Word.32 神ニ、捧グ 〈4〉
「んなっ…!」
部屋中に放たれる、あまりに強い赤色の光。目の中に飛び込んできた光に、弔は思わず目を閉じ、身を屈めた。
「な、何だっ…?こ、この光は…!」
薄く目を開き、何とかその光の正体を知ろうと、前方を見る弔。
「あ、あれはっ…!」
前を向いた弔が、驚きの声をあげる。
「…………」
部屋中に広がった赤い光の中心には、すでに槍を下ろした囁の姿があった。
「……んっ…」
囁の見つめる先で、床に横たわっていたアヒルが、ゆっくりとその瞳を開く。
「俺…」
瞳を開いたアヒルは、まだどこか惚けた様子で、戸惑いの声を漏らした。
「馬鹿なっ…!」
目を開いたアヒルを見て、徐々に光にも慣れてきた弔は、大きく目を見開いた。
「俺が放った言葉は“殺せ”っ…彼は確かに、死んだはずっ…ま、まさかっ…!」
考えを張り巡らせた、弔が、さらに驚きの表情となる。
「“捧げろ”…?まさか、捧げたのはっ…」
信じがたいといった表情で、弔が今度は囁を見つめる。
「囁…」
囁をその視界へと入れ、弔はそっと目を細めた。
「俺、はっ…」
「アヒるん…」
「へっ?あ、囁!」
戸惑うように天井を見上げていたアヒルが、横から聞こえてくる声に振り向く。すぐ横に囁の姿を見つけると、アヒルはすぐさま体を起こした。
「お前、無事でっ…!って、あれっ?」
思いきり左手を床へとつき、起き上がったアヒルが、戸惑うように左手を見る。
「俺、確かさっき、左手っ…」
「アヒ…るん…」
「えっ…?なっ…!」
囁に呼ばれ、アヒルが再び顔を上げると、ゆっくりと後方へと倒れ込んでいく囁の姿が目に映った。
「さ、囁っ…!?」
アヒルが必死に手を伸ばし、倒れていく囁を、抱え込むようにして受け止める。
「囁っ…!?どうした!?囁!」
「アヒるん…」
抱え込んだ囁へと、アヒルが必死に呼びかけると、囁はアヒルの腕の中で、そっと力ない笑みを浮かべた。
「良かった…上手く、いって…」
「上手く…?何をっ…」
―――“殺せ”…―――
「あっ…」
戸惑っていたアヒルの脳裏に、先程の戦いのことが鮮明に思い出される。
「そ、そうだ…俺は確かに、あいつの言葉を喰らって…」
「“捧げろ”…」
「へっ?」
困惑した様子で自分の体を見回していたアヒルが、後方から聞こえてくる声に振り返る。アヒルが振り返ると、そこには厳しい表情を見せた弔が立っていた。
「囁が、君へ贈った言葉だ」
「捧げろって…」
弔の言葉を聞き、ハッとした表情となるアヒル。
「ま、まさか、お前っ…!」
「フフ、フっ…」
再び囁の方を見たアヒルに、囁がそっと微笑みかける。
「私の命…無駄遣いしたら、あの世から呪ってやるから…ね…」
「んな時に、馬鹿なこと言ってんじゃねぇ!お前っ…!」
怒鳴りあげながらも、アヒルの細められた瞳が、どこか悲しげに光る。
「なんでこんなっ…こんな馬鹿なことっ…!」
「馬鹿なこと…なんかじゃないわ…」
囁が少し首を横に振り動かし、アヒルへ笑みを向ける。
「だって…神様を守ることが…神附きの、役目だから…」
微笑んだ囁が、どこか誇らしげに言う。
「安の神を守ることが…安附の私の…役目だから…」
「んなことっ…!んなことっ…」
言葉に詰まったアヒルが、苦しげに少し俯く。
「ねぇ…アヒるん…」
ゆっくりと上げられた囁の手が、俯いていたアヒルの頬へと触れると、アヒルが顔を上げる。先程の冷たい頬ではなく、指先からは確かな温もりが伝わってきた。
「私の…神様…」
アヒルの頬に手を触れ、囁が穏やかに微笑む。
「どうか…死なない…でっ…」
途切れていく言葉の中、頬に触れていた囁の手がゆっくりと落ち、その瞳が閉じられていく。
「囁っ…?」
瞳を閉じた囁に、アヒルが戸惑うように問いかける。
「囁…?囁…!囁っ…!!」
徐々に大きくなっていくアヒルの声にも、囁はまったく反応しない。
「囁…!囁…!!」
「死んだようだね…」
「……っ」
囁へと呼びかけ続けていたアヒルが、前方から聞こえてくる弔の声に、呼びかける声を止め、ゆっくりと顔を上げる。
「覚えば、可哀想な子だったよ」
アヒルの手の中で、その瞳を閉じた囁を見つめ、弔がそっと目を細める。
「嘘偽りの言葉の中で苦しんで、本当の温かい言葉を探しては見つけられず、いつも泣いていた…」
弔が昔を懐かしむように、少し口元を緩める。
「だからこそ、君たちとの仲間ごっこの中で得た、小さな温もりを…捨てきれなかったのかも知れないね…」
どこか悟るように、声の音調を落ち着かせる弔。
「本当に…可哀想で、愚かな女だった」
「……っ」
冷たく微笑んだ弔のその言葉に、アヒルの表情が止まる。
「あっ…」
―――こんにちは、朝比奈アヒル…―――
―――私たちの想い、託すわよ…我が神…―――
―――さようなら…―――
―――どうか…死なない…でっ…―――
「……っ!」
今までの囁の姿を思い出し、アヒルが勢いよく顔を上げた。
「ああああああああああっ…!!!」
激しい叫び声とともに、アヒルの体から、強い光が発せられる。
「な、何っ…!?」
囁の放った光以上に強く、威圧的な重さを感じるその光に押され、思わず足を数歩、後ろへとさげられてしまった弔が、戸惑った様子で眉をひそめる。
「また光っ…?だが先程の光とは違うっ…」
吹き抜ける強い風を防ぐように、顔の前へと持って来た両手の隙間から、弔が前方を覗く。
「何だっ…!?この重さはっ…!」
弔の表情には、明らかに焦りが浮かんでいた。
「一体、何がっ…?あ、あれはっ…」
前方を見る弔が、何かに気付き、その表情を曇らせる。
「言玉っ…?」
まだ囁を抱え、座り込んだままのアヒルの手を離れ、アヒルのすぐ上に、一つの真っ赤な言玉が浮かび上がる。
「何故、言玉が…」
浮かんだ言玉が、アヒルが何も言葉を口にしていないというのに、強い光を放ち始める。
「あの光はっ…」
放たれる光は、輝くばかりの金。
「金色っ…?さっきまでとは違う…あっ…!」
言玉から放たれる、先程までアヒルが放ってきた赤色の光とは異なる、金色の光を見つめ、戸惑いの表情を見せていた弔が、さらに驚いた様子で、大きく目を見開く。
「言玉の色がっ…」
光に包まれ、まるで染まるように、その色を変化させる言玉。
「変わるっ…!?」
弔が見つめるその中で、アヒルの言玉は、真っ赤から金色へとその色を変えた。
「…………」
強く重い光の中心、色を変えた言玉の下にいるアヒルが、深く目を閉じた囁を、床へと丁寧に寝かせる。
「ここに居てくれ…囁…」
寝かせた囁へそっと微笑みかけ、アヒルがその場で立ち上がる。
「言玉が色を変えるなんて、そんなの聞いたこともないっ…あれは一体っ…」
「……っ」
「うっ…!」
戸惑うように言玉を見つめていた弔が、立ち上がり、顔を上げたアヒルの、その鋭い視線に、突き刺されるような何かを感じ、思わず怯むような声を漏らした。
「お、お前はっ…!」
「五十音…第一の音…」
立ち上がったアヒルが、ゆっくりとした動作で、浮かんでいる言玉の方へと、右手をあげる。
「“あ”、解放っ…!!」
―――パァァァァン!
「ううぅっ…!!」
その重さを増す光に、再び押される弔。光に片目を閉じながら、弔が何とかその場に留まろうと、必死に足を踏ん張る。
「……っ」
少し俯いていた弔が、何かの気配を感じ、ハッとした表情で顔を上げた。
「クゥアアアアアアっ…!!」
「なっ…!」
顔を上げた弔の視界に飛び込んできたのは、金色の翼を部屋いっぱいに広げた、巨大な金色の光の鳥であった。嘴を開いた鳥の、甲高い鳴き声が響き渡る。
「と、鳥…?」
「……っ」
弔が戸惑う中、鳥の真下に立ったアヒルは、鳥を従えるように、右手を掲げた。
「お前だけは…」
アヒルが、鋭い瞳を弔へと向ける。
「お前だけは、絶対許さねぇっ…!」
「クゥアアアアアアっ!!」
強く言い放つアヒルの怒りに呼応するように、鳥は激しく、咆哮をあげた。




