Word.38 罪無キ痛ミ 〈3〉
一方その頃、アヒルたちは、エリザが入手した灰示の言玉の位置を頼りに、始忌のアジトを探していた。
「この辺りのはずなんだけど…」
位置の記された紙と周囲を見比べながら、エリザが呟く。エリザの言葉につられるようにして、アヒルたち四人も皆、周囲を見回す。そこは、もう何年も使われていない、古い建物の並ぶ、廃墟のような場所であった。人気はまるでなく、不気味な雰囲気が漂っている。
「あぁ~、気味悪っ」
そのいかにもな空気を感じ、思わず顔をしかめるアヒル。
「手繋いであげましょうか…?アヒるん…」
「いらねぇよ!」
「フフフ…」
強く言い返すアヒルを見て、囁が楽しげに微笑む。
「それっぽい空気は出てるけど…」
「忌らしき気配は感じないな」
周囲を見つめながら、七架と篭也がそれぞれ、首を傾げる。
「結界…」
「ま、普通はそうでしょうねぇ」
そっと呟いた篭也の言葉に、賛同するようにエリザが続く。
「どういうことだ?」
「私たちみたいな敵の侵入を防ぐために、アジトを結界で覆って、隠してるんじゃないかってこと」
「つまりは、囁の張る“遮れ”と同じだ」
「成程ねぇ」
二人の説明を聞き、納得したように頷くアヒル。
「じゃあ、どうやって中に入るんだ?」
「そりゃ、結界通り抜けられるような言葉、使うしかないんじゃない?」
アヒルの疑問に、エリザがあっさりと答える。
「誰か、そういう関連の言葉、持ってる?」
「私は張る方、専門だから…フフフ…」
エリザが皆へと問いかけると、囁が微笑みながら、首を横に振った。
「神月くんの“掻き消せ”は?」
「どのくらいの結界かにもよるが、あまり大きいものだと、一気に掻き消せない場合がある」
七架が聞くと、篭也は気難しい表情を作った。
「それに、掻き消せたとしても、目立ちすぎる。侵入を相手に知らせるようなものだ」
「いいじゃねぇか」
「良くないから言っている」
軽く言い放つアヒルへと、鋭い言葉を投げかける篭也。
「気付かれて、囲まれて、全員乗っ取られてジ・エンドじゃ、困るものね」
「ああ、そういうこと」
エリザの言葉を聞き、アヒルが納得する。
「だが、ひっそり入る言葉となると…“通れ”“抜けろ”…んん…」
この場に居る者の言葉の中で、何とか中へ入れないかと、篭也が首を捻る。囁と七架も同じように首を捻り、皆、言葉を探した。
「アヒル、君、もう言葉使えるんでしょ?」
「へっ?ああ、まぁ」
「じゃあ問題ないわ」
「えっ?」
笑顔を見せるエリザに、アヒルが首を傾げる。
「君の言葉で、この結界は抜けられる」
「俺の言葉でぇ?えっとぉ…」
アヒルが視線を上へ向け、自分の言葉を探す。
「あ、“あっち向いてホイ”か!」
「“開け”よ!“あっち向いてホイ”で、どうやって結界抜けるってのよ!阿呆!」
思いついたように、大きな声で言い放つアヒルに、エリザが強く怒鳴りあげた。
「何だ、“開け”かぁ」
「それは僕も考えたが…」
横から、少し眉をひそめた篭也が、口を挟む。
「神、あなたは本当に、言葉の力が戻ったのか?あの女教師もまだ、不完全などと言っていたし…」
「力は問題ねぇよ。ただちょっと…」
『ただ、ちょっと?』
口ごもるアヒルに、篭也たちが首を傾ける。
「ただちょっと、何だ?」
「恵先生の“目醒めろ”の言葉で、眠ってたっていう力は起きて、言玉は解放出来るようになったんだけどさぁ」
問いかける篭也に答えながら、アヒルが懐へと右手を入れる。
「形がさぁ…」
「形?」
「グワァっ」
「があ?」
聞き慣れない声が聞こえてきて、篭也は強く眉間に皺を寄せた。
「グワァ」
『へっ…?』
アヒルの懐から、アヒルの手のひらの上に乗り、皆の前へと示し出されたのは、手乗りサイズの小さなあひるであった。少しくすんだ白い胴体と羽根に、真っ黒な瞳。嘴だけ、きらきらと金色に輝いているが、小さな鳴き声と少し間の抜けた表情が、何とも可愛らしい。
「んなっ…!?」
「カワイイっ!」
「あらあら…まさにあひるね…フフっ…」
激しく驚いた表情を見せる篭也の横で、囁と七架が楽しそうにアヒルの手の上のあひるを見つめる。
「何?弟?」
「んなわけあるか!」
短く問いかけるエリザに、アヒルが勢いよく言い返す。
「言玉解放したら、何かよくわかんねぇけど、こいつが出てきたんだよ」
「へぇ~」
エリザが腰を折り、まじまじとあひるを見る。
「ダッサ」
「グワァ!?」
冷たい一言で片づけるエリザに、人の言葉がわかっているのか、傷ついた表情を見せるあひる。
「うっせぇなぁ。俺だって銃のんが、持ちやすくて良かったっての」
「そういう問題ではないだろう!」
ボヤくように言うアヒルに、篭也が怒ったように声を張り上げた。
「何が問題ないだ!こんな家鴨を片手に、敵の本拠地に乗り込む気なのか!?あなたはっ…!」
「問題ないんだって。こいつでも別に、ちゃんと力は使えるんだぜ?」
勢いよく怒鳴る篭也に、アヒルが口を尖らせて答える。
「見てろよ?行くぞ、ガァスケ」
「名前までつけたの…?」
「呼ぶ時、困るから一応な」
横から問いかける囁に答えながら、アヒルが正面へ向け、ガァスケの乗った右手を差し出す。
「あ…」
大きく口を開く、アヒル。
「“開け”…!」
「グワァっ!」
アヒルが言葉を発すると、ガァスケも同じように大きく口を開いた。その口の中から、強い赤色の光が光線のように発射されると、どこまでも続くはずの廃墟のある場所で、まるで壁でもあるかのように、勢いよくぶつかる。
「あれはっ…」
ガァスケの赤い光を浴びた、その壁のような部分の景色が、切り取られていくように剥がれ落ちると、その向こうに、真っ暗な空間が姿を現した。
「結界が開いた」
「あれが、奴等のアジト…」
視線の先にその暗い空間を映し、皆が一気に、真剣な表情を作る。
「なっ?問題ないだろぉ?」
「力に問題はないかも知れないが、今後、戦闘するにあたってだなぁっ…」
『グアアアアっ…!』
『……っ』
相変わらずの様子で言葉を交わしていたアヒルと篭也が、前方の、その現れたばかりの空間から聞こえてくる禍々しい声に気付き、素早く振り向く。
『グアアアアア!』
「忌っ…」
空間から溢れ出るように現れたのは、激しく声をあげる、大量の忌であった。その暗い空間は、忌の黒い体で形成されているのではないかと思えるほどの、おびただしい数である。
「どうやら、始忌のアジトというよりは…忌のアジトのようね…フフフ…」
「……っ」
微笑みながら横笛を構える囁の横で、七架も薙刀を力強く振り上げる。
「よっしゃあ!どっからでもかかって来っ…!」
「あの空間の中に、突っ込むわよ」
「へっ?」
ガァスケを身構え、気合いを入れて叫ぼうとしたアヒルが、エリザの言葉に、目を丸くして振り返る。
「突っ込むぅ?あの忌の群れの中にかぁ?」
「ええ」
聞き返すアヒルに、何の迷いもなく頷くエリザ。
「なんでんなマネっ…」
「全員が入ったら、私があの入口を閉じるわ」
「閉じる?」
益々、困惑した表情となるアヒル。
「適策だな」
「これ以上、忌を外にばら撒くわけにもいかないものね…フフフ…」
「あ、そういうことね」
囁の言葉に、アヒルがやっとエリザの言葉の主旨を理解する。
「けど、大丈夫なのかよ?閉じるなんて、そんなことっ…」
「私を誰だと思ってるの?」
問いかけるアヒルに、エリザが自信に満ち溢れた笑みを向ける。
「こっちは君より長く、神やってんのよっ」
「そうだったな」
エリザの笑顔に、つられるようにアヒルも笑顔を見せた。
『グアアアアアっ…!』
「神、忌が溢れ出る前にっ…」
「ああ、一気に押し込む。全員で行くぞっ!」
『……っ』
アヒルの言葉に、同時に頷き、それぞれの武器を構える篭也、囁、七架。鋭い表情を見せた四人が、武器を構えたまま、勢いよく空間の方へと駆け出していく。
「“当たれ”!」
「“刈れ”…!」
「“裂け”…」
「“薙ぎ払え”!」
四人が駆け込みながら、同時に言葉を放つと、それぞれの武器から繰り出された赤い光が合わさり合い、空間から溢れ出ようとしていた大量の忌へと、直撃する。
『ギャアアアアっ!』
「突っ込むぞ…!」
一瞬にして掻き消えた忌たちの居た場所を通り抜け、空間の中へと侵入するアヒルたち。アヒルたち四人が入ったことを確認し、遅れるようにして、エリザも空間の中へと足を踏み入れる。
「第四音“え”、解放っ」
後方を振り返りながら、エリザが言玉を解放し、緑色の言玉をその長い指先へと吸収させる。言玉の光を受け継ぎ、光り輝く指先を、勢いよく振り上げるエリザ。
「“描け”…!」
入口目がけて、エリザが指先で大きく長方形を描く。すると、指先の動きにより、緑色の光が大きな長方形を作り出し、その長方形は、開いていた入口にきれいに重なって、あっという間に入口を塞いだ。
「壁を、描いたっ…?」
エリザの方を振り返りながら、アヒルが驚いた表情を見せる。
「衣の神特有の、物質形成の力だ」
驚くアヒルの横から、同じように後ろを振り返っている篭也が、解説するように言葉を放つ。
「あなたが波城と戦った後も、衣の神はあの力で出口を作り、崩れる建物から、あなたたち二人と脱出した」
「すっげぇなぁ。ザべスっ」
「エリザよ!」
アヒルたちのもとへと追いついてきながら、しっかりと名前の訂正を入れるエリザ。
「それより、次の団体さんが来てるわよっ」
「へっ?」
エリザが前方を指差すと、アヒルが顔を正面へ向ける。
『グアアアアア!』
「うおっ」
「さっき結構倒したのに、まだあんなに…」
驚くアヒルの横で、七架が少し困ったような顔を見せる。
「あらあら、身がもたないわね…フフフ…」
「本拠地なんだ。仕方ないだろう」
あれこれと言葉を口にしながらも、篭也と囁が再び武器を構える。
「まぁ前に進むしかねぇよなぁ。ザべスが入口も塞いじまったし」
「エリザよ!私が悪いことしたみたいに言わないでよね!」
アヒルへと怒鳴り返しながら、エリザが指先から言玉を取り出し、今度は駆けている右足へと吸収させる。
「とにかく蹴散らすわよ!“抉れ”!」
『ギャアアアア!』
緑色に輝く右足を振り下ろし、前方の忌を掻き消して、先頭を駆け抜けていくエリザ。
「おし、行くぞ?ガァスケ」
「グワァ!」
声を掛けるアヒルに、準備万端とばかりに答えるガァスケ。
「“当たれ”…!」
「ふぅ…」
「ん…?」
保のもとを訪れていた伍黄は、保との会話を終え、他の始忌の待機する部屋へと戻って来た。いつも座っている椅子へと腰を下ろし、どこか疲れたように肩を落とす伍黄に気付き、緑呂が伍黄のもとへと歩み寄っていく。
「どうかしたのか…?伍黄」
「いや…」
気にかけるように問う緑呂に、伍黄はすぐさま首を横に振る。
「人間というものに、さらに絶望しただけだ」
伍黄が天井を見上げ、うんざりした表情で言い放つ。
「…………」
そんな伍黄の様子に、萌芽はそっと目を細める。
―――人間…?―――
「……っ」
灰示から姿を変えた、人間の姿を思い出し、萌芽は眉をひそめた。
「ふんふふんふぅ~んっ」
部屋の片隅で、ご機嫌に鼻歌を奏で、壁に掛けられた鏡を見て、長い髪の毛を整えているのは、弓の体を乗っ取った虹乃であった。
「自分の顔見て、何がそんなに楽しいんだかねぇ」
虹乃の様子を見て、碧鎖がどこか呆れたように言う。
「折角手に入れた実体なのよぉ?存分にオシャレを楽しまないと、損じゃないっ」
「オシャレねぇ…んあっ?」
さっぱりわからないといった様子で首を傾げていた碧鎖が、部屋を出て行こうとしている桃真に気付き、顔を上げる。
「どっか行くのかぁ?桃真っ」
「うんっ」
碧鎖の問いかけに、桃真が満面の笑みで頷く。
「ちょっと、暇潰しぃっ」
微笑んだ桃真は、突き刺すような、鋭い瞳を見せていた。




