Word.33 あキラメナイ 〈2〉
「うっ…!」
言葉とともに弔の全身から放たれる、強い白色の光に、アヒルは思わず身を屈め、目を細めた。
「濁音をっ…?」
「これで…!これで終わりだ!言葉の神っ!」
「なっ…!?」
白い光を放った弔の髪が、光に染まるように真っ白になり、重力に逆らって立ち上がる。大きく見開かれた瞳からは眼球が消え、白目を剥きだすような形となった。変わっていく弔の風貌と、その全身から放たれる、今までよりも圧倒的に強い力に、アヒルは眉をひそめた。
「これはっ…」
「“強”…言葉の強化か…いや…」
戸惑うアヒル同様、弔の様子を見つめる篭也も、その表情を曇らせる。
「強化の域を越えている…強すぎる力が、言葉の制御を越え、暴走を始めたか…」
「ハハハハハハっ…!!」
篭也が冷静に分析する中、先程までとはすっかり風貌も変え、落ち着き払っていた様子さえ一変させた弔が、高らかと笑いあげる。
「ふぅ…」
笑いあげていた声を止め、弔がそっと息をつく。
「“光”…」
「……っ!」
静かに落とされる言葉に、アヒルは大きく目を見開いた。
「なっ…!?」
弔の全身から放たれる、流星群のような、無数の白い光線。迫り来る光線に、篭也が思わず表情を歪める。
「ううぅっ…!」
篭也が皆を囲った赤い光の膜に、光線が幾つも突き刺さると、その衝撃に、篭也は険しい表情を見せた。光線の力はあまりに重く、一本でも十分に強いというのに、それが終わることなく迫り続けてくる。
「先程より、力が増しているっ…こ、これではっ…!」
抑えきれない巨大な力に、焦ったように声を出す篭也。
「うっ…!」
「クアアァっ」
「あっ」
あまりの力に囲いを砕かれそうになったその時、篭也の目の前に、白い光線の代わりに、金色の翼が広がった。
「これは…神のっ…」
それは、アヒルの鳥の片翼であった。鳥は弔に背中を向ける形で、片方の羽根を篭也たちの前に、もう片方をアヒルの前へと広げて、弔の放った光線をすべて、受け止める。
「クアアアアァァ!」
大きな鳴き声をあげて、鳥が受け止めた光線を弾き返す。弾き返された光線は天井を貫き、崩壊し始めた天井にさらに穴をあけた。空から射す日の光が、部屋の中にまで届くようになる。
「あの力を弾き返すとは…」
穴のあいた天井を見上げ、茫然と呟く篭也。
「クウゥゥっ…」
「ううぅ…!」
「あっ…!」
広げていた翼を、どこか苦しげに丸めこむ鳥とともに、その表情を痛みに歪めるアヒルに、篭也が驚いた様子で振り向く。
「神っ…!」
「うぅ…」
少し身を屈めたアヒルは、その両手を苦しげに下ろしていた。
「成程…どうやら、君とその鳥の体は連動しているようだね」
苦しげなアヒルを見つめ、弔が冷静に微笑む。
「“壊せ”」
「あっ…!」
弔が右手を鳥の左翼へと向け、言葉を放つ。弔に背を向ける形となっていた鳥は、向かってくる言葉を避けることが出来なかった。
「クアアアアアアっ!!」
「うああああああっ…!」
鳥が叫び、左翼を折りたたむようにして、床へと巨体を下ろすと同時に、アヒルも左腕を押さえ、その場へと崩れ落ちた。
「神っ…!」
力なくしゃがみ込んだアヒルに、篭也が思わず身を乗り出す。
「ああ、やはり間違いないようだ」
楽しげに微笑む弔に、しゃがみ込んだままのアヒルが、険しい表情のその顔を上げる。
「折角、治ったのに…また折れてしまったね、安の神…」
「クっ…」
折れた左手を力なく下方へと垂らしたまま、アヒルが眉をひそめる。
「どうだい?これが俺の力っ…君たち五十音士の力など、到底及ばない、俺だけの力だよ…」
「…………」
得意げに微笑む弔を見つめ、アヒルがその表情を曇らせる。
「神…!今、治療を…!」
「そこを動くな、篭也」
アヒルのもとへと飛び出して行こうとした篭也が、強く叫ぶアヒルの声に、踏み出そうとしたその足を止める。
「お前はそこで、みんなを守ってろって、そう言ったはずだ」
「だがっ…!」
アヒルの言葉に、篭也が声を荒げる。
「だが、その腕ではっ…!」
「大丈夫っ」
「……っ」
聞こえてくるその言葉に、篭也の声が止まる。
「大丈夫だっ、きっと何とかなる」
篭也へと笑みを向けるアヒルに、篭也がそっと目を細める。それは、いつもアヒルが口にする言葉。何の根拠もないが、安団の皆が信じてきた、アヒルの言葉であった。
「左腕が折られたって、俺にはまだ、言葉があるっ」
―――あなたには、“言葉”があるのだから―――
「神…」
それは、篭也がアヒルへと贈った言葉であった。
「それに…俺、言ったんだ。囁に…」
アヒルが少し視線を流し、篭也の近くに横たわっている囁の方を見る。
「“俺はあいつを倒す”って…」
アヒルの瞳が、そっと細まる。
「だから俺はっ…」
勢いで立ち上がったアヒルが、鋭い瞳で、弔を見つめる。
「あの言葉を絶対、“嘘”にはしないっ…!!」
強く叫ぶアヒルの想いと連動するかのように、床に体を落としていた鳥も、その右翼だけを大きく広げ、その場で堂々と立ち上がった。
「いいだろうっ…」
口角を吊り上げた弔が、再び言玉を持った右手を掲げる。
「言葉が意味のあるものなのか、ないものなのか…君のその言葉の真偽で、確かめようじゃないかっ…!」
掲げられた言玉から、さらに強い白光が放たれていく。
「ねぇっ…安の神…!」
大きくなる声とともに、弔の放つ光が、その強さを増していく。
「囁…見ててくれ…」
胸元のシャツを強く握り締め、アヒルが弔にすら届かないような、小さな声を落とす。
「俺が…言葉の意味を、証明してくっからっ…!」
「クアアアアァァっ!」
アヒルの叫びとともに、アヒルの上空の鳥からも、強い金色の光が放たれた。
「……一緒に見よう。囁」
アヒルと弔の様子を見守る篭也が、すぐ横で眠る囁へと、静かに声をかける。
「あれが、僕らの神だ」
篭也の声が、誇らしげに響き渡った。
『…………』
しばらく互いを見合って、アヒルと弔が、攻撃のタイミングをそれぞれにうかがう。
「行くよ…“絞”!」
「……っ!」
鳥を捕らえるべく向かってくる紐状の白光に、アヒルが素早く右手を上げる。
「“上がれ”…!」
アヒルの言葉で、同時に上昇するアヒルと鳥。鳥の巨体が舞い上がると、崩れ始めていた天井は完全に突き破られ、さらに空が見えるようになった。
「“暴れろ”!」
「クアアアアァァ!」
鳥の広げられた右翼から、赤い光の刃が、雨のように降り注ぐ。
「……っ“甲”!」
弔が迷うことなく言葉を発すると、弔の周囲に六角形状の白光の盾が形成され、降り注ぐ光の刃を防いだ。あっさりと防がれる力に、アヒルが表情を曇らせる。
「さっきは効いたのにっ…」
先程は突き破れた盾を思い出し、アヒルが額から汗を流す。
「力そのものが、さっきまでとは全然違うっ…」
「ふぅ…」
すべての刃を防ぎ終えると、弔は周囲に張り巡らせてた盾を消した。
「“殺せ”を使えば、一瞬で終わらせられるんだけど…」
上空で表情を曇らせているアヒルを、弔が白目だけの瞳で見上げる。
「一度、殺した人間には、“殺せ”の言葉は効かないからね…」
アヒルへと向けられていた視線が、ゆっくりと下ろされる。
「本当に厄介なことをしてくれるよ…君は…」
その下ろされた視線には、篭也の囲いの中で眠る、囁の姿が映っていた。
「さてとっ」
弔が再び、視線をアヒルへと戻す。
「もう終わりかい…?安の神」
「クっ…」
挑発めいた弔の問いかけに、アヒルが少し表情をしかめる。
「まだまだっ…いくらでも、やってやるさっ…!」
鳥のすぐ横に浮かび、アヒルが右手を振り上げる。
「“荒れろ”っ…」
大きく口を開いたアヒルが、次の言葉を発する。
「“嵐”…!」
「クアアアアァァっ…!!」
鳥が大きく嘴を開くと、鳥の口から下方へと、逆巻く風の塊が放出される。風が向かって来ていた紐状の白光を吹き飛ばし、床に立つ弔へと向かっていく。
「またこれか…ワンパターンだねっ…」
だが弔は冷静な表情で、ゆっくりと口を開いた。
「……“焦がせ”!」
弔の両手から放たれる、白熱の炎。炎が風の塊とぶつかり、さらにその勢いを増すと、逆巻く炎の嵐は、部屋全体へと、一気に広がっていく。
「うっ…!」
上空にまで届く炎の勢いに、思わず顔をしかめるアヒル。
「大人しく喰らってたまるかよっ!」
だがすぐに、アヒルは鋭い瞳を見せた。
「あ…」
アヒルが大きく、口を開く。
「“扇げ”…!」
アヒルが言葉を発すると、鳥が広げた右翼を思いきり振りきって、上空へと燃え上がって来た炎を、弔へと弾き返した。
「新しい言葉か…面白いっ」
返って来る炎を見つめ、弔がそっと微笑む。
「“向”っ」
「あっ…!」
弔の手前で、再び変わる向き。またしてもこちらへと向かってくる炎に、アヒルは大きく目を見開く。
「同じ言葉でじゃ返せないっ…クソ!」
険しい表情を見せたアヒルが、炎へと呑み込まれていく。
「うああああああっ…!!」
逆巻く炎に、あっという間に包まれていくアヒルと鳥。全身を焼かれたアヒルは、そのまま力なく降下し、床へと倒れ込んだ。アヒルのすぐ横に、同じように焼かれた鳥も倒れ込む。
「うっ…ううぅ…」
全身に火傷を負ったアヒルは、何とかその場で必死に起き上がろうとするが、左腕を折られているため、右手一本にしか力を入れることが出来ず、横たわったまま、苦しげにもがいた。
「どうだい…?安の神…」
苦しみもがくアヒルへと、弔がそっと問いかける。
「君と俺の力の差は、歴然だ」
微笑んだ弔が、自信を持って言い放つ。
「これでもまだ、“俺を倒す”などと…無意味な言葉を吐けるかい…?」
「クっ…」
アヒルが顔だけを必死に上げ、まだ鋭さを失っていない瞳で、前方に立つ弔を睨みつける。
「君は言ったね。届かない言葉がないとは言えないと…」
弔が落ち着いた口調で、アヒルへと言葉を投げかける。
「そう、届かないよ。君の言葉は」
強く言い切る、弔。
「俺にも、囁にも、決して届かない」
「……っ」
弔のその言葉に、アヒルの表情が曇る。
「自分の言葉が、いかに無意味であったかを知るといい…」
弔がゆっくりと右手を上げ、倒れたままのアヒルへと向ける。
「あの世でねっ…!“強”…!」
「なっ…!」
もう一度、強化の言葉を口にし、全身に纏う光を、さらに強いものへと変える弔に、アヒルは大きく目を見開いた。
「まだ…強くなるというのか…」
見守る篭也も、さらに厳しい表情を見せる。
「ハハハハハっ…!!これが…!これが俺の力のすべてだっ…!」
止まることなく光を発しながら、上空を見上げた弔が、大きく両手を広げる。
「俺のこの素晴らしき力っ…!貴様らが否定したこの力っ…その目に焼きつけるといい!五十音士どもっ!」
かつて自分を否定した韻へか、神へか、弔が思いをぶちまけるように、大きく叫びあげる。
「ハハハハハハっ…!!」
「…………」
笑いあげる弔を見つめながら、アヒルは少し落ち着いた表情となって、そっと目を細めた。
「囁…」
アヒルが力なく、囁の名を口にする。
「俺…もう…」
―――すべての言葉を失ったとして…それでも、どうしても私に愛の告白をしたいとして…―――
「……っ」
囁の名を呟いたアヒルの脳裏に、ある日の囁の言葉が過ぎった。
―――その時、アヒるんは…どうする…?―――
―――叫ぶ、かな。叫び続ける。叫び続けてたら、いつか…―――
「“いつか…俺の想いが、言葉になる”…」
あの日、囁へと告げた自らの答えを、アヒルがもう一度、口にする。すると、その言葉を口にした瞬間、諦めの色さえ見え始めていたアヒルの瞳に、明るい光が灯った。
「そう…だよなっ…」
アヒルが必死に床へ右手を突き、両足を踏ん張って、ゆっくりと立ち上がる。
「諦めたらそこでっ…言葉は死ぬんだ…」
足を奮い立たせ、何とか立ち上がるアヒル。立ち上がるアヒルに合わせ、アヒルの横で倒れていた鳥も、ゆっくりとその巨体を起き上がらせる。
「俺は…俺の言葉を、死なせないっ…」
立ち上がったアヒルが、強く右拳を握り締める。
「俺は絶対っ…」
鋭い瞳を見せ、アヒルが勢いよく顔を上げた。
「“諦めない”…!!」
アヒルの言葉に応えるように、アヒルとともに立ち上がった鳥が、折られていない右翼を大きく広げた。
「ハハハハハっ!これで、終わりだ!安の神っ!」
高らかと笑いあげた弔が、広げた両手を、勢いよく頭の上へと持っていく。
「“光”っ!!」
弔の大きな声とともに、部屋中に一斉に放たれる、無数の白い光線。
「……っ」
向かってくる光線を見つめながら、アヒルはきつく唇を噛み締め、そして大きく、口を開いた。
「“当たれ”っ…!!」
「クアアアアァァっ!」
アヒルの言葉が発せられると同時に、降り注ぐ光線の中へと、真正面から鳥が飛び込んでいく。二人の間で、光線の白い光と、鳥の金色の光が、激しくぶつかり合った。
「消えろっ…!消え失せろ!無意味な言葉よっ…!!」
さらに自らの力を巨大にしながら、大きく白目を剥きだし、弔が必死に叫ぶ。
「消え失せろぉぉぉっ…!!」
「クっ…!」
強まる弔の力に、アヒルの方が徐々に押され始める。
「言ったんだっ…あいつに…言ったんだっ…」
アヒルが必死に堪えながら、自分に言い聞かせるように、その言葉を繰り返す。
「だからっ…!」
さらに目を見開き、アヒルは大きく右手を振り上げた。
「俺はお前を倒すっ…!!」
「……っ!」
アヒルのその言葉に応えるように、鳥の纏う光が、一気に強くなる。
「クアアアアアァァァっ…!!」
「何っ…!?」
より一層、甲高く響く鳥の鳴き声とともに、押し返され始める弔の光。両手にかかる重い力に、弔は驚いた様子で声を漏らした。
「こ、この力はっ…!」
どんどんと勢力を増していく金色の光に、弔の白光が呑み込まれるようにして、消えていく。
「消え失せるのはっ…俺だというのかっ…」
震わせた声で、弔が呟く。
「無意味なのはっ…俺の言葉の方だというのかっ…!?」
信じられないといった様子で、白目を剥きだし、弔が必死に声を荒げる。
「クウゥゥっ…!」
弔の白光がアヒルの金色の光に完全に呑まれると同時に、弔の右手に握り締められていた白い言玉が、勢いよく砕け散った。
「うがああああああっ…!!」
白い光の中に、弔が消えていく。
―――バァァァァン!




