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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
153/347

Word.39 神ニ、問ウ 〈3〉

―――― ………………


「んっ…?」

 桃真の放った黒い霧に呑み込まれた七架が、きつく閉じていたその瞳をゆっくりと開く。するとそこに霧はもうなく、体に纏わりついていたあの感覚もなくなっていた。

「あ、朝比奈くん!?」

 飛び起きた七架が、アヒルの姿を探すように、周囲を見回す。

「神月くん?囁ちゃんっ?あ、あれっ…?」

 三人の姿を探していた七架であったが、周囲に広がる、よく見覚えのあるその光景に、戸惑うように眉をひそめた。

「ここって、コンビニ…」

 立ち上がった七架の前には、七架がバイトをしているコンビニがあった。学校や家と同じほどに見覚えのあるそのコンビニを見つめ、七架が首を傾げる。

「なんで私…今日、シフト入ってないんだけどなぁ…」

 大きく首を傾げ、七架が不思議そうな表情を見せる。

「というか、私さっきまで確か、始忌のアジトに居っ…」

「私が、そんなに可哀想…?」

「えっ…?」

 その場を歩き去ろうとした七架が、コンビニの方から聞こえてくる声に気付き、再び振り向いた。コンビニの入口の前に、いつの間にか人が立っている。

「親にも見捨てられた私が、そんなに可哀想…?」

「リ、リン…ちゃん…?」

 コンビニの前に立っていたのは、七架のアルバイト仲間のリンであった。リンは虚ろな瞳を見せ、かつて忌に取り憑かれた時と同じような問いかけを、七架へと投げ放ってくる。

「だから、何も言わないんでしょう…?私がどんなにきついことを言っても…」

 リンはまっすぐに七架を見つめ、さらに言葉を続ける。

「私に同情してるから、何にも言い返さないんでしょう…?」

「リンちゃん…」

 問いかけ続けるリンを見つめ、七架がそっと目を細める。

「だから嫌い…そんなあんたが、大嫌い…」

「…………」

 リンの言葉を聞き、七架は一度、深々と目を閉じると、再び大きく瞳を開いた。

「いいよ、嫌いでっ」

「……っ」

 認めるように大きく頷く七架に、リンは少し驚くように目を見開いた。

「その代わり、私もリンちゃんのこと、嫌っちゃうからっ」

 七架はどこか、開き直ったように言葉を続ける。

「シフト代われって言われても絶対断るし、ゴミだしだって押し付け返すし、それにあれとあれとあれでしょお」

 考えるように、七架が首を捻る。

「……朝比奈くんが言ってた」

 穏やかな笑みを浮かべた七架が、捻っていた首を元に戻し、その笑顔をリンへと向ける。

「何も言い返さずに黙っていることは、その言葉を否定するよりも、ずっと相手を傷つけるんだって」

 アヒルの言葉を思い出し、七架は誇らしげに胸を張る。

「だから私は、もう逃げたりしない…」

 さらに大きな微笑みを、浮かべる七架。

「リンちゃんの言葉、全部を受け止める!」

 七架がはっきりと言い放ったその瞬間、辺りを真っ白の光が包み込んだ。



「ここ、は…?」

 七架と同じように黒い霧に呑まれた囁もまた、始忌のアジトとは異なる、どこか別の場所へと辿り着いていた。目の前にあるのは、洋風の一軒家。特に代わり映えのない、ごく普通の家であった。

「ここって…」

 その家を見つめ、囁が少し眉をひそめる。

「おかえり…」

「ん…?」

 家の方から聞こえてくる声に、囁がゆっくりと視線を向ける。

「おかえり…世界で一番大好きな、僕の囁…」

「愛してる…愛してるわ、囁…」

「……っ」

 その家の前に並び、囁を出迎えるように優しい言葉を投げかける、まだ若い男と若い女。二人の姿を見た瞬間、囁の表情は一気に曇る。その二人は、遥かに昔ながらも、囁の記憶に鮮やかに残る、囁の父と母であった。

「一番の、“痛み”ね…」

 桃真の言葉を思い出し、囁がそっと眉をひそめる。

「納得だけど…嫌なものね…フフフ…」

 かつて囁を捨て去った頃の、若い姿のままの両親を見つめ、自嘲するような笑みを浮かべる囁。

「囁…」

「囁」

 両親が重ね合わせるようにそれぞれ、囁の名を呼ぶ。

「大好きだよ…大好きだ、囁…」

「愛してる…私はどこに居ても、あなたを見守っているわ…囁…」

「…………」

 夢に見る程に忘れられなかった言葉を放つ両親を、囁は目を逸らすことなく、まっすぐに見つめた。

「ついこの前まで…私にとって、言葉は無意味でしかなかったわ…」

 囁がゆっくりと口を開き、自分の中の痛みとは知りながら、両親へと語りかける。

「でも今は…言葉に、確かな意味を感じられる…」

 噛み締めるように呟き、囁が自分の左胸に手を当てる。

「囁」

「囁…」

「私の神様が言っていたの…」

 再び呼びかける両親の声を遮り、囁が言葉を続ける。

「自分のことなんだから…何を信じるのかは、何の言葉を信じるのかは、自分の勝手だって…」

 両親を見つめる囁の表情に、穏やかな笑みが浮かぶ。

「だから私も、信じてみる…」

 笑顔で、はっきりと言い放つ囁。

「あなたたちの言葉、すべてじゃなくても、ほんの一部でも…きっと、真実だったって」

 囁がその笑みを大きくした瞬間、辺りを白い光が包み込んだ。



「神!囁!奈々瀬!」

 囁、七架と同じように黒い霧に呑まれた篭也は、霧のない空間で気付くと、すぐに立ち上がり、近くに仲間の姿を探した。だが返って来る声はなく、辺りにアヒルたちの姿も見当たらなかった。

「近くにはいないのか…?一体、どこへ…」

「何度も仰いましたでしょう!」

「……?」

 すぐ近くから聞こえてくる、怒鳴るような大きな声に気付き、篭也が振り返る。

「“俺”ではなく“僕”です!“お前”も“おかえり”も、“お”のつく言葉はすべて、口にしてはなりません!」

 怒鳴りあげているのは、和装姿に眼鏡を掛けた、まだ若い女。

「あなたは於の神には選ばれなかったのです!身分をわきまえて下さいませ!」

「あれはっ…」

 怒鳴りあげる女のすぐ前に立つ、まだ幼い子供の姿に、篭也が目を見張る。

「篭也様!」

「……っ」

「僕…?」

 女の前で深く俯き、きつく唇を噛み締め、震える拳を、血が滲むのではないかと思うほどに握り締めている、一人の少年。それは見間違うはずもない、過去の篭也の姿であった。

「け、けどっ…おれ、は…」

「“お”の言葉はすべて、檻也様のものです!あなたの言葉など、たったの一つもありません!」

 必死に何かを訴えかけようとした幼い少年は、その言葉さえ遮られ、すべての言葉を取りあげられるように、怒鳴られていた。

「…………」

 さらに俯いていく少年を見つめ、篭也が目を細める。

「これが僕の“痛み”、か…」

 心に触れるように、そっと胸に手を当てる篭也。

「あなたは神ではないのですからね!」

 女はそう言葉を吐き捨て、俯いたままの少年の前から、足早に去っていく。

「神っ…」

 一人残った少年が、小さくその言葉を口にする。

「神…神っ…神…!」

 恨むように、求めるように、何度もその言葉を繰り返す少年。

「神…」

 前方の少年と同じように、篭也がその言葉を口にする。

「ただ、煩わしいだけの言葉だったのにな…」

 そう呟いた篭也の表情から、小さく笑みが零れた。笑みを零した篭也が、静かに歩を進め、俯いたままの少年のもとへと歩み寄っていく。

「……っ?」

 目の前までやって来た篭也に気付いた様子で、少年が、ずっと俯けていた顔を、やっと上げる。

「だ、誰っ…」

「期待しているといい」

 戸惑う少年のその頭を、篭也がそっと撫でる。

「あなたの神は、相当の厄介者だ」

「……っ」

 微笑む篭也を見て、少年が少し目を見開いたその瞬間、辺りを強い白色の光が包み込んだ。


……………… ――――




「ふぅ~ん…」

 楽しげな笑みばかりを浮かべていた桃真は、初めて、どこかつまらなそうな表情を作った。

「ボクの空間から出てくるなんて、結構やるねぇ~でもまぁっ」

 だがすぐに桃真は、笑顔を見せる。

「見物だったよぉ。君たちの“痛み”っ」

『…………』

 桃真の笑顔の前に立つのは、黒い霧の呪縛から逃れた篭也、囁、七架の三人であった。三人は厳しい表情を見せながら、それぞれの武器を構え直す。

「ナメられたものだな。あんな程度の幻惑で、僕たちをどうにか出来るとでも思ったか?」

「あれは幻惑じゃないよぉ。君たちの心に刻まれた、真実の痛みさぁっ」

「……っ」

 すぐに言い返す桃真の言葉に、篭也が少し表情を曇らせる。

「確かに真実だわ…」

 篭也の横から、囁が一歩、前へと踏み出る。

「けれど…私たちは、痛みに負けはしない…」

「私たちは、痛みを乗り越える。乗り越えられることを、知ったの」

「ふぅ~ん…」

 囁に続くように主張する七架に、桃真が再び、つまらなそうに顔をしかめる。

「でもさぁ、乗り越えられてない人が一人、居るみたいだけどぉ~?」

「えっ…?」

 桃真の言葉に、戸惑った声を漏らす七架。

「あっ」

 篭也がハッとした表情となって、周囲を回し見る。

「神…?」

 二、三度周囲を見回す篭也であったが、その場にアヒルの姿はなく、代わりに一つの黒い塊が残っていた。篭也たちが呑み込まれたものと同じ、霧の塊である。

「ま、まさかっ…」

 その霧を見つめ、篭也が眉をひそめる。

「神っ…」



―――― ………………


「カー兄っ…」

 黒い霧に呑み込まれたアヒルは、篭也たち三人と同様、自らの一番の痛みである、かつて失ってしまった兄、カモメと向き合っていた。

「アーくん」

「……っ」

 再び名を呼び、穏やかで優しい笑顔を見せるカモメに、アヒルの体の動きが、ぴたりと止まる。カモメの姿を前にした途端、呼吸すら上手く出来ない、そんな感覚になった。

「あ…」

 言葉を発しようとするが、上手く口が動かず、声にならない声が漏れる。

「あっ…」

「アーくんが“いなくなれ”って言ったから、いなくなったんだよ?」

「……っ!」

 笑顔で放たれるその言葉に、アヒルが大きく目を見開く。

「アーくんの、言葉の通りになったんだよ?」

「違…違っ…」

「嬉しいでしょ?アーくん」

 必死に否定しようと、何度も首を横に振るアヒル。だがカモメはアヒルの言葉を聞こうとはせず、自らの言葉を続けた。

「違うっ…!」

「違わないよ」

「……っ」

 アヒルの叫びも、一瞬にして否定される。

「これがアーくんの本心、これがアーくんの望んだ未来」

「違う…!違う!違うっ!」

 何度も強く首を振り、頭を抱えたアヒルが、その場に膝をつき、深々と俯く。

「違うんだっ…!!」

 俯いたアヒルが、苦しげな声を発する。

「違わないよ…」

 俯いたままのアヒルへ、カモメが優しい笑顔を向ける。

「だって、アーくんがそう言ったんだから」

「……っ!」

 両手で頭を抱えたまま、アヒルが大きく目を見開く。

「あっ…」

 苦しげに漏れる、小さな声。

「ああああああっ…!!」


……………… ――――



「神っ…」

「そぉ。君たちの神様、自分の“痛み”にすっかり囚われちゃってるみたいだよぉ?アハハぁ~っ」

 険しい表情を見せる篭也に、桃真が楽しげな笑い声を向ける。

「アヒるん…」

「そんな…朝比奈くん…」

 霧の塊を見つめ、囁と七架も険しい表情を見せる。

「朝比奈くんっ…!」

「あっ」

 居ても立ってもいられず、霧へ向け、駆け出していく七架に、篭也が目を見開く。

「ま、待て!奈々瀬…!」

 篭也が七架の腕を掴み取り、駆け込んでいこうとした七架を強く止める。

「神月くん…!」

「落ちつけ。下手に動くのは、良くない」

「アハハァ~」

 篭也と七架のやり取りを見て、桃真はさらに楽しそうに笑う。

「止めて正解っ」

『……っ』

 桃真のその言葉に、篭也たちが同時に振り向く。

「人間の痛みに他人が割って入ったら、痛みごと、その人間の精神を崩壊させちゃうこともあるからねぇ~」

「崩壊っ…」

 七架が駆け込んでいこうとした足を止め、少し青ざめた表情を見せる。

「そんな…じゃあ、どうしたら…」

「何てことはない。簡単な話だ」

「えっ…?」

 困惑する七架の言葉を掻き消すように、篭也がはっきりと言い放つ。

「囁」

「ばっちりよ…」

 篭也の呼びかけに、すでに構えていた横笛で、すぐさま音色を奏でる囁。

「“鎖線させん”…」

 横笛から口を離した囁が、そっと言葉を落とす。

「うっ…!」

 囁の周囲から伸びた鎖状の赤い光が、一気に広がると、桃真の体に何重にもなって巻きつき、桃真の動きを封じた。鎖に強く縛られ、桃真がかすかに表情をしかめる。

「あの霧を消せないのであれば、あなたの方を消せばいい」

「単純な理論だねぇっ」

「的は射ているつもりだ」

 不敵に微笑む桃真にも動じず、篭也は鋭く鎌を振り上げた。

「“れ”…!」

 鎖で動きを封じられた桃真へと、篭也が鎌を振り下ろし、赤色の一閃を向ける。

「クっ…!」

 唇を噛み締め、厳しい表情を見せる桃真。

「なぁ~んてねっ、“サン”!」

 だがすぐにその表情は笑顔となり、鎖に捕らえられていた桃真の体が、黒い霧へと変化して鎖の中から逃れ、上昇していく。舞い上がった上空で、黒い霧は再び、桃真の体を形成した。

「ざぁ~ん念っ、ボクら忌に実体はなっ…」

「“変格”…」

「えっ…?」

 上空に舞っているというのに、上から聞こえてくる声に、桃真は戸惑うように顔を上げた。

「なっ…!」

「…………」

 桃真のさらに上空には、巨大な十字架を構えた七架。

「“なげけ”…!」

「グっ…!」

 十字架から放たれる、真っ赤な十字の光に、桃真の表情が歪んだ。

「うあああっ…!」

 実体を消す間もなかったのか、光を真正面から浴びた桃真が、叩きつけられるように地面へと落下する。

「痛たたっ…」

 地面に倒れ込んだ桃真は、後頭部を押さえながら、すぐに起き上がった。

「あぁ~あ、久々だなぁ。自分の痛みなんてっ」

 感覚を楽しむかのように微笑みながら、桃真が後頭部に触れた手を目の前へと持ってくる。その掌には、真っ赤な血が滲んでいた。

「“かこえ”」

「……っ」

 さらに聞こえてくる言葉に、眉をひそめる桃真。桃真が顔を上げると、座り込んだままの桃真の周囲に、囲うように、赤い光が張り巡らされていた。

「さっき聞いてなかったぁ~?ボクら、実体のない忌に、こんな囲いなんて…」

「囁」

「“さえぎれ”…」

 桃真を囲いこんだ篭也が再び囁の名を呼ぶと、囁はすぐに言葉を発した。囁の言葉により、張り巡らされた赤い光の上にもう一重、光の膜が張られる。

「これは…」

「この光は忌を通さない」

「……っ」

 篭也の声に、桃真がゆっくりと顔を上げる。

「逆に、あなたはこの光の中から出られない」

「そうみたいだねぇ~」

 篭也の言葉を受け、周囲の光を見つめながら、桃真がどこか暢気に答える。

「終わりだ、忌」

「そうだねぇ、終わりみたいだぁ」

「……っ」

 あっさりと負けを認めるような発言をする桃真に、篭也が少し表情を曇らせる。

「随分と余裕だな。まだ何か企んでいるのか?」

「別にぃ~これといって、策もないよぉ」

 篭也の問いかけに、軽い口調で答える桃真。

「ただっ…」

 桃真が、鋭く細めた瞳を、篭也へと向ける。

「ボクらには、生まれたその瞬間から、存在する理由なんてないからぁ、消えるのも別に怖くないだけぇっ」

 桃真の言葉に、眉をひそめる篭也。


―――五十音士が有り余るその強い力を向けられる、何か別の存在があればいいのではないかと…―――

―――“生まれろ”。そのたった一つの言葉から生み出されたのが、忌だ―――


 篭也の脳裏に、恵の言葉が過ぎる。

「君たちが勝手に生み出したんだから、君たちが勝手に消すといいっ」

「…………」

 そう言って微笑む桃真を見つめ、篭也は何か思うように目を閉じた後、すぐに目を開き、右手に持った鎌を振り上げた。

「“き消せ”!」

 篭也が鎌を振り下ろし、言葉を放ったその瞬間、桃真を囲んでいた光は、中に座り込んでいた桃真と共に、弾け飛ぶようにして、掻き消えた。小さな光の粒が周囲を舞っていく。

「うっ…うぅ…」

 光の舞う中に倒れ込んだ桃色の髪の青年は、気を失うかのように、力なく目を閉じた。

「忌の気配が…消えた…?」

「取り憑いていた始忌が消えたのよ…彼は、あの忌に取り憑かれていた元、五十音士の人間でしょうね…」

 倒れた青年を見つめ、囁と七架が言葉を交わす。

「で、アヒるんは…?」

「あ、そうだ!朝比奈くん…!」

 七架の横で、囁がすぐさま振り向くと、七架もつられるようにして振り向いた。

『なっ…』

 振り向いた二人が、同時に驚きの表情を見せる。

「こ、これはっ…」

「霧が…消えていない…?」

 禍々しい黒い霧の塊は、桃真が消えたことに何ら影響された様子もなく、ゆっくりと蠢いていた。消えない霧を見つめ、囁と七架が険しい表情を作る。

「どういうことだ?」

 鎌を下ろした篭也もまた、険しい表情を見せる。

「奴を倒したというのに、何故、霧が…」

<消えないよ…>

「……っ」

 辺りに響くようにして聞こえてくる声に、篭也がすぐさま振り向く。その声は、確かに先程まで聞いていた、桃真の声であった。

「あっ…」

 降り注ぐ光の粒の中に見える、消えかけの、かすかな小さな黒い霧を見つけ、篭也が眉をひそめる。

「忌…」

「あれが彼の、本来の姿のようね…」

 その小さな霧へと、囁と七架も視線を注ぐ。

<ボクの言葉で生み出された“痛み”は…本人が消し去るまでは絶対に、消えない…>

 霧から、細い声が響く。

<ボクが消えたって、消えない…君たちの神様が…自分の“痛み”を拭えるまでは、ね…>

 霧が薄れていくとともに、響く声も徐々に小さくなっていく。

<さぁて…君たちの神様は、出て来られるかな…?アハハハっ…>

 不気味な微笑みを残して、小さな霧は完全に掻き消え、桃真という名の忌は、その存在を静かに消していった。

『…………』

 篭也たち三人が、静まり返った空間に、厳しい表情で立ち尽くす。

「どうやら…アヒるんが自分の痛みに打ち勝つまで、アヒるんはあの霧の中から、出て来られないようね…」

「朝比奈くん…」

 囁の言葉を聞きながら、七架が不安げに霧を見つめる。

「……っ」

 七架と同じように霧を見つめ、そっと目を細める篭也。

「ふぅ…どうする…?篭…」

「僕たちだけで先に行こう」

「えっ…?」

「えっ…!?」

 思いがけない篭也の言葉に、囁は戸惑い、七架は驚きの声をあげた。

「さ、先にって、神月くんっ」

「アヒるんを置いていくというの…?篭也…」

 どこか責めるように、囁が篭也を見つめる。

「あなたが、そんな薄情な神附きだとは、思ってもみなかったわ…今すぐ、恋盲腸読者をやめなさい…」

「やめない」

 囁のよくわからない訴えに、篭也はすぐさま、強く拒否する。

「ほ、本気なの…?神月くん…」

「…………」

 改めて問いかける七架に、篭也が真剣な表情を作る。

「今、戦っているのは、僕たち、安団だけではない…」

 篭也が口を開き、ゆっくりとした口調で言葉を放つ。

「衣団や於団、それに為の神や美守も、多くの五十音士がこの戦いに参加している。この戦いは、僕たち安団だけのものではない」

 曇りのないまっすぐな瞳で、囁と七架を見つめる篭也。

「我が神が動けないのであれば余計に、僕たち安団は先へと進み、奴等を倒す必要が、目的を達成する必要がある」

 篭也が、アヒルの呑み込まれた霧を振り向く。

「僕が神の立場であったなら、きっと“先に行け”と言うと思う」

 霧を見つめ、目を細めた後、篭也は再び囁たちを見た。

「きっと神も、そう言うと思う」

『……っ』

 はっきりと言い放つ篭也を見つめ、囁と七架は少し考えるように間を置いた後、笑みを零した。

「フフフ…確かに…アヒるんなら、“とっとと行け”とか言いそうだものね…」

「うん、わかった!行こう!」

 さらに笑みを大きくし、二人が篭也へと言葉を投げかける。

「パパッと始忌を倒して…私たち安団の評判を、鰻昇りにしちゃいましょう…?フフフ…」

「うん、そうだね!私、朝比奈くんの分も、頑張る!」

 武器を握る手に力を込め、やる気を見せる囁と七架。

「随分とやる気だな」

「何なら、篭也も来なくていいわよ…?」

「誰がだっ」

「フフフ…」

 顔をしかめる篭也を見て、囁が楽しげに微笑む。

「とっとと行くぞ」

「ええ…」

「うん!」

篭也の声に頷き、囁と七架が先へと進む歩を踏み出す。

「……っ」

 二人の背を見ていた篭也が、ゆっくりと振り返り、再び、アヒルの呑み込まれた霧を見つめた。

「皆、あなたの言葉があったからこそ、自身の痛みを乗り越えた…」

 霧の中に居るアヒルへ向け、届くはずはないと知りながらも、篭也が言葉を掛ける。

「あなたもきっと、乗り越えろ」

 篭也の声が、まるで願うように響く。

「篭也…」

「神月くん」

 前方の広間の出口に立ち、篭也を呼ぶ囁と七架。二人の声に篭也が前を向き、アヒルの居る霧へ背を向ける。

「ああ、行こう」

 大きく頷き合うと、三人はその広間を駆け去っていった。




『……っ!』

 アジトの奥で寛いでいた緑呂、虹乃、碧鎖の三人が、同時に顔色を変える。

「桃真の気配が…消えた…?」

 なくなった仲間の気配に気付き、虹乃が戸惑いの表情で顔を上げる。

「おい!どうなってんだよ!?なんだって桃真がっ…!」

「私に聞かれたって、わかるわけないでしょ!」

 責めるように問いかける碧鎖に、虹乃が険しい顔つきとなって怒鳴り返す。

「緑呂っ…!」

 答えを求めるように、碧鎖が今度は緑呂の方を振り向いた。

「今、見せる…」

 鉄の仮面の後ろから、静かに答える緑呂。

「よ…」

 緑呂の声が、そっと響く。

「“ぎれ”…!」

 緑呂が言葉を放ち、壁の一面へと右手の指先を向けると、その指先から白い光が放たれ、壁にぶつかって広がり、壁に何やら映像を映し出した。

「こいつらはっ…!」

 壁に広がった光の中に、暗闇を駆ける篭也、囁、七架の三人の姿が映し出される。

「五十音士っ…!」

 三人の姿を見て、碧鎖が眉間に強く、皺を寄せる。

「いつの間に侵入を…」

番忌ばんきの管理は桃真の役目のはずだが…獲物を独占しようとして、逆に狩られたか…あの愚か者…」

「チっ…!」

 緑呂と虹乃が表情を曇らせる中、舌打ちを漏らした碧鎖が、座っていた椅子を蹴るようにして立ち上がり、部屋の出口へと歩を進めていく。

「どこへ行く?碧鎖」

「決まってんだろ!?五十音士どもを狩りに行くんだよ!」

 問いかける緑呂へ、怒鳴るように答える碧鎖。

「伍黄が戻っておらんのだ。少し待たんか。動くのは、伍黄の指示を待ってから…」

「んなもん、待ってられっかよ!」

 緑呂の言葉を遮って、碧鎖がさらに声を荒げる。

「俺はもうっ、あいつ等の勝手で生み出されんのも、消されんのも沢山なんだよっ!」

「碧鎖っ…!」

 強く叫びあげると碧鎖は、緑呂が止めるのも聞かずに、その場を飛び出していった。

「まったく…」

 緑呂が、どこか困ったように肩を落とす。

「キャハハっ!面白そぉ。私も行こうっと!」

「お、おい!虹乃…!」

 楽しげに足を踊らせ、虹乃も緑呂の声には止まらずに、碧鎖の後を追うようにして、部屋を去っていった。部屋には緑呂だけとなり、緑呂は止められなかった手を、ゆっくりと下ろした。

「仕方のない奴等だ…」

 呆れたように、深々と溜息をつく緑呂。

「一先ず、伍黄に報告に行くか…」

 そう呟くと、緑呂も足を動かし、その部屋を後にした。



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