Word.36 窮地 〈1〉
―――障害と成り得る、安団の排除を行うわ―――
韻の命により、“由守”弓削弓を韻へと引き渡すため、再びアヒルの前に現れた、“衣の神”エリザ。弓を渡すことを拒んだアヒルに対し、エリザと衣団は、戦意を示した。
『…………』
「こいつらが衣団…」
エリザの両側に立ち並んだ、慧と他の、タイプは異なるが、皆、美しい三人の女性を見つめ、アヒルがそっと目を細める。
「女の子ばっかり…」
「衣団は五団の中で唯一、女性のみで構成された団となっている」
「へぇ~」
驚いたように呟く七架に答えるように、篭也が解説をすると、アヒルは感心の声を漏らした。
「ウハウハだな…」
顎を右手で押さえ、思わず思ったことを口にしてしまうアヒル。
「アヒるん…?」
「ごめんね…朝比奈くん…ウハウハじゃなくって…」
「へっ!?あ、いや!別に羨ましいとか、そう言った意味で言ったわけじゃなくってだなぁっ…!」
冷たく睨みつける囁と、ひどく落ち込む七架に気付き、アヒルが必死に弁解しようと言葉を繋ぐ。
「容赦する必要はないわ。思いっきりやりなさい」
『はっ』
エリザの言葉に、慧たちが声を揃える。
「“計守”慧左衛門子、参ります!」
勢いよく叫んだ慧の髪が、淡い緑色の光を放ちながら、空中へと広がっていく。
「“消し飛べ”!」
『……っ!』
振り乱れる髪先から飛んで来る緑色の光の塊に、内輪もめしていた安団の面々が、一気に険しい表情となる。
「“掻き消せ”…!」
皆の前へと出て鎌を振り切り、慧の向けてきた光を消し去る篭也。
「お相手願えますか?神月様」
「臨むところだ」
微笑む慧に、篭也が力強く答える。
「“削れ”!」
「“刈れ”!」
二人が一斉に庭の上空へと飛び上がり、鎌と鋭く尖った毛束を交わらせる。
「お、おい!篭也!まじでやる気じゃっ…!」
『お初にお目にかかりますわ、安の神』
「へっ?」
本気で慧と戦おうとしている篭也を止めようと、上空へ声を張り上げていたアヒルが、前方から聞こえてくる重なり合った上品な声に、目を丸くして、顔を下げた。
「衣団、“世守”の誠子と申しますわ」
「同じく衣団、“天守”の徹子と申しますわ」
エリザより数歩前へと出て、アヒルに丁寧な挨拶をするのは、茶色の巻き髪に、大きな茶色の瞳をした、容姿のまったく同じ、二人の若い女性であった。アヒルより少し年上くらいであろうか。まったく同じデザインで、色はまったく異なる白と黒の、フリルが可愛らしい洋服を着ている。
「双子…?」
「ええ、そう」
「私たち、ツインなのですわ」
少し眉をひそめたアヒルに、誠子と徹子は気品ある微笑みで、大きく頷いた。
『お相手願いますわ、安の神』
「あっ」
誠子と徹子が、フリルの服のポケットから取り出した緑色の言玉を、対称に同じ動きをして、左右それぞれの手へと吸収する。
「五十音、第十四音“せ”…」
「第十九音“て”…」
言玉を吸収した二人の手が、緑色の光を放つ。
『解放っ』
涼やかな二人の声が重なる。
「“正拳”っ」
「“鉄拳”っ」
二人の言葉により、拳の輝きがさらに増す。
「あれはっ…」
―――“凹め”ぇぇ!―――
二人の輝く拳は、かつてアヒルが戦った“部守”の兵吾が見せたものと、よく似ていた。エ段の言玉の能力は、身体強化。輝く拳は強化されており、一度でも喰らえば、相当のダメージを受ける。
『ツイン突き!』
「やべっ…!」
輝く拳を突き付けてくる誠子と徹子に、アヒルが焦ったように顔を引きつる。
「“妨げろ”…!」
『……っ』
アヒルの前へと飛び出た囁が、横笛を奏で、前方に赤い光の膜を張って、二人の拳を受け止める。
「囁っ」
「下がっていて…アヒるん…」
真剣な表情で、囁が振り返ることなく、アヒルに言う。
「私たちの拳を止めるなんて、やりますわねぇ」
「ええ。でも、私たちの力をこんなものと思わないでいただきたいわ」
「えっ…?」
余裕で微笑む誠子と徹子に、囁がそっと眉をひそめる。
「“攻めろ”」
「なっ…!ううぅ…!」
誠子が言葉を呟いた途端、二人の拳に宿る光がさらに強まり、囁の防御が一気に押され始める。
「囁…!」
苦しげに表情を歪める囁に、思わず身を乗り出すアヒル。
「クッソ…!何とか俺が言葉をっ…!」
「弓さんをお願い!朝比奈くん!」
「へっ?」
自分の言玉を取り出そうとしたアヒルが、背後から聞こえてくる七架の声に振り返る。
「奈々っ…」
「“薙ぎ払え”!」
「どわあああ!」
振り返った途端、その先から飛んで来る赤色の一閃に、アヒルが叫び声をあげながら、大きく背中を曲げ、何とか必死にその一閃を避ける。アヒルが避けた一閃は、囁を押していた誠子と徹子へ、まっすぐに向かっていった。
「徹子」
「ええ、誠子お姉さま」
二人は頷き合うようにして上空へと飛び上がり、やって来た一閃を避ける。
「ふぅ…」
「大丈夫?」
誠子たちの攻撃が消え、一つ息をついた囁のもとへと、七架が駆け寄っていく。
「私も一緒に戦うよ」
囁へと、大きな笑顔を向ける七架。
「“囁ちゃん”っ」
「……っ」
呼ばれる名に、囁が少し驚いたように目を開いた。だがすぐに、その表情には笑みが浮かぶ。
「ええ、お願いするわ…“七架”」
笑ってそう呼ぶ囁に、七架もより一層、嬉しそうに微笑んだ。
「あの二人、結構やりますわね。誠子お姉さま」
「ええ。こちらも手加減なしでいきますわよ、徹子」
『……っ』
再び拳を構える二人に、囁と七架は鋭い表情で、それぞれの武器を振り上げた。
「んん~…」
一方、七架から託された弓とともに、戦う皆から離れた場所で待機するアヒル。
「何か俺…出る幕なし…?」
アヒルが力を失っている状況でも、衣団と見劣りすることなく戦いを繰り広げる仲間たちに、アヒルが少し寂しさを覚える。
「ガァっ」
そんなアヒルのもとへ、部屋の隅に居た紺平が駆け寄っていく。
「ガァ、大丈っ…」
「…………」
「あっ」
アヒルのもとへ行こうとした紺平の前に立ちはだかる、十三、四歳の着物姿の少女。肩程まで伸びたまっすぐな黒髪に、深い黒色の瞳が印象的である。
「君はっ…」
「五十音、第二十四音“ね”…」
「あっ…!」
少女が懐から、緑色の言玉を取り出すと、紺平は思わず身構えた。
「言葉をっ…!」
「解放…」
「えっ…!?」
そう言って少女は、取り出した言玉を、自らのその大きな瞳へと吸収させる。目の中へと入り込んでいく言玉に、驚いた紺平は、言玉を出そうとするその動きを止めてしまった。
「目に言玉を…?」
「ね…」
右の瞳を緑色に輝かせた少女が、まっすぐに紺平を見つめる。
「“眠れ”…」
「なっ…!んっ…」
「紺平っ!?」
急にその場で倒れ込む紺平に、アヒルが焦ったように身を乗り出す。
「ねの言葉ってことは…」
「音音は“禰守”…」
振り向いたアヒルに答えるように、音音が小さな声を落とす。
「お前も夢の中へ誘ってやろう…」
「クっ…!」
鋭く光る瞳を向けられ、アヒルの額から汗が流れた。
「“満ちれ”」
「……っ」
アヒルへと言葉を向けようとした音音が、横から飛んで来る大波に気付き、上空へと飛び上がって、それを避ける。
「雅さん!」
眼鏡を指で押し上げながら、音音の方へと歩み寄っていくのは雅。
「高市君がいない分、禰守さんの相手は僕がしましょう」
「美守も味方か…」
庭へと降りた音音が、やって来る雅を見つめ、そっと眉をひそめた。
「みんな…」
「五十音、第四音…」
「へっ?」
衣団と戦いを繰り広げる仲間たちを見つめ、困ったように瞳を細めたアヒルが、前方から聞こえてくる声に気付き、顔を下げる。そこには他の四人と同じく、緑色の言玉を持ったエリザが立っていた。
「エリザ」
「“え”、解放」
言葉を解放したエリザが、言玉を細長く美しい、自らの右足へと吸収させる。
「え…」
淡い緑色の光を放つ右足を、高々と振り上げるエリザ。
「“抉れ”…!」
「うっ…!」
振り下ろされたエリザの右足が、強く地面を砕き、その地割れが駆けるようにして、一気にアヒルのもとまで迫って来る。
「やばっ…!」
「“往け”!」
「うおっ!」
目前まで迫る地割れに、焦った表情を見せていたアヒルが、横へと強く押し飛ばされた。押されたアヒルがそのまま、縁側から庭先へと転がり落ちる。
「痛ててて…」
「はぁ…はぁ…」
「お前っ…」
アヒルを突き飛ばし、アヒルとともに庭先へと落ちたのは、弓であった。病み上がりで言葉を使ったせいか、少し息を乱している弓を見て、アヒルがそっと目を細める。
「悪い」
「いえ…」
アヒルの言葉に、弓は軽く首を横に振った。
「君が今、言葉を使えないことは知っているわ」
聞こえてくるエリザの声に、アヒルが振り向く。
「守るべき彼女に守ってもらわねば、私の言葉一つかわせないような状況で、よく韻に逆らおうなんて気が起こったものね」
鋭く冷たい視線を、アヒルへと向けるエリザ。
「無駄な抵抗はやめて、大人しく彼女を引き渡しなさい。アヒル」
「……っ」
突き付けられるエリザの言葉に、険しい表情を見せるアヒル。
「断る」
「君ねぇ、今の状況が理解出来てないわけ?」
あっさりと拒否するアヒルに、エリザがまたしても呆れたように肩を落としながら、言葉を続ける。
「今の、言葉も使えない君じゃ、どう足掻いたって私たちにはっ…」
「言葉が使えなくたって、俺は、俺の発した言葉には責任を持つ」
転がり落ちた庭先で起き上がりながら、アヒルが堂々と言い放つ。
「俺は、こいつの言葉を信じる」
自らの発した言葉を、もう一度、繰り返すアヒル。
「韻に引き渡す気はねぇ!」
「…………」
声を張り上げるアヒルのその言葉を受け止め、あからさまに顔をしかめるエリザ。
「そう…なら私はっ…」
エリザが強く、アヒルを睨みつける。
「君を排除するまでよ…!」
「クっ…!」
再び高々と右足を振り上げるエリザに、アヒルは険しい表情で唇を噛む。
「“抉れ”…!」
言葉とともに、勢いよく振り下ろされるエリザの右足。
「……っ」
「なっ…!?」
「えっ…?」
地面へと降りようとしたエリザの右足が、横から伸びてきた別の足により、止められる。止められた足と止めたその人物に、アヒルとエリザはそれぞれ、驚きの表情を見せた。
「エリザ様の足を、止めたっ…?」
「あれは…」
戦闘を続けていた篭也と慧も、一時腕を止め、その光景に眉をひそめる。
「貴女はっ…」
すぐ傍に立つその人物を見つめ、険しい表情を作るエリザ。
「目白…恵っ…」
「久し振りだねぇ、エリザベス」
颯爽とその場に現れ、その足でエリザの足を止めたのは、恵であった。名を呼ぶエリザを見て、恵が不敵な笑みを浮かべる。
「恵、先生…?」
久々に見る恵の姿に、アヒルも戸惑った様子を見せる。
「何故、貴女がこんなところにっ…」
「悪いね。けど」
戸惑うエリザに、恵がそっと微笑みかける。
「これ以上、韻の好きにさせるわけにもいかないんだよ」
「あっ…!」
エリザの足を止めていた恵の右足が、強い緑色の光を放ち始めると、エリザは大きく目を見開く。
「待っ…!」
「“巡れ”」
「うっ…!」
止められていた右足を振り上げ、次の行動を起こそうとするエリザであったが、エリザが何かをする前に恵の言葉は落ち、強い緑色の光が、辺りに一気に広がった。
「……っ」
光が収まり、エリザが思わず伏せてしまった瞳を開くと、目の前に立っていたはずの恵の姿も、アヒルや弓の姿もなくなっていた。
「消えた…?」
「これは…」
先程まで戦っていたはずの篭也、囁、七架の姿もなくなっており、慧や誠子たちが皆、戸惑った表情を見せる。
「…………」
振り上げていた足から言玉を取り出し、足を下ろして、ゆっくりと空を見上げるエリザ。
「何故、今になって…」
エリザが戸惑う声を、空へと放つ。
「“恵の神”…」
「エリザ様!」
「……っ」
空を見つめ、考えを巡らせていたエリザが、駆け寄って来る慧の声に気付き、ゆっくりと振り返る。
「申し訳ありません!安団の加守他二名、逃がしてしまいました!」
「私だって逃がしまくったのよ?君たちだけを責めたりしないわ」
深く頭を下げる慧へ、エリザが肩を落としながら声を掛けた。
「あ、それもそうですねぇ!むしろ、エリザ様のせいでみんな、逃げられてしまったということですか!」
「なんで、そうなるのよ!」
明るく微笑む慧に、エリザが思わず怒鳴りあげる。
「あぁ~あ、僕のお家がこぉんなボロボロにぃ…」
「為の神」
「へぇ~?」
すっかり破壊されてしまった家を見回し、がっくりと肩を落としていた為介が、エリザの声に振り返る。
「貴方を、安の神の仲間とみなし、取り調べをっ…」
「あぁ~!こんな、わけもわからない戦闘に急に巻き込まれて、めっちゃ怖かったねぇ~!雅くぅ~ん!」
「はっ…?」
急に、そう黄色くもない声をあげる為介に、エリザが勢いよく顔をしかめる。
「まさか、たまたま助けた女の子が由守だったなんてぇ、超驚きだよぉ~あんな子庇うとか、朝比奈クンてば何考えてんだろぉ~?」
「為介さん…」
妙にキャピキャピと言葉を続ける為介を見て、雅があからさまに不快な顔を見せる。
「あくまで、自分たちは関与していないと主張するつもり…?」
「そうだねぇ~。まっ、僕たちが関与したって証拠があるんなら、別だけどぉ?」
「……っ」
鋭く微笑む為介に、エリザがそっと眉をひそめる。為介が関与していたことは、見るよりも明らかだが、取り調べを行えるほどの証拠を、エリザは持ってはいなかった。
「まぁいいわ」
エリザが諦めたように、肩を落とす。
「安の神や由守が戻って来る可能性もある。この屋敷は見張らせてもらうわよ」
「勝手にどうぞぉ~」
為介が扇子を振りながら、適当な返事をする。
「音音、屋敷を見張って」
「わかった…」
「誠子と徹子は、周辺の捜索を。町は忌だらけらしいから、気を付けるのよ」
『わかりましたわ』
エリザの言葉に、衣団の面々が素直に頷き、それぞれの役目をこなすべく、場所を移動していく。
「それにしても、誠子お姉さま」
「なぁに?徹子」
周辺の捜索に当たるため、庭から外へ出る通用口のところへと移動しながら、徹子が誠子へと声を掛ける。
「あの安の神、どこかの忌々しい双子に、雰囲気が似ていると思わなくて?」
「それは私も思ったわ、徹子」
徹子の言葉に、誠子が大きく頷く。
「あの顔立ちに、あのバカ極まりない言動…忌々しい“宇団”の双子にそっくりでしたわ」
「やっぱり、そうですわよねぇ」
大きく頷き合いながら、誠子と徹子は、通用口から、屋敷の外へと出て行った。
「“巡れ”の言葉を使われたんじゃ…捜索しても、見つかる確率は低いわね…」
誠子たちが出て行き、再び閉まった通用口の戸を見つめ、エリザが険しい表情を見せる。
「エリザ様」
「ん?」
呼ぶ慧の声に、振り向くエリザ。
「本当にこれで、よろしかったのですか…?」
慧が少し遠慮がちに、エリザへと問いかける。
「いくら韻の命とはいえ、大恩ある朝比奈さまに敵対するなど…」
「……っ」
慧のその言葉に、エリザがそっと目を細める。
「いっくら頑固で高慢ちきのエリザ様でも、ちょっとやり過ぎってものでは…」
「うっさいわね!誰が高慢ちきよ!」
小言のように言う慧に、勢いよく怒鳴りあげるエリザ。
「韻の命令には従うのが、五十音士ってもんでしょうがっ」
「しかし…」
慧がさらに眉をひそめ、小さく口を開く。
「あの由守…本当に、拘束されるようなことをしたのでしょうか…?」
戸惑いの表情を見せる慧。
「朝比奈さまがあそこまで言うのであれば…そう、悪い人間とも思えないのですが…」
「言葉だけで、君にまでそう思わせるなんて、大したものね。アヒルも」
固く腕を組んだエリザが、どこか感心するように呟く。
「さすがは神ってとこかしら」
あくまで逆らい続けたアヒルの姿を思い出し、エリザがそっと目を細める。
「一度、韻へ戻るわ。附いて来なさい、慧」
「今回の件の報告ですか?」
「ええ。それに…」
頷いた後、エリザが少し眉をひそめる。
「ちょっと、調べたいことがあるの…」
再び空を見上げたエリザは、どこか厳しい表情を見せていた。




