Word.35 安団、包囲 〈2〉
その頃、学校、正門前。
「…………」
昼間でも開かれたままの正門の前に立った篭也は、何やら瞑想でもしている様子で、深く瞳を閉じていた。その周囲には六本の格子が浮かび、淡い赤色の光が放たれている。
「ふぅ…やはり駄目か…」
ゆっくりと瞳を開き、肩を落とす篭也。篭也が目を開くと同時に、格子は一本に戻り、自動的に篭也の手の中へと戻った。
「何をしているの…?」
「ん?」
後方からする声に、篭也が振り返る。
「囁」
正門前へと現れたのは、囁であった。
「あのバカの気配を“嗅ぎ当て”られないかと思ったんだが…」
「ああ、転校生くんね…」
篭也の言葉に、囁が納得した様子で頷く。
「フフ…何だかんだで、気にしてるんじゃない…」
「事態が事態だからな。厄介なことに巻き込まれて、こちらの足を引っ張られても困る」
「フフフっ…」
素っ気なく答える篭也へ、微笑みを向ける囁。
「で、転校生くんの居場所は知れたのかしら…?」
「駄目だ。僕の言葉で、この言ノ葉町全域を調べられるんだが、まるで気配は感じられなかった」
「じゃあ、転校生くんはこの町には居ないってこと…?」
「そうなるな」
篭也が頷きながら、右手に持った格子を言玉の姿へと戻す。
「今日は奈々瀬さんまでお休みだし…何となく、いい予感はしないわね…」
「…………」
囁のその言葉に、篭也も表情を曇らせる。
『グ…グァ…ァ…』
「んっ?」
前方から聞こえてくる、いくつも重なった、声にならない声に気付き、篭也が囁から視線を移し、再び前方を見る。そこには、見た目から柄の悪そうな連中が、集団で並んでいた。だがその者たちに表情はなく、皆、同じように瞳が赤い。
「この者たちは…」
「確か、あのリーゼントくんの子分さんたちね…」
「ん…?」
アニキの子分たちの並ぶその後ろにも、同じように瞳を赤くした、町も者らしき主婦や、商店街の店の者たちが、次々と集まってきていた。
『五十音士…五十音士…』
「これは…」
まるで取り憑かれたように、五十音士の語を繰り返す町の者たちに、篭也が眉をひそめる。
「確かに、いい予感はしないな」
「フフフ…でしょう…?」
この事態にも楽しげに微笑みながら、囁が制服のポケットから言玉を取り出す。
「第六音“か”、解放っ」
「第十一音…“さ”解放…」
それぞれ言玉から姿を変えた格子と横笛を身構える、篭也と囁。
『“破”…!』
『……っ!』
武器を構えた二人へ、町人たちが襲いかかった。
同じく学校、屋上。
「ああぁ~」
屋上に大の字になって寝転び、本を読んでいるのは、アヒルの兄、スズメであった。
「ヒトミぃ~、どうしてお前は、そこまで先生のことをぉ~っ」
スズメが読んでいるのは勿論、スズメの愛読書『恋盲腸』である。スズメは恋盲腸を読みながら、内容に浸るように、その表情をころころと変化させていく。
『グウゥ…』
「んあっ?」
すぐ近くから響いてくる声に、本だけに集中していたスズメが上体を起こし、顔を上げる。
『グァ…ァ…ウ…』
屋上の入口から続々とやって来る、学校の生徒たち。皆、赤い瞳を見せ、言葉にもならない声を発して、スズメの方へと向かってくる。
「ふぅ~っ」
スズメが息をつきながら、本を閉じて、自分のすぐ横へと置く。
「俺の、ヒトミとのデロ甘読書タイム邪魔しようたぁ、いい度胸だなぁ。ああっ?」
向かってくる生徒たちに、スズメは強く睨みをきかせた。
同じく学校、オカルト同好会部室。
「今日の議題…何にしようか…?雅くん…」
「そうですねぇ」
昼休みから部室に集まった雅とツバメは、オカルト同好会の部長、副部長として、放課後の部活動内容の相談を行っていた。
「前に議題候補に挙がってたのは、“口裂け女の口紅の消費量は、常人の二倍かどうか”についてですが…」
雅が眼鏡を押し上げながら、真剣にノートをめくる。
「ん…?」
だが不意に、その表情が曇り、雅は席を立ち上がって、部室の扉へと歩み寄った。
「どうかしたの…?雅くん…」
「いえ…」
扉に取り付けられた窓から、外の廊下を見て、さらに眉をひそめる雅。
「君はここでゆっくりと、議題の続きでも考えていて下さい。ツバメ君」
雅がそっと扉を開き、廊下へと出る。
「ほんの、些細なことですから…」
『グァ…ァ…アァ…』
廊下へと出た雅の前には、赤い瞳を見せた生徒や教師たちが立ち並んでいた。
『ハァ…!ハァ…!ハァ…!』
廊下を走り、階段を駆け降りて、追いかけてくるクラスメイトたちから必死に逃げる、アヒルと紺平。
「“破”!」
「うおっ!」
衝撃波により、廊下の窓のガラスが砕け散ると、すぐ横を駆けていたアヒルが慌てて横へ逸れ、飛び散るガラスの破片を避けた。
「無茶すんなぁ~」
先程から、クラスメイトたちが所構わず飛ばす衝撃波に、教室や廊下は何度も吹き飛ばされ、学校内は大惨事である。
「これじゃ学校、修理費だけで大損害だなぁ」
「そんなこと、言ってる場合!?」
暢気に周囲を見回しているアヒルに、横を駆ける紺平が、少し怒るように言い放つ。
「何とかしないと、このままじゃやられちゃうよ!?」
「っつっても、俺は言玉使えねぇーし…」
悩み込む表情を見せたアヒルが、走りながら、後方を振り返る。アヒルたちを追いかけてくるのは、想子を初めとした、アヒルのよく知るクラスメイトの顔ぶれ。
「あいつら、攻撃するわけにもいかねぇーしっ」
アヒルの額から、汗が流れ落ちる。
「とにかく外に出よう!」
「わかった!」
頷きあったアヒルと紺平が、大きく方向を転換し、昇降口を上履きのまま通り抜けて、校舎の外へと出る。そのまま校舎沿いに足を進め、裏庭へと出る二人。
「この辺で一旦、隠れっ…」
「ハァ…!ハァ…!」
「あっ?」
裏庭周辺で隠れる場所を探していたアヒルが、校舎の曲がり角の向こうから近付いてくる息遣いに気付き、そっと眉をひそめる。
「だっ…」
「誰っ!?」
「うおおおぉっ!」
「ガァ!」
角の向こうを覗き込もうとしたアヒルが、角から飛び出してくる鋭い刃に、焦りの声をあげる。刃を向けられるアヒルに、思わず身を乗り出す紺平。
「って、あれ?朝比奈くん?」
「な、奈々瀬っ…」
だが、アヒルの喉元寸前まで突き付けられた、その刃は、七架の薙刀の刃であった。驚く七架に対し、アヒルは青白くなった表情で、七架を見る。
「きょ、今日も絶好のお茶漬け日和だね…!朝比奈くん!」
「お、俺ん家は卵かけご飯だったけどな…つーか早く、刃引いてっ…」
「あ、ご、ごごごごめん!」
アヒルに言われ、七架が慌てて薙刀を引っ込める。
「ガァ、平気?」
「死ぬかと思った…」
「ご、ごめんね!ま、また町の人かと思って、ついっ…」
「また?」
七架のその言葉に、アヒルが眉をひそめる。
「またって、もしかしてお前も、あいつらに…んあ?」
「ハァっ…ハァっ…」
七架に問いかけようとしたアヒルが、七架の横に居る、七架の手を強く握り締めたまま、肩を大きく揺らして息を乱している少年、六騎に気付く。
「誰かと思えば、クソガキじゃねぇか」
「誰がクソガキだ!目つき悪男!」
「だぁれが目つき悪男じゃい!」
「こら、六騎っ」
「大人げないよ、ガァ」
激しく睨み合うアヒルと六騎に、紺平と七架がそれぞれ注意をする。
「けど、どうしたの?奈々瀬さん。学校休みだったのに、こんなところで…」
「それが…」
紺平の問いかけに、七架の表情が曇る。
「朝起きたら、両親の様子がおかしくて…忌の技で、急に襲いかかってきて…」
「……っ」
七架の言葉を聞いて事態を思い出したのか、六騎がさらにきつく、七架の手を握り締める。
「それで六騎を連れて、必死に外へ逃げたんだけど…町の人たちもそんな状態で、次々と…」
俯いた七架が、途中でその言葉を止める。
「学校に来れば、朝比奈くんや皆と合流出来るかと思って…」
「想ちゃんたちと同じだね…」
「ああ」
「えっ!?想子ちゃんも!?」
「うん」
驚いた様子で問いかける七架に、紺平が厳しい表情で頷きかける。
「想子だけじゃねぇ。学校に居る皆が皆、忌に取り憑かれちまってる…」
「そんなっ…」
深刻な事態に、七架も険しい表情を見せる。
「でも、どうしてこんなっ…」
「神!」
「……っ」
皆が考え込むように俯いたその時、裏庭へと新たな声が響いて、アヒルたちが一斉に顔を上げた。
「篭也!囁!」
アヒルたちのもとへと駆け込んでくるのは、それぞれ武器を構え、多少ばかり後方を気にする素振りを見せた、篭也と囁であった。
「篭也!クラスの連中がっ…!」
「ああ、わかっている」
「同じように忌に取り憑かれた状態の町人さんたちが、わんさかと学校の前に集まってきているわ…」
「学校へ?」
囁の言葉に、眉をひそめるアヒル。
「何だって学校に…」
「それはやっぱり…私たちを捕らえるため、じゃないかしら…?フフフ…」
戸惑いの表情を見せるアヒルに、囁が不気味に微笑みかける。
「昨日の人たちと、何か関係あるのかな?」
「わからない。だがこのままここに居ては、僕たちは確実にやられる」
「町人や学校の子たちに、バンバン攻撃出来るはずないものね…」
七架の問いに答えながら、厳しい表情を見せる篭也。
「とにかく、学校はもう駄目だ。何とかこの場をくぐり抜けて、為の神の店まで行こう」
「ああ」
篭也の言葉に、アヒルが頷く。
「囁、あなたは奈々瀬と小泉のフォローを」
「わかったわ…」
「神、あなたは僕と一緒に…」
「あっ」
「ん?」
アヒルへと声をかけていた篭也が、急に思い出したような声を発するアヒルに、首を傾げる。
「何…」
「スー兄とツー兄も学校に居んだった!俺、ちょっと行って連れてくっから、先行っててくれ!」
「あ、おい!神…!」
篭也が止める間もなく、アヒルは再び、校舎の入口へ向けて、駆け出していってしまう。
「また、あの神はっ…」
「フフフ…我が神は、無鉄砲が売りだから…」
深々と頭を抱える篭也の横で、囁がそっと微笑む。
「あなたたちは先に行け。神は僕が何とかする」
「わかったわ…」
「気をつけてね、神月くん」
「ああ」
手短に言葉を交わすと、篭也はアヒルの後を追い、囁たちは学校の外へと駆け出して行った。




