Word.34 ゆガム世界 〈3〉
三十分後、『いどばた』。
「“回復しろ”」
格子を持った右手を雅へと向け、言葉を放つ篭也。格子から淡い赤色の光が放たれ、雅の傷を包み込むと、雅の負った傷が、あっという間に塞がった。
「ありがとうございます、神月君」
「あなたも我が神を助けてくれたようだし、一応な」
「一応、ですか」
素っ気なく答える篭也に、雅が薄く笑みを浮かべる。
「いやぁ~悪いねぇ、神月くぅ~ん。ボクが治せばいいんだけど、最近、年のせいか、どぉ~も扇子の調子がいまいちでさぁ~」
「年と扇子、関係ねぇーじゃん」
軽い調子で言い放つ為介に、アヒルが引きつった表情で、思わず突っ込みを入れる。
「で?どういうわけだ?神」
「へ?」
不意に篭也に問いかけられ、振り向いたアヒルが目を丸くする。
「いっやぁ~、それは俺にもよくっ…」
「連中のことではない」
「えっ?」
「言玉が使えないこと、何故、僕たちに言わなかった?」
「あっ…」
篭也に鋭く言われ、アヒルが困ったように声を漏らし、自然と逃げるように、篭也から視線を逸らす。
「そういうことは、この軽薄極まりない、なんちゃって神よりも先に、僕たち神附きに言うのが普通だろう」
「何かすっごい言われようだよぉ~雅くぅ~ん」
「事実ですから、仕方ありませんよ」
篭也の冷たい言葉に、傷つく為介へと、雅がさらに冷たい言葉を投げかける。
「何故、黙っていた?」
「いやぁ、それはそのぉ…」
「私に、知られたくなかったからでしょう…?」
『……っ』
部屋へと入って来る声に、アヒルと篭也が同時に振り向く。
「囁」
「急に使えなくなるなんて…弔との戦いが原因だって考えるのが普通だもの…」
襖を開け、隣の部屋から入って来たのは、囁であった。
「私が知れば、私が責任を感じるから…だから、私にも篭也にも黙っていたんでしょう…?」
囁が真剣な表情で、さらに言葉を続ける。
「言ってみれば、私のせいで使えなくなっちゃったようなものだものね…」
「囁…」
そっと視線を落とす囁に、目を細めるアヒル。
「いや!そんなことはっ…!」
「でも大丈夫よ、アヒるん」
「へっ?」
すぐさま顔を上げる囁に、アヒルが目を丸くする。
「私、まったくもって、責任は感じていないわ…」
「いや!ちったぁ感じろよ!」
何の悪びれもない笑顔で答える囁に、アヒルが思わず怒鳴りあげる。
「で、囁、あの者の様子は?」
「ええ…それなら今、奈々瀬さんが…」
篭也に問いかけられ、囁が、やって来た隣の部屋の方を振り返る。すると、囁の後方から、七架が姿を見せた。
「傷の治療は終わったよ。でも意識は戻らなくて、まだ眠ってる」
「そうか…」
七架の言葉に頷きながら、篭也が少し顔を俯ける。
「無理やり起こすわけにもいかないしぃ、話を聞くには、彼女が目覚めるまで待つしかなさそうだねぇ~」
「ああ」
為介の言葉に、同調するように頷くアヒル。
「ま、彼女の持ってた言玉と、彼女の使ってた言葉から、彼女が何者かってのはだいたい、想像つくけどぉ」
「“由守”、ですか…」
為介がはぐらかすように言った言葉の答えを、雅がすぐさま口にする。
「由守ってことは、後半音だから、団には属してないってことだよな?」
「ああ。だが…」
アヒルの言葉に頷いた後、篭也が少し表情を曇らせる。
「ヤ行の五十音士、“也守”、“由守”、“与守”は代々、五十音士の中でも優れた力を持ち、“三言衆”という別称を与えられている」
「三言衆?」
「ああ。普段から三人で行動を共にし、忌退治に励んでいるという話を聞いたことがあるのだが…」
右方を振り向き、隣の部屋に敷かれた布団の上で、眠っている弓を見つめる篭也。弓は現れた時からただ一人で、他に仲間の姿は見当たらなかった。
「じゃあ也守と与守に、何かがあったってこと…?」
「そう考えるのが、妥当だろう」
眉をひそめながら問いかける囁に、篭也が短く答える。
「やいば…よろい…」
『……っ?』
小さく呟く七架に、皆が振り向く。
「奈々瀬?」
「そう言って、泣いてた…あの人…」
『……っ』
険しい表情で呟く七架に、皆もその表情を曇らせる。
「雅くぅ~ん、資料室行って、現ヤ行五十音士の顔と名前、確認してきてくれるぅ~?」
「わかりました」
為介が指示すると、雅はすぐさま立ち上がり、皆の居る部屋を後にした。
「まぁ、彼女の方の正体は、じきに知れると思うよぉ」
雅が去り、閉まった襖を確認した後、為介が再び、アヒルたちの方を見る。
「問題はぁ」
「彼女を襲っていた連中の方ね…」
「うん~。彼らに見覚えあったぁ~?神月くん」
「いやっ、まったく…」
為介の問いかけに、篭也がすぐさま首を横に振る。
「だが奴等の使っていた言葉と、わずかだが感じた気配から察するに…」
「“忌”…」
「ああ…」
そっと呟いたアヒルの言葉に、篭也も険しい表情を見せて頷く。碧鎖と萌芽、そう呼ばれた二人の男が使っていた言葉には、アヒルも聞き覚えがあった。それは、悪意ある言葉に潜む悪霊、忌が使うものであった。
「まぁ、言葉の力が使えるのは五十音士と忌だけなんだし、彼らが五十音士じゃないとすると、答えは自然とそうなっちゃうよねぇ~」
「じゃあ、あの人たちは、忌に取り憑かれた人間ということですか?」
「うぅ~ん、取り憑いてるって感じじゃなかったけどなぁ」
「そうね…どちらかというと、忌そのものに見えたわ…」
首を捻る為介に、賛同するように囁も言う。
「でも風貌は人間そのもので、忌って感じじゃなかったものね…」
「忌が実体化してるってことか?灰示ん時みたいに」
「それは違うと思うけどねぇ」
「へっ?」
アヒルの言葉をすぐさま否定する為介に、アヒルが少し目を丸くする。
「波城灰示クンという忌が実体化したのは、高市クンとの強い同調や、まぁその他諸々、色ぉ~んな力が働いたからと考えられるぅっ」
「後半、結構適当だな」
ざっくりとした説明をする為介に、思わず呆れた表情を見せるアヒル。
「まぁつまり、波城灰示クンが生まれたのは、偶然の産物、奇跡にも近い状況ってことだよぉ」
適当な説明のまま、為介が締めくくる。
「そう簡単に、ポンポンと生まれるものじゃぁない」
「じゃあ、灰示みたいに実体化してるわけじゃないってことか?」
「そう考えるのが普通だねぇ~」
「じゃあ益々、正体不明ってわけね…」
そう呟き、少し肩を落とす囁。
「波城灰示、か…」
為介の言葉に、篭也はさらに考え込むような表情となって、俯く。
「そういえば、高市くんだけ来なかったねぇ~他のみんなは神様のピンチに、大集合したっていうのに」
「学校も休んでいたからな。大方、風邪でもひいて、寝込んでいるんだろう」
不思議そうに辺りを見回す為介に、篭也が淡泊に答える。
「あいつ、馬鹿のくせに風邪はひくからな」
「七不思議ね…フフフっ…」
「……っ」
篭也と囁の言葉を聞きながら、アヒルが少し眉をひそめる。
「帰りに様子でも見に行ってあげたらぁ~?彼、一人暮らしだしっ」
「あ、ああ。そうだなっ」
為介の言葉に、アヒルはどこか歯切れ悪く頷いた。
弓の身元を確認するにも時間が必要で、七声の件で昨日まで家を空け放っていたアヒルたちは、これ以上、家族に心配をかけることを良しとせず、今日の内は解散をして、家へ帰ることとなった。すっかり夕方に差し掛かった頃、為介の店を出たアヒルと篭也、囁、七架の四人は、保が住んでいる小さなアパートの一室を訪れていた。
「よっ」
アヒルが人差し指を出し、保の家のインターホンを鳴らす。中に響く音が、扉の外からも十分に聞こえた。だが、しばらく待っても、保が出てくる気配はない。
「あれ?」
「留守、かな?」
アヒルがもう一度、インターホンを鳴らすが、それでも保の出てくる様子はない。開かない扉を見つめ、アヒルと七架が大きく首を傾げた。
「どっか行ってんのかなぁ?」
「天涯孤独で、正直、友達の一人もいなそうな転校生くんが…?」
「一人旅、とかっ…」
「昨日まで散々、出掛けていたのにか?」
「うっ…」
篭也と囁から次々と突っ込みを受け、アヒルがあらゆる可能性を消される。
「中で野垂れ死んでたりして…フフフっ…」
「やめろ!縁起でもねぇ!」
不気味に微笑む囁に、思わず怒鳴りあげるアヒル。
「だが、ぶっ倒れている可能性はある。管理人を呼んで、鍵を開けてもらうか?」
「あ、ああぁ~、そうだなぁ」
「高市君の友達?」
「へっ?」
篭也の問いかけに、アヒルが悩んでいたその時、保の部屋のすぐ隣の部屋の扉が開き、まだ若い、二十歳前後の男が出てきた。
「あ、はい」
「僕は友達になった覚えはない」
「そんな、むきにならなくても…」
頷くアヒルの横で、強く否定する篭也に、七架が少し呆れた表情を見せる。
「高市君なら、今日は帰って来てないよ」
「えっ?帰って来てない?」
「うん。昨日の夜中に出掛ける音がして、それっきりだから」
「昨日の、夜中…?」
男の言葉に、アヒルが眉をひそめる。
「帰って来たばっかりだっていうのに、高校生も結構、忙しいんだね」
感心するようにそう言うと、男は部屋の中へと戻っていった。
「昨日の夜からって…高市くん、どこ行っちゃったんだろう…?」
「さぁ…?」
「興味が持てない」
「二人とも…」
ただ白状に、首を傾げるだけの二人に、七架が困った顔となる。
「保っ…」
アヒルは一人、どこか浮かぬ表情で、夕暮れに染まる空を見上げた。




