Word.38 罪無キ痛ミ 〈1〉
――――生まれた理由は、よくわからない。
気付いたら、真っ暗な、どこまでも真っ暗な、闇の中に居た。
「次が生まれたか」
「三匹目だな」
すぐ傍で声が聞こえて、視線を上げた。そこには生物とも言い難い、黒い霧の塊のようなものが二つ、存在していた。霧の中で輝く、瞳のような真っ赤な二つの光がそれぞれ、こちらを見つめていた。
「ようこそ」
「君、は…?」
「俺たちは、お前の仲間。お前は俺たちと同じ存在だ」
「同じ、存在…」
自分もこんな、生物か何かもわからない形をしているのだろうか。そう思ったが、確認する術など持ち合わせていなかった。
「ここ、は…?」
「…………」
僕の問いかけに、その影は黙る。
「ここは…」
かすかに曇る、その声。
「地獄だ」
僕がその言葉の意味を知るまで、そう時間はかからなかった…――――
その頃、灰示と入れ替わった保は、伍黄と向き合っていた。
「俺と、話…?」
「ああ」
戸惑った様子で聞き返す保に、伍黄が薄く微笑んで頷きかける。
「こ、こんな正直、会話通じなそうな俺と話だなんてっ、何か色々とすみませぇ~ん!」
「ああ」
「えっ…?」
いつものように謝り散らす保であったが、淡泊な反応を返す伍黄に、さらに戸惑うように、頭を抱えていた手を下ろした。
「えっと、あの、すみません…あなたは…」
「言っただろう?俺はもう一人のお前の、大昔の友だと」
もう一度問いかける保に、伍黄は先程と同じように答える。
「大昔の…」
「ああ、数百年も昔の話だ」
「すっ…!?」
伍黄の言葉に、保が激しく驚いた表情を見せる。
「あ、あのぉ~…もしかしなくともとも、あなたさまはぁ、人間ではぁ…」
「ああ、俺は人間ではない」
「ええっ!?」
あっさりと認める伍黄に、さらに驚きの表情となる保。
「そ、そうですか…底なしの暗闇より生まれた、ヤミヤーミ族の方でしたか…」
保が何故か、決めつけた様子で話を続ける。
「はぁ!まさか人間の中でも一際ダメダーメな俺を、マックラお鍋の生贄にぃっ…!」
「俺たちは…」
「あれ?」
保の勘違いな発言を特に気にすることなく、伍黄は聞こえていないかのように自然に、自分の話をし始めた。
「俺たちは、“痛み”から生まれた」
「痛み…?」
「ああ」
眉をひそめる保に、伍黄が大きく頷きかける。
「人の言葉の中にある、あまりに強い“痛み”…そこから生まれたのが俺たち、忌という存在だ」
「忌…」
聞き慣れぬ言葉に、保がそっと表情を曇らせる。
「俺たちって…」
「俺や、もう一人のお前のことだ。今となっては五万といるがな」
「もう一人の、俺…」
もう一度告げられるその言葉に、保が少し考え込むように俯く。
「まぁ、灰示を認識していないお前に言ったところで、訳などわからんだろうが…」
「知って、います…」
「何…?」
小さく落とされた保の声に、伍黄が眉をひそめる。伍黄が見つめる中、ゆっくりと顔を上げた保は、今までとは異なる真剣な表情を見せていた。
「知っています…」
伍黄をまっすぐに見つめ、保がもう一度、言い放つ。
「俺の中に誰か、俺ではない人がいること…」
保が薄く、穏やかな笑みを浮かべる。
「俺が“痛い”って思った時、いつも、その人が助けてくれること…」
「……っ」
保のその言葉に、伍黄がそっと目を細める。
「そうか…」
頷きながら、伍黄が保のいる寝台のすぐ横に置かれた、小さな椅子へと腰を下ろす。
「“痛み”の中から生まれた俺たちは、人の“痛い”という声が勝手に耳に入って来る」
「声…?」
「ああ。今も、五月蝿い程に聞こえてくる」
伍黄が耳を澄ますような動作を見せながら、どこか煩わしそうに答える。
「この声は一秒と、聞こえてこない時がなく、その上、ひどく悲痛で、俺たちは生まれてからずっと、ろくに眠ることも出来ない」
「……っ」
伍黄の話を聞き、保が険しい表情を見せる。
「俺たちは、この声からの解放を願った…人が“痛み”をなくすことを願った…」
「痛みを、なくす…」
「だが、何年経っても声は消えず、むしろ、その声はでかくなっていく一方だった」
伍黄の表情も、険しいものとなる。
「俺たちは、絶望した。この“痛み”から、逃れることは出来ないのだと、絶望した」
遠くを見るような、瞳を見せる伍黄。
「もう一人のお前も強く絶望し、“痛み”のない場所を探すと言って、俺たちの前から姿を消した」
固く組んでいた腕を解き、伍黄が再び保の方を振り向く。
「だからこそ、俺にはわからない」
「えっ…?」
鋭く向けられる伍黄の視線に、保が戸惑いの表情となる。
「灰示が何故、お前と共に在るのか…灰示が何故、お前のような人間に、そんなにもこだわるのか…」
「灰、示…?」
伍黄の言葉に、保が大きく首を傾ける。
「確かに、お前の“痛み”は極上だ。他者の痛みより、遥かに深い」
「俺の、“痛み”…?」
「ああ。灰示の操作によってお前自身は覚えていないようだが、その記憶はお前の中に残り、今も強く、俺に訴えかけてくる」
まっすぐに保へと、視線を向ける伍黄。
「“痛い”、とな…」
「俺が…覚えて、いない…?」
保の表情が、戸惑いの色を濃くする。
「俺たちは“痛み”より生まれた存在…痛みにより強くなりはするが、何百年も痛みを浴び続けた俺たちにとって、極上の痛みなど、最早、煩わしいだけだ」
伍黄が鋭く、保を見つめる。
「灰示がお前と共に在る利点など、まるで有りはしない」
さらに強く輝く赤い瞳が、まっすぐに保を捉える。
「なら何故、灰示はお前と共に在る…?」
伍黄がゆっくりと、保へと問いかける。
「俺は、それが知りたい…」
「……っ」
その偽りのない瞳に、保はそっと、瞳を細めた。




