Word.39 神ニ、問ウ 〈2〉
その頃、言ノ葉町。何でも屋『いどばた』。
「“眠れ”…」
『グ、ググっ…』
言葉を放ち、『いどばた』へと迫り来ていた忌憑きの町人たちを、一気に眠らせる、衣団の禰守、音音。
『グガアアアアっ…!』
「次から次へとっ…」
すぐさま後方から現れる次の集団に、音音はどこかうんざりしたように表情を引きつった。
「うぅ~ん…」
窓から外に居る音音の様子を見ながら、少し首を捻る為介。
「やっぱり一人では厳しそうかなぁ~加勢に入ってくれるぅ?雅くんっ」
「構いませんが…」
和室に敷いた布団で眠る、七架の弟、六騎の様子を見ていた雅が、人差し指で眼鏡を押し上げながら、ゆっくりと立ち上がる。
「僕が出ている間、奈々瀬さんの弟さんのこと、お願いしますよ?」
「大丈夫だってぇ~僕が面倒見いいの、知ってるでしょ~?」
「初耳です」
「あ、そうっ…」
きっぱりと答える雅に、為介が落ち込みながらも頷く。
「では、行ってきます」
「はいはぁ~い、よろしくねぇ~」
足早に屋敷の外へと出て行く雅を、為介が手を振りながら送り出す。
「ふぅ~っ」
一息ついた為介がゆっくりと振り返り、部屋の逆方向にある大窓のすぐ傍に立ち、険しい表情で、じっと外を見つめている恵を見る。
「韻へ、行ってきていたんでしょ~?」
「……っ」
不意に問いかける為介に、窓ガラスに映る恵の表情が曇った。
「どうでしたぁ~?」
「どうもこうもない。お前が考えている通りだ」
「では韻は、朝比奈くんのあの力に気付いて…?」
「ああ」
恵が、短く頷く。
「気付くというより、奴等は七声との戦いの場を用意し、朝比奈の力が目醒めるきっかけを自ら作ったんだ」
「成程ねぇ…」
恵の言葉を受け、為介がそっと目を細める。
「朝比奈くんのあの力は、失われし神をこの世界にもう一度、復活させるもの…それでもし、すべての神が揃ってしまえば…」
「させやしないさ」
為介の続こうとした言葉を、恵が力強く遮る。
「それだけは、絶対にっ…」
「…………」
強い意志というよりは、何とも必死に見える恵のその表情を見つめ、為介は少し考え込むように俯いた。
『グガアアアアアっ!』
「何っ…!?」
その時、恵のすぐ前にある大窓のガラスが、勢いよく砕け散り、屋敷の外から、忌に取り憑かれた町人たちが、飛び入ってきた。
「中にまでっ…!」
「あぁ~あ、ガラス代がぁ…」
焦ったように言いながら、懐から取り出した言玉を、素早く右足へと吸収させる恵。割れたガラスに困ったように肩を落としながら、為介も扇子を振り上げる。
「“滅せ”…!」
「“射抜け”っ」
『ギャアアアア!』
恵が右足を振り下ろし、為介が扇子を一振りして、部屋の中へと侵入してきた町人たちに取り憑く忌を、一瞬にして一掃する。忌の離れた町人が気を失い、次々と床へと倒れ込んだ。
「あ~あぁ…こんなにお客さん来ちゃってぇ」
「何をしてるんだ?雅たちは」
「なかなか抑えきれないってことでしょぉ~何せ、町人全員が相手ですからねぇ」
不満げに言い放つ恵に、為介が笑顔でフォローを入れる。
「だが、私たちはそう力を使うわけにもいかないんだ。あんまり次から次へと来られてもっ…」
「う、うわああぁぁっ!」
「……っ」
言葉を掻き消す叫び声に、恵が素早く顔を上げる。
『グア…アァっ…』
「ううぅっ…!く、来るな…!来るなぁっ!」
いつの間にか目覚め、布団の中から飛び出した様子の六騎が、庭から入ってきた別の町人の団体に、襲われていた。迫り来る忌に、六騎は必死の叫び声をあげている。
「奈々瀬の弟かっ…!あんまり力が使えないって時に…!」
恵が少し表情を引きつりながら、六騎を助けるべく、右足を振り上げる。
「ちょっと待ぁ~って下さぁ~い」
「ああっ?」
右足を振り上げた恵へと、為介が制止を促すように、扇子を差し出す。
「何だ?何故、止める?」
恵がしかめた表情を、為介へと向ける。
「ガキを見殺しにする気か?」
「いいえぇ~」
鋭く問いかける恵へと、やわらかな口調で答える為介。
「どうせ避けられないなら、早めの方がいいかと思いましてぇ」
「何…?」
為介の意味深な言葉に、恵はそっと眉をひそめた。
「うううぅ…!うっ…!」
『グア…アァ…』
必死に逃げ惑っていた六騎であったが、やがて町人たちの集団に、壁際へと追い込まれてしまう。逃げる場所すら失い、六騎はさらに怯えた表情となる。
『“破”!』
「あっ…!」
前方から放たれる複数の衝撃波に、大きく目を見開く六騎。
「うっ…うわあああああっ!」
六騎が両手で頭を抱え込み、激しく叫びあげた、その瞬間であった。
―――パァァァン!
『ギャアアア…!』
「えっ…?」
固く目を閉じていた六騎であったが、忌の悲鳴のようなものが辺りに響くと、戸惑うようにゆっくりと、その大きな瞳を開いた。
「あっ…」
開いた瞳を、さらに見開く六騎。六騎の目の前に、強い光を放ちながら浮かんでいるのは、手のひらにすっぽりと収まる程度の大きさの、宝石のように美しい、金色の玉であった。周囲には、六騎を襲ってきた町人たちが、気を失っているのか、重なり合うようにして倒れている。
「これ、は…?」
目の前に浮かぶ玉を見つめ、六騎が少し首を傾げる。
「言玉っ…!?」
六騎の前に現れた玉を見て、恵が驚きの表情を見せる。
「まさか、あいつも五十音士っ…?」
「恵さん」
「ん?」
六騎に目を見張っていた恵が、為介に呼ばれ振り向く。
「言っていただきたい、言葉があるんですけど…」
「……っ」
いつになく真剣な表情で言い放つ為介に、恵は、もうその言葉が何なのか、わかっているかのように、すぐさま表情を曇らせた。
「無理やり巻き込めっていうのか…?まだ、あんなに幼いあのガキを…」
「僕らはもうすでに、たくさんのものを巻き込んできました」
鋭く問いかける恵に、為介は間を置くことなく答える。
「今更、たった一つのものを巻き込まない為に、引き返すわけにはいかない…」
「…………」
為介のその言葉に、恵は少し目を細める。
「……それも、そうだな」
恵が納得した様子で、小さく頷く。
「今更、キレイ事を並べても、仕方ないよな」
そう言いながら、再び六騎の方を見た恵が、右足から言玉を取り出し、今度は右手のひらへと、その言玉を吸収させる。
「恨むなら、私を恨め」
言玉を吸収し、強い緑色の光を放つ右手を、六騎の目の前に浮かぶ金色の言玉へと向ける恵。
「“目醒めろ”!」
恵の右手から、強い光が放たれた。
「何だ…?この玉…」
六騎が戸惑いながら、目の前の言玉に手を触れようとしていたその時、恵の放った光がまっすぐに飛んできて、その言玉へと直撃した。
「うわっ…!」
目の前で弾けるように輝く強い光に、六騎が思わず身を屈める。
「な、何っ…」
「……っ」
「えっ…?」
六騎が次に顔を上げた時、六騎の前にあったのは、小さな言玉などではなかった。感じる呼吸にさらに戸惑いの表情となって、六騎がまじまじと、目の前のそれを見つめる。
「う、馬…?」
目の前に姿を現したのは、鍛え上げられたかのような立派な肢体の、美しいとさえ思える姿の、一頭の馬であった。だが普通の馬とまったく異なるのは、鼻先から長い四肢、なびくように広がる鬣と尾も、すべてが金色一色であるところである。
「金色の、馬…」
「ヒヒィーン!」
茫然と見つめる六騎の前で、金馬は堂々と鳴き声をあげる。
「な、何…?一体、どうなって…」
『グアアアアアア!』
「あっ…!」
六騎が頭を抱え、目の前の状況に混乱していたその時、部屋のまた別の扉が外から突き破られ、忌に取り憑かれた町人たちが、続々と中へと入り込んできた。
「ま、またっ…!」
「ヒヒィーン!」
「えっ…?」
入ってきた町人たちに六騎が表情を引きつり、その場から逃げ去ろうとした時、六騎のすぐ前に逃げることを遮るように、先程の金馬が立った。何かを求めるように鳴く金馬に、六騎が眉をひそめる。
「彼は、君と一緒に戦いたいんだってぇ」
「えっ?」
横から入ってくる声に、六騎が振り向くと、そこには笑顔を見せた為介が立っていた。
「あんたは…た、戦うって何っ…」
「君は僕らと同じ、言葉の力を持つ五十音士…」
「五十っ…?」
「そして、君に与えられた言葉は、“む”」
「“む”…?」
「ヒヒィーン!」
六騎がその一文字を口にした途端、金馬は待ち望んでいたかのように、大きく声をあげた。
「そう…君は“む”の力を持つ五十音士、“武守”」
為介が細めた瞳を鋭く光らせ、戸惑う六騎へと、白いその手を伸ばす。
「君に、最初の言葉をあげよう…」
「……っ」
為介の口がゆっくりと動き、その鋭い瞳が、六騎に“繰り返し言え”とまるで強く訴えかけるようであった。
「む…」
六騎が大きく、口を開く。
「“向かえ”…!」
「ヒヒィーン!」
放たれた六騎の言葉に応えるように、金馬は高らかと鳴き、その大きく開いた口から、巨大な金色の光の塊を、部屋へと侵入してきた町人たちへ向け、放った。
『ギャアアアアア!』
金馬の放った光を浴びた途端、町人たちに取り憑いていた忌が一気に掻き消され、忌から解放された町人たちが気を失い、次々と倒れていった。
「はぁ…はぁ…」
倒れた町人たちを見つめながら、少し息を乱す六騎。
「す、凄げぇ…」
六騎の口から、思わず感心するような声が漏れた。
「…………」
見事に忌を撃退した六騎の様子を、少し離れたところから見つめる恵は、厳しい表情を見せていた。
「巻き込むことしか、出来ない…」
どこか悔いるように、恵の声が落ちる。
「こんな私たちの、何が“神”だっていうんだろうな…」
恵が割れた窓から、外を見つめる。
「アケル…」
恵の少し弱々しい声が、風の中へ、掻き消えた。




