Word.37 始マリノ忌 〈1〉
言ノ葉町。町の小さな何でも屋さん『いどばた』。
「雅くぅ~ん、こっちも板ぁ~」
「あ、はい」
恵に連れて行かれたアヒルたちと別れ、『いどばた』に残った為介と雅は、アヒルとエリザたちの戦闘により、家中の壁にあいた穴の修復作業を行っていた。
「もうそろそろ寒い時期だっていうのに、困っちゃうよねぇ~」
「為介さん…これ本当に全部、自分たちで直すんですか…?」
板などでは塞げそうもない、壁一面の巨大な大穴を見つめ、雅がどこか不安げに問いかける。
「仕方ないじゃなぁ~い?僕も雅くんも、家直せる系の言葉は使えないんだからぁ~」
「神月くんが戻って来るのを待って、“改修”してもらった方が早いのでは?」
「あ、そっかぁ」
雅の言葉に、為介が大きく手を叩き、その表情を明るく輝かせる。
「そうしようっ。じゃ、修復作業やめぇ~」
「…………」
すぐに板を放り出す為介を見て、雅がどこか呆れた表情を見せる。
「君も、もういいよぉ~えぇっとぉ、六騎クン、だっけぇ?」
「えっ?あ、おう」
為介に声をかけられ、庭で飛び散った壁の破片を拾っていた六騎が、その作業を止める。
「なぁ」
「んん~?」
「お姉ちゃん、大丈夫かなぁ?」
不安げな表情で、六騎が為介へと問いかける。五十音士や忌のことは理解していないものの、今の危機的状況については、何となく察しているようであった。
「大丈夫だよぉ~、朝比奈クンはともかく、恵サンが付いてるんだからぁ」
「そうだといいけど」
為介の言葉にも、特に安心することはなく、六騎は浮かぬ表情のまま庭から家の中へと上がり、和室のテーブルのすぐ横に座り込んだ。
「ん~、今時のお子ちゃまっていうのは、気難しいものだねぇ」
「単に、為介さんの適当な言葉が、信用出来ないだけじゃないですか?」
「えぇ!?ショックゥ~」
雅の冷たい言葉に、為介は両手で自らの両頬を挟み込む。
「ですが、妙ですね」
「ん?」
不意に眉をひそめる雅に、為介が首を傾げる。
「何故、彼は忌に取り憑かれなかったのでしょうか?他の奈々瀬さんの家族は取り憑かれていたのに」
七架と共に逃げ、為介の家へとやって来た六騎は今も直、忌に取り憑かれる気配はない。
「やはり以前、忌に襲われたことが何かのきっかけとなって…」
「いいやぁ、理由はもっと単純なものだよ」
「えっ…?」
そっと微笑む為介に、雅が戸惑った表情を見せる。
「単純というのは?」
「彼が忌に取り憑かれないのは、僕らが忌に取り憑かれないのと同じ理由ってことっ」
「……っ」
為介のその言葉に、驚いたように目を見開く雅。
「では、彼も五十音士と?」
「うん~、じきに目醒めるんじゃないかなぁ」
「ですが彼はまだ子供ですよ?」
「君が初めて僕んとこ来たのも、あれくらいの年じゃなかったっけぇ?」
「それは、そうですけどっ…」
過去のことを思い出したのか、雅が少し面白くなさそうに顔をしかめる。
「あんな小さな子供まで、その内、巻き込んでしまうかも知れないなんて…気持ちが暗くなりますね」
「そうだねぇ…」
浮かぬ表情を見せる雅の横で、為介がそっと目を細める。
「本当に必要なのかねぇ…この世界に、五十音士なんてものは…」
「為介さん…」
どこか遠い瞳を見せ、呟く為介を見つめ、雅が少し眉をひそめる。
「ふぅ~っ」
「んん?」
一息つく声が部屋へと入って来て、為介がゆっくりと振り向く。
「小泉君」
「どうだったぁ~?於の神クンと連絡取れたぁ~?」
「あ、はい」
為介の問いかけに、部屋へとやって来た紺平が、少し慌てた様子で頷く。
「でも檻也くん、今忙しいみたいで、詳しいことはまた後で聞くって…」
「忙しい?」
「はい。それが…」
聞き返した為介に、浮かぬ表情を見せる紺平。
「今、韻の本部に居るみたいなんです…檻也くん…」
『……っ』
紺平のその言葉に、為介と雅は驚きの表情を見せた。
その頃、韻本部。
「そうですか。由守の拘束には失敗しましたか」
本部の静かな一室で、どこか厳しい表情を見せるのは、言姫、和音であった。
「ま、まぁ失敗っちゃ失敗だけど、別に失敗ってほどの失敗じゃあっ」
「自分の非は大人しく認めて下さい。見苦しいです、エリザ様」
「うっさいわね!」
失敗という言葉を認めたくない様子のエリザに、隣に附き従った慧が、冷めた視線を送る。為介の屋敷を去った二人は、韻本部に居る和音のもとへと、弓のことを報告するために訪れていた。
「仕方ないでしょ。安団の邪魔が入ったんだからっ」
「安団、ですか…」
エリザの言葉を受け、和音がそっと目を細める。
「あなたがた衣団が、言葉の使えない安の神相手に、あっさりと逃げられるとも考えにくいのですが…」
鋭く微笑んだ和音が、まっすぐにエリザを見つめる。
「誰か、他の者の介入を受けたのでは…?」
「……っ」
和音のその問いかけに、エリザが少し眉をひそめる。
―――目白…恵っ…?―――
―――久し振りだねぇ、エリザベス―――
「いいえ、ちょっと油断しただけよ」
恵のことを思い返しながらも、エリザは恵のことを口にすることはなく、和音に対し、はっきりと答えた。
「そうですか」
「…………」
含んだ笑みで和音が頷く中、慧が少し曇らせた表情でエリザを見つめる。
「では、衣団は引き続き由守と、安の神の拘束を。拘束後すぐに、韻本部へ連行して下さい」
「えっ…?」
和音の言葉に、エリザが戸惑いの表情を見せる。
「アヒっ…安の神、も…?」
「ええ」
ひそめた表情で聞き返すエリザに、和音が何の迷いもなく頷きかける。
「何故…?」
「安の神は由守と共に逃走しているのですよ?共に拘束するのは、当然のことでしょう。何か重大な事実を知っている可能性もあります」
エリザの問いに、すらすらと答える和音。
「ですから、一刻も早く、由守と安の神の拘束を…」
「それよりも、忌に取り憑かれた者たちを助けるのが先じゃないのか?」
『……っ』
部屋へと入って来る声に、和音とエリザが同時に振り向く。
「檻也…空音も」
部屋へ入って来たのは、鋭い表情を見せた檻也であった。檻也のすぐ横には、和音の妹で“曾守”の空音が附き従っている。檻也は早い足取りで、和音の方へと歩み寄って来る。
「エリザ様、あの御方は?」
「於崎檻也。於の神よ」
「ではあの方が、神月様の弟っ…」
エリザから教えてもらい、檻也を見つめ、慧がそっと目を細める。
「いつから韻は、五十音士捕縛部隊になったんだ?忌に取り憑かれた人間を救うことが、俺たちの役目だろう」
「敵の正体が知れぬ内は、早々に動くわけにはいきません」
「ではこのまま、忌に取り憑かれた人間たちを放っておくというのか?」
「そうは言っていません。きちんと対処は行いますわ」
強い口調で問いかける檻也に対し、和音は余裕を感じる、穏やかな笑みを向ける。
「由守と安の神を拘束した後に」
「……っ」
不敵な笑みを浮かべる和音に、檻也が表情を曇らせる。
「行くぞ、空音」
「えっ?」
そう言い放ち、和音へと背を向ける檻也に、すぐ横に立っていた空音が戸惑った声を漏らす。
「どちらへ?」
背を向けた檻也へと、凛とした声を発する和音。
「言ノ葉へ行く。構わないな?」
「ええ。どうぞ、ご勝手に」
「…………」
止める素振りは一切なく、どこか楽しげにさえ見える笑みを浮かべる和音を振り返り見て、檻也はさらに表情を曇らせた。
「お前は、昔から信用ならない奴だが…」
再び和音へと背を向けた檻也が、ゆっくりと口を開く。
「篭也の害となるようなことだけは、しないと思っていた…」
「……っ」
去り際の檻也のその言葉に、ずっと浮かべられていた和音の笑みは、静かに止まった。そのまま振り返ることなく檻也は部屋を去り、空音も続いて部屋を後にする。
「…………」
「言姫?」
「あっ」
何やら考え込むように俯いていた和音が、エリザの呼びかけに、ハッとした表情を見せて顔を上げる。
「あなたがたも行って下さい。わたくしは別の用がありますので、これで失礼いたしますわ」
「えっ?ええ」
和音はエリザへとそう言うと、足早に部屋を後にした。和音の去った扉を見つめ、エリザが少し考え込む表情を見せる。
「エリザ様…」
「言姫を見張ってくれる?慧」
「えっ…?」
思いがけないエリザの言葉に、慧が目を丸くする。
「そ、そのようなことっ…」
「責任はすべて、私が取るわ」
「えっ?あ、じゃあっ…」
「余計なことしたら責任は全部、君持ちよ」
急に表情を緩めた慧に、エリザが鋭く言い放つ。
「エリザ様、言姫様が何か…」
「わからないわ」
戸惑いの表情を向ける慧に、エリザも眉をひそめながら、はっきりと答える。
「ただ、予感がするのよ…」
そう言い放ったエリザは、険しい表情を見せていた。
「波城、灰示…」
「…………」
弓の体を謎の敵・虹乃に乗っ取られ、窮地に追い込まれた篭也たちがその場から立ち去ろうとしたその時、囁の言葉を阻み、その場へと現れたのは、灰示であった。
「波城灰示…」
「誰っ…?」
表情を曇らせる囁の横で、七架は、初めて見る灰示の姿に首を傾げる。
「誰ぇ?あれっ」
「我は知らん」
「何で、あいつがっ…」
大きく首を傾げる桃真と緑呂の横で、虹乃が表情をしかめる。
「どういうことだ…?」
眉をひそめ、まっすぐに灰示を見つめる篭也。
「何故、あなたがここに居る…?」
「何故…?」
灰示が涼しげなその表情を少しも動かさずに、そっと篭也の言葉を繰り返す。
「それもくだらない問いかけだ」
灰示が口角を、少しだけ上げる。
「僕の役目は、君たちに“痛み”を与えること」
「なっ…!?」
両手に数本の真っ赤な針を構える灰示に、篭也が大きく目を見開く。
「ただ、それだけだよ」
「クっ…!」
微笑んで針を投げ放つ灰示に、鎌を構える篭也。
「“刈れ”…!」
篭也が向かってくる数本の針へ向け、赤い一閃を放つ。
「“外れろ”」
「何っ…!?」
灰示の言葉に反応し、空中で大きく曲がって、誰もいない空へと舞い上がっていく篭也の一閃。舞い上がっていく一閃を見上げ、篭也が驚きの表情を見せる。
「“破裂”」
「うっ…!」
篭也の一閃が流れたため、そのまま、防がれることなくやって来た灰示の針が、篭也の目の前で破裂し、小さな無数の針となって、篭也へと降り注ぐ。
「うああああっ…!」
「篭也…!」
「神月くん…!」
小さな針を全身に浴び、後方へと吹き飛ばされていく篭也に、囁と七架が身を乗り出す。
「逃げるのは無理そうね…」
立ち尽くす灰示の姿を見つめ、そっと目を細める囁。
「七架、私が彼等を引きつけておくから…あなたはその間に、傷の治療を…」
「だぁれが引きつけておけるのかしらぁ?」
「なっ…」
七架へと指示を飛ばそうとした囁の後方から、冷たく微笑んだ虹乃が、勢いよく飛びかかって来る。
「さ、“妨げ…!」
「遅ぉ~い!“破”…!」
「うっ…!ああああ!」
囁が言葉で防御膜を張る前に、虹乃が素早く衝撃波を放つと、囁はそれを直撃し、勢いよく吹き飛ばされた。
「囁ちゃんっ…!」
「ねぇ~?こいつ等も捕まえんのぉ?」
「……っ」
囁のもとへと行こうとした七架が、すぐ後ろから聞こえてくる声に振り返る。
「虹乃があの女の体を獲得し、我々はすでに全員、実体化した。最早、器は必要ない」
「じゃっ、殺しちゃっていいってことかぁ」
「クっ…!」
緑呂の言葉を受け、楽しげな笑みを浮かべる桃真に、七架は厳しい表情を作り、薙刀を構える。
「“変格”!」
赤く輝く薙刀が、その姿を巨大な十字架へと変えていく。
「“嘆け”…!」
十字架からそのまま飛び出た、十字型の赤い光が、緑呂と桃真の方へと向かっていく。
「へぇ~、あれが“変格”ってやつかぁ」
「感心しとる場合か」
「わかってるよぉ」
鋭く言い放つ緑呂に余裕の笑みを向け、桃真が向かってくる十字の光へと、右手を向ける。
「“返”」
「えっ…?」
桃真が突き出した右手の指先を軽く捻っただけで、桃真たちへと向かっていた光が、その向きを一変させ、七架へと一直線に戻って来る。
「そんな…あああああっ…!」
避ける間もなく、自らの光を浴びる七架。
「囁…!奈々瀬…!ううぅっ…」
地面に膝をついていた篭也が、桃真たちに圧倒されている二人の姿に、身を乗り出す。だが、急に体を動かしたため、突き刺さった針がさらに体へと食い込み、篭也は大きくその表情を歪めた。
「苦しいかい?」
「……っ」
聞こえてくる問いかけに、そっと顔を上げる篭也。
「それが、“痛み”だよ…」
「クっ…」
微笑む灰示に、篭也が強く唇を噛み締める。
「か…」
篭也が膝をついたまま、大きく口を開く。
「“鎌鼬”…!」
持っていた鎌を勢いよく灰示へと投げ放ち、大声で言葉を叫ぶ篭也。鎌は、灰示へと向かっていく間に、その姿を風の塊へと変え、徐々に勢力を増して、灰示へと襲いかかった。
「……“弾け”」
灰示が小さく言葉を落とし、一本の針を投げると、風の塊がその小さな針にあっさりと弾かれ、篭也のもとへと返って来る。
「クっ…!“変われ”!」
険しい表情を見せた篭也が、戻って来る風へと右手を突き出し、言葉を放って、風をもとの鎌の姿とし、持ち手の部分の強く握り締める。
「“駆けろ”…!」
鎌を構え、言葉を使って、篭也が勢いよく灰示のもとへと駆けこんでいく。
「……っ」
向かってくる篭也を見つめ、そっと微笑むと、灰示は右手の数本の針を合体させ、一本の大きな針を作り出した。
『……っ!』
篭也の鎌と灰示の針が、強くぶつかり合う。
「何故だっ…」
目の前に立つ灰示へと、問いかけを向ける篭也。
「僕たちの味方のような振る舞いをしておいてっ…今になって何故…!」
「味方の振る舞いをした覚えなんて、一度もないよ」
「何っ…?」
灰示の言葉に、篭也が眉をひそめる。
「僕はただ、“痛み”を生み出す人間を排除しただけ…」
「……っ」
微笑む灰示に、さらに表情を曇らせる篭也。
「所詮は忌かっ…!」
「そう、僕は忌…」
顔をしかめた篭也に、灰示は肯定するように大きく微笑む。
「“痛み”より生ずる…人とは異なる存在…」
灰示が笑みを止め、目を細める。
「“挟め”」
「あっ…!」
灰示と向き合っていた篭也の両側から、挟み込むように、無数の針が飛んで来る。
「うううぅ…!」
すべての針が篭也へと命中し、篭也の真っ赤な血が、辺りに飛び散った。
「ううぅっ…」
「それが“痛み”…」
両膝を地面につき、前方に蹲る篭也を見下ろして、灰示が静かに声を掛ける。
「もっと、“痛み”を…」
「グっ…!」
新たな針を構える灰示に、篭也は一層険しい表情となって、唇を噛んだ。
「……っ」
「ん…?」
「あっ…」
針を投げようとした灰示の右手を、横から伸びてきた別の手が、力強く止める。止められる右手に、灰示は少し眉をひそめ、篭也は目を見開く。
「神…」
「…………」
灰示の手を強く掴み、その場へと姿を現したのは、厳しい表情を見せたアヒルであった。
「やぁ」
アヒルを見つめ、薄く笑みを浮かべる灰示。
「久し振りだね、安の神様…」
「灰示…」
微笑む灰示へと、アヒルは鋭い視線を向けた。




