を拭うエリザ。
『グアアアアア!』
「うげっ」
大して時間も置かないうちに現れる、次の忌の群れに、エリザが大きく顔を引きつる。
「ったく、キリがないじゃない。もうっ」
疲れ果てた様子で、エリザが深々と肩を落とす。
『グアア…アァ…アっ…』
「んっ?」
どこか苦しげな声に気付き、ふと後方を振り返るエリザ。エリザの視界に入って来たのは、苦しみながら、分裂する細胞のように、一つから二つへと数を増やす忌の姿であった。
「……っ」
その光景を見つめ、エリザがそっと目を細める。
『グアア…ア…』
「“痛み”が、新たな“痛み”を生んでいく…」
数の増えた忌を見つめ、険しい表情を見せるエリザ。
「早く何とかしないと、マズイわよ。アヒル…」
先へと進んだアヒルへ向け、エリザは小さく呟いた。
一方、アヒルを残し、アジトのさらに先へと進む篭也、囁、七架の三人。
『ハァ…!ハァ…!ハァ…!』
ただ暗闇の、だだっ広い道の中を、三人が必死に駆ける。無音のその場に、三人の息の重なる音だけが響き渡る。だが目は徐々に暗闇に慣れ始め、三人は辺りの様子がうかがえるほどになっていた。
「見えるようになってきても…別に何もないものね…」
殺風景な辺りの様子に、囁が少しがっかりしたように呟く。
「白骨死体の一つでもあれば、気分出るのに…フフフ…」
「何を求めている」
不気味に微笑む囁に、篭也が呆れ果てた様子で突っ込みを入れる。
「それに、奴ら忌は、人間を殺すようなことはしないだろう」
「それもそうね…フフ…」
「えっ?」
二人の会話を聞いていた七架が、戸惑うように目を丸くする。
「なん、で?なんで忌は、人を殺さないの?」
「あら、七架も白骨死体派…?」
「違うけど…」
囁の言葉を、すぐさま否定する七架。
「人を殺せば、奴らは存在出来なくなるからだ」
「えっ…?」
答えを放つ篭也に、七架が首を傾ける。
「存在、出来なくなる…?」
「ああ…」
聞き返す七架に、深々と頷く篭也。
「奴らは、人の放つ言葉の悪意に潜むもの。人が居なくなれば奴らは生まれず、“痛み”も無いため、生き永らえることも出来ない」
「え…えっ?」
少し混乱したように、七架が自分の額へと手を当てる。
「それって、おかしくない…?じゃあなんで、あの人たちは、人から言葉を奪おうと…」
戸惑いの表情で、七架が篭也を見つめる。
「そんなことしたら、あの人たちはっ…」
「ああ、死ぬ」
「……っ」
はっきりと言い放つ篭也に、眉をひそめる七架。
「彼らが望んでいるのは、“痛み”からの解放…そして自身の消滅…」
篭也に続くように、囁も真剣な表情で言葉を放つ。
「彼等は“痛み”から逃れるため、自ら消えようとしている…私たち人の、言葉を道連れにしてね…」
「そんな…」
囁の言葉に、七架がさらに険しい表情となる。
「どうして、そこまでする必要がっ…」
「あるんだよぉっ!」
『……っ!』
上方から聞こえてくる声に、三人が素早く顔を上げる。
「あれはっ…!」
「シャハハ!」
上空から降って来るようにして、その場に姿を現したのは、始忌の一人で、鮮烈な青髪の青年、碧鎖であった。碧鎖が高らかと笑いあげながら、右手を振り上げる。
「お前ら人間には、死んでもわからねぇだろうがなぁ!」
「う…!」
振り上げた手を、七架へ向け、勢いよく振り下ろす碧鎖。
「ううぅっ…!」
「七架…!」
振り下ろされた右手へと、素早く薙刀を突き出した七架であったが、その勢いに押され、七架が一気に後退していく。碧鎖に押される七架に、囁が思わず身を乗り出す。
「クっ…!」
七架が薙刀を握り直し、目の前に居る碧鎖を、睨み上げる。
「お前っ…」
睨む七架を見つめ、そっと口角を吊り上げる碧鎖。
「忘れてねぇーぜぇ?お前、あの時俺に、“痛み”を与えた女だっ」
「……っ」
楽しげに微笑む碧鎖に、そっと眉をひそめる七架。初めて弓が『いどばた』へとやって来た日、七架はアヒルを助けるため戦いへと参加し、弓を追っていた碧鎖へと傷を負わせたのであった。
「今度は俺が、お前に“痛み”を与えてやるよ」
碧鎖の突き刺すような瞳が、七架へと向けられる。
「お前を狩ってなぁ!シャハハハ!」
「クっ…!」
笑いあげる碧鎖に、七架は薙刀を振り払って後ろへと飛び、碧鎖との距離を開ける。
「七架」
「神月くんと囁ちゃんは、先に行ってっ」
呼びかける囁に、七架がはっきりと言い放つ。
「この人の相手は、私が」
「シャハハハ!そうこなくっちゃなぁ!五十音士!」
薙刀を構え直す七架を見て、碧鎖が嬉しそうに笑う。
「篭也…」
「奈々瀬は変格も習得している。任せても、問題はないだろう」
意見を求めるように振り向く囁に、篭也が答える。
「奈々瀬、この場は任せる」
「うんっ」
篭也の言葉に、大きく頷く七架。
「だが…」
「えっ…?」
付け加えるように言う篭也に、七架が少し首を傾げた。
「迷うなよ」
「……っ」
その言葉に、七架がどこかハッとするように、大きく目を見開く。
「うん」
七架がもう一度、大きく頷く。
「行くぞ、囁」
「ええ…」
その場に七架と碧鎖を残し、篭也と囁がさらに先へと歩を進めていく。
「…………」
遠ざかっていく二人の背中を、静かに見守る七架。
「いいの?あっさりと行かせちゃって」
「俺は桃真みてぇに、獲物一人占めしようとして、逆にヤラれるようなヘマはしねぇよっ」
問いかける七架に、碧鎖が口角を吊り上げる。
「それに、俺は狩りたい奴を狩れれば、それでいいしなぁ!シャハハハ!」
「……っ」
楽しげに笑う碧鎖を見つめ、七架がそっと目を細める。
―――ああ、死ぬ…―――
―――彼等は“痛み”から逃れるため、自ら消えようとしている…―――
先程の篭也と囁の言葉を思い出し、七架は少し迷うような表情を見せた。
―――俺は、この世界に通う言葉を、たったの一つだって失わせたくない―――
「朝比奈くん…」
為介の家を出る時、アヒルが口にした言葉を思い出すと、七架はその表情から迷いを消し、強く瞳を光らせ、薙刀を持つ手に力を込めた。
「そう…私は、言葉を守る…」
自分自身に言い聞かせるように、呟く七架。
「だから、あなたを倒す…!」
「シャハハっ」
高らかと言い放つ七架を前に、碧鎖も素早く、両手を構えた。
「……っ」
篭也と共に先へと進んだ囁だが、もう見えはしない七架のことを気に掛けるように、どこか不安げな表情で、後方を振り返った。
「心配か?」
「えっ…?」
篭也に問われ、囁が首を横へと向ける。
「そう、ね…」
少し歯切れ悪く、頷く囁。
「確かに彼女は強いわ…目を見張る速さで“変格”を習得して、神附きとして申し分ない力も手にしてる…」
細めた瞳で、囁がそっと下方を見る。
「でも、五十音士になってからの日が浅過ぎる…忌との戦闘経験もあまりないから…その辺りが少し、ね…」
「…………」
囁の言葉を聞き、篭也が少し目を細める。
「そんなに心配なら、戻ってもいいぞ」
「フフフ…そんなことしないわよ…」
はっきりと言い放つ篭也に、囁が不気味な笑みを向ける。
「どちらかというと…篭也の方が心配だし…」
「どういう意味だ」
「それに…」
篭也が顔をしかめる中、囁がさらに言葉を続ける。
「そんなことしたら…私が七架に怒られるわ…」
「……確かにな」
微笑む囁に、納得するように頷く篭也。
「とにかく、僕たちは一刻も早く、先へ…」
「キャハハハハぁ~!」
「んっ?」
暗闇に響く甲高い笑い声に、囁の方を見ていた篭也が、前方へと視線を向ける。
「来た来たぁ~お客様がっ」
「あれは…」
「弓っ…」
その場に足を止め、眉をひそめる篭也と囁。二人の前方に、二人を待ち構えるようにして立っているのは、楽しげな笑顔の、妖艶な少女。派手な化粧と、強く巻かれた髪で、弓とはまったく違う印象を与えているが、それは確かに弓の体で、現れたのは、弓を乗っ取った始忌の一人、虹乃であった。
「ようこそぉ~五十音士さんたちっ」
虹乃が軽い口調で、二人へと手を振る。
「碧鎖がいないけどぉ、もしかしてもう倒しちゃったとかぁ?だったら超笑えるんだけどぉ。キャハハっ」
『……っ』
まったく仲間を心配している様子のない虹乃に、篭也と囁が不快感を露にする。
「まぁいいやぁ。ねぇ?私とも遊んでいかないっ?」
誘うように、首を傾ける虹乃。
「折角手に入れた実体の力、味わいたいんだよねぇ~」
「ふぅ…」
弾むように言葉を続ける虹乃の姿に、篭也はどこか疲れたように肩を落とした。
「まぁ、丁度いい。あの者を倒せば、弓を助けられっ…」
「篭也」
「ん?」
篭也の言葉を遮るように、囁が篭也の名を呼ぶ。
「何だ?囁」
「彼女とは、私が一人で戦うから…あなたは先へ進んで」
「何…?」
そう答える囁に、篭也が少し眉をひそめる。
「確かに先は急ぐが…相手は弓だ。二人で相手をして、確実に助け出した方が…」
「あの時」
囁が再び、篭也の声を遮る。
「あの時、私が彼女に“退がってろ”なんて言わなければ…彼女は乗っ取られずに済んだ…」
真剣な瞳で、囁がまっすぐに篭也を見つめる。
「自分のミスくらい、自分で責任を取りたいのよ…」
「…………」
その瞳から、強い意志を覗かせる囁に、篭也はそっと目を細める。
「わかった。ここは任せる」
「フフフ…ありがとう…」
篭也の答えに、囁が嬉しそうに笑みを浮かべる。
「まだ始忌は複数居るわ…先に進んで、一人で無茶しちゃダメよ…?」
「それは“わかった”とは言えないな」
「フフフ…困った人ね…」
忠告を聞こうとする素振りのない篭也に、言葉とは裏腹に、困った様子はなく、穏やかな笑みを作る囁。
「じゃあ、先へ行く」
「ええ…」
囁にそう告げた篭也が、そっと右手に構えていた鎌を振り上げる。
「“駆けろ”」
「へぇっ?」
言葉を放ったその瞬間、篭也がまるで姿を消すように、その場を高速で移動し、さらに奥へと進んでいく。素早く動いた篭也が、風のように虹乃の横を通り過ぎると、虹乃は少し戸惑うように後方を振り返った。だがすでにそこに、篭也の姿はなかった。
「あぁ~あ、行かれちゃったぁ」
まだかすかに残る風に、巻いた髪を揺らしながら、虹乃がそっと肩を落とす。
「まぁいっかぁ。まだ緑呂も萌芽もいるんだしぃ」
開き直ったように微笑み、虹乃が再び囁の方を見る。
「それにぃ、あんたが虹乃の遊び相手になってくれるんでしょ~?」
「ええ…」
楽しげに声を掛ける虹乃に、微笑みかける囁。
「確か一回会ってるよねぇ~?虹乃がこの体、手に入れた時にっ」
「ええ…」
虹乃の言葉に、囁が笑顔で頷いていく。
「あの時とは…随分、雰囲気が変わったわね…」
「でっしょ~?」
囁の言葉を聞いた途端、虹乃がますます、その表情を輝かせる。
「あぁ~んな田舎臭い小娘の体でもぉ、虹乃が中に入れば、こぉ~んなに輝いちゃうのぉ!」
着飾った自分を強調するように、大きく両手を広げる虹乃。
「虹乃に乗っ取られたことをぉ、感謝して欲しいくらいだわぁっ」
「そうね…」
相槌を打った囁であるが、その声は先程までより低く、どこか重々しかった。
「その濃い化粧も、巻き過ぎのくるくる髪も…本当に似合っていない…」
「……っ」
はっきりと向けられる言葉に、虹乃が浮かべていた笑みを止める。
「何、って…?」
「あの子の持ってる良さを…すべて殺してしまっているわ…」
戸惑うように聞き返す虹乃に、囁は躊躇うことなく言葉を続ける。
「本当、見れたもんじゃないわね…」
「……っ!」
鋭く落とされる囁の言葉に、大きく目を見開く虹乃。
「だから、すぐに出ていってもらうわ…その体から…」
囁がそう言って、横笛を構える。
「……超ムカつくっ」
しばらく言葉を失っていた虹乃が、引きつった表情で、やっと口を開く。
「あんたも狩って、虹乃の実体コレクションにしてやるわぁ!」
勢いよく言い放ち、虹乃は両手を振り上げた。
「んっ…?」
碧鎖を七架に、虹乃を囁にそれぞれ任せ、一人、さらに先へと進んだ篭也が、不意に広い部屋へと辿り着き、足を止める。その部屋の中央には、篭也を待ち構えるように、一人の男が静かに佇んでいた。
「来たか…五十音士」
「あなたは…」
出迎えた仮面の男を見て、篭也がそっと目を細める。
「我が名は緑呂。ロ級の始忌成り」
「ロ級…」
緑呂の階級に、思わず表情を曇らせる篭也。ロ級といえば、イ級に次いで二番目に強い階級である。
「何だ。イ級を相手にするつもりでいたんだがな」
警戒する心とは裏腹に、篭也が強気な言葉を放つ。
「其方など、伍黄が相手するまでもない」
緑呂が仮面の後ろから、篭也へと冷たく声を発する。
「本来ならば、我が相手するまでですらないが…今は人不足ゆえ、仕方あるまい」
そう言って、緑呂が懐へと右手を入れる。
「少しばかり、遊んでやろうぞ」
「なっ…!?」
緑呂が懐から取り出したのは、篭也もよく見覚えのある、真っ白な言玉であった。
「こ、言玉…?」
「五十音、第四十音…」
篭也が戸惑う中、緑呂は五十音士と同じように、言葉を放っていく。
「“よ”、解放っ…」
「……っ!」
光り輝く言玉に、篭也は大きく目を見開いた。




