Word.37 始マリノ忌 〈3〉
一時間後、言ノ葉町『いどばた』。
「“改修”」
「“直せ”」
穴だらけの部屋へ向け、篭也と七架がそれぞれの言葉を放つ。すると、『いどばた』全体を淡い赤色の光が包み込み、大きくあいていた穴が塞がって、元通りの綺麗な部屋へと戻った。
「これでいいのか?」
「うん~、ありがとぉ」
呆れたように問いかける篭也に、為介が扇子を扇ぎながら、満足げな笑顔で頷く。
「あの小泉くん、六騎は?」
「奥の部屋で寝てるよ。大丈夫」
「そうっ…」
少し不安げに問いかけた七架であったが、紺平の答えを聞き、ホッとした様子で笑顔を見せる。
「しっかし、それにしても“始忌”、ですかぁ」
為介が扇子を持っていない方の手で、自らの顎を撫でながら、ゆっくりと前方を見る。
「あんなもの、ただのおとぎ話かと思ってましたよぉ。まさか実現してるなぁんてっ」
「ああ…」
為介の正面に座った恵が、気難しい表情で頷く。
「私も、言い伝えくらいにしか思ってなかった。数百年経った今も存在してるとはな」
『…………』
恵と為介の会話を聞き、皆が真剣な表情となる。
「波城灰示は、その始忌の一人、ということですよね」
「ああ」
為介の横から口を挟む雅に、恵が答える。
「ま、だからこそ、取り憑いた人間の中で実体化なんて真似が、出来たのかも知れないけどな」
「けれど、びっくりしました」
七架が言玉をポケットへとしまい、部屋の隅に腰を下ろす。
「あの人が、高市くんに取り憑いた忌だなんて…」
「転校生くんと違って、イケメンだものね…フフフ…」
「そういう問題ではないだろう」
微笑む囁の横から、篭也が鋭く突っ込みを入れる。
「ぶっはぁ~っ」
『……っ』
部屋中に響き渡る、アヒルの大きな溜息に、皆が会話を止め、振り向く。
「なぁ~んか不幸を掻き集めそうな溜息だねぇ~朝比奈くぅ~ん」
「うっせぇなぁ。こっちにだって、色々と悩みがあんだよっ」
「最近アヒるん…やたらと仲間に裏切られているものね…フフフっ…」
「お前が言うな」
自分のことを棚に上げて、不気味に微笑む囁に、アヒルが冷ややかな視線を送る。
「波城灰示は元々、僕らの仲間ではない。裏切られたうちにも入らないだろう」
「篭也…」
厳しい言葉を投げかける篭也に、囁が注意するように名を呼ぶ。
「奴は忌だ。今まで何事もなかったことの方が、むしろ不思議なくらいなんだ」
「そんな風な言い方…そんなにボコボコにされたのが、気に食わなかったの…?」
「誰がボコボコだ」
からかうように言う囁に、篭也が引きつった表情を見せる。
「けど、その灰示さん…?を何とかしないと、高市くんが戻って来ないままにっ…」
「構わないだろう、別に」
「神月くんが構わなくても、皆、構うのっ」
あっさりと答える篭也に、七架が非難の目を向ける。
「そうだねぇ~仲間が少ないと心もとないよねぇ。由守さんも敵側にいっちゃったようだしぃ」
『……っ』
為介のその言葉に、篭也、囁、七架の三人の表情が、同時に曇る。
「そのことに関しては、済まないと思っている」
「私たちが附いていながら…」
「見す見す、弓さんを、乗っ取られてしまったものね…」
「終わったことを悔いても仕方ないだろう」
「悔いる…?」
俯いた三人へ、恵が強い口調で声を掛ける。恵のその言葉に、敏感に反応するアヒル。
―――後悔するといい…五十音士…―――
「…………」
伍黄の言葉を思い出し、アヒルがそっと目を細める。
「とにかく、今は…」
「町中の忌だな」
『……っ』
部屋へと入って来る声に、話していた皆が、一斉に振り向く。
「徐々にこの町の外にも広がり始めている」
「お、檻也?」
「檻也くん!」
険しい表情を見せながら、固く腕を組み、部屋へと入って来たのは、檻也であった。檻也の横には、空音の姿もある。韻本部から、こちらへとやって来たようだ。部屋へと現れた檻也の姿を見て、篭也は驚きの表情を見せ、紺平は明るく笑みを零した。
「檻也、なんでここに…」
「あ、俺が連絡したんだ」
戸惑う篭也へ、紺平が横から声を掛けた。
「何とか食い止めないと、一気に広がるぞ」
「ああ、わかっている」
檻也の言葉に、冷静な表情で頷く恵。
「本部に行ってたんでしょ~?韻はぁ?どうするってぇ?」
「……っ」
為介の問いかけに、檻也が眉をひそめる。
「韻は動かない」
「えっ…?」
「やっぱりな」
檻也の答えに、篭也が表情を曇らせ、恵が納得しながらも肩を落とす。
「だが、俺たちの行動を制限する気はないらしい」
「ま、でなきゃ、お前はここにいないだろうな」
「これから俺たちは町へ行き、出来る限りの忌を倒して、その拡大を最小限に留める」
檻也がはっきりとした口調で、強く言い放つ。
「紺平、お前は俺に附いて来い」
「へっ?あ、は、はい」
神からの命に、紺平は戸惑いながらも、大人しく頷く。
「出来る限りの忌を倒すたって、お前ら三人だけじゃあっ…」
「そういうことなら、私の団も手を貸すわ」
『へっ?』
また新たに入って来る声に、アヒルたちが一斉に振り返る。
「エ、エリザぁ!?」
「昼振りね、アヒル」
檻也とは別の入口、昼間突き破って入って来た庭の方向から、再びその場へと姿を現したのは、エリザであった。驚くアヒルに、エリザが明るく声を掛ける。
「こんなに神が揃うなんて…」
「確かに珍しいねぇっ」
周囲を見回し、感心したように言う雅の横で、為介が楽しげな笑みを浮かべる。
「第六音“か”、解放っ」
「お、おいっ、篭也?」
素早く立ち上がり、言玉を解放する篭也に、アヒルが焦った様子で声を掛ける。
「油断するな、神。またいきなり、攻撃してくるかも知れない」
「いや、だからって武器構えなくてもっ…」
「確かに、韻からの拘束命令は、まだ継続中よ」
「えっ!?まじ!?」
認めるように言い放つエリザに、アヒルが驚いた様子で聞き返す。
「ええ。由守と安の神、つまり君を拘束するのが、私が韻から受けた新たな命令」
「由守と、神も…?」
エリザの言葉に、篭也が眉をひそめる。
「和音が、そう言ったのか?」
「ええ」
「そう、か…」
「……っ」
俯く篭也を見て、檻也がそっと目を細める。
「けど、もう命令はいいわ。そんなこと、してる場合じゃなさそうだし」
「へっ?」
その言葉に、アヒルが目を丸くする。
「い、いいのかぁ?んなことしたら、お前っ…」
「なんで私が、世界が忌で埋め尽くされるかも知れないって時に、たかが家鴨と追いかけっこしなきゃなんないのよ」
「たかがって、お前…」
相変わらずきつい物言いをするエリザに、思わず引きつった表情を見せるアヒル。
「それはそうと、昼間見たあの由守の子が見当たらないけど…」
『……っ』
そう言って部屋を見回すエリザに、アヒルたちが皆、一気に暗い表情となる。
「残念だが、あいつなら敵の手に落ちた。今は始忌の一匹に、取り憑かれちまってる」
「そう…」
恵の言葉を受け、エリザが険しい表情を見せる。
「やっぱり、追いかけっこしてる場合じゃなさそうね」
エリザが歩を進め、今度はしっかりと靴を脱いで、部屋の中へと上がってくる。
「於団は今三人でしょ?うちの連中、二人ほど貸すわ。自由に使って」
「ああ、恩に着る」
エリザの言葉に、檻也が大きく頷く。
「それから、アヒル」
「あっ?」
不意に名を呼ばれ、アヒルが少し目を丸くして、顔を上げる。
「これ。韻からくすねてきた、波城灰示の言玉の位置」
「灰示のぉ!?」
その言葉に思わず声をあげ、アヒルが、エリザの差し出した紙を、奪うように受け取る。
「君たちが戦い始める前に探知したやつだから、たぶん、連中のアジトよ。この位置」
「アジト…」
「あらあら…探す手間が省けたわね…」
じっくりと紙を見つめるアヒルの横で、囁がそっと笑みを浮かべる。
「お前、結構、無謀なことするなぁ」
「誰かさんのマネよ」
「そうか」
呆れたように言う恵に、エリザが悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「場所も知れたことだし、俺たちが忌を食い止めている間に、その始忌とかいう連中を何とかしろ。安の神」
「何とかって、お前ね…」
偉そうな物言いをする檻也に、アヒルが呆れた表情を見せる。
「何とかするのが、お前の必殺技だと紺平から聞いた」
「んな必殺技があるか!」
真顔で言い放つ檻也に、アヒルが勢いよく怒鳴りあげる。
「けどアヒル、その始忌ってのを何とかしないと、このままじゃ、本当に世界が忌だらけにっ…」
「わかってる。行くのは、行くさ」
エリザの声を遮り、真剣な表情で頷くアヒル。
「けど、その前に一つ、確かめたいことがある」
「確かめたいこと?」
アヒルの言葉に、首を傾げるエリザ。
「先生」
「んあっ?」
不意にアヒルから名を呼ばれ、恵が振り向く。
「何だぁ?トンっ…」
「あいつ、言ってたよな?」
「は?」
「“後悔するといい、五十音士”“自ら生み出した過ちを”って」
「…………」
アヒルのその言葉に、恵の表情が一気に曇る。表情を変えた恵に連鎖するように、為介もそっと眉をひそめた。
「自ら、生み出した…?」
「……っ」
檻也がアヒルの言葉を繰り返し、エリザがそっと眉をひそめる。
「トンビ、お前はどう聞いた?忌と、私たち五十音士のことを」
「へっ?どうって…」
恵に問われ、アヒルが少し考えるように俯く。
「忌を倒す為に、五十音士が存在するって…」
「ああ、そうだ。そう教えた」
アヒルの言葉に同意するように、篭也が大きく頷く。
「僕たちも、そう教わったからな」
「だろうなぁ」
答える篭也を見て、恵が少し肩を落とす。
「じゃあ、おかしくない…?あの忌さんの言葉…」
「ああ」
囁の問いかけに、恵が大きく頷く。
「お前たちがどう教わったかは知らないが、実際、この世界に存在したのは、五十音士の方が先だ」
『えっ…?』
恵の言葉に、皆が一気に戸惑いの表情となる。
「五十音士は忌を倒す為に生まれたはずじゃっ…なのに、五十音士の方が先に存在、した?えっ?」
言葉を続けながら、七架が困惑した表情を見せる。
「僕も初耳ですが…」
「もう、むかぁ~しの連中しか、知らないような話だからねぇ」
眉をひそめ、振り向く雅へ、為介が薄く浮かべた笑みを向ける。
「韻が必死こいて隠したお陰で、今の若い五十音士くんたちはぁ、だぁれも知らないんじゃないかなぁ~」
「韻が、隠した…?」
為介の言葉に、篭也がさらに表情を曇らせる。
「どういうことだよ?恵先生」
アヒルが改めて、恵へと問いかける。
「言っただろう?この世界に存在したのは、五十音士の方が先だって」
「それはわかったって」
もう一度、同じ言葉を繰り返す恵に、アヒルが顔をしかめる。
「だったら、忌は?忌は、どうやって存在するようになったんだよ?」
「…………」
アヒルの問いかけに、恵が鋭く瞳を細める。
「五十音士が、存在したからだ」
「へっ?」
恵の答えに、アヒルが眉をひそめる。
「五十音士の存在が、忌の存在を生んだ…」
どこか遠い瞳で、天井を仰ぐ恵。
「五十音の世界の歪みが、あいつ等、忌という存在を生みだしたんだ」
「五十音の、歪み…?」
恵の言葉に、アヒルは戸惑いの表情を見せた。




