Word.39 神ニ、問ウ 〈1〉
言ノ葉町南西部、上空。
『グア…アァ…』
「あらあら、本当に見事に、町人全員が忌に取り憑かれていますわね」
「何ともおぞましい光景ですわ」
五十音士を探しているのか、夜も更け、辺りは真っ暗であるというのに、多くの町人がまとまることなく徘徊しているその異様な景色を見下ろし、上空に浮かぶ衣団の誠子と徹子が、それぞれ険しい表情を見せる。
「では早速参りましょうか、徹子」
「ええ、誠子お姉さま」
視線を交わした二人が、互いに頷き合う。そして再び後方を見下ろしながら、誠子と徹子はドレスの懐からそれぞれ、緑色の言玉を取り出した。
「第十四音“せ”…」
「第十九音“て”…」
二人の言玉が、強い緑色の光を帯びていく。
『解放…!』
強い光を放つ言玉を、それぞれの拳へと吸収させる誠子と徹子。
「“正拳”」
「“鉄拳”」
言玉を吸収した二人の細く、白い腕が、緑色の光を帯びて輝く。
「ちまちま倒してはいられませんわ。一気にいきますわよ、徹子」
「ええ、誠子お姉さま」
誠子と徹子は鋭い表情を見せ、輝く拳を、下方にいる無数の忌へ向け、身構える。
「“鉄槌”…!」
「“殲滅”…!」
『ギャアアアア!』
二人の言葉と共に緑色の光が言ノ葉の町を駆け抜け、多くの忌の叫び声が響き渡った。
言ノ葉町北方。
「ふぅ~っ…」
心を落ち着かせるように、大きく一つ、息をつくのは紺平。
「よしっ」
気合いの入った表情を見せた紺平が、懐から取り出した白い言玉を、勢いよく掲げる。
「五十音第十音“こ”、解放…!」
まだ少し慣れない様子で、紺平が自分の言葉を解放する。
「“凍れ”…!」
『ギャアアアア…!』
紺平の掲げた言玉から、激しい吹雪が放たれると、その強風に押されるようにして忌が町人の体から飛び出し、黒い霧状の体をあっという間に氷の塊へと変えた。
「はぁ~…上手くいったぁ…」
まだ実戦経験の浅い紺平は、何とか忌を封じられたことを確認し、ホッと胸を撫で下ろす。
「グア…!」
「えっ…?」
紺平の吹雪から逃れた一匹の忌が、上空へ舞い上がり、安心しきっていた紺平へと、その体を向けた。
「“破”!」
「うっ…!」
まっすぐに放たれる衝撃波に、紺平が大きく表情を歪める。
「う、うわっ…!」
「“逸れろ”」
「あれっ?」
避ける言葉も持たない紺平は、険しい表情を見せたが、紺平へと向かって来ていたその衝撃波は、紺平に当たる直前で大きく軌道を変え、まったく違う方向へと飛んでいった。
「あれぇ~?」
空の彼方へと消える衝撃波を見送り、不思議そうに首を傾げる紺平。
「世話が焼けるわね。ったく」
「あっ、空音さん!」
呆れたような表情を見せながら、紺平の前へと現れたのは、紺平と同じ於団の一人、曾守の空音であった。
「あんまり弱っちいと、於団の面汚しって呼ぶわよ?」
「一応、五十音士になってまだ一週間経ってないんだけどね…俺…」
冷たい言葉を投げかけてくる空音に、紺平が少し引きつった表情を見せる。
「グガ…!」
「あっ、またっ…!」
「……っ」
二人へ向け、再び構えを取る上空の忌に気付き、焦った表情を見せる紺平の横で、空音がそっと目を細め、言玉を持った右手を挙げる。
「“殺げ”」
空音の言玉から忌へ向け、鋭い白色の光が放たれる。
「ギャアアアアア!」
目にも留まらぬ速さで空を駆け上がった、空音の光は、上空にいた忌を真っ二つに斬り裂き、一瞬にして消し去った。
「す、凄っ…」
空音の言葉の強力さに、紺平が思わず圧倒された声を漏らす。
「意外と強いんだね、空音さんて」
「意外は余計っ」
感心したように言う紺平に、空音が鋭い視線を送る。
「だいたい、まだろくに言葉も使えないんだったら、大人しく留守番してればいいでしょ?なんでわざわざ、しゃしゃり出てくんのよ?」
「一応は、俺の神様の命令だし」
眉間に皺を寄せる空音へ、紺平は悪びれのない笑みを向ける。
「ガァたちも頑張ってるのに、俺だけ留守番ていうのもなぁって思ったし」
「だからってねぇっ」
「それに」
「……?」
さらに付け加えられる言葉に、空音は自分の言葉を止め、首を傾げる。
「ここは、俺の町だよっ」
「……っ」
大きな笑顔を見せる紺平に、空音は驚いたように、目を見開いた。だがすぐにどこか不満げな表情となって、紺平から視線を逸らす。
「勝手にしなさいよ!でも言っとくけど、もう二度と助けないから!」
強く人差し指を突き出し、釘を差すように言う空音。
「あんたがあっさりヤラれようとねぇ、私は知ったこっちゃなっ…」
「ここに居たか」
「檻也くん」
空音の言葉を遮るように、その場に檻也が現れた。
「神…」
先程までの紺平へとあれこれ言っていた音調から一転、落ち着いた物静かな口調となって、空音が現れた檻也の方を振り向く。
「俺は町の東方へ向かう。空音、お前は紺平の補佐を頼む」
「お任せ下さい、我が神」
「十秒前の言葉、覚えてる…?空音さん…」
檻也へと深々と頭を下げる空音を見て、呆れきった表情を見せる紺平であった。
一方、忌アジトへと潜入したアヒルたちは、エリザの支援のお陰で先へと進むことが出来た。だが、そんなアヒルたちを出迎えたのは、始忌の一人、ト級の桃真であった。
「ようこそぉ、ボクらのお家へぇ。五十音士の皆さんっ」
無邪気な微笑みを、桃真がアヒルたちへと向ける。
「始忌の彼がここに居るということは…」
「もう、気付かれちゃったの…?」
「まだボク以外は気付いてないから、安心してぇ」
「えっ?」
不安げな表情を見せた七架であったが、桃真から返って来る明るい声に、戸惑った表情となる。
「入口にうじゃうじゃ居た忌いるでしょ~?あれは番忌っていって、あれの管理は、一番格下のボクの仕事なんだぁ。だからボクが真っ先に気付いたってわけっ」
「真っ先に気付いたというのに、仲間に報告しなかったということか?」
「うん。だってぇ、その方が独り占め出来るでしょっ?」
篭也の問いかけに、桃真が満面の笑みで頷く。
「君たち四人の“痛み”をっ」
『……っ』
楽しげに言い放つ桃真に、アヒルたちが皆、険しい表情を作る。
「気を付けろ、神」
厳しい表情を見せた篭也が、アヒルへと声を掛ける。
「昨日、少しだけ戦ったが、一番格下とはいえ、相当の強さだ」
「ああっ」
「グワァ!」
大きく頷くアヒルと同じように、アヒルの右手の上のガァスケもしっかりと頷く。
「うわぁ~、何それ?可愛いねぇ~」
そんなガァスケの姿を見て、桃真が無邪気な声を出す。
「安団の言玉は武器だって聞いてたけどぉ、それ、最新モデルぅ~?」
「ああ、そうだ」
「あっさり嘘ついたわね…フフフ…」
何の迷いもなく頷くアヒルに、囁が不気味な笑みを零す。
「面白そぉっ、じゃあ早速始めようかぁ」
「おう!どっからでも掛かってこっ…!」
「“包”っ」
「へっ?」
気合い十分のガァスケを構えたアヒルであったが、桃真が間を置くことなく言葉を放った瞬間、桃真の周囲から放たれた黒い霧が、どこまでも広い空間へと一気に広がっていき、あっさりとアヒルたちを包み込んでいく。
「な、何だぁ?これっ」
周囲を覆っていく霧を見回し、困惑の表情を見せるアヒル。
「これは…」
「まさか…私たちの体を乗っ取る気じゃ…」
「えっ…!?」
囁の言葉に、七架が焦りの声をあげる。
「“掻き消せ”!」
眉をひそめた篭也が、周囲を一回転するように鎌を振り回し、勢いよく言葉を放つ。だが覆っていく霧は掻き消えることなく、それどころか、その濃さを増していくばかりであった。
「消えない…?」
消えぬ霧に、さらに眉をひそめる篭也。
「囁ちゃんっ…」
「私たちの言葉で、どうこう出来る霧さんじゃなさそうね…」
振り向く七架に対し、囁もそっと表情を曇らせる。
「安心していいよぉ。別に君たちの体を乗っ取る気はないからぁ~」
「何っ…?」
桃真の言葉に、篭也が振り向く。
「だってこれ以上、乗っ取ったって、実体化する始忌もいないしねぇ」
「じゃあ一体、なんだっていっ…!」
「真っ向から、言葉と言葉のぶつけ合いでもすると思ったぁ?」
「……っ」
体全体を覆っていく霧に困惑しながら、問いかけようとしたアヒルに、桃真が問いかけで返す。
「勘違いしちゃダメだよぉ?ボクらは五十音士じゃなくって、忌なんだぁっ」
黒い霧の向こうから、桃真がアヒルへと微笑みかける。
「言葉なんて、どうでもいいんだよっ」
桃真がそっと、右手を掲げる。
「さぁ、ボクに見せて」
掲げた右手で、指を鳴らす桃真。
「君たちの、一番の“痛み”をっ」
「クっ…!」
冷たく微笑む桃真と、周囲に迫り来る霧に、アヒルが険しい表情を見せる。
「きゃあああ!」
「うぅっ…」
「奈々瀬!囁!」
黒い霧の中へとその姿を消していく七架と囁に、思わず身を乗り出すアヒル。だが、アヒル自身も全身を黒い霧に覆われ、ろくに身動きの取れない状態であった。
「ク…!クソっ…」
「篭也!」
険しい表情を見せながら、篭也も霧の中へと掻き消えていく。
「ううぅっ…!」
そして最後に、アヒルを霧が包み込んだ。
「うわああああっ…!」
アヒルの激しい叫び声が、広い空間に響き渡った。
―――― ………………
「痛つつつつつっ…」
頭部に何かぶつけたような痛みを感じながら、アヒルはその場でゆっくりと起き上がった。
「あれっ?黒い霧は?」
いつの間にか、体に纏わりついていた霧がなくなっていることに気付き、アヒルが自由になった体に戸惑いながら、周囲を見回す。
「えっ…?」
見回したその景色は、先程まで居たはずの空間ではなく、アヒルは思わず目を見開いた。
「ここ、は…」
よく知る道、よく知る景色。
「俺ん、家…?」
アヒルの座るその目の前には、大きく看板に『あさひな』と書かれた、一軒の八百屋がある。一番見慣れたその建物に、アヒルはさらに戸惑った表情となる。
「な、なんでだ?俺、いつの間に言ノ葉にっ…」
「おかえり」
「……っ!」
困惑しながら立ち上がろうとしたアヒルであったが、店の方から聞こえてくるその声に、大きく目を見開いた。その声は、アヒルにとって、忘れたくても忘れられない、たった一つの声である。
「おかえり、アーくん」
「……カー兄っ…」
アヒルの目の前へと現れたのは、アヒルがかつて、失ったはずの兄であった。




