Word.35 安団、包囲 〈1〉
“由守”らしき少女、弓と、弓を狙う謎の二人組が現れた、翌朝。
朝比奈家隣、篭也と囁の家(旧・佐々木さんの家)。
「ふぅ…」
朝比奈家とは異なる、洋風のリビングでは、制服に着替えた囁が、姿見で自分の姿を確認しながら、どこか深い溜息を落としていた。表情も少し、浮かぬ様子である。
「まだ居たのか」
二階から降りてきた、同じく制服姿の篭也が、リビングへと入って来る。
「そろそろ神を起こしに行く時間だぞ」
「ええ…」
篭也の言葉に答えながら、視線を落とす囁に、篭也が眉をひそめる。
「今日は朝食、作りに行かないのか?」
「ええ…」
篭也の問いかけに、さらに落ちる、囁の視線。
「アヒるんの力…」
少し躊躇いがちに、囁が口を開く。
「アヒるんの力…やっぱり、弔との戦いが原因、よね…」
「……っ」
―――あの力は、一体…―――
囁の言葉を受け、アヒルが弔との戦いで見せた、今までにはなかった力のことを思い出し、篭也はそっと表情を曇らせた。
「激しい戦闘だったからな。ああなっても、無理はない」
アヒルの未知なる力のことには触れず、篭也が冷静に答える。
「最低、よね…」
囁が、重くその言葉を落とす。
「力を失わせるようなことまでしておいて…何食わぬ顔で仲間に戻ったりして…どこが安附なんだか」
「…………」
自嘲の言葉を述べる囁を、篭也がまっすぐに見つめる。
「神が力を失っているのなら、その間、あなたがあなたの力で、神を守ればいいだけの話だろう」
「えっ…?」
篭也の声に、囁がやっと顔を上げる。
「あなたは、安附なのだから」
「……っ」
まっすぐに見つめる篭也に、少し目を見開く囁。だがすぐに、その表情は笑みへと変わった。
「随分と優しいのね…珍しい」
「心外だな」
「だって篭也…初めて会った時、“あなたに優しくする理由がない”って言ってたのよ…?」
過去のことを思い出し、囁が微笑んだまま問いかける。
「仲間のことを気遣って、何が悪い」
「えっ…」
思いがけない篭也の言葉に、止まる囁の笑み。
「とっとと行くぞ。もう遅刻は懲り懲りだ」
「…………」
リビングを出て、玄関へと歩いていく篭也を、囁が茫然と見つめる。
「フフフっ…」
だがすぐに込み上げたように笑みを零し、囁も玄関へと出た。
「気遣うのは別に悪くないけれど…あなたがやると気持ち悪いわよ…?」
「どういう意味だっ」
囁の言葉に、篭也は大きく表情をしかめた。
「へぇ~、昨日の帰りに、そんなことがあったんだ」
「ああ」
無事、篭也と囁に起こされ、目覚めたアヒルは、迎えに来た紺平とともに、通学路を歩く。五十音士の一人、己守となった紺平にも、関係のないことではないので、アヒルは昨日起こった出来事を、紺平へと説明した。
「由守、かぁ…」
「連中の狙いは、恐らくは五十音士だ」
「えっ?」
後ろを歩く篭也の言葉に、紺平が振り返る。
「あなたが狙われる可能性もある。今後は出来る限り、僕たちと行動を共にしろ」
「それは別に構わないけど…」
はっきりとした口調で言い放つ篭也に、紺平が少し委縮しながら頷く。
「このこと、檻也くんに報告とかした方がいいのかなぁ?」
「檻也には昨日、電話で連絡したから大丈夫だ」
「へっ?」
篭也のその言葉に、目を丸くする紺平。
「電話したんだぁ」
「あっ」
驚いたように言う紺平に、篭也が少し顔を引きつる。
「ち、違っ…!ただ単に、於の神へ事務的連絡をと思ってっ…!」
「兄弟ホットコール…?フフフっ…」
「良かったなぁ!篭也!」
「……っ」
満面の笑みを向けるアヒルと囁に、これ以上言い返すことも無駄と思ったのか、篭也は深々と頭を抱えて、黙り込んだ。
「アハハ、あれっ?」
その篭也の様子に、楽しげに笑みを浮かべていた紺平が、不意に前方を向き、何かに気付いたような声を発する。
「ガァ、あれ」
「んあ?」
紺平に呼ばれ、アヒルも前を見る。
「あっりぃ~?ありありありぃ~?んん~?」
四人の歩く道の前方には、相変わらずのリーゼント頭にサングラスを掛けたアニキが、何やら探している様子で、周囲を何度も見回していた。
「あっりぃぃ~?」
「邪魔」
「どわああああ!」
大きく腰を曲げて、周囲を見回していたアニキの、その突き出した尻を、アヒルが勢いよく蹴り飛ばした。アニキはそのまま、勢いよく前のめりに倒れ込む。
「な、何しやがる!?って、朝比奈ぁぁ!」
顔を上げたアニキが、大きな声を出しながら、アヒルを認識する。
「いきなり蹴るたぁ、どういうことだぁ!?てめぇ!」
「道のど真ん中に突っ立ってる方が、悪いんだろ」
「くぅ~!相変わらず、理不尽な野郎だぁ~!」
立ち上がったアニキが、勢いよく顔をしかめる。
「ここで会ったが百年目ぇぇ!今日の今日こそ、コテンパンのパンティストッキングにっ…!」
「何か探し物でもしてるの…?」
「さ、真田さぁ~ん!?」
アヒルの横から顔を出す囁に、怒り狂っていたアニキが、あっという間の表情から怒りを消して、目を輝かせる。
「そうなんだよぉ~!朝から、俺の可愛い子分たちが一人もいなくって、ずっと探してるんだぁ!」
「子分?」
「ああ、そういえばいっつも無駄に居る取り巻きが、今日は居ないね」
首を傾げるアヒルの横から、紺平が辺りを見回しながら言い放つ。
「いっつもこの道に、八時集合って決めてんのによぉ」
「暇人」
「愛想つかされたんじゃねぇの?」
不思議そうに首を捻るアニキに、篭也とアヒルが次々と、冷たい言葉を投げかける。
「アホかぁ!俺たちの絆、ナメんじゃねぇぞぉ!?思い出アルバム全五十巻、見せたろうかぁ!?」
「いらねぇー」
ムキになって言い返すアニキに、呆れた様子で肩を落とすアヒル。
「おっかしいなぁ。おぉーい!どこだぁ!?お前らぁ!」
アニキは大声を張り上げ、子分たちを探して、別の方角へと歩き去っていってしまう。
「でも確かに変だよねぇ。結構長い付き合いだけど、あの人が子分引き連れてないのなんて、初めてだよ」
「だっから愛想、つかされたんだって」
そう言葉を交わしながら、アヒルと紺平が、再び学校へ向かう道を進み始める。
「…………」
その場に足を止めたまま、ふと顔を上げ、背後を振り返る篭也。
「どうかした…?」
「えっ?」
囁に問われ、篭也が前を向く。
「いや…」
篭也はどこか曇らせた表情のまま、そっと首を横に振った。
言ノ葉高校、一年D組。
「よっしゃ!今日もセーっ…!って、あっ」
勢いよく教室に入ったアヒルが、何かに気付いた様子で声を漏らす。
「早く席につきなさい」
今日も教壇でアヒルを迎えるのは恵ではなく、小太りの男教師であった。教室へと入ったアヒルに、男教師が素っ気なく声を掛ける。
「あれ?今日も恵先生、休み?」
「早く席につきなさい」
「へっ?」
アヒルの問いかけに答えることなく、すぐに前を向いてしまう男教師。それ以上、問いかけることも出来ず、アヒルは大人しく、自分の席へと向かった。
「あの先生、あんなに愛嬌なかったっけ?」
「ガァが何か、悪いことでもやったんじゃないの?」
「俺は何もやってねぇよっ」
突き放すように言う紺平に、少しムキになって言い返しながら、アヒルが自分の席へと座る。
「あっ」
ハッとなって、すぐ隣の席を振り向くアヒル。だがそこは、空席であった。
「やっぱ、来てねぇーか…」
今日もない保の姿に、アヒルが眉をひそめる。
「今日の休みは高市君と奈々瀬さんだけだね…」
「へっ?」
出席簿をチェックする男教師の言葉に、アヒルが顔を上げ、後方の廊下側の席を確認する。アヒルの幼馴染み、想子の前の席が、確かに空いていた。
「奈々瀬も、休み…?」
空いているのは、七架の席であった。
『ハァ…!ハァ…!ハァ…!』
重なる、乱れた二つの息。後ろを振り返りながら、人気のない道を必死に駆け抜けるのは、固く手を握り合った七架と六騎であった。
「お姉、ちゃんっ…し、しんどいよっ…」
「頑張って!六騎!もう少しだから…!」
苦しげに声を漏らす六騎に、先導する七架が言い放つ。
「なん、でっ…お母さんたち…俺たちのこと…?」
「わからない…でも、何かが起こってる…」
戸惑う六騎に、七架も険しい表情を見せる。
「とにかく、朝比奈くんのところへっ…学校へ行かなくちゃ…!」
瞳を鋭く光らせ、七架はさらに足を走らせた。
その日、昼休み。
「おぉーい、想子っ」
「……っ」
教室で、他の女子生徒を話をしていた想子が、呼びかけるアヒルの声に振り向いた。
「何…?」
笑みを零すこともなく、どこか煩わしそうな表情で、アヒルの方を見る想子。
「今日、奈々瀬休みだろ?なんでか、理由聞いてねぇーかと思って」
「奈々瀬…?」
アヒルの問いかけに、想子が眉をひそめる。
「誰?それ」
「はっ?」
思いがけない想子の言葉に、アヒルが大きく口を開く。
「な、何言ってんだよ!奈々瀬だよ、奈々瀬!お前ら、仲良いんだろ!?」
「うるさいわね…知らないわよ、そんな奴」
「はぁ!?」
冷たく答える想子に、さらに顔をしかめるアヒル。
「おっ前なぁ!冗談もいい加減にっ…!」
「また、想ちゃんとケンカしてるの?ガァ」
「紺平っ」
アヒルが想子に怒鳴りあげようとしたその時、教室へと戻って来たばかりの紺平が、アヒルへと声を掛けた。
「いい加減にしなよぉ、もう小学生でもないんだから」
「違ぇって!こいつが奈々瀬を知らねぇーとか、意味不明なこと言うからっ…!」
「えっ…?」
アヒルの言葉に、紺平も眉をひそめる。
『想子…』
「ごめん。こいつらうるさいし、あっち行こっか」
「お、おいっ…!」
他の女子生徒とともに、その場から離れようとする想子へと、アヒルが思わず手を伸ばす。
「待てよ!想子!」
「しつこいわねぇ!」
「あっ」
肩を掴み止めようとしたアヒルの右手を、想子が勢いよく振り払った。力強く振り払われたその勢いで、アヒルの胸ポケットから、言玉が零れ落ちる。
「……っ!」
落ちる言玉を見つけ、大きく目を見開く想子。
「やべやべっ」
アヒルが慌てて左手を出し、床に落ちるところだった言玉を受け止める。
「言玉…」
「へっ?」
小さく落とされる想子の声に、アヒルが顔を上げる。
「想子?」
「そう…ガァが…五十音士だったのね…」
「えっ…?」
アヒルを冷たく見つめる想子の瞳が、真っ赤に染まりあがるとともに、想子がアヒルへと右手を向けた。
「“破”…!」
「何っ…!?」
想子の右手から放たれる衝撃波に、アヒルが大きく目を見開く。
「“壊せ”…!」
「うおっ…!」
言葉が響いたかと思うと、アヒルのすぐ目の前の机が勢いよく弾け飛び、アヒルへと向けられていた衝撃波が、その勢いで掻き消された。
「紺平!」
「五十音第十音、“こ”解放っ」
アヒルが振り向くと、そこには、白い言玉を突き出した、紺平の姿があった。
「ガァ、大丈夫?」
「ああ。でもなんだって想子が忌の技をっ…」
「五十音士…」
「あいつも…五十音士…」
『……っ』
言葉を交わしていたアヒルと紺平が、周囲から次々と聞こえてくる、低く響き渡る声に振り返る。教室で明るく雑談していた生徒たちが皆、想子と同じようにその瞳の色を赤くし、全員で取り囲むようにして、二人へと迫って来る。
「どうやら、想子だけじゃねぇみてぇだな…」
迫り来る、明らかに異様なクラスメイトたちを見つめ、表情を険しくするアヒルと紺平。
『五十音士…五十音士…』
「ガァ、これって…」
「わかんねぇ。わかんねぇけどっ…」
二人へ向け、クラスメイトたちが皆、一斉に右手を向ける。
『“破”…!!』
「とりあえず逃げっぞ!紺平!」
「う、うんっ…!」
二人が教室を飛び出すとともに、教室に激しい衝撃音が響き渡った。




