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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.36 窮地 〈2〉

 言ノ葉町の隣町、矢文やぶみ町。

「ここは?」

 エリザたちから何とか逃れたアヒルたちは、恵の誘導により、矢文町のとあるマンションの一室へとやって来た。部屋を見回しながら、アヒルが前を行く恵へと問いかける。

「私ん家だ」

「えっ!?恵先生ん家!?」

 恵の言葉に、大きく目を見開くアヒル。

「おっきい家…」

「教師って、意外と儲かるのね…フフ…」

 アヒルの後から部屋へと入る囁と七架も、感心するように広い、その部屋を見回す。

「恵先生ん家のわりには、結構キレっ…」

「ああんっ?」

「いえ、何でもありません」

 よく整頓された室内を見つめ、感心するように言葉を発しようとしたアヒルであったが、勢いよく振り返る恵に、言葉の続きを呑み込んだ。

「ここなら、しばらくは韻にも見つからないだろう。まぁ、ゆっくりしていけ」

 恵がそう言って、アヒルや皆を、広いリビングへと通す。

「お前も」

「あ、はい…ありがとうございます…」

 アヒルたちの後ろを、少し距離を取るようにして歩いていた弓へと、恵はどこか気遣うように声を掛けた。そんな恵に、弓が薄く笑みを浮かべる。

「けど、大丈夫かな…?井戸端さんの家に、六騎置いてきちゃった…」

「為の神たちが一緒なら、きっと大丈夫よ…問題ないわ…」

「そう、だよね」

 不安げに呟く七架へ、励ますように囁が声を掛ける。

「この町の人間は、特に忌に取り憑かれている様子はないな」

 部屋の大窓から、外の様子を眺め、楽しげに会話をしながら道行く人々を観察し、篭也がどこか分析するように呟く。

「ああ。他の町にも、異変はない。言ノ葉町だけ、町中の人間に忌が取り憑いてるようだな」

 部屋の中央にあるソファーにもたれかかり、一気に寛いだ様子となった恵が、篭也の言葉に答える。

「何故、言ノ葉町だけが…?」

「さぁな。お前らが居るからってのが、理由じゃねぇーか?」

 ソファーの前にあるテーブルの横に、小さく座り込み、囁が問いかけると、恵は素っ気ない答えを返した。

「私たちのせいで…お母さんや想子ちゃんたちが…」

 囁の横に座る七架が俯き、どこか暗い表情を見せる。

「あれ…?」

 俯いていた七架がふと顔を上げ、ソファーのすぐ横にある小さな物置台へと視線を移した。物置台の上には、写真立てが一つ、大事そうに飾られている。

「これって…」

 写真に写っているのは、優しそうに微笑んでいる青年。

「この人…どこかで…」

「……っ」

「あっ」

 どこか見覚えのある、その写真の青年を、七架がまじまじと見つめていると、ソファーから起き上がった恵が、勢いよくその写真立てを伏せた。

「人のもの、勝手に見るんじゃないよ」

「す、すみませんっ」

 威圧するように重い雰囲気を醸し出して、言い放つ恵に、七架は大きく頭を下げた。

「けっど恵先生、ゆっくり休んでる場合じゃなくねぇか?このままじゃ言ノ葉町のみんながっ…」

「忌に取り憑かれた町人たちの狙いは、あくまで五十音士。互いを傷つける様子は見受けられなかった」

「つまり、五十音士が身を守れば、問題はないということか」

「ああ、そうだ」

 恵が言おうとしたことを先に口にする篭也に、恵が大きく頷きかける。

「だからといって、このままにしておくわけにもいかないのでは…?」

「ああ、それくらいはわかっている」

 問いかける囁に、恵は当然のように答える。

「だから、こっちで元凶を叩く。そうすれば、町人に取り憑いてる忌も消えるはずだ」

「元凶を、叩く…?」

 恵のその言葉に、大きく首を傾げるアヒル。

「だが、僕たちは何一つ、敵の情報を得ていないのだぞ?」

 同じく眉をひそめた篭也が、鋭く恵へと問いかける。

「唯一の情報源と見られていた、その由守も、敵に関する情報は何一つ持ってはいなかったしな」

「…………」

 篭也の言葉に、弓がどこか申し訳なさそうに俯く。

「篭也」

「少しは気を遣ってよ、神月くん」

「何がだ?」

 責めるように振り向く囁と七架に、篭也がまったくわかっていない様子で問いかけた。

「まぁ仕方ねぇじゃねぇか。知らねぇもんは知らねぇんだしっ」

「安の神…」

「んあ?」

 篭也へとフォローを入れていたアヒルが、弓に呼ばれ、振り返る。

「申し訳、ありませんでした…」

「へっ?」

 深々と頭を下げる弓に、戸惑うように目を丸くするアヒル。

「いや、だから、何もわかんねぇのは、別にお前のせいじゃっ…」

「いえ、そうではなくて…」

 アヒルの言葉を遮り、弓がゆっくりと顔を上げる。

「私のせいで、安の神や安団の皆様まで…韻や衣団と敵対する羽目になってしまって…」

「ああぁ~、そんなことか」

「えっ?」

 軽い口調で返って来る声に、弓が戸惑うように声を発する。

「気にすんなって。俺がやりたいように、好き勝手やっただけなんだからっ」

「ですが、関係のない安の神たちをこんな…」

「俺たちの仲間も一人、行方不明になってる。全然関係ないってわけじゃねぇさ」

「行方不明の奴など、居たか?」

「神月くん…」

 わざとらしく周囲を見回す篭也に、七架が呆れた表情を見せる。

「それにお前、さっきエリザの攻撃から、俺のこと助けてくれただろ?」

「えっ…?」

 アヒルが大きな笑みを、弓へと向ける。

「だから今度は、俺がお前を助ける番だ」

「安の神…」

 その大きな微笑みに、ずっと不安げであった弓の表情からも、小さな笑みが零れ落ちた。

「話の続き、していいか?」

「おうっ」

 割って入って来る恵の声に、アヒルが大きく頷く。

「敵の正体が何なのかってのまではわかんなかったが、敵の現れそうな場所なら一つ、見当がついている」

「敵の現れそうな場所…?」

「どういうことだ?」

 囁と篭也が、次々と恵へ問いかける。

「エリザベスから聞いたろう?元五十音士が数人、失踪してるって」

「ああ」

「その現場で也守さんと与守さんが目撃されたから、弓さんは拘束されそうになったんですよね」

「……っ」

 七架の言葉に、弓の表情が再び曇る。

「そうだ。そしてこれが、失踪した元五十音士の詳細だ」

『……っ』

 恵が乱雑にテーブルの上へと放り投げた書類に、皆が一斉に視線を注ぐ。

『なっ…!?』

 次の瞬間、皆の顔が同時に、驚きの表情へと変わった。

「こいつらは、昨日のっ…!」

 書類に記載された顔写真に写っているのは、昨日、弓を襲っていたあの二人組、萌芽ホウガ碧鎖ヘキサの両者であった。

「この人たちは…昨日、私を襲ってきた…」

「どういうことだ?あの者たちが元五十音士…?」

「何故、失踪した元五十音士が、由守を…」

 その写真を見つめ、皆が戸惑いの表情を見せる。

「けれど、彼等の名前…昨日、彼等が呼び合っていたものとは、違うように思えるわ…」

「あ、確かに」

 囁の言葉に、アヒルが大きく頷く。

「あなたが敵の名を記憶しているはずがないだろう」

「何となくの感覚で、違うってことくらいはわかんだよ!」

 鋭い指摘を入れる篭也に、アヒルがどこかムキになって言い返す。

「まぁそりゃ違うだろう。昨日、お前らを襲ってきた奴等と、そいつらは、まったくの別人だからな」

「はぁっ?」

 恵の言葉を聞き、アヒルが思いきり顔をしかめる。

「まったくの別人?どう見たって、同じ奴だぜぇ」

 書類を持ちあげ、まじまじと写真を見つめるアヒル。

「ハっ!まさかこれが所謂、ドッペルペルガーってやつかっ!?」

「ドッペルゲンガーよ…アヒるん…フフ…」

「そんなはずがないだろう」

 思いついた様子で勢いよく叫ぶアヒルに、囁が微笑みながら訂正を入れ、篭也が呆れきった表情で肩を落とす。

「つまり、昨日現れたこの者たちは、この者たちであって、この者たちではなかったというわけだな」

「この者たちであって、この者たちでないぃ~?」

 篭也の言葉を繰り返し、さらに混乱した様子となるアヒル。

「お前、頭大丈夫か?篭也」

「あなたにだけは言われたくない」

 心配するように問いかけるアヒルに、篭也が冷たい視線を送る。

「要は、昨日現れたこいつ等の中に、こいつ等とは別の何かが入り込んでたってわけさ」

「入り込んでた?」

 補足するように口を挟む恵に、アヒルが首を傾げる。

「奴等が忌に酷似した技を使っていたことは、お前たちも確認済みだろう?」

「あ、ああっ…」

「也守と与守が襲われたのは、謎の黒い影だったな?」

「はい…」

「これらと、元五十音士失踪の現場に、也守と与守が居たことを考慮すれば、こう考えられる」

 恵が鋭い表情で、アヒルたちを見る。

「敵は五十音士の体を乗っ取る能力を有し、その体と力を得るため、次々と五十音士を襲っている」

『……っ』

 恵のその言葉を聞き、皆が表情に衝撃を走らせた。

「乗っ取るって…」

 恵の言葉を繰り返し、アヒルが険しい表情を見せる。

「じゃあ昨日の人たちはすでに、敵に乗っ取られた状態だったということですか?」

「ああ」

「その敵は、忌と…?」

「それはまだ、言い切れない。ただの忌じゃ人間、ましてや五十音士の体を乗っ取るなんて芸当、到底無理だからな」

 囁の問いかけに、恵が首を横に振る。

「力を持った特別な忌、とでも考えた方がいいのか…まぁ、どちらにせよ、曖昧だな」

「特別な、忌…」

 アヒルが何やら考え込むように、そっと俯く。

「じゃあ昨日、弓が襲われたのは…」

「こいつも捕まえて、体を乗っ取ろうって魂胆だったんじゃねぇか」

「五十音士が狙いだから、やたら五十音士の存在する言ノ葉町が忌化されたのか…」

 考え込むように俯き、篭也が厳しい表情を作る。

「では、刃と鎧はっ…」

「すでに敵の手に落ちたと考えるべきだろう」

「そんなっ…」

 突き付けられる厳しい現実に、弓の表情が曇る。

「だが敵が忌、もしくは忌に似た存在であるならば、乗っ取られた五十音士たちの体内から追い出すことも可能なはずだ」

 俯いた弓へと、篭也が声を掛けるように言い放つ。

「ああ、その通り。別に死んだわけじゃないんだ。気を落としている場合じゃないぞ」

「は、はい」

 励ますような恵の言葉に、弓が自分に言い聞かせるように、大きく頷く。

「で…?その、見当がついている、敵の現れそうな場所というのは…?」

「ああ、これだ」

『……?』

 頷いた恵が再びテーブルへ、別の書類を置く。それは他の書類と同じ、五十音士の詳細書類で、記載された顔写真には、一人の女性が写っていた。

「この女は?」

「元五十音士の一人だ」

 問いかける篭也に、恵が答える。

「昨夜、こいつから韻本部へ、緊急救助要請があった」

「緊急救助要請…?」

「ああ」

 首を傾げる弓へと、頷きかける恵。

「“忌みたいな技を使う、謎の連中に追われているから、助けて欲しい”とな」

『……っ』

 恵のその言葉に、皆の表情が一斉に変わる。

「それって、弓を襲ってきた奴等じゃあっ…!」

「可能性は高い」

「じゃあ…この女性を彼らより先に見つけて、待ち伏せすれば、必然的に会えるってことね…」

「だが、そう簡単にはいかないだろう。探すといったって、それこそ情報が何もっ…」

「それなら、大丈夫だ」

 恵が新しい紙をもう一枚、テーブルへと差し出す。

「韻本部が調べた、現在、この女が居ると思われる場所だ」

「なっ…」

 詳細に記してある位置に、篭也が驚きの表情を見せる。

「こんな内部の情報、どうやって…」

「本部に、ちょっとした知り合いがいてね」

「呆れたものだな…」

 含んだ笑みを見せる恵に、篭也は強く眉をひそめた。

「まぁいい。神」

「ああ」

 振り向く篭也に、アヒルが大きく頷く。

「とにかく、今からすぐこの場所へ行って、あいつ等捕まえて、弓の仲間と言ノ葉の皆を助けっ…!」

「に、行って来い。トンビ以外でな」

「おう!そうだ!俺以外でってっ…なんで!?っつーか、俺はトンビじゃなくて、アヒルだし!」

 予想外の恵の言葉に、勢いよく突っ込みを入れるアヒル。

「なんでだよ?恵先生、俺も一緒に行っ…」

「阿呆」

「痛ってぇ!」

 振り向いたアヒルの額へと、恵がチョークをぶつけた。

「言葉の使えない奴が一緒に居て、どんだけ仲間に負担がかかるか、もう十分にわかっただろう」

「うっ…」

 恵の鋭い指摘に、思わず口ごもるアヒル。確かに、アヒルが言葉を使えないために、安団の皆を始め、雅や弓にまで迷惑を掛けた。

「そりゃわかるけどっ…だからって、俺だけ大人しく留守番なんてっ…」

「誰が大人しく留守番していろと言った」

「へっ?」

 すぐさま否定する恵に、アヒルが目を丸くする。

「お前は私と一緒に来い」

 恵が強く光る瞳を、アヒルへと向ける。

「居眠りしてるお前の力、私が叩き起こしてやる」

「……っ」

 力強い恵の言葉に、アヒルが大きく目を見開く。

「も、戻んのか!?俺の力!」

「戻すんだよ。まっ、私に任せろ」

「おう!」

 微笑む恵に、アヒルも嬉しそうに笑って、大きな声を発する。

「相変わらず、あの女教師の言葉を、あっさりと信じるものだな」

「まぁいいじゃない…?神試験の時だって、本当に熟語イディオムまで使えるようにしてきたわけだし…フフフ…」

 顔をしかめる篭也に、囁がそっと微笑みかける。

「と、いうわけだ。お前たちは、今すぐこの場所へ向かえ。力が戻り次第、こいつもすぐに向かわせる」

「ああ」

 恵から、女性の位置の記された紙を受け取る篭也。

「俺が行くまで、頼んだぜ?篭也っ」

「あなたが来る前に、すべて終わらせるさ」

 声を掛けるアヒルに、篭也が強気に答える。

「あの、わ、私は…?」

「お前も神月たちと一緒に行け。仲間を自分の手で助けて来い」

「は、はい!」

 勇気づけるような恵の言葉に、弓は決意した表情で、大きく頷いた。

「すぐに向かうぞ。囁」

「ええ…」

 篭也に声を掛けられ、囁が言玉を横笛の姿へと変えて、口に当てる。

「敵が、お前たちの体を乗っ取ろうとしてくる可能性もある。油断はするな」

「気を付けてな!」

「ああ」

「朝比奈くんも、頑張ってね」

「行くわよ…?」

 皆が言葉を交わす中、囁がゆっくりと口を開く。

「“さらえ”…」

『……っ』

 囁が言葉を発すると、強い赤色の光が篭也たちを包み込み、次の瞬間、赤い光が飛び散ると、すでにそこに、篭也たちの姿はなかった。

「頼んだぜ…みんな…」

 皆の居た場所を見つめ、アヒルが祈るように呟く。

「私たちもすぐに行くぞ」

「ああっ」

「付いて来い、トンビ」

「だから俺はアヒルだっての!」

 あれこれともめながらも、アヒルは恵とともに、恵の部屋を後にした。


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