Word.33 あキラメナイ 〈3〉
激しく起こった爆発は、王の間の天井も壁も柱も、何もかもを吹き飛ばした。屋上のように床だけ残った部屋の中央に立ち尽くす、たった一つの人影。
「ハァっ…ハァっ…」
それは、アヒルであった。
「……っ」
肩を揺らし、呼吸を乱しながら、アヒルがそっと顔を上げる。アヒルが見上げると、そこには金色の鳥が、広がる大空のもとに浮かんでいた。先程の攻撃で力をすべて使い果たしたのか、纏っている金色の光が弱々しく、小さいものとなっていた。
「ありがとう…」
「クアアァァ!」
微笑んだアヒルに答えるように鳴くと、鳥は淡い金色の光を発し、言玉の姿へと戻っていった。金色の鳥が、もとの赤色の言玉へと戻り、ゆっくりと降下して、アヒルの右手の中へと収まる。
「ふぅっ…」
収まった言玉を見下ろし、アヒルが深く息をつく。
「あっ…」
言玉を握り締めた途端、気が抜けたのか、意識がかすみ、アヒルの足元がふらついた。
「……っ」
「へっ…?」
アヒルが、横から伸びてきた手に右手を掴まれ、倒れ込みそうだったところを支え止められる。
「篭、也…」
「大丈夫か?神」
アヒルを支えたのは、篭也であった。三人を囲む格子をそのままに、篭也だけ、アヒルのもとへと歩み寄って来たようである。
「ああ。クラクラしてっけど、一応無事だっ」
「今、傷の治療をする」
微笑むアヒルに、安心したような様子も見せず、篭也は素っ気なく、アヒルの折れた左腕へと右手を伸ばした。
「う、ううぅっ…」
「んっ?」
アヒルの傷の治療をしようとした篭也が、前方から聞こえてくる小さな声に気付き、振り向いた。
「あっ」
「ううぅっ…ううぅ…」
崩れ落ちた壁の際、ぎりぎりのところで倒れているのは、弔であった。アヒルの最後の攻撃を直撃した影響であろう、全身は傷だらけである。だが小さく声を漏らしていることから、まだ息も意識もあるようである。
「弔…」
「お、俺の…言葉っ…で…」
うつ伏せに倒れている弔が、薄くしか開いていない瞳で、必死に前方へと手を伸ばす。
「無意味な…世界を、壊、すっ…うっ……」
その言葉を最後に、ついに力尽きたのか、弔は深く瞳を閉じ、そのまま動かなくなった。
「…………」
そんな弔を見つめ、篭也がそっと目を細める。
「“言葉”というものに、誰よりもこだわってたのは、あの者だったのかも知れないな…」
「ああ…」
横で同じように弔を見つめるアヒルが、静かに呟く篭也の言葉に、小さく頷く。
「生かすのか…?」
「……っ」
篭也のその問いかけに、アヒルの表情が曇る。弔は意識を手放してはいるが、まだ息はある。
「あの者のせいで、囁は…」
「……生かす」
厳しい表情を見せた篭也に、少しの間を置いた後、アヒルは答えた。
「生かして、韻に連れていく…」
アヒルのまっすぐな瞳が、弔を捉える。
「届かなかった言葉が生んだ、この事実を…俺は、伝えなきゃならない…」
「……わかった」
そう言ったアヒルに反論することはなく、篭也はあっさりとその答えを受け入れた。
「僕たちの役目は終わった。帰ろう、神」
「ああ…」
篭也の言葉に頷きながら、アヒルがゆっくりと振り返る。
「帰ろう…」
振り向いたアヒルの視線の先には、床に横たわり、深く目を閉じたままの囁の姿があった。
こうして、安団と七声の戦いは、静かに終わりを告げた。
―――大好きだよ、囁。君が世界で一番、大好きだ―――
もういいわ。嘘だって、もうちゃんと、わかってるから。
―――愛しているわ、囁…―――
だから、もういいって言ってるのに。何度だって、思い出す。私って、諦めが悪いのね。
―――囁…―――
誰かが、私を呼んでる。誰…?
「んっ…」
何度も繰り返し見た、父と母の残した言葉の夢から、囁はゆっくりと目を覚ました。目を開くと目の前には、何も代わり映えのしない、質素な白色の天井が広がっていた。
「ここ…は…?」
天井を見上げ、戸惑った表情を見せた囁は、少し重たい体をゆっくりと起こした。そこは寝台の上で、横には小さなテーブルが置かれているだけの、狭い部屋の中である。
「どうやら…天国でも地獄でもなさそうね…」
周囲を見回しながら、囁が小さく呟く。
「でも、私…確か…」
囁が顔を下へ向け、自らの両手を見つめた。
―――“捧げろ”…―――
死んでしまったアヒルへと命を捧げ、自らの命を絶った記憶が、確かに鮮明に、頭の中に残っていた。
「なんで…」
「“生きているのだろう”」
「……っ」
囁が口にしようとした言葉が、そのまま横から聞こえてきて、囁は驚いた様子で顔を上げた。
「そう、思われましたか?」
「あなたは…」
部屋の扉を開き、中へと入って来たのは、穏やかな笑顔を見せた和音であった。
「言姫、様っ…」
入って来た和音を見つめ、囁がそっと眉をひそめる。
「あなたがここにいらっしゃるということは、ここは韻ですか…?」
「…………」
囁の問いかけに、和音は黙ったまま、静かな表情を見せるだけであった。
「何故、生きているのかは不思議ですが…でも、もういいです。私のしたことは、決して許されるべきではないことと、理解しています」
俯いた囁が、どこか諦めるように、言葉を並べる。
「覚悟は出来ています。どんな罰も、受けっ…」
「真田囁」
「……っ」
遮って名を呼ぶ和音の声に、囁がゆっくりと振り向く。
「あなたのこと、韻の方で、色々と調べさせていただきました」
「……そうですか」
和音の言葉に、囁が少し顔を俯ける。
「真田囁とは、本名だそうですわね」
囁の声を遮り、和音がそっと言い放った。
「はい…」
「七声は互いを暗号名で呼び合うと聞いていたので、あなたのその名も、てっきり偽名かと思っていました」
「暗号名は元々、私の名を気に入った弔が、同じように一字で四文字を表す漢字をつけたものだったので…」
「そうでしたか…」
黙秘することなく、素直に答える囁に、和音も笑みを浮かべる。
「失礼ですが、あなたの生い立ちも、ご両親のことも、調べさせていただきました…」
「……っ」
その言葉が、囁がもっとも苦しんできた過去を知るものだと察し、囁はその表情を曇らせた。
「あなたを捨てた、両親の名づけたその名を…捨てようとは、思わなかったのですか…?」
「……思いました…」
和音の問いかけに、囁は素直に頷く。
「けど…捨てられませんでした…」
俯いたまま、自分の両手を見つめた囁が、過去を思い返すように、そっと目を細める。
「この名前だけが…嘘の言葉を残して消えた両親が、私に与えてくれた…」
―――囁…―――
「ただ一つの、真実だったから…」
今も囁の胸に残る、名を呼ぶ両親の声。
「……そうですか」
囁のその言葉は偽りには到底、聞こえず、和音も納得した様子で頷いた。
「何も弁解することはありません」
迷うことのない表情を見せた囁が、まっすぐに和音を見つめる。
「一度、捨てた命です…死すら、恐ろしくはありません…」
光のない瞳が、ただ前だけを見る。
「早く、罰をお願いします」
「…………」
罰を求める囁に、和音はそっと目を細めた。
「そう、死を望むような言葉、仰らないで下さい」
そんな囁へと、和音が優しく微笑みかける。
「そんなことを言っては、必死にあなたを助けた、彼らの努力が、無駄になってしまいますわ…」
「彼らっ…?」
囁の足元の方を振り向く和音につられ、囁も視線を動かしていく。
「あっ…」
視線を移した囁は、大きく目を見開いた。
「俺が呼んだのは、糸こんにゃくだぁ!バカ親父ぃ!くかぁー!くかぁー!」
「くぅ…くぅ…ヒト、ミ…」
「ううぅ…こんな俺が…寝ちゃってすみませんっ…むにゃむにゃっ…」
「朝、比奈くんっ…すぅー…すぅー…」
囁の足元側の壁に、並ぶようにしてもたれかかり、眠りこけているのは、アヒル、篭也、保、七架の四人であった。皆、よく眠っている様子で、各々の寝息がよく響いている。
「みん、なっ…?」
眠っている四人を見つめ、囁が戸惑うように首を傾げる。
「よく眠っていらっしゃいますでしょう?」
和音が囁の横から、微笑ましく四人を見つめる。
「無理もありませんわ。随分と、疲れていたようですから」
「疲れて…?何故っ…」
「……っ」
首を傾げる囁の方を振り向き、和音は一層の笑みを浮かべた。
「わたくしの言葉で、彼らの命を四分の一ずつ、あなたに“分け与え”ました」
「分け与えたっ…?」
「ええ、彼らのたっての希望で」
聞き返した囁に、和音が大きく頷きかける。
「激しい戦闘の直後の上、四分の一ずつとはいえ、疲労は相当のものだったはずです。しばらくは、眠らせて差し上げましょう」
「分け、与えたって…」
和音の言葉を聞きながら、囁が再び、眠っている四人の方を見る。
「それで、私は…」
「ええ」
囁へと、和音が大きく頷きかける。
「それであなたは、生きているのです」
「……っ」
囁が思わず、両手で口元を覆う。
「なんでっ…」
細められた囁の瞳が潤み、声がかすかに震える。
「なんで…そんなことっ…」
「それは、あなたが彼らにとって、大切な仲間だからでしょう」
「大切な、仲間っ…?」
和音の言葉を繰り返し、囁が困惑した表情を見せる。
「だってっ…私…私はっ…!」
「あなたにとって、彼らは大切な仲間ではありませんか?」
「えっ…?」
和音の問いかけに、囁が少し目を丸くする。
「そ、それはっ…そうでっ…」
「彼らも、同じです」
「……っ」
その言葉に、何か気付かされたかのように、ハッと目を見開く囁。
「け、けど私はっ…!」
「例えあなたにどんな過去があったとしても、誰と共にあったとしても、彼らにとって、あなたは大切な仲間に他ならないのですわ」
必死に否定しようとする囁に、和音が優しく微笑みかける。
「あなたにとっても、彼らは大切な仲間に他ならないでしょう…?」
優しい問いかけが、ゆっくりと続く。
「ただ、それだけのことなのですわ…」
「うっ…」
口元を手で覆い、そっと俯いた囁の瞳から、透明な滴が零れ落ちる。
「ううぅっ…!」
「真田囁…」
涙に暮れる囁へ、和音がそっと呼びかける。
「死をも恐れぬというのなら…仲間があなたに与えたその命、仲間の為に、使って下さい…」
俯いたままの囁を覗き込むようにして、言葉を続ける和音。
「恐れぬその強い覚悟で、大切な仲間と共に戦い、大切な仲間を守るために、生きて下さい…」
「……っ」
涙を拭いながら、囁が強く唇を噛み締める。
「あなたを助けるために、必死に戦った彼らに、報いてあげて下さい…」
和音が囁の肩に、静かに手を置く。
「それが、あなたへの罰です」
「はいっ…」
和音の言葉を受け止めるように、囁がしっかりと頷く。
「はいっ…はい…!」
涙を流しながら、何度も頷く囁。
「ありがとう…ございますっ…!」
込み上げる想いが、感謝の言葉となって、囁の口から、零れ落ちた。




